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2008年12月

2008年12月11日 (木)

月を見ながら。

また夜を徹してあれこれしている。
明日は朝が早いのにどうしたものか。
ふとベランダに出ると、月がきれい。
月がきれいだよ、と話かける人は、旅の仕事に出ているし、
出ていなくったって、この時間はもう眠っている人だ。
一人、双眼鏡を持ち出し、眺める。
Nikonの、けっこういい双眼鏡を仕事用に買ってあるのだ。
客席の最後部から舞台を眺めるとき、細かいことが確認するためだが、
このところすっかり存在を忘れていた。

月を見ながら、今日も一日が終わるな、と思う。

書いても書いても納得がいかず、
新しいことを始めるためのコンセプトは今ひとつはっきりせず。
歯医者に行っては、がたついてきた体を情けなく思う。

賛否両論話題になっている水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」が
家にやってきた。扉をまた開いたばかり。

もう10年も前になるだろうか、
朝日新聞に、亡くなった辻邦生さんと水村さんの読書体験が、
往復書簡として連載されていた。
読めば読むほど、回を重ねれば重ねるほど、
世の中に、こんなに読書体験が似通っていて、
その所感まで似ていて、
読書体験として認識していることまで似ている人が、
いるのだ、
と思った。
もちろん、彼女ほどの筆の力も語彙もないけれど、
彼女が読んだ本について書いていることは、
わたしが、読んだ本について書きたいことばかりだった。

そんな水村さんが、今、何を感じているのか、
これから知るのが楽しい。
パワーズ読後の、読む本がない状況から、
少し救われそうだ。

2008年12月10日 (水)

「われらが歌う時」リチャード・パワーズ

今年読んだ本の中で、間違いなく一番面白い本だ。
もしかしたら、この数年で最も、と言っていいかもしれない。

ユダヤ人男性とアフリカ系黒人女性が出会って、家族が生まれる。
その家族たちが出会わなければならない現実を、ひたすらに音楽だけが慰撫していく。

時系列をあえて崩したクロニクルだと思って読み進んでいたら、
最後に思わぬトリックが待っている。
これは至福のトリックだ。

言葉で表しようのない、「音楽」が、こうも美しい言葉に昇華したのは、
作家が、自分の生み出した家族から、
この上なく美しく、痛ましく、血と命の通った音を聴いていたからだろう。
読んだだけでは気がすまず、
大量の文章を書き写し、そこで語られる音楽──主にクラシックだが──を聴いた。
しばらくこの物語に取り憑かれて、次に何を読んでも入り込めない自分がいる。
極上の物語は、こんな風にして人の生活を浸食してしまう。
しばらく、ジョナの声とジョゼフのピアノを夢想して過ごすことになる。

オーディションの幸不幸

アポロシアター。 残念ながら二度のNewYork行で行けなかった場所。

その舞台面でのオーディション。
客席から俯瞰などしないところがいい。
ほかの写真で見ると、ものすごく奥がない舞台なのに、
ほぼ舞台ツラに無理矢理長テーブルを出して、
いわゆる雑黒で足下を隠した急ごしらえ。
「審査員××××」なんて書いた紙が貼ってないのもいい。
審査される人は、一筋落ちた明かりの中に入って演じている。

世の中には、ろくでもないオーディションがいっぱいあって、
でも、その中には一握り、参加することで人生が書き換えられるようなものもある。
落ちても、受かっても。

そう簡単に、短時間で、人がわかるものではない、
ということを踏まえつつ、
短時間で人と出会わなければならない、
勝負だ、オーディションは。
人数分の人生が、押しかけてくる。
それにどう対するか……。

写真の女の子は、どうだったのだろう?
パスポートは、手に入っただろうか?


BBS7.COM
MENURNDNEXT

雨が降っている。

宇野千代さんは、こんな風に書いた。

先ず、「雨が降っていた。」と書く。或いは「隣の娘が泣いている。」と書く。坐ったその瞬間の、自分の身の廻りのことをスケッチする。何でもスケッチする。正確にスケッチする。それから、そのあとで、それらの具象的なことがらを抽象して、ある結果を抽き出して書く。その順序で、凡てのことを書く。随筆になったり、小説になったりする。書く
ことは人によってそれぞれに違うが、先ず、最初は凡ての事柄のスケッチ、凡ての出来事のスケッチ、凡ての情念のスケッチをする。その結果が、人によって、天地雲泥の差があるとは、何と言う面白いことか。

さっきまで、雨音の一人天下だった部屋に、冷蔵庫のぶうぅぅんとうなる音が加わった。
夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった
と書いたのは、谷川俊太郎だ。
一日の始めの台所、
夕餉の匂いと温もりに包まれた台所、
そして、夜も更け、匂いも温もりもとうの昔に忘れてしまったような台所。
ひんやりと冷たく、光る銀色、鈍い銀色が小さな世界をさらに小さく映し込む。
そんな夜の台所で、
自分が話しかけたかった、
何人かの人の顔を思い出す。
これを初めて読んだ、高校生の頃から、
40代も半ばを過ぎた今まで、
わたしの中の変わらないわたしを振り返る。

……そうだ。
その詩集には、武満徹さんの名前が出てきたのだった、
と、思いだす。
「サイレント・ガーデン」という最後の著作は、
亡くなる前の日記と、
料理のイラストつきレシピの、ふたつで成っている。
真っ白い、美しい本だけれど、
中には、胸の詰まるような文章が詰まっている。
美味しい料理を、色鉛筆描きのイラストで飾ったレシピは、
生きている喜びと短くも瑞々しい命を謳っている。
奥様の文章によると、
武満さんは、亡くなる前々日、バッハのマタイ受難曲を聞かれたそうだ。
家族に見舞いを休むようにと言った日、FM放送で。

ひとつの道に生きた人には、喜びがある。
武満さんが、マタイを聴く喜び。

わたしには、この先、どんな喜びがあるだろう?
どんな喜びを享受できるよう、生きられるだろう?

雨が降っている。
雨が降っているので思う、あれこれがある。
いつも。

死んだらあかん人がいる。

新しい仕事を控えて、家内作業の地味な日々が続く。

Excelでひたすらに書類を作り、Finaleで楽譜を書く。
Logicで音を作る。Mailで各処に連絡をとる。
……ずっとMacに向かい合っている。

このところ、キーボードとディスプレイに向かって書き始める前に、
電子ピアノのキーに向かうことにしている。
ハノンの20番までをしっかり弾きこんでおけば、
寒い朝も指が実に活動的になる。

昨日テレビで見た、東京大空襲のドキュメンタリードラマが、
ずっと心にひっかかっている。
いや、それを見ている時の自分の状態が、ずっとひっかかっているのだ。
今までになく、激しく、自分と家人が「痛む」ことを恐れる自分がいた。
自分と家人以外の他者は、親さえ出てこなかった。
余りにも限定された恐怖で、
自分がちょっと情けなくなった。
この程度の自分であるから、少なくとも、家人だけは、
命を賭して守らねば。
お互いのために、
わたしと家人は、
つまんないことで死なないように誓いあう。

原西のおかんが亡くなる。
関西人のわたしは、少なからずショックを受ける。
関西の明るい母、明るいおばちゃんが、我が母を思わせるので、
わたしは原西のおかんが大好きだった。
原西のおかんみたいな人は、死んだらあかんのに、と、
わたしは子どものように思う。
我が母は、重い病から、奇跡的に復活した。
わたしに向けては「元気になった!」と明るく語るも、
父によると、手術の後遺症である脳梗塞によるボケが激しいらしく、
外出は10分までしか怖い、という生活が続いているらしい。
……それでも、父母と離れて暮らす自分を思う。そして、
わたしには、もう、父母以外の、守るべき人がいる。

考えることがたくさんありすぎて、
一人の夜が、眠らないままに過ぎていく。

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