Information

◆◆◆Theatre Polyphonicでは、来年12月上演予定ミュージカルの主演女優を探して、
    WSオーディションを開催します!

Auditionflyer_2 ■予定演目: 「The Last 5 Years」(Jason R. Brown 作/作曲)
■主催団体: Theatre Polyphonic
■企画演出: 石丸さち子 ■音楽監督: 伊藤靖浩
■オーディション期日: 2012/1/27(金)・28(土)・29(日) 予定
■オーディション会場: 都内。応募者に直接ご連絡します。
■応募資格: 2012 年10 月後半からの稽古、12 月の公演に参加 できること。 経験の有無、プロ・アマ問いません。
■年齢制限: なし(20 代後半~30 代前半に見える方)
■応募方法: ① 以下のフォームからお申し込みください。
◎ PCから応募
◎ 携帯から応募
② メールでの応募(A~C を送付してください)
(宛先:polypho@gmail.com オーディション係)
A- 履歴書もしくはプロフィール(履歴書項目に加え、
地声とファルセットの音域、身長体重も明記のこと。)
B- 自己紹介文(200 字~400 字程度)
C- 2枚の添付写真(全身・上半身)
■締切: 1 月25 日(課題送付のため、早めにご応募ください。)
■選考方法:
・ 応募書類確認の上、選考用の課題(台詞と楽譜)をお送りします。
・ 実技審査料として2 千円を頂きます。
■問合せ: polypho@gmail.com http://www.s-ishimaru.com/

◆◆◆◆俳優私塾POLYPHONICは、演出家石丸さち子が主宰する、年齢経験一切不問の俳優塾です。
12月に私塾公演を終えて、1月は新しいレッスンが始まります。
次のような方、是非、稽古場をのぞいてみてください。
そして興味を持ったら稽古に参加して、一緒に面白い稽古場、面白いワークショップを作っていきませんか?
・声を育てたい方(発声に特化した稽古時間が多いです。)
・戯曲をもっと読みたい方(稽古場で声を出し、体で読み解いていくのが楽しい。)
・次の仕事、次の舞台まで、演劇する体と心を保ちたい方。
・演技の基礎に立ち戻りたい方。
・心と体を解放したい方。
・正しい日本語を身につけたい方。
現在は、週4回稽古をしていますが、参加人数によっては、回数と企画を増やしていくつもりです。
詳しい稽古、レッスン料の実際は、HPをご覧ください。
そして、気軽に稽古場を見学に来てください。
いつでも、声を出しに、体を動かしに、心を揺らしに行ける稽古場を開けておく、というのが、目標です。お待ちしております。
詳しい情報、お問い合わせ、申込はこちらから!

◇◇◇◇ご来場ありがとうございました!
Yasuhiro Ito Solo Live
Sololive1 Sololive2
Sololive3 Sololive4
12 / 16 (Fri.)14:00/ 18:00 / 20:00
(open13:45/17:30 / 19:45)

伊藤靖浩(Vo.) 伊賀拓郎(Pf.)
blackA
東京都墨田区千歳1-3-4 1F TEL:03-6659-3939
JR両国駅 徒歩8分 都営大江戸線/都営新宿線森下駅 徒歩10分
Music Charge ¥2500 + 1Drink ¥500



◇◇◇◇俳優私塾POLYPHONIC 第3回 公演「赤鬼」好評のうちに終了。
Web


◆◆◆◆IN-Project Vol.2「Breath & Beat 鼓動と呼吸の120分」
無事、終演しました。ご来場ありがとうございました!
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【企画・主催】IN—Project(Ishimaru Sachiko & Nishitani kunito)
【構成・演出】石丸さち子
【出演】 西谷国登・石丸さち子
     ゑ川史子酒井亜矢
     伊藤靖浩

     柳本雅寛 (プロフィール
     広崎うらん
     若菜大輔 (プロフィール
     高木拓哉・吉木遼・塩見陽子


◆◆◆◆秩父市民ミュージカルドラマティックコンサートVol.3
    「秩父より愛をこめて〜世界を愛する歌の花束」
ご来場の皆さまに、愛される公演となりました。ありがとうございました!


◆◆◆◆谷賢一さん主宰DULL-COLORED POPの第10回公演、
    「Caesiumberry Jam」に、俳優として出演しました。
Up0012Up0015 ■出演
東谷英人・大原研二・塚越健一・中村梨那・堀奈津美・若林えり
(以上、DULL-COLORED POP)
石丸さち子(Theatre Polyphonic)・井上裕朗(箱庭円舞曲)
加藤素子・佐賀モトキ・芝原弘(黒色綺譚カナリア派)
田中のり子・細谷貴宏・百花亜希・守美樹(世田谷シルク)・吉永輪太郎


◆◆◆◆「ペール・ギュント」終演しました! 

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◆◆◆◆ありがとうございます!!
IN-Project Vo.1
「命と祈りの120分」
音楽で語り/演劇で奏でる、命の輝き/喜び、そして祈り

お客様から頂戴しましたチケット代の中から、
劇場を通じて、30万円を義捐金として寄付して参りました。
皆様のご好意が、被災地に届きます。
ありがとうございました。感謝いたします。



BBS7.COM
MENURNDNEXT

2012年1月17日 (火)

よしなしごと。

何もかも自分でやってたら潰れちゃうって、わかってるんです。
でもね、やっちゃう。
自分の企画に、滅私奉公。
自分がやりたくて立ち上げてる企画なんだから、本質的には滅私じゃなくても、いやもうね、今日みたいにひたすら事務に追われると、「滅私」以外の何ものでもない。
他人の事情にひたすら振り回されて、笑顔を振りまく、事務員石丸さん。
でも、日付が変わって、ようやく少し、芸術家脳に戻りました。
先の仕事の段取りをして、音楽と文字を摂取して、ぬるいビールを開けました。
自分の見たい作品、まだぼんやりしている風景が、もう少し我が目の奥にはっきり像を結んだら、俳優に声をかける。言葉を並べ始める。
ぬるいビールを飲みながら、まだわたしにしか見えない風景に目を凝らす。

昨日の夜も、なんだかわたしは、谷川さんの詩にかこつけて気障なことを書いておる。
まあ、そんなことを書きたくなるくらい、ジェットコースター人生を送っているのでね。
谷賢一氏に、「石丸さんのブログ、訳わかんないですよね?」って言われた気がする。
そりゃあそうでしょう。とても人には言えないことを抱えつつ書いているのだもの。
そのまんまなんて、絶対書けないんだもの。
……どんだけか落ち着かない50歳です。
笑えます。
ここまで人生を棒にふっているので、何とか、作品だけは立派に世に送り出したいと思います。
自分の名前で看板あげて、働きだして、ようやく4年目なんだもの、わたしは。

私塾の俳優、遼だって、穂高だって、ある意味、わたしの作品だって思ってる。
精魂こめて、わたしは彼らの可能性を見いだし、磨く、磨く。
時間がかかっても、未来の輝きを信じて、丁寧に丁寧に磨く。
そして、いつか、できれば早いこと、自分で自分を磨けるようになってほしい。
作品は、世に送り出してこそ、意味がある。

深夜の空きっ腹ビールが、ちょっと効いてくる。
酔うたびに、わたしは、己が心の謎について考える。
自分以外の他者を愛するってことの謎の深さに迷いこむ。

こうして書いているうちに、どうやら酔った谷賢一氏が(また出てきた……)連続ツイートしている。
演劇の興奮を冷ませない男がいるぞ。
昼間には、ずっとわたしの脳裏にいる俳優からハガキが届いて、事務所が変わったことを知る。
すごい転機だな、と思わせる、移転。
色んな人生が動いている。
わたしも動いている。
本当に、50歳にして、どうしようもなく揺れてるの。
おかしいよ。
人生を設計するという観念、ゼロ。
22歳くらいで、自分がアウトサイダーだって気づいたけど、まさかこの歳までそうで在り続けるなんて、思いもしなかった。
ひどいものだ。
でも、人生はこれからだ。

2012年1月16日 (月)

我がドタバタ喜劇を想う。

こんなに長らく書かなかったのか、と、思う。
日々、やるべきことをひたすらにこなし、
日々、大切にしたい人たちをひたすららに大切にしたいと願い、
日々、心を揺らして。
過ごしていた。
やりたいことはあり過ぎて、24時間じゃちっとも追いつかず。
いい歳して、相変わらず1度にたくさんのことを考えるのが下手で、
ひとつ、ひとつと、向き合って過ごした、
その時間の積み重ね。

予想もしなかった、今日が来る。
感動したり、心震えたり。
そんな今日の積み重ねが、
それでも着実に、明日を連れてくる。
わたしの明日を輝かせてくれるのは、
わたしの今日の過ごし方。
きっとそうに違いないので、
とにかく、ひたむきに過ごす。
今、素直に、大事だと思うもの、思うことに、
真っ直ぐな気持ちで立ち向かう。

今日は、個人レッスンの日だった。
このところ、幾つかの個人レッスンが続いて、
自分の4時間ほどの限られた時間が、
どれほど人に影響できるかを、
考えた。
私塾の、日常の稽古を続けながらも、考えた。
……演出家なんて商売を続ける限り、
わたしは土足で人の心にあがり続ける。
その怖さはもちろん知っているから、
ちゃんと靴を脱いであがろうとするのだけれど、
「入ってもいいですか?」と声をかけようとするのだけれど、
やはり時折は、意識的に、土足でずかずかと上がり込む。
ある時、人は、わたしを押し出して扉を固く閉ざし、
ある時、人は、裸になってわたしと抱き合う。

谷川俊太郎さんの詩の一節に、こんなのがある。
「午前二時のサイレント映画」という詩の一節。
詩の一節を抜き書くことに意味なんてないと知りつつ、
あえて抜き書こう。
こんな一節。

人はたったひとつの自分の一生を生きることしか出来なくて あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ それがドタバタ喜劇にすぎなかったとしても

今にも火を噴きそうな心を抱えて、
自分に隣り合おうとしてくれる人々のことを考える。

いいよ、たとえそれがドタバタ喜劇でも、
わたしは手を伸ばす。
人と歩み寄ることで受ける、かすり傷。
苦い傷を負った体を、癒えぬまま渦中に投げ出す勇気は、まだまだある。
傷を舐めて、甘いと思える生命力も、まだまだある。

喜びたい。明日を。


2012年1月 8日 (日)

無題。7/366。

・私塾の女性のテキストに、岸田國士の「葉桜」を選んで読んでみた。孟母と猛母のあわいにある、一生もののやっかいな「女」性。
岸田愛國士熱が再燃していたところに、今日、個人レッスンの俳優が持ってきたテキストが、「動員挿話」だった。またまた、和代という現代的自我を持った女の言葉に、新しい発見。
声に出さないと、心を動かさないと、そこに俳優がいてくれないと、発見できないことが多い。
……岸田國士の勉強会を開きたい。仲間を募りたい。

・松の内が過ぎた。実家→愛媛の4日間から戻ってからは、気が遠くなるほどTo Doをこなした。さっきあがった一曲で、ようやく一区切り。明日から次の大きなテーマに向かおう。だから、明日のために眠らなきゃいけないんだけど、例によって、冴えまくっていて、興奮していて、眠れない。
こういう時、とりあえず、「無題」というタイトルをふって、よしなしごとを書き始める。

・こりっちという、小劇場中心の演劇サイトの掲示板に、私塾の募集案内を載せたら……知らない間に恐ろしいくらいクリック数が伸びている。掲示板でダントツ一位になっちゃってて、ちょっと戸惑う。
わたしの名前はたいして有名じゃないし、一体何にひかれて多くの人がクリックをしてくれているのか……。しばし考えこんでしまった。何かそこに、大事な情報が眠っている気がして。
そして、問合せも申込も、その割には大して来ていないわけで。
これは何だか、やっぱりすごく大きなヒントな気がするな。
みんな、何を求めているんだろう?

わたしが求めているのは、シンプル。
俳優と出会いたい。
開かれた稽古場を作りたい。
稽古場で、いろんな俳優と、いろんな時間を過ごしたい。
演劇で遊びたい。演劇で、生きていることを確かめたい。
そして、俳優という職業を、深くリスペクトしている。
だから、わたしは一緒に走りたいのだ。

・独立して以来、知り合ってきた大事なスタッフから、チーム石丸で「快走できそうです!」「面白いことやりましょう!」と、言葉が届く度に、背筋が伸びる。
何もないところに、ひとつの作品が生まれる。
わたしが此の世に生まれていなければ、生まれなかった作品が生まれる。
どんなクリエイターだって、そんな小さな奇跡を起こし続ける。
自分が生まれたってことに驚きながら。
自分を生んでくれた両の親を思いながら。
さあ、わたしは今年、どんなものを作るのか?

2012年1月 1日 (日)

「ありふれた母と娘の話」全文。


母のもとに帰ると決めた時、 In-projectでの作品を見せてあげるかどうか、すごく悩んだ。
母の物語。母のために作ってもらった歌。
でも、記録映像を見せるのはやめた。
だって、わたしが隣にいるだけで満足そうなんだもの。
でも、何となく、どういうノリか、隣にいる母の物語を、もっとたくさんの人に知ってほしくなってしまった。

以下、長いですが、11月に上演した「ありふれた母と娘の話」の台本最終稿です。
興味のある方、どうぞ読んでみてください。
♩のところは、伊藤靖浩さんの作曲で、歌になりました。

+++++++++++

(最初、セーラー服を着た石丸による、野田秀樹作品の引用があり)

これは、野田秀樹さんが書かれた「売り言葉」という戯曲の冒頭です。高村光太郎の奥さん、智恵子抄で有名な高村智恵子さんをモデルにしたものなんですけど、わたしが一七歳の時、母に、「東京に出ていきます! 早稲田大学の演劇専攻に行きたいんです! いいでしょ?」って切り出した時も、ちょうど、こんな感じでした。あ、でもちょっと違うか。泣いたのは母です。もう、めちゃくちゃ学問のない感じで泣きました。わーーーーーって、天井向いて泣きました。犬が!って泣きました。そりゃもう、家に火をつけそうな勢いでした。父が母を止めて、
「お前が急にそんなびっくりさせるようなこと言うもんやから、ママ、興奮してもうたやろ。……ほら、あんたも、そんな泣かんでもええやろ?」
「泣かんとおられへんわ。パパはさち子がおらんようになってええん? ママはよう我慢でけへんわ。淋しいやんか! 犬がーーー」って泣いた。かなり学問のない感じで。これみよがしに大きく息を吸って、絶対泣き止んでやるもんかって子どもみたいに頑なに、横隔膜を、こう、震わせ続けて。とんでもないパワーだった。わたしはと言えば、母親が娘の前であられもなく泣くという、その非常事態にパニック状態。大体ね、親が子どもの前でそんなに感情を露わにして取り乱すなんて、想定外。そんな時にできるわたしの抗戦の仕方はただひとつしかない、負けないくらいに泣く。わーーーーーー! ああーん、ああーん、ああーん、ああーん! わーーーーーー! ああーん、ああーん、ああーん、ああーん……。 
とんでもなく熱苦しい母と娘の間に挟まれて、父よ、あなたはえらかった。それっくらいがむしゃらに泣いたら、疲れてしまいに泣き止むってことを知ってたのね、何も言わずに、母と娘を泣かせてくれた。
どこにでもある、母と娘の別れの儀式でした。兵庫県と東京に別れて暮らして、もう三十二年です。
母は、ふだんは、一切泣いたりしません。笑うことに忙しくって。ひまわりみたいに明るく強い母なんです。
父が仕事に失敗してから、経済的にも、うちの大黒柱でした。

今日は、そんな、わたしの母の、呼吸と鼓動、心臓と肺の話を聞いてください。

わたしの母の心臓は、止まったことがあります。大動脈瘤の手術をした時。母の心臓は動きを止めて、人工心肺装置という医療機器が、心臓と肺の代わりをしてくれました。人工心臓が血液を体の外に送り出して、人工肺が血液に酸素を送り込んで、体に戻してくれるんです。
1日がかりの手術を待つ間……もう、本当に長かった。これが永遠かと思った。余計なことばっかり考えるので、わたしは生まれてからその時に至るまでの、自分と母の物語をすべて復習しました。家族の思い出、全部。作ってくれた美味しいごはんのいろいろ。彩りもきれいで、友達が来た時なんか、もう、すっごく自慢だった。音痴なくせに、父兄の合唱に出たらいちばんにこにこして歌うから、一番歌が上手そうに見えた。家族で行った旅行のいろいろ。手をつないで、市場に買い物に行った、歌を歌いながら。自転車の乗り方を教えてくれた、折り紙を教えてくれた。わたしが東京に出てきてからは、わたしの心や体の調子が悪くなると、何も言ってないのに、なぜか察知して、電話してきてくれる。あと、送ってくれた数え切れない宅急便。まだクール宅急便とかない時に、平気でおにぎりとか握って送ってくれた。ひどい時は手作りコーヒーゼリーが入ってた、それは無理! そんなくだらないことばっかりなんですけど、とにかく、いろいろ、本当にいろいろ、ランダムに、母との時間を復習しながら、手術の終わりを待ちました。

「石丸さん、面会できますよ」
わたしは、呼吸を整えて、自動ドアを何回も通って、母に会った。

  ♩眠ってるおばあさん、死んだみたいに……でも生きててくれた。
  たくさんの機械が、ママにつながっている。
  自分の心臓じゃ、まだだめなんだね。
  機械が、ママの代わりに心臓を打ってくれてる。
  呼吸してくれてる。      
  神さまみたい、あんなに血を巡らせて。生かしてくれてる。♩

1週間後、ずっと母は眠ったまんまで。……人工心肺装置に頼る期限が来ましたと、担当医の先生に告げられました。装置を外して生きのびるかどうかは、患者さんの生命力次第だ、とも言われました。わたしも父も、ちょっと母を見くびっていました。今思えば、生命力なら、誰にも負けないでしょ?って人なんです。でも、その時はもう、自分の息が止まりそうになりながら、見守りました。でも、生命力万歳、母の心臓と肺は、人工心肺装置とお別れした後、こころもとなくも、働き始めました。……でも、母は目覚めなかった。
次に先生は、奇跡でも起きない限り目覚めるのは無理かもしれませんと、父に告げました。医者が奇跡という言葉を使うのもどうなの? と思いましたが、よほど可能性がなかったので、奇跡なんて言葉でショックを少し和らげたんだと思います。


♩心臓は、魂が住んでる場所だって、母がいつか教えてくれた
心臓が止まっている間、手術をしてる間、母はどこにいたんだろう?
心臓が動き出しても、眠ってる間、母はどこで迷ってたんだろう?


どれほど疲れていたんだろう?
働いて働いて 笑って笑って 心配して心配して 笑って笑って

ごめんね、ママ ママ 離れてしまって
ごめんね、ママ ママ 会いにも帰らないで

ママの時間は足踏みして 終わるかどうか考えてた
疲れた魂はちょっとお休み 機械に任せて休んでた

どこにいるの ママ 夢を見ているの?
どこにいるの ママ そこにわたしはいる?
戻ってきて ねえ 一緒にごはん食べたい
帰ってきて ほら 家族集合したよ!

そして二十日後に奇跡は起きた……母は前触れもなく帰ってきた! ♩


奇跡が……起こっちゃったんです。二十日ほどたって、母は、思いついたように、目を覚ましたそうです。
一番びっくりしたのは担当医の先生。そしてもちろん、一番喜んだのは、その時、目の前にいた父。でも、長い夢から醒めるとき、大きな大きなおみやげを持って帰ってきたんです。母は、今までの時間の記憶を全部なくしていました。それは、人工心肺装置にお世話になったことからくる合併症。血栓ができ、脳梗塞になっていたんです。なんだか暗い展開ですが、意外や意外、ここからはラブストーリーです。

新しい母にとって、目の前にいる見慣れない男の人は、いつも誰より優しい人だった。
話しかけてくれて、ご飯を食べさせてくれて、着替えさせてくれて、洗濯してくれて、痛いところをさすってくれて、帰る時には「暴れんとよう寝えや、明日また来るさかいな」と笑って帰って、また朝になると来てくれる。
……一切記憶のなかった母は、改めて、父が大好きになりました。それまでずっとずっと大好きな人だった人との時間をすっかり忘れて、それから、もう一度、父に二度目の恋をしたんです。
母は、じっくり一年ほどかけて、すべての記憶を取り戻すという二つ目の奇跡を起こしますが、記憶を取り戻して娘のさち子に戻ったわたしに、自分の二度目の恋をたどたどしく、嬉し楽し恥ずかしげに、話してくれました。こんな風に。


♩わがままばっかり言ってても 大きな手で撫でてくれた
パパが待っててくれたから ママは戻って来れたのかな?
ありがとう、パパ そばにいてくれて
ありがとう、パパ 大事にしてくれて♩


手術の後遺症で、確かに、長い間歩けませんでした。ずっとリハビリし続けています。でも、それも父と一緒だと、頑張ると誉めてもらえる毎日の楽しいゲーム。あと、脳梗塞が進んで、目が見えなくなった時期もありました。でも、それだって……。
わたしが会いに帰ったときに「久しぶりに会えたのに……あんたの顔が見れたらどんなに嬉しいか」ってぽろぽろ涙をこぼして、わたしの顔を撫でさすって確かめたりするものだから、わたしも母が見えないのをいいことに、ぽろぽろ涙をこぼしてたんですけど……その後、隣に並んで一緒に食事をしている時に、わたしがちょっと食べこぼしたら、「ほら、またこぼした!」って、云うんですよ。「なんや、見えてるやんか!」と突っ込むと、泣き真似をして見せて「たまーに見えるんや、たまーにやで!」と言い訳してみせたりして。「何? もう、その根の明るさは? どんだけ心配した思てんのよ?」とか何とか言いながら、その時、わたしは「ああ、この人は大丈夫だ」って、思いました。人工心肺装置に繋がれている時、母の体の血がぐるんぐるんと巡っているのをずっと見ていましたが、あの赤い、奇跡を起こせる血が、わたしの中にも流れてるんだって、そう考えると元気になります。


♩ 漲って 迸って 息を呼び 息を吐き
血は巡り また歩き出す 夢から醒めて この世界を

ごめんなさい ありがとう 言葉にして 笑顔にして
血は巡り 明日を生きる このつながり 信じて

漲って 迸って この体 生きている
ゆるがない 鼓動信じ 命の重さ 感じよう 
  LaLaLaLaLa−−−−−−−−♩

母は、今、とても元気です。普通の、物忘れの激しいおばあさんくらいの感じです。父と一緒なので、幸せだ幸せだと、いつも電話でのろけています。
でも、もう、難しい話はできません。人生についてとか、語れません。娘にとって、何でも言える世界でただ一人の人に戻ってきてほしいとも思いますが、まあ、それは望みすぎってもので。
でも、それでも。一度、わたしが本当に参っている時に、母は夢に出てきてくれたことがあるんです。
夢の中の母は、40代、今のわたしと同じ年頃の、働き盛りの母の姿でした。夢の中のわたしは、中学生くらいでした。

家は、父が仕事で失敗してから、母が一人で宝石屋を始めて、経済的に家族を支えていてくれたんです。父のサポートがあるとは言え、女が一人で外で仕事していて、楽なことばかりであるわけがない。一手にたくさんの人生しょいこんで、しんどくないわけがない。それは、今のわたしにはよくわかります。
夢の中で母は、かっちりしたスーツを着て、つばの広い優雅な帽子をかぶって、いつものように颯爽と仕事に出かけて行った。わたしは一人で留守番をしていて。しばらくしてから、離れにある事務所から、何か物音がするのを感じて、怖くなって、恐る恐る、のぞいてみました。すると、仕事に行ったはずの母がいる。
スーツを脱いでスリップ姿のまま、帽子をテーブルに投げ出して、事務机につっぷして寝ている。
眠りの足りない人が喘ぐように寝ている。
寝ながら泣いている。
ふと、母がわたしの視線に気づく。
仕事に行くと偽って家を出て、事務所で眠っていたことを後ろめたく思っている様子はないんです。
ただ、虚ろにわたしを見ている。
そして言う。
「さち子、それうとて。(歌って)」
帽子の横に、しわくちゃの紙がある。
手に取ると、有名な聖歌の歌詞が書いてある。
わたしはミッションスクールに通っていたから、その聖歌を歌ったことがあった。
中学生のわたしは、しわくちゃな紙を見ながら、声もなく泣いている、母の前で歌った。
歌詞を全部覚えていたけれど、紙を見ながら歌った。
わたしはどこかで、自分が夢を見ていると気がついていて、目の前の疲れた人が、母なのかわたしなのか、わからなくなってしまった。
夢の中で、母とわたしは寄り添っていた。一緒に息をしてたと思う。一緒に歌っていたと思う。

(聖歌「慈しみ深き」)

慈しみ深き
友なるイエスは

罪、咎、憂いを取り去り給ふ

心の嘆きを包まず述べて

などかは下ろさぬ
負える重荷を

慈しみ深き
友なるイエスは

我らの弱きを知りて憐れむ
悩み 
悲しみに沈める時も

祈りにこたえて
慰め給わん

慈しみ深き
友なるイエスは

変わらぬ愛もて導き給ふ

世の友我らを棄て去る時も

祈りにこたえて
労り給わん
(聖歌 終わり)

世界中の母に感謝。
世界中の、母を愛した父に感謝。
そして、人生は続く。

新しい年を迎えて。

新しい年を迎えて。
2012年1月1日。
実家の姫路を目指して、新幹線に乗っている。
車窓から差し込む日差しは暖かくまろやかで、たたいているキーボードに、光と影を分ける柔らかな線を落としている。
駅ビルでは、初売りの声が賑やかだったし、例年初詣に訪れる八幡様は、新年を祝う人たちで溢れかえっていた。神の住居の社は、ハレの日の照明に照らされていつもより朱塗りが艶やかに見えた。
街は、例年と変わりなく、生き生きと希望に満ちて新年を迎えたように見える。
冬の陽は街の輪郭をすっきりくっきりと顕して、潔い。
ただ、わたしの目の届かないところに、わたしの手の届かないところに、例年のように新年を迎えることのできない人たちがいるし、それに思いを馳せることは、いつだっていつだって、目の届かないことばかりの世界、手の届かないことばかりの世界に、自分は生きているのだと思い知ることだ。
でも、希望はある。
この小さなわたしにも、目の届く人たちがたくさんいる。手が届く人たちがたくさんいる。そこで、どこまで、この命を生かせるか。
そしてまた、表現の仕事をしているのだから、小さな世界を広げる可能性だってある。演劇という、あまねく知ってもらいにくい表現形態であっても、ある。
素人みたいな物言いだが、実際、歳遅くして独立してからのわたしは、自分の表現を身の回りにしか発表してこなかった。

今年の目標は、表現と幸福の飛距離を伸ばすことだ。

こうして書いているうちにも、関東地方で地震が起きたと知る。言葉は無力だが、言葉の力を忘れては何の表現もできない、わたしは。

昨日ね、初詣で、お決まりの場所ではお決まりのおみくじをひいたんです。大吉で、あまりにも素晴らしい言葉が並んでいて、「今年のあんたはいいよ~いいよ~、何やってもいいよ~あと足りないのは王者の風格だけだね」なんて書いてあって、笑えるくらいおだてられて、いい気分になりました。
わたしは基本、占いを信じない人なのに。……単純なものです。
自分のために、人のために、上手に言葉を使っていく。
これは、わたしの仕事ね。

そうこうしているうちに、実家に到着し、母の隣で書いている。正月に帰るなんて、もう、前はいつだったか覚えていない。正月はいつも仕事をしていたからなあ。
11月のINーProjectで、母の人生を語って歌ってから、ずっと会いたかった。隣にいると、それだけで、いい。
話したことをすぐに忘れちゃうので、別に何を話す訳でもない。父に近況を報告してから、母のそばに、ただ、いる。隣で、しばし嬉し泣きが続いたあと、にこにこして並んでいる。
幸せだ。
時間がゆっくり、ゆっくり、流れる。
この時間の中で、わたしを支えてくれる人たち、昨年出会った人たち、これから出会う未知の人たちを思う。

ありがとう。そして、今年もよろしくお願いします。

2011年12月31日 (土)

俳優私塾POLYPHONIC 2012年の展望。

来年の公演企画が、幾つか同時に動いていて、頭の切り替えが忙しい。

それと同時に、「赤鬼」での俳優たちの成長に励まされて、
また、今一緒にいる俳優たちにもっと刺激的な稽古場を味わってほしいから、
4年目を迎える俳優私塾POLYPHONICにも、ぐっと力を入れるつもりだ。
石の上にも三年やってきて、ようやく分かってきたことがある。
全部、塾生たる、俳優たちに教わってきたことだ。

2012年は、私塾で、いろんな実験や冒険を企画していきます。
意気込みも新たに、新しい私塾のHPを作成。
これからサイトを育て、
何より、新しい企画の発表をしていきます。

たくさんの俳優たちと、よい出会いを経験すること。
出会いがすべてのこの世の中で、
わたしは大切な出会いを演出したい。
ふつふつと、意欲が湧いてきます。
わくわくしてきます。
来たれ。来たれ。

2011年12月26日 (月)

賢者の贈り物と、痛い思い出。

昨日は、クリスマスのプレゼントを買いに行きました。
これは、クリスマスなんて気にしたことのなかったわたしには、ちょっとした出来事。
頭の中で、ずっとO・ヘンリーの短編「賢者の贈り物」を反芻してるんです。
いやだな、文学少女。(ごめんなさい、少女じゃないけど。)
でも、いい話なんだ。
貧しい夫婦がいて。
妻は、夫が持っている懐中時計につける鎖をプレゼントしたくって、長い髪を切って売ってしまう。
夫は、妻の長く美しい髪のために櫛をプレゼントしたくって、懐中時計を売ってしまう……。

プレゼントをするっていうのは、そういうことだって思い出しながら、わたしはプレゼントを選ぶ時間を過ごす。
もちろん、喜ばれるものを探している。
でも、プレゼントっていう物自体には、大して意味がないのかもしれない。
だって、形あるものはいつか壊れるし、すぐになくしちゃうかもしれないし。
何より大事なのは、誰かにどうしてもプレゼントを贈りたいと思って探す、その時間。
相手の喜ぶ顔を想像して過ごす、その時間。
そんな時間を、わたしは、逆に、相手にプレゼントされているのだと思った。
仕事ばかりしていて、基本的にひねくれ者で、クリスマスに興味のなかったわたしの心に、新鮮な潤いがやってきた。昨日という日。
(おやおや、今度はちょっとディケンズみたいになってきた。)

プレゼントを用意してから、待ち合わせまでに、ずいぶん時間が余ってしまった。
鞄に仕事するための資料が入っていたけれど、仕事をするより、手紙を書きたくなって、便箋を購入。
大学生の頃から馴染みだったジャズ喫茶を久しぶりに訪れた。
今、わたしはiPhone+Bluetooth Keyboardという素晴らしいツールを常に持っているので、どこでも仕事ができるし、どこでも長文メールを打ち、送れる。
なのに、昨日は便箋で、1時間半もペンを握っていたというのに、書いた手紙はたったの3枚。
目の前に、罫線つきの白い紙があって、右手にペンを持ったまま……書いた手紙より、考える時間が主役だった。
手紙の宛先人だけではなく、わたしを取り囲むたくさんの人たちのことを考えながら。

余った時間で、映画館の闇に少しでも滞在するか、手紙を書くか迷ったのだけれど、悪くなかった。
孤独でいることの醍醐味さえある時間だった。

……と、こうして書いているうちに、強烈に思い出した昔話。
若い頃から、手紙を書くことが好きだったわたしは、いつも便箋とか簡易書簡を持ち歩くような子だった。
高校2年の時だったか、当時好きだった男の子の誕生日の前夜、手紙を書き始めたら、ものすごく興が乗ってしまった。かなり細罫の便箋に万年筆。今思えばちょっと生意気。
朝までかかって、便箋一冊のラブレターを書ききった。ちっとも女の子っぽくない便箋だったから、一冊が厚くって、そりゃあ、「重い」感じだった。
(その時は、わたしの「思い」のすべて!なんて思ってたのよね。)
で、あろうことか、わたしは迷いなくそれを誕生日プレゼントに添えて渡した。

その便箋一冊のラブレターを、彼の通う男子校の同学年ほとんどが回し読みしていたという事実を知ったのは、もう何年も後のことだった。
わたしは、男を見る目がない。
……今は、あるよ、うん、ある。

2011年12月23日 (金)

上を向いて歩こう。

もうすぐ、2011年が終わる。
いつの間にか、節電ムードは一掃され、クリスマスのイルミネーションは例年通り、あるところではセンス良く、あるところでは趣味悪く、とにかく、光を放っている。
忘年会の人々で東京は例年と変わらず賑わっていて。
街と人々の営みは変わらない。
それでいい。

かつて、戦争を「是」とした一部の人間の欲得を覆すのに、「非」と知らしめるのに、多勢の人間の人生が束になって損なわれることが必要とされたように、
わたしたちは、この人生が目に見えない汚染で損なわれていることなどものともせず、それぞれの人生を精一杯生きる。その束の力、束の不幸でしか世の中は変わらない。或いは変わらないかもしれないけれど、変わるとしたら、その人間のあらゆる普遍的な営みの力によってだ。

わたしは、今、この人生を精一杯楽しむことでしか、何かを証明できない。
作りたい作品を創ること。
仲間と過ごす時間を愛すること。
わたしの現在に特別な意味を与えてくれる他者を、渾身で愛すること。
食べ物に生かされていることへの感謝。喜び。
眠りの後の食べ物は、間違いなくわたしの原動力を作る。
家族や、親しい者たちと囲む食事は、なおさらだろう、その喜びは。

===

先日、伊藤靖浩さんのSoloLiveに、わたしは、「上を向いて歩こう」を組み込んだ。
それは、3月11日以来、わたしが最も聴きたかった歌だったから。
そして、さらに言うと、日本が大きな問題を抱えている間に、わたしには個人的な大問題が起こっていて、その日々の辛さを思うたびに、この歌を思いだしていたから。
2009年の2月13日14日15日の間に、小さな黒い空間に零れてきた歌が忘れられず、その歌をずっと求めていた。
そして、2011年12月16日に聞けたことを、わたしの喜びとしている。

笑えない国の中で、
笑いながら歌うこと。
その美しさ。

上を向いて歩こう。
涙が零れないように。

この歌は、鎮魂歌だ。
2011年の終わりに、「上を向いて歩こう」と、誰かに歌ってもらうのが、わたしには必要だった。

2012年は、もっと、もっと、生きたい。


追記

ACCIDENTSを上演した、die pratzeから昨日メールが届きました。
来年の7月でマンションに建て替えるため、劇場を閉鎖するというお知らせでした。
ACCDENTSという大事な作品は、あの狭くて黒い空間とともにあった。
今日、またわたしの中に、「上を向いて歩こう」が、聞こえ続けた所以です。

2011年12月22日 (木)

道。

「赤鬼」オリモトホール公演が終わった。
厳しくって、それでも、どれだけか幸せな現場だった。
5人の出演者にとっては、一生忘れられない芝居になる、きっと。
一本の戯曲を生きるためには、自分たちの成長が必要だった。
導き、見守るわたしは、たっぷりの愛情を注いだ。
生きたいと彼らが本気で思ってくれたから、わたしが彼らに見込んでいた伸びしろ以上に、ぐいぐいと成長してくれた。

私塾を始めて三年。石にかじりつくようにして続けてきた活動が、こんな風に実を結ぶのは、大きな大きな喜びだ。
わたしの元で、どんどん芝居が好きになっていく俳優たち。
どんどん魅力的になっていく俳優たち。
演出家としての仕事とともに、この私塾の仕事は一生のものになるのだろう、これから。
そう自覚させてくれる一本だった。

***

そして、人生は動く。
あまりに思いがけず。
満身創痍になりながら、道を探る。
目の前に、ようやく道が見えてくる。
正しい道かどうかなんて、そんなこと、いつも、分かる訳がない。
大体、正しいとか、正しくないとか、そういう倫理観に縛られない半生だった。
その時々の自分に正直になるしかない。
人間誰しも、嘘をつかずに生きてはいけないけれど、
人として、絶対守らなきゃいけないこと、
真っ直ぐでなければならないところで、
今、わたしは、正しく、いろんな判断ができるだろうか?
自分を大事にすることと、
大切な他者を大事にすることと、
その間に、幸せな接点を、ちゃんと見つけることができるだろうか?

生きていることは、
生かされていることは、
どれほどか神秘的で、どんなフィクションよりも結末が見えない。
そんな当たり前なことを、思う。
自分の死に様など、知らなくてもよいけれど、
自分が生きていることで、人を悲しませたり辛くさせたりしたくない。
歳をとったから分別を持たなければ、なんて思わないけれど、
振り返って見える足跡と、
これから自分が踏む道とくらいは、
見えているべきだろうと、思う。


2011年12月18日 (日)

Yasuhiro Ito 1st. Solo Live 幸福に終了。

昨日、伊藤靖浩SoloLiveにご来場くださいました観客の皆さま。
本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
彼にとって、大きな大きなステージでした。
それを見届けてくださる方がいること、
観客席から温かい眼差しで見守られること、
自分の歌う喜びを聴く喜びに広げて受け取ってもらえたこと、
どんなにか大きな力になったと思います。

3回のステージを見届けたわたしは、
3回のステージを観客席側で体験しながら、
それが誰よりわたし自身のの求めていたものだと確信し、
フライヤーに書いたように、
わたしの求めた歌が、観客席に幸せに吸い込まれていくのを感じて、
さらに幸福でした。
もちろん、受け止め方は人それぞれだろうし、
音楽の好みも様々。
演劇の仕事を通じて、音楽の仕事をずいぶんしてきましたから、
その辺りのことはわかっている。
でも、昨日の彼のステージを否定する人なんて誰もいないと思う。
初めてのSoloLiveという企画で
一人の歌い手が表現すること。
そこには、たぶん、それまで生きてきた歴史のすべてが入っている。
お父さんとお母さんが愛し合って、それで彼を此の世に産みだしてくれたことから始まって、
出会った人たち、出会った音楽、出会った喜怒哀楽、いいことも悪いことも、すべて。
努力したことも、遊んだことも、愛したことも、憎んだことも。
どれひとつ欠けても、「今」はきっと、昨日の「今」じゃあなかったわけで。
そして、その偶然の産物でありながら、揺るぎのない「今」に加えて、
さらに、昨日の歌には、
これからへの「夢」が含まれていた。
この、「夢」という成分が、表現している最中にも、
人を少しずつ先へ先へと連れていってくれるわけで。

そんなLiveだったとわたしは感じました。
だから、きっと観客席の方々は、みんな何かを受け取ってくださったのではないかと信じています。
演劇作品を世に問う時より、ずっと楽観的に、わたしは信じます。
歌は届いた、誰の心にも。

いや、それにしても、
伊藤+伊賀の、なんとも素晴らしいコンビネーション。
音楽的には言う間でもなく、あの抜け感のあるMCにしても。
伊賀君には、惚れ惚れと、酔いました。

朝から晩まで、ずっとずっと、素晴らしい気配りのバックアップで支えてくださったblackAのスタッフにも、本当に感謝。
中川君の妹さん、和泉ちゃんには、PA関係を任せっきり。
とても頼りになりました。
高屋プロデューサーには昼ご飯に手作りカレーをご馳走していただいて、男たちは大喜び。
ありがたい。
伊藤君の歌につい聞き入ってしまうわたしの横で、スタッフの森田さんは、記録写真をわたしの代わりに撮ってくださっており。
唐十郎さんの「吸血鬼」っていう戯曲に「お世話の都」って言葉が出てくるんだけど、
久しぶりに思い出したな、その言葉。
わたしは昨日、「お世話の都」にいました。

そして、わたしは伊藤靖浩Liveの第二弾を、きっと企画します。
というか、もう、3月に開催するつもりです。
わたしがやりたい、と言って、動かすんです。
好きなことを実現するためにお膳立ての努力をするのは、本当に苦にならない。
そういうスキルがあってよかったなあと思います。

====

そして、今日は19日の「赤鬼」本番第二弾に向けての稽古。
わたしがLiveの仕事をしている間、自主稽古をしてくれていたので、
さあ、その成果を見てみるかと始めてみると、ひどい出来。
強引に、女優を引っ張って、
めったにやらないことだけど、自分も一緒に泣きながら引っ張って、
ようやく何かが動き出した感じ。
女優陽子に、稽古場を出てから、熱燗を飲みながら、蕎麦味噌焼きをつつきながら、
大人のダメだし。
連続二度の通しで火照った体と心には、
きっと浸透率のよいダメ出しだったと思う。
明日の劇場稽古が楽しみになった。

それから。
面白かったのは、
今日、赤鬼役の齋藤穂高の芝居が、「え?」とわたしが驚くほど、よくなっていた。
よくなっていた、というよりは、力が抜けて、思い切りがよくなって、自由になってた。
なかなかそんなに一気に成長したりするものではないのだけれど、
どうもこれは、伊藤君の歌が関係しているらしい。
彼には、昨日、一日中Liveの手伝いをお願いした。
ということは、3回のステージをすべて聴いということで。
どうもどうも、伊藤君の渾身のステージが、俳優の彼にたくさんの気づきを与えたらしい。
トレーナーのわたしには、その突如の成長が微笑ましく、嬉しく。
また、人間ってものの、複雑さと単純さ、その両方に、頭を垂れるような気持ち。

ああ、怒濤の年末。
私生活もドタバタ続きで、
身辺のすべてが揺れているけれど、
仕事をする中で、こうして何とか、
幸福につなぎ止められている。

«興奮し、発熱し、発光し。

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