「三人姉妹」の稽古が始まりました。
「三人姉妹」の稽古が始まりました。
1900年から1901年。
執筆から上演に向けてのあなたのことを、知れば知るほど、この作品は多面的な鏡面になって、わたしの深読みを跳ね返し、逆に現在の自分たちの生活を考えさせたりします。
医者として、自分の人生が長く保つものではないことを知っていたということ。
結婚しない人生を貫いてきたのに、オリガという女性と恋をしていたということ。
あなたが世界を見る目は、複眼でしたね。
三人姉妹が、ナターシャが、アンドレイが、ヴェルシーニンが、トゥーゼンバフが、ソリョーヌイが、クルイギンが、そして何よりチェブトィキンが、その頃のあなたから生まれ出たことを体の芯から感じる日々が始まっています。
俳優たちは、あなたのことを、そんなには知りません。
自由に……何とも生き生きと、あなたの人物たちと出会おうとしています。
俳優はどこまでも自分勝手で、どこまでも尊敬できる人種です。
彼らの中で、あの人物たちが生き始めるのを見守るのは、どれほどか刺激的で幸せなことです。
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今日は、うまくいかなかった女優と、稽古後、電話で話しました。
あなたの時代と違って、電話とかメールとか、コミュニケーションツールがたくさんある反面、言葉というコミュニケーションツールを上手く使えない人が多い時代です。
ぶつかっても、誤解しそうになっても、まずは「言葉」を使って渡り合ってみるのが一番です。
稽古場では、「否定」の言葉しか彼女にあげなかったので、電話を使って、「否定」の裏に眠っていた愛情を、思い切りぶつけて、明日の活力にしてもらいたかったのです。
演劇と、俳優を愛している間に、どうも自分の人生を支えてくれるような愛とは、わたしは縁遠くなりつつあります。
それでも……。
あなたがオリガと結婚を決めるまでの手紙の数々、何度も読みましたが、あなたの中に棲みついていた倦怠にも似た孤独は、まだ幾許もわたしはわかっていない気がします。
もう、あなたよりずっとずっと歳をとっているというのに。
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アンリ・トロワイヤという、5年前に亡くなった作家が、あなたの評伝を書いています。
文学者としても名高い人でしたが、伝記文学作者として、人気でした。ゴーゴリや、トルストイや、ドストエフスキー、イワン雷帝まで書いています。
それは伝記文学というフィクションなのだと知りながらも、そこに生きるあなたがわたしは大好きです。
クプーリンという若手作家が、三人姉妹執筆後くらいに、あなたを訪ねる。
すでに肺の病が重く、咳に苦しむ毎日だったあなたですが、彼はこう感慨している。
「僕がこれまで会うことを許された、もっとも美しく、もっとも繊細で、もっとも感性豊かな人物に出会った」と。
文学の仕事に対する慎重さと同様、健康に関してくどくどと愚痴をこぼすような真似はしなかった。
極度の節度を保つことは、ちゃんとした教養人の表れだ、とチェーホフはみなしていた、と。
あなたは、体調が悪くても、しかめ面をしたり、金切り声を張り上げたり、悲劇的なことを言ったりするのを嫌悪していた、と。
演劇が現実生活に似るのは好んでも、現実生活が芝居めいてくるのは嫌っていた、と。
もう一つ嫌悪していた結婚というものを、自分でしてしまうという……本当に、この「三人姉妹」という作品が出来上がった時期のあなたの精神たるや、どんなものであったのか?
深い孤独と、自制心、厭世観、諦観。裏腹に、世界と人間への深い愛情。オリガとの愛。
すでにこの世から消えてしまった時間の痕跡を、稽古の後の深夜に探るのが、ちょっとした喜びです。
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わたしは、1961年に生まれました。
あなたは1860年。あなたが作中で登場人物たちに語らせる、100年後に生まれてきた者です。
ヴェルシーニンが語るように、さて、わたしたちは幸せでしょうか?
わたしたちは人生を、言葉で、行動で、どう裁断するのでしょうか?
それは、これからの稽古で感じていくことでしょう。
……あの。チェーホフさん。ひとつ聞いていいですか?
稽古が始まった大事な時期だというのに、
わたし、昨日から深い咳に苦しんでいます。
どうしたらいいでしょう?
きっとあなたは、チェブトィキンみたいに言うのでしょうね。
「何てことを聞くんだ、そんなことはもう忘れたよ!」と。
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