2016年8月29日 (月)

百年後の未来より。

親愛なるアントン。

 

実に三年、あなたに手紙を書いていませんでした。

昨年、あなたの「カシタンカ」と「黒衣の僧」を、
リーディング形式とは言え、上演したと言うのに……。
あなたのことを知らなかった若い男優たちが、
学問と芸術を愛するあまり神経を病んだ「コブリン」という男に夢中になっていく様を、是非ともお見せしたかった。

さて、こうして久しぶりに手紙をしたためるのは、
再びあなたの作品を創ろうとしているからです。

今回は、あなたの作品を上演するのではなく、
あなたの人生を、30分ほどの短いミュージカルに仕立て上げるつもりです。

短篇の名手だったあなたのように、
ほんのわずかな言葉で見事に普遍的な人間のあれこれを切り取ってみせた あなたのように、
さて、うまくいくのかどうか、わかりません。

もうその人生を終え、ここにいないからと言って、
他人(ひと)の人生を語るのは、とてもエネルギーと責任のいることです。
そして、そんな責任なんて忘れたふりして、勝手に作品を創る熱狂性も、必要だと思っています。
静かで知的なイメージの中に潜んでいた、
苦労人の横顔、家族の生活費を稼ぐのにあくせくして売文していた日々、
アイデンティティー探る苦しみ、愛情の渇望、芸術と平和を希求する熱情、
それらを、チャイコフスキーとの出会いをモチーフに描いてみたいのです。

そして、そんな大胆なものを創ろうとしていることを、ご報告します。

あなたがこの世を去った44歳の時、
わたしは、日本語に翻訳されたあなたの全集の短篇、500を超える短篇を2ヶ月かけて一気に読み、すべてのあらすじを記し、感想を書き綴るデータベースを作った変わり者です。

きっと日本でも十指に入るあなたのファンだと自認しています。
あなたがこの世界に生きたことを傷つけない、丁寧な仕事をしようと思います。

あなたは1860年生まれ。
わたしは1961年に生まれました。

あなたは作中の人物に、よく百年後の未来を語らせましたね。
苦しい現在に生きる自分たちが礎となって訪れる、素晴らしい百年後を、未来を生きる人に託しましたね。
わたしはまさに、その百年の中に生きているのですが、
世界も、人も、あなたの言うような美しい未来には生きていないどころか、
さらに混迷を極めています。

世界がそんなものだということくらい、
あなたなら知っていたはずです。
どうして、あんな希望を託す台詞を、あなたは敢えて書いたのでしょう?
わたしは、それについて考える度に、
小説、戯曲という作品を通じて、あなたが選びとったことを、感じずにはいられないのです。

わたしは、至らずとも、同じ道を行こうと思います。

30分という短い時間でも、小さな奇跡は起こせる。
あなたの短篇が証明しています。

書き上がった頃には、またご報告します。

 

敬愛するアントンへ。

 

 

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2013年8月21日 (水)

ふたたびの。

親愛なるアントン。

ふたたび、わたしのテーブルの上には、あなたの著作が積まれています。
小口には、無数の付箋が見えます。
昨年の7月「三人姉妹」を上演して、約一年、また、わたしはあなたのところに帰ってきました。
結婚披露宴会場に魔法のように現れたプローゾロフ家の居間を、こんな風に評してくれている美しい文章を見つけました。
http://j.mp/156oCuf
自分の目に見えていたものが、確かに、他者の目にも映っていたのだと信じられるのは、幸せなことです。

これから。
今度は。
あなたの生きた時間、あなたの言葉を借りて、わたしは新しい物語を編もうとしています。
44歳で亡くなったあなたを忍んで、わたしは44歳の誕生日を迎えた後に、全集で読めるあなたの短篇501篇を、2ヶ月かけて一気に読みました。
ちょうど仕事がない時期でしたので、お風呂と食事の時以外は、ずっとあなたと過ごしていたように思います。501篇すべてのあらすじと、所感の記録は、膨大なページ数になっていました。
その2ヶ月で見つけていたものを、8年経って、ようやく舞台ののせようと考えているのです。 今、またふたたび、テーブルの上に、1巻から11巻を積み上げました。

8月15日は、日本の終戦記念日でした。
この時期にはわたしも意識的に戦争という悪しき記憶の本を手に取り、映像を目にします。
あなたの「グーセフ」(筑摩書房「チェーホフ全集」8巻所収)は、何度読んでも胸がつまります。役に立たなくなった従卒が、体を病んだ帰還兵が、帆布に縫い込まれたぬいぐるみになって海に沈んでいく時のあなたの描写。
あまりの痛ましさと、あまりの美しさに、わたしは混乱してしまって。
シニカルなあなたと、慈愛に満ちたあなたの、二つの目。

ああ、わたしはまた、あなたと過ごすのだと胸を高鳴らせているんです。

あなたは、「追放されて」の中で、哀れな韃靼人に、こう語らせましたね。

「なんにも要らない」という人生が、しあわせなわけはない。生きていると、「要る」と感じて、手に入らない不幸はたくさんあるが、「要る」と感じることさえ許されない人生は、石や粘土に等しい。

たとえ手に入らなくても、求め続けることにします。
これが、始まりです。

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2012年6月20日 (水)

心に秘めた嵐について。

親愛なるアントン。

今夜は嵐でした。
あなたの短篇「魔女」を思い出すような、雨と風でした。

深夜、風のうなりに巻かれながら帰宅して、あなたがオリガに宛てた手紙をまたわたしは読みました。

今日、わたしが栞をはさんだ、あなたの手紙。

「ぼくはメイエルホリドに手紙を書いて、神経質な人間を表現するにはけっしてぴりぴりしてはいけない、と言ってやったのだ。だって人間の圧倒的大多数は神経質で、大多数は悩みを持ち、少数は激しい痛みを感じているではありませんか。なのに、あなたはどこに──路上であろうと家の中であろうと──自分の頭をかかえてのたうちまわっている人を目にしますか? 苦しみは、それが実生活で表現されているよう表現することが必要です──つまり、両手、両脚でではなく、声の調子や眼差しで、身振り手振りではなく、優雅さで。教養のある人間特有の繊細な心の動きは、外見上も繊細に表現されなければなりません。舞台の条件がある、とあなたはおっしゃるでしょう。いかなる条件であれ、嘘は受けつけません。」

今、わたしが生きている時代の、生きている場所の、人間は、明らかに、あなたの生きた時代、場所の、人間とは違います。
いかなる条件であれ、嘘は受けつけないと、あなたは書いた。
では、今の、ここの、本当は? 嘘は? と、わたしは考えます。
あなたの知っていたかつての人間たちをなぞるのではなく、わたしは今を生きる人間を求めます。
あなたの書いた人間たちに新しい命を吹き込むために。

わたしたちの心の中で、体の中で、吹き荒れる嵐を、どう表現しましょうか?
日常を生きるための凪いだ粧いに秘められた、やむことのない、この嵐を?
何が嘘でしょう?
何が本当でしょう?

明日また、稽古場で探すことにします。

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2012年6月12日 (火)

稽古場より。

親愛なるアントン。


今、わたしは1枚の写真を見ています。
モスクワ芸術座での、「かもめ」の本読み稽古の写真です。
スタニスラフスキーが演出家の顔で俳優に話しかけている。
ネミロビッチ=ダンチェンコはあなたに質問している風。
オリガ・クニッペルは、一人だけあなたの横顔を見つめている。
メイエルホリドは、一人だけ台本にかじりつくように読んでいる。
あまりにもそれぞれに動きのある、いかした写真だと思っていたら、どうやらちょっと演出が施されているものらしいですね。
いや、そんなことはどうだっていいんです。
今のわたしにとっては、
本読みの現場に、あなたが、作家がいるということだけでも、今、どれだけか羨ましい。

わたしは、あなたに質問したいことがたくさんある。
そしてわたしは、あなたにわたしの稽古を見てほしい。
わたしがあなたの戯曲に、毎日発見しつづけていることを、ひとつひとつ報告したい、稽古の中で。
わたしのキャスティングした俳優たちが、あなたの書いた人物を生きようと、悪戦苦闘している姿を見てほしい。
ヴェルシーニンが、トレープレフが、三人姉妹が、アンドレイが、ナターシャが、クルイギンが、チェブトィキンが!!

あなたが自作に出演する俳優の演技にも、演出家の仕事にも、非常に厳しかったということは、色々な記録や手紙から、察しています。
それでも、わたしは今、自分が夢想する「三人姉妹」を、どれほどあなたに見て頂きたいか!
震えるような瞬間が生まれるんです。
なんとも可笑しくて悲しい瞬間が、生まれるんです。

今日は、なかなか厳しい稽古でした。
順調に、想像と創造の羽根を伸ばしている俳優もいれば、
立ち止まって、目が眩んだように何も見えなくなっている俳優もいます。
わたしは、光をかざして、進んでほしい方向を指し示します。
うまくいくこともあれば、いかないこともある。
一度見つけてくれても、一人になるとまた見えなくなってしまうこともある。
それはそれは、大変です。
演出家などやっていると、自分の人間性にがっかりすること、しばしばです。
でも、守るべきは、わたしの人間性などではなく、
わたしが作りたい舞台の姿です。
いつもいつも、
人としての良心<演劇人としての良心
で、生きてきました。

……はい。ちょっと疲れています。
……はい。ちょっと傷ついています。
でも、そんなことは稽古中は当たり前。
演出家も俳優も、どれだけ孤独に闘い、どれだけ愛し合えるか、そこら辺でチームの真価が問われます。
今夜も、それぞれの屋根の下で、あなたの生みだした役と知り合おうと格闘している俳優たちを思って、(信じて)、わたしも明日をまた闘おうと思います。

この時間になると、稽古の熱にあぶり出されるように、自分が見えてくるんです。
まるで、「三人姉妹」の三幕です。
半鐘が鳴り出しそうです。
でも、ここは、「桜の園」でいきましょう。
反省などするより、
明日を夢みます。
……アーニャみたいに軽やかに。

毎夜、トロフィーモフのように「ようこそ、新しい生活!」と信じて、眠りたい。

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2012年6月 6日 (水)

100年の時を越えて。

親愛なるアントン。

今日、稽古場に「三人姉妹」モスクワ芸術座初演の写真を持っていきましたら、ヴェルシーニン役のスタニスラフスキーの二枚目ぶりが、いたく評判でした。
あなたはもちろんご存じないでしょうが、日本の演劇人で、スタニスラフスキーを知らない人はいません。……それは言い過ぎだとしても、少なくとも過半数の演劇人が知っています。
彼の著作「俳優修業」は、わたしも大学性の頃熟読しました。
神さまみたいに思っている俳優も少なくありません。
日本では、メイエルホリドより、ずっと有名です。
彼は自分自身が生きた人生とは別に、後生に影響を与え指針を与える存在で、あり続けています。
あなた自身も、自分の作品が、これほどまでに後生愛されることになること、想像していなかったようですね。
人は、自分の一生を生きることしかできなくって、後生に生きる自分の面倒を見ることはできません。
でも、その一生の生き方が、一回こっきりの人生を、驚くほど長続きする存在価値に、変えうるわけですね。

あなたが、「三人姉妹」の稽古中に、スタニスラフスキーやネミロヴィッチ=ダンチェンコに宛てた手紙を読んでいると、新作「三人姉妹」をキャスティング中、演出中、稽古中の様子が伝わってきて、とても興味深いです。
神さまみたいな人たちが、わたしたちと同じように試行錯誤して作品を創り上げていった過程に、勇気さえ貰います。
わたしも今、同じように、何とも心強い仲間たちを得て、作品を創り始めています。
この、新しい「出会い」が、本当に充実しているのです。
素晴らしい仲間が集まりました。
今を生きるしか能のない我々には、この今の仲間が、どれほど宝物であるか!
そして、一回こっきりの人生の時間を使って、五回こっきりの舞台の準備を、ともに歩き始めているのです。

そんな、出会いと、この現世のことを考えていると、
思い出すのは、4幕のトゥーゼンバフの台詞です。

おや、あの木は枯れている。けれどやっぱり、ほかの樹と一緒に風に揺られている。あれと同じように、もし僕が死んでも、やはり何らかの形で、人生の仲間入りをして行くような気がする。

決闘の前の台詞としては、痛々しすぎます。
でも、今夜は、全く違う印象をもって、耳に聞こえてくる。
この台詞に、今夜、わたしは何を思いましょうか?
やはり、100年の時を越えて、わたしたちの人生にすっかり仲間入りしてくださっている、あなたを思うほかないのです。

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2012年6月 4日 (月)

あなたを知りたい。

親愛なるアントン。

あなたのことを考えていたら、すっかり朝じゃありませんか。
遮光カーテンを恐る恐るめくってみると、青い青い空。
快晴の朝が、どうやらもう訪れているようです。
五月を過ぎて、もう初夏の匂いのする朝です。

まったく。
あなたの戯曲。
読めば読むほど、知りたいことばかりです。
立ち稽古を前にして、俳優から、官等に関する質問を受け、受験生の一夜漬けのように、体系化して知ることのなかった知識を、はじめて自分の中にまとめました。
陸軍の階級について、はじめてロシア語から研究をしていきました。
すっかり目の悪くなってしまったわたしには、学生時代に使っていた辞書をめくる作業がなかなか厳しく……。大体、キリル文字は微妙に似た形が多いですから!
でも、発見はたくさん。
明日の稽古場にとって、大きなヒントが、やはりあなたの書いた言語の中にありました。

もうひとつ。
四幕で、チェブトィキンにマーシャが訊ねる台詞。
神西清さんが、「うちの人」と訳した、「Мой」について、1時間も、ああでもないこうでもないと、悩みました。
ここに関する疑問も、これまた俳優からの質問によって始まったんです。
こうして、疑問を覚えるたびに原文にあたっていると、どうして上演する前に、すべて原文で読んでいなかったのかと、自分にがっかりしてしまうのですが、それでも、こうして、少しずつ発見をする喜びはあります。
だから、興奮して、朝が来ても眠れないのです。

===

昨日まで、少人数での読み合わせを続けてきましたが、明日から、とうとうほぼ全員が集まっての稽古が始まります。
これから出来上がっている芝居は、
必ずあなたが観たかったものにしたいですし、
また、
きっとあなたが想像もしないものになるでしょう。
わたしたちは、あなたと同じ人間ですし。
また、
わたしたちはあなたと違って日本人で、しかも21世紀を生きていますから。

わたしは、創り上げたいものをしっかり夢想しているのに、
同時に、
何が出来上がるか、さっぱり予想がつかないのです。

これが、いつの世も、演劇の喜びですね。
いつも、そこに自分が映り込んでいるんです。
生きている証は、できあがった舞台なんです。

===

さあ、稽古のために寝なければ。

あ、そういえば、なかなか素敵な音の出る駒を、先日入手しました。
フェドーチクが持ってくる、あれです。
あなたは、海外旅行に出られた際、あの駒と出会われたのでしょうか?

ああ、何もかも知りたくなるんです。
ダンチェンコやスタニスラフスキーが、初演当時あなたから手紙を受け取って、作家のストレートな注文で舞台の指針を得たように、わたしは、あなたのことを、知れるだけ知りたいと思います。
知れば知るほど、創りあげる時には、稽古場では、自由になれるような気がするからです。

今度こそ、おやすみなさい。
いつまでも話しかけていたいのですが、
さすがに眠った方がいい時間です。
6時を過ぎました。
新しい稽古の日々が始まります。
あなたの戯曲を愛して、眠ります。

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2012年5月30日 (水)

「三人姉妹」の稽古が始まりました。

「三人姉妹」の稽古が始まりました。

1900年から1901年。
執筆から上演に向けてのあなたのことを、知れば知るほど、この作品は多面的な鏡面になって、わたしの深読みを跳ね返し、逆に現在の自分たちの生活を考えさせたりします。

医者として、自分の人生が長く保つものではないことを知っていたということ。
結婚しない人生を貫いてきたのに、オリガという女性と恋をしていたということ。

あなたが世界を見る目は、複眼でしたね。

三人姉妹が、ナターシャが、アンドレイが、ヴェルシーニンが、トゥーゼンバフが、ソリョーヌイが、クルイギンが、そして何よりチェブトィキンが、その頃のあなたから生まれ出たことを体の芯から感じる日々が始まっています。

俳優たちは、あなたのことを、そんなには知りません。
自由に……何とも生き生きと、あなたの人物たちと出会おうとしています。
俳優はどこまでも自分勝手で、どこまでも尊敬できる人種です。
彼らの中で、あの人物たちが生き始めるのを見守るのは、どれほどか刺激的で幸せなことです。

====

今日は、うまくいかなかった女優と、稽古後、電話で話しました。
あなたの時代と違って、電話とかメールとか、コミュニケーションツールがたくさんある反面、言葉というコミュニケーションツールを上手く使えない人が多い時代です。
ぶつかっても、誤解しそうになっても、まずは「言葉」を使って渡り合ってみるのが一番です。
稽古場では、「否定」の言葉しか彼女にあげなかったので、電話を使って、「否定」の裏に眠っていた愛情を、思い切りぶつけて、明日の活力にしてもらいたかったのです。

演劇と、俳優を愛している間に、どうも自分の人生を支えてくれるような愛とは、わたしは縁遠くなりつつあります。

それでも……。

あなたがオリガと結婚を決めるまでの手紙の数々、何度も読みましたが、あなたの中に棲みついていた倦怠にも似た孤独は、まだ幾許もわたしはわかっていない気がします。
もう、あなたよりずっとずっと歳をとっているというのに。

=====

アンリ・トロワイヤという、5年前に亡くなった作家が、あなたの評伝を書いています。
文学者としても名高い人でしたが、伝記文学作者として、人気でした。ゴーゴリや、トルストイや、ドストエフスキー、イワン雷帝まで書いています。
それは伝記文学というフィクションなのだと知りながらも、そこに生きるあなたがわたしは大好きです。
クプーリンという若手作家が、三人姉妹執筆後くらいに、あなたを訪ねる。
すでに肺の病が重く、咳に苦しむ毎日だったあなたですが、彼はこう感慨している。
「僕がこれまで会うことを許された、もっとも美しく、もっとも繊細で、もっとも感性豊かな人物に出会った」と。
文学の仕事に対する慎重さと同様、健康に関してくどくどと愚痴をこぼすような真似はしなかった。
極度の節度を保つことは、ちゃんとした教養人の表れだ、とチェーホフはみなしていた、と。

あなたは、体調が悪くても、しかめ面をしたり、金切り声を張り上げたり、悲劇的なことを言ったりするのを嫌悪していた、と。

演劇が現実生活に似るのは好んでも、現実生活が芝居めいてくるのは嫌っていた、と。

もう一つ嫌悪していた結婚というものを、自分でしてしまうという……本当に、この「三人姉妹」という作品が出来上がった時期のあなたの精神たるや、どんなものであったのか?

深い孤独と、自制心、厭世観、諦観。裏腹に、世界と人間への深い愛情。オリガとの愛。

すでにこの世から消えてしまった時間の痕跡を、稽古の後の深夜に探るのが、ちょっとした喜びです。

======

わたしは、1961年に生まれました。
あなたは1860年。あなたが作中で登場人物たちに語らせる、100年後に生まれてきた者です。

ヴェルシーニンが語るように、さて、わたしたちは幸せでしょうか?
わたしたちは人生を、言葉で、行動で、どう裁断するのでしょうか?

それは、これからの稽古で感じていくことでしょう。


……あの。チェーホフさん。ひとつ聞いていいですか?

稽古が始まった大事な時期だというのに、
わたし、昨日から深い咳に苦しんでいます。
どうしたらいいでしょう?

きっとあなたは、チェブトィキンみたいに言うのでしょうね。
「何てことを聞くんだ、そんなことはもう忘れたよ!」と。

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2012年5月18日 (金)

ヴィソツキーの夜。

生きていると、暮らしていると、まあ細々とがっかりすることがあって、
今日はたまたま、そんなことのぐっと寄り集まった1日だった。
ここのところ、「三人姉妹」上演に向けての事務作業に追われて、潤いに欠けること甚だしい日々であったから、少しリセットが必要と感じた。
今日の夜は、事務をしない!と決めた。
しっかり風呂の掃除をしてから、きれいなお湯に身を沈めて、チェーホフ関連の書籍を読む。
ひたすらにバリオスのギター曲を聞きながら、風呂上がりにまた読書。
そして、演出プランを夢想するうちに、ウラジーミル・ヴィソツキーのことを思っていた。

ヴィソツキーのことを教えてくれたのは、早稲田で授業をとっていた、故、宮澤俊一先生だった。
日本でたった一枚発売されていた彼のLPの、訳詞と解説をしていたのは宮澤先生。
先生の興した群像社の書籍は、わたしの書棚に何冊も並んでいる。

懐かしい気持ちで、久しぶりに、ヴィソツキーのロシア語サイトを開いてみると、かつてよりぐぐっと充実していて、彼の歌に恋して過ごした青春の日々が蘇ってくる。

彼の舞台での演技は、リュビーモフ演出の「ハムレット」が名高いけれど、わたしは、「桜の園」のロパーヒンを、彼がどんな風に演じたか、タイムスリップして、何とか観たい。観たい。

ヴィソツキーのことは、改めて書こう。
ロシアの英雄、わたしの永遠の詩人。
あのしわがれた魂の呼び声と、かき鳴らすギターは、わたしの20代の孤独を、どんなに彩ってくれたことか。

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2012年5月13日 (日)

「三人姉妹」の翻訳を巡って。

「三人姉妹」の上演台本が、ひとまず出来上がった。

今回、基本的に、神西清さんの訳を使うのだけれど、「結婚披露宴会場で演じられる」という今回の趣旨、演出意図に沿って、また、俳優の個性によって、少しずつ手を加えている。
早稲田の第2外国語で履修したロシア語の知識を、なんとかなんとか使って、原文の意を汲んで、言葉を選んでいった。
ああ、高い学費を出してもらって大学に通ったのに、わたしはなんて劣等生だったんだろう!

それはさておき。

今日気がついたことは。

詩人ででもある神西さんの訳があまりに美しいので、わたしは今まで、神西訳の「三人姉妹」しか知らなかったことだ。
かつて、演出助手で「三人姉妹」についた時、マイケル・フレインの英語訳から訳した小田島さんのものも使ったし、中村白葉訳、湯浅芳子訳、松下裕訳、浦雅春訳、福田逸訳、どれも読んでいるのだけれど、やっぱりわたしにとっては、神西さんがすべてで、あらゆる台詞は、神西さんの選んだ言葉で耳に聞こえてくる。

言ってみれば、わたしは、本当に「三人姉妹」を知っていたわけではなかったんだ。

今日、気づいたこと、いろいろ。
時間に限りがあるので、第一段階では、原文にあたったのは、気になるところだけ。
でも、稽古場で、もっともっと気づきはあるだろう。
これからわたしは、ようやく、チェーホフの「三人姉妹」と出会えるんだな。

それにしても、ロシア文学の翻訳って、本当に特殊な日本語。
ロシア語翻訳文体って、昔から、ある。

米川正夫訳のドストエフスキーに慣れ親しんだわたしは、(学生時代、阿佐ヶ谷の古本屋で全集を9800円で見つけて小躍りしたっけ)亀山郁夫さんの訳は面白くて読みやすいのに、わたしにとっては何か物足らず……ああ、伝統的なロシア語翻訳文体でないと満足できない、趣味人になってしまったのだなと思った。
というか、それは人生の中で、得がたい、連続した経験だったのだと思う。

さて。
今回、わたしは、どんな言葉で「三人姉妹」を語っていくだんろう。
こうして、今は、戯曲と向き合う時間。
でも、そのうち、俳優という生きた文体と出会う。
どんな化学反応が起こっていくのか、もう今から楽しみでならない。

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2012年5月10日 (木)

モスクワへ……。

1900年8月9日、スタニスラフスキーに執筆を約束した「三人姉妹」の第一稿は10月16日に脱稿しました。
当時親交の深かったM・ゴーリキーに、手紙でこう書いています。

『三人姉妹』の執筆は、ひどく難航しました。三人の女主人公がいて、その三人がそれぞれ個性をもっていなければならず、三人とも将軍の娘なのです。舞台はペルミという地方都市に設定してあります。それに軍人社会や砲兵隊など……

ペルミという町はモスクワの東に位置する地方都市。地図で眺めると、直線距離で北海道北端から東京くらい。
三人姉妹が、モスクワにあらゆる夢、未来と希望を託したにも関わらず、そこにどうしてもたどり着けないことは、とても有名。
でも、広大なロシアを思えば、北海道から東京って、微妙に、近い訳です。
手が届きそうで届かない、彼女たちの夢。
同じような夢を、わたしもたくさん持っている。
たくさん、この手のひらからこぼして生きてきた……なんて、センチメンタルなことを、つい考えてしまいます。
マーシャみたいに、「失敗の人生……」ってつぶやきたくなる時もあるけれど、この諦観・厭世観と背中あわせに、明日を溌剌と生きたいという欲望があるんです。

トゥーゼンバフの結婚申込を受けようと決心するイリーナも、きっと、相反する思いをたくさん抱えた中で、あの、一筋の光を受け入れたのでしょう。モスクワへと続く、光。
わたしも、10代から、ことある毎に、心の中で、「モスクワへ、モスクワへ、モスクワへ……」と叫んできたひとりです。


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