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2009年5月

2009年5月17日 (日)

三つの夜。

DVDで「Into The Wild」を見る。
ショーン・ペン監督 エミール・ハーシュ主演。
家族に世間に世界に自分に、疑問を持ち、文明を逃れた青年。
きっと感情移入する人とか、現実離れした他人事と思う人とか、青臭さへの冷笑とか、そんな感じの感想にわかれるのだろう。
感想なんてどうでもいいや。
ああ。
主人公の気持ちなど理解できない。
わたしは理解するには歳を取りすぎた。
社会人などと呼ばれる者になるための努力を重ねてしまった。
簡単に感情移入などできない。
だって、わたしは40代まで生きてしまったから。
そして、恐ろしい。
一人の青年を軽くのみ込んでしまう自然が恐ろしく、
目を開けていられない。
俯瞰するカメラは、神の目線なんかじゃない。
神の目など、どこにも届いてはいない。

翌日、ケラさんの芝居を観る。
神なんてこれっくらいのもんでしょ?
と、笑い飛ばす作家。
と、悲観する作家。
そして、うだうだと面倒な人間たち。
小市民の懊悩を演じると、山崎さんは何てうまいんだろう。
演劇的遊び心、すさまじく。
ラストシーンにはあらゆる想像力を刺激され。
忘れ得ぬ風景になる。
神様なんて、いない、いない。
さっきあんなに祈ったのに。
祈る……なんて信心を起こしてしまったのに、
もうそこには、屋根もない。
ずぶ濡れ。
……すごい本を書くな、ケラさん。

ようやくMILKを見る。
わたしにとってショーン・ペンは、
知性と野生を兼ね備えた最も美しい男。
そして、知性と野生を兼ね備えた、理想的な俳優。
のんきにそんなことを思う、小さな日本の演劇人のはしくれは、
彼にまた打ちのめされる。
なんとかシステムとかなんとか効果とか、もうどうでもいい。
このところずっとそう思う。
他者になりきるとか、自分を生かすとか、憑依したり冷静だったり……なんか、どうでもよくって……ただそこに、自分と演ずべき他者がいるということ。
出会うこと、葛藤すること、生きること。
自分と他者ってことは、二人で、二人はすでに社会で、演じるってことは社会を内包している。
……あんなすごい表現を見て、なんでわたしはこんなつまらないことを書いているのか。
彼の映画をほぼすべて見ているけれど、
彼はそのたび、別の人間の人生を生きている。
喜怒哀楽の表現さえ違う。顔も違う。
ヘアメイクで変化は出せても、表情筋まではいじれないのに。
それは、もう、ひたすらに、彼が他者の魂の、いちばん大事なところを抽出しているからだろう。
観察と、分析と、それを支える知性。
そして、人間と世界に対する、深い絶望と、深い愛情。

演じるショーンにうちのめされ、
思い切りドラマにのめりこみ、
ハーヴィー・ミルクの人生に少し自分を重ねた。
マイノリティーとしての40年間、
人生を変えたいと願う40歳、
奔走し続ける愛の40代。
まだ何にでもなれると信じていた少年時代が蘇る40代。
夢を心身の全力で支える40代。
ホームムービーや記録映像を多様するガス・ヴァン・サントの映画手法が、
かつてを生きた人の息づかいを、手で触れられる距離に運んでくる。
それが愛おしく。それが痛ましく。
映画館の闇の中で、
またひとつ、
自分に絶望し、
世界に絶望する。
こんな自分で、こんな世界を生きるには、
悔いをより少なくするには、
生きた、って実感するには、
とりあえず、愛し続けるしかないなと、
考える。
とりあえず、愛してみる。
……それにしても、
わたしは絶望という言葉を、
いつからこんなに使うようになったのか?

2009年5月13日 (水)

日々。

書かなかった日々。

・ふとしたことで首を負傷。頸椎ヘルニアとの診断。深刻。色んな新しいことが転がり始めた時になぜこんな?……と恨み節も出そうな勢い。これが、1日でほぼ治ってしまった。
紹介してもらった中国整体の先生は、ゴッドハンドというより、とにかく人の体をよく知っている方。
わたしの痛みについて解説をしてもらいながら、自分の体をもっと知りたいという勉強意欲が湧いてくる。

・まだ20代後半だというのに、わたしを魅了してやまない劇作家がいる。シェイクスピアやチェーホフをやりたいと思うのと同じように、その人の書いた本をやりたいと思う。
公演を観にいき、またしてもぐっとくる。演劇的野心と、実践力。嫌みのないインテリジェンス、足取りの軽やかさ。人間を見る目に、少年の青さと老獪さが共存する。
……いつかきっと一緒に仕事をしたい。

・個人レッスンをした俳優が初日を迎え、稽古後バタバタと劇場へ。
駅に着いて声をかけられる。振り向いたら、1年半前に10日足らずのシーンスタディーを共にした若い俳優たち。たかだか10日くらいのつきあいなのに、演劇の求心力は人を人を激しく結ぶものだから、わたしは彼らをとにかく愛している。2月に、わたしの演出作品を勢揃いで観にきてくれたりする。面白かったーーと、語尾を思いっきり伸ばして顔をほころばせてくれたりすると、わたしはもうたまらなくうれしい。
卒業まであと1年。狭い演劇界で、きっとまた出会うだろう。出会いたい。
一緒に観た芝居は素晴らしく。
成長途上の俳優の伸び率の大きさに驚く。
わたしも……まだまだ伸びたい。

・新しいワークショップの企画が動き始める。また、新しい俳優たちとの出会い。
何かにつけ思い出す、谷川俊太郎の詩。

人はたったひとつの自分の一生を生きることしが出来なくて
あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる
でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ
それがドタバタ喜劇にすぎなかったとしても

・高校時代の恩師から、突然、メールをいただく。
検索中にこのブログを発見されたそうだ。
経歴の紹介と写真で、わたしだと確認、そしてメールをくださった。
周囲に不義理を重ねることで生きてきたようなわたしであるから、
インターネットってものがなかったら、先生との交信はなかったかもしれない。
過ぎた30年を思う吐息がひとつ。
高校の卒業祝いにと先生にもらった、千田是也の「演劇入門」をひっぱりだし、
その本の日焼けと経年劣化に、また過ぎた日々を思い、吐息。

・この仕事を始めたときから、ずっとお世話になっている先輩と会う。久しぶりに会って、音楽と演劇を語る。馬鹿話やありがちな愚痴、冗談の中に、お互いが渇望する「何かいいもの」がよぎっていく。企画しよう、とにかく企画して動こう。
今は誰も段取りしてくれないから、ACCIDENTSの時みたいに、また自分一人で動き出すのだ。


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