月を見ながら。
また夜を徹してあれこれしている。
明日は朝が早いのにどうしたものか。
ふとベランダに出ると、月がきれい。
月がきれいだよ、と話かける人は、旅の仕事に出ているし、
出ていなくったって、この時間はもう眠っている人だ。
一人、双眼鏡を持ち出し、眺める。
Nikonの、けっこういい双眼鏡を仕事用に買ってあるのだ。
客席の最後部から舞台を眺めるとき、細かいことが確認するためだが、
このところすっかり存在を忘れていた。
月を見ながら、今日も一日が終わるな、と思う。
書いても書いても納得がいかず、
新しいことを始めるためのコンセプトは今ひとつはっきりせず。
歯医者に行っては、がたついてきた体を情けなく思う。
賛否両論話題になっている水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」が
家にやってきた。扉をまた開いたばかり。
もう10年も前になるだろうか、
朝日新聞に、亡くなった辻邦生さんと水村さんの読書体験が、
往復書簡として連載されていた。
読めば読むほど、回を重ねれば重ねるほど、
世の中に、こんなに読書体験が似通っていて、
その所感まで似ていて、
読書体験として認識していることまで似ている人が、
いるのだ、
と思った。
もちろん、彼女ほどの筆の力も語彙もないけれど、
彼女が読んだ本について書いていることは、
わたしが、読んだ本について書きたいことばかりだった。
そんな水村さんが、今、何を感じているのか、
これから知るのが楽しい。
パワーズ読後の、読む本がない状況から、
少し救われそうだ。