「三人姉妹」出演者紹介!~青山達三 編~
先日の女子会にて。
友人「三人姉妹の稽古場日誌読んでたよ!面白かった!」
私「ありがと~実はあれ、まだ続いてるんだ~」
友人「え、まじで?公演まだだっけ?」
私「いや、公演自体は7月に終わったけどね・・・・・」
友人「え、じゃあ何してんの?」
私「しゅ、出演者紹介・・・・・」
友人「何それ、どうなってんの?」
本当にねえ・・・・どうなっているのでしょう?
皆様、お久しぶりのモスクワカヌです。
稽古はおろか、本番すら終わった後に更新される稽古場日誌。
いいんだ・・・・演出の石丸さん、いつか「三人姉妹」再演するって言ってるし・・・・・いっそ初演と再演をつなぐレインボーブリッジを目指すのはどうだろう。リアル明日へかける橋。稽古場日誌。
そんなわけで、今日ご紹介するのは、演出の石丸さんいわく「永遠の演劇青年」。
青山達三氏。
本日(ていうか昨日)が初日の「ボクの四谷怪談」」@シアターコクーンにご出演中です。
青山さんといえば、思いだすのが、プロンプ。
プロンプとは、要するに、稽古場などで俳優から台詞がでてこなかったりする場合、それを演出助手なんかが、かわりに声にだしてつたえる作業。
青山さんが演じられた「チェブトィキン」は、「三人姉妹」の母親(既婚者)に夢中で恋したがためにか、生涯独身の、やや屈折した老軍医。
本番の関係で、やや遅れて稽古に参加しながら、ほとんどの台詞を覚えてこられたのはさすがですが、やはり苦手な部分や、稽古ででてこないこともあります。
そんな時、稽古場で私にプロンプされると、その度にかなり悔しがられるのです。
その悔しがりかたが、すでになんていうか、個人的な不機嫌でなくて、人前での表現。
青山さんが、普段から格好つけてるというわけではありません。
わかりやすい例だと、壁を殴ったり拳を握ったり、あるじゃないですか、ストレートな、土からひっこぬいた大根をそのまま食卓のせちゃいました的な感情のだしかたが。得に荒々しかったり苦い感情には、そういうかたちでだされることが多い気がします。
でも青山氏の悔しがり方は、苦くて荒い思いをそのままにじゃなく、洗って切って漬けて、京みやげの大根の漬け物でっせ、味わいなせえ、と、人前にだされる感じ。
土からひっこぬいたままでなく、ちゃんと調理された大根。
説明が難しいのですが、毎回新鮮に悔しがる気持ちは若く、でもその悔しがりの表現は、味がある。そんな感じで。
プロンプのたびに、「あ、青山さんが悔しがっている・・・・・」とひそかに、ちょっと、楽しんでいました。(青山さん、すみません・・・・・。)
そんな青山さんに、演出家から一番だされたダメは、
「いい人すぎる」
というもの。
そう。社会的に人間的に、グッドスキルであるはずの青山さんの属性が、チェブトィキンという屈折した役との間を阻んでしまうのです。
青山さんは、座組みのなかで一番の年上かつキャリアも長い方であるにも関わらず、座組みで一番の若手にも、阿呆な私にも、隔てなく礼儀正しく応対してくれる方で、私は「三人姉妹」の稽古場での経験から、たとえクリエイターだとしても、ある世界で、けして華々しくはなくとも息がながくコンスタントに人から求められて活動している人は、けしてエキセントリック少年BOY的なアレでなく、人間的にもできている人が多い(ピカソみたく、関わった女性を何人か自殺させちゃってもむべなるかな、的な天才は別として)と思っています。
でもね、いわゆる「まるい」とはまた、違うんです。
とげとげギラギラなんてかたちではださないけれど、「若いもんに負けるか」という静かなマグマをうちに秘めています。
そう、某CMの「丸くなるな、星になれ」の67階とか、エレベーターの扉が開いたら、青山さんがいそうです。
公演の千秋楽のあと。
新宿の朝5時。
打ち上げ上がりの、まだ白っぽい朝の光のなかを、長いコートの裾を翻して走り去ってゆく青山さんはまさに青年。背中には、確かに翼が見えました。
歌舞伎なら、おおむこうから声がかかるワンシーン。
「青山!」
「達三!」
出演者ほとんど全員で見送った「永遠の演劇青年」は、今日も走り続けています。
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