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2012年6月

2012年6月20日 (水)

心に秘めた嵐について。

親愛なるアントン。

今夜は嵐でした。
あなたの短篇「魔女」を思い出すような、雨と風でした。

深夜、風のうなりに巻かれながら帰宅して、あなたがオリガに宛てた手紙をまたわたしは読みました。

今日、わたしが栞をはさんだ、あなたの手紙。

「ぼくはメイエルホリドに手紙を書いて、神経質な人間を表現するにはけっしてぴりぴりしてはいけない、と言ってやったのだ。だって人間の圧倒的大多数は神経質で、大多数は悩みを持ち、少数は激しい痛みを感じているではありませんか。なのに、あなたはどこに──路上であろうと家の中であろうと──自分の頭をかかえてのたうちまわっている人を目にしますか? 苦しみは、それが実生活で表現されているよう表現することが必要です──つまり、両手、両脚でではなく、声の調子や眼差しで、身振り手振りではなく、優雅さで。教養のある人間特有の繊細な心の動きは、外見上も繊細に表現されなければなりません。舞台の条件がある、とあなたはおっしゃるでしょう。いかなる条件であれ、嘘は受けつけません。」

今、わたしが生きている時代の、生きている場所の、人間は、明らかに、あなたの生きた時代、場所の、人間とは違います。
いかなる条件であれ、嘘は受けつけないと、あなたは書いた。
では、今の、ここの、本当は? 嘘は? と、わたしは考えます。
あなたの知っていたかつての人間たちをなぞるのではなく、わたしは今を生きる人間を求めます。
あなたの書いた人間たちに新しい命を吹き込むために。

わたしたちの心の中で、体の中で、吹き荒れる嵐を、どう表現しましょうか?
日常を生きるための凪いだ粧いに秘められた、やむことのない、この嵐を?
何が嘘でしょう?
何が本当でしょう?

明日また、稽古場で探すことにします。

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2012年6月12日 (火)

稽古場より。

親愛なるアントン。


今、わたしは1枚の写真を見ています。
モスクワ芸術座での、「かもめ」の本読み稽古の写真です。
スタニスラフスキーが演出家の顔で俳優に話しかけている。
ネミロビッチ=ダンチェンコはあなたに質問している風。
オリガ・クニッペルは、一人だけあなたの横顔を見つめている。
メイエルホリドは、一人だけ台本にかじりつくように読んでいる。
あまりにもそれぞれに動きのある、いかした写真だと思っていたら、どうやらちょっと演出が施されているものらしいですね。
いや、そんなことはどうだっていいんです。
今のわたしにとっては、
本読みの現場に、あなたが、作家がいるということだけでも、今、どれだけか羨ましい。

わたしは、あなたに質問したいことがたくさんある。
そしてわたしは、あなたにわたしの稽古を見てほしい。
わたしがあなたの戯曲に、毎日発見しつづけていることを、ひとつひとつ報告したい、稽古の中で。
わたしのキャスティングした俳優たちが、あなたの書いた人物を生きようと、悪戦苦闘している姿を見てほしい。
ヴェルシーニンが、トレープレフが、三人姉妹が、アンドレイが、ナターシャが、クルイギンが、チェブトィキンが!!

あなたが自作に出演する俳優の演技にも、演出家の仕事にも、非常に厳しかったということは、色々な記録や手紙から、察しています。
それでも、わたしは今、自分が夢想する「三人姉妹」を、どれほどあなたに見て頂きたいか!
震えるような瞬間が生まれるんです。
なんとも可笑しくて悲しい瞬間が、生まれるんです。

今日は、なかなか厳しい稽古でした。
順調に、想像と創造の羽根を伸ばしている俳優もいれば、
立ち止まって、目が眩んだように何も見えなくなっている俳優もいます。
わたしは、光をかざして、進んでほしい方向を指し示します。
うまくいくこともあれば、いかないこともある。
一度見つけてくれても、一人になるとまた見えなくなってしまうこともある。
それはそれは、大変です。
演出家などやっていると、自分の人間性にがっかりすること、しばしばです。
でも、守るべきは、わたしの人間性などではなく、
わたしが作りたい舞台の姿です。
いつもいつも、
人としての良心<演劇人としての良心
で、生きてきました。

……はい。ちょっと疲れています。
……はい。ちょっと傷ついています。
でも、そんなことは稽古中は当たり前。
演出家も俳優も、どれだけ孤独に闘い、どれだけ愛し合えるか、そこら辺でチームの真価が問われます。
今夜も、それぞれの屋根の下で、あなたの生みだした役と知り合おうと格闘している俳優たちを思って、(信じて)、わたしも明日をまた闘おうと思います。

この時間になると、稽古の熱にあぶり出されるように、自分が見えてくるんです。
まるで、「三人姉妹」の三幕です。
半鐘が鳴り出しそうです。
でも、ここは、「桜の園」でいきましょう。
反省などするより、
明日を夢みます。
……アーニャみたいに軽やかに。

毎夜、トロフィーモフのように「ようこそ、新しい生活!」と信じて、眠りたい。

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2012年6月 6日 (水)

100年の時を越えて。

親愛なるアントン。

今日、稽古場に「三人姉妹」モスクワ芸術座初演の写真を持っていきましたら、ヴェルシーニン役のスタニスラフスキーの二枚目ぶりが、いたく評判でした。
あなたはもちろんご存じないでしょうが、日本の演劇人で、スタニスラフスキーを知らない人はいません。……それは言い過ぎだとしても、少なくとも過半数の演劇人が知っています。
彼の著作「俳優修業」は、わたしも大学性の頃熟読しました。
神さまみたいに思っている俳優も少なくありません。
日本では、メイエルホリドより、ずっと有名です。
彼は自分自身が生きた人生とは別に、後生に影響を与え指針を与える存在で、あり続けています。
あなた自身も、自分の作品が、これほどまでに後生愛されることになること、想像していなかったようですね。
人は、自分の一生を生きることしかできなくって、後生に生きる自分の面倒を見ることはできません。
でも、その一生の生き方が、一回こっきりの人生を、驚くほど長続きする存在価値に、変えうるわけですね。

あなたが、「三人姉妹」の稽古中に、スタニスラフスキーやネミロヴィッチ=ダンチェンコに宛てた手紙を読んでいると、新作「三人姉妹」をキャスティング中、演出中、稽古中の様子が伝わってきて、とても興味深いです。
神さまみたいな人たちが、わたしたちと同じように試行錯誤して作品を創り上げていった過程に、勇気さえ貰います。
わたしも今、同じように、何とも心強い仲間たちを得て、作品を創り始めています。
この、新しい「出会い」が、本当に充実しているのです。
素晴らしい仲間が集まりました。
今を生きるしか能のない我々には、この今の仲間が、どれほど宝物であるか!
そして、一回こっきりの人生の時間を使って、五回こっきりの舞台の準備を、ともに歩き始めているのです。

そんな、出会いと、この現世のことを考えていると、
思い出すのは、4幕のトゥーゼンバフの台詞です。

おや、あの木は枯れている。けれどやっぱり、ほかの樹と一緒に風に揺られている。あれと同じように、もし僕が死んでも、やはり何らかの形で、人生の仲間入りをして行くような気がする。

決闘の前の台詞としては、痛々しすぎます。
でも、今夜は、全く違う印象をもって、耳に聞こえてくる。
この台詞に、今夜、わたしは何を思いましょうか?
やはり、100年の時を越えて、わたしたちの人生にすっかり仲間入りしてくださっている、あなたを思うほかないのです。

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2012年6月 4日 (月)

あなたを知りたい。

親愛なるアントン。

あなたのことを考えていたら、すっかり朝じゃありませんか。
遮光カーテンを恐る恐るめくってみると、青い青い空。
快晴の朝が、どうやらもう訪れているようです。
五月を過ぎて、もう初夏の匂いのする朝です。

まったく。
あなたの戯曲。
読めば読むほど、知りたいことばかりです。
立ち稽古を前にして、俳優から、官等に関する質問を受け、受験生の一夜漬けのように、体系化して知ることのなかった知識を、はじめて自分の中にまとめました。
陸軍の階級について、はじめてロシア語から研究をしていきました。
すっかり目の悪くなってしまったわたしには、学生時代に使っていた辞書をめくる作業がなかなか厳しく……。大体、キリル文字は微妙に似た形が多いですから!
でも、発見はたくさん。
明日の稽古場にとって、大きなヒントが、やはりあなたの書いた言語の中にありました。

もうひとつ。
四幕で、チェブトィキンにマーシャが訊ねる台詞。
神西清さんが、「うちの人」と訳した、「Мой」について、1時間も、ああでもないこうでもないと、悩みました。
ここに関する疑問も、これまた俳優からの質問によって始まったんです。
こうして、疑問を覚えるたびに原文にあたっていると、どうして上演する前に、すべて原文で読んでいなかったのかと、自分にがっかりしてしまうのですが、それでも、こうして、少しずつ発見をする喜びはあります。
だから、興奮して、朝が来ても眠れないのです。

===

昨日まで、少人数での読み合わせを続けてきましたが、明日から、とうとうほぼ全員が集まっての稽古が始まります。
これから出来上がっている芝居は、
必ずあなたが観たかったものにしたいですし、
また、
きっとあなたが想像もしないものになるでしょう。
わたしたちは、あなたと同じ人間ですし。
また、
わたしたちはあなたと違って日本人で、しかも21世紀を生きていますから。

わたしは、創り上げたいものをしっかり夢想しているのに、
同時に、
何が出来上がるか、さっぱり予想がつかないのです。

これが、いつの世も、演劇の喜びですね。
いつも、そこに自分が映り込んでいるんです。
生きている証は、できあがった舞台なんです。

===

さあ、稽古のために寝なければ。

あ、そういえば、なかなか素敵な音の出る駒を、先日入手しました。
フェドーチクが持ってくる、あれです。
あなたは、海外旅行に出られた際、あの駒と出会われたのでしょうか?

ああ、何もかも知りたくなるんです。
ダンチェンコやスタニスラフスキーが、初演当時あなたから手紙を受け取って、作家のストレートな注文で舞台の指針を得たように、わたしは、あなたのことを、知れるだけ知りたいと思います。
知れば知るほど、創りあげる時には、稽古場では、自由になれるような気がするからです。

今度こそ、おやすみなさい。
いつまでも話しかけていたいのですが、
さすがに眠った方がいい時間です。
6時を過ぎました。
新しい稽古の日々が始まります。
あなたの戯曲を愛して、眠ります。

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