稽古場より。
親愛なるアントン。
今、わたしは1枚の写真を見ています。
モスクワ芸術座での、「かもめ」の本読み稽古の写真です。
スタニスラフスキーが演出家の顔で俳優に話しかけている。
ネミロビッチ=ダンチェンコはあなたに質問している風。
オリガ・クニッペルは、一人だけあなたの横顔を見つめている。
メイエルホリドは、一人だけ台本にかじりつくように読んでいる。
あまりにもそれぞれに動きのある、いかした写真だと思っていたら、どうやらちょっと演出が施されているものらしいですね。
いや、そんなことはどうだっていいんです。
今のわたしにとっては、
本読みの現場に、あなたが、作家がいるということだけでも、今、どれだけか羨ましい。
わたしは、あなたに質問したいことがたくさんある。
そしてわたしは、あなたにわたしの稽古を見てほしい。
わたしがあなたの戯曲に、毎日発見しつづけていることを、ひとつひとつ報告したい、稽古の中で。
わたしのキャスティングした俳優たちが、あなたの書いた人物を生きようと、悪戦苦闘している姿を見てほしい。
ヴェルシーニンが、トレープレフが、三人姉妹が、アンドレイが、ナターシャが、クルイギンが、チェブトィキンが!!
あなたが自作に出演する俳優の演技にも、演出家の仕事にも、非常に厳しかったということは、色々な記録や手紙から、察しています。
それでも、わたしは今、自分が夢想する「三人姉妹」を、どれほどあなたに見て頂きたいか!
震えるような瞬間が生まれるんです。
なんとも可笑しくて悲しい瞬間が、生まれるんです。
今日は、なかなか厳しい稽古でした。
順調に、想像と創造の羽根を伸ばしている俳優もいれば、
立ち止まって、目が眩んだように何も見えなくなっている俳優もいます。
わたしは、光をかざして、進んでほしい方向を指し示します。
うまくいくこともあれば、いかないこともある。
一度見つけてくれても、一人になるとまた見えなくなってしまうこともある。
それはそれは、大変です。
演出家などやっていると、自分の人間性にがっかりすること、しばしばです。
でも、守るべきは、わたしの人間性などではなく、
わたしが作りたい舞台の姿です。
いつもいつも、
人としての良心<演劇人としての良心
で、生きてきました。
……はい。ちょっと疲れています。
……はい。ちょっと傷ついています。
でも、そんなことは稽古中は当たり前。
演出家も俳優も、どれだけ孤独に闘い、どれだけ愛し合えるか、そこら辺でチームの真価が問われます。
今夜も、それぞれの屋根の下で、あなたの生みだした役と知り合おうと格闘している俳優たちを思って、(信じて)、わたしも明日をまた闘おうと思います。
この時間になると、稽古の熱にあぶり出されるように、自分が見えてくるんです。
まるで、「三人姉妹」の三幕です。
半鐘が鳴り出しそうです。
でも、ここは、「桜の園」でいきましょう。
反省などするより、
明日を夢みます。
……アーニャみたいに軽やかに。
毎夜、トロフィーモフのように「ようこそ、新しい生活!」と信じて、眠りたい。
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