台風が過ぎ、大地が揺れるたびに募っていた不安も喉元を過ぎ、夏が戻ってきた。
雨の後の草の匂い、陽が姿を見せるたびにより一層命削って啼く蝉たち。
その力の入りぶりを耳にするたび、横隔膜で声を支える俳優を思い出すのは、わたしくらいか。
稽古のBGに、通奏低音(通奏高音?)のように響き続ける彼らの今際の叫び声。
これが8月だ。
忌まわしい記憶の8月。
死者の戻りの8月。
美しい夏、8月。
すでに12日が過ぎて、あがった歌詞は5曲分。
……遅すぎる。
遅すぎるけれど、それだけ時間が要る。
起きている間は、絶え間なく歌詞とストーリーのことを考えていて、
ようやく、ふっと形にしてやろうかという瞬間が訪れる。
……不器用なのだ。
重ねていくしかない。
明日には、星印があがってきて、週明けに次の曲。
文字が音楽になって帰ってくる瞬間を楽しみに、日々を過ごそう。
***
今日、この鼻で嗅いだ夏の匂いのことを思い出していたら、
竹内浩三さんの言葉がわたしの中で鳴り始めた。
彼を思い出すための8月でもある。
以下、6年前に出た彼の全集を読んだときにわたしが書いた文章と、
彼の美しい詩をペーストする。
***
●日本が見えない(竹内浩三全作品集)小林察編/藤原書店
2003年06月12日(木)
竹内浩三を知ったのは、新聞のコラムだった。その略歴と詩の一節の紹介だけで、居ても立ってもいられなくなり、高価な(8800円!)本を、財布をのぞいてちょっと逡巡してから、予約した。やがて本が届き。紙面から溢れださんばかりのことばのひとつひとつに、夢中になった。
竹内浩三は、23歳のときに、フィリピン、ルソン島で戦死。誰も見届ける者のない死であった。この全作品集には、小学校時代からの様々な彼の書き遺したことばが収録されている。走り書きやいたずら書きのようなもの、詩あるいは小説といった作品の形になったもの。漫画や、日記、手紙の数々。
こんなにもことばに溢れた青春を、わたしは知らない。
ノートに手帖に、原稿用紙に、本の余白に、饅頭の包み紙に、ほとばしるように書き付けられた、ことば、ことば、ことば。
綴られた文字に書き直しはほとんどない。推敲の跡が見えない。彼の心に何かが興ると、同時にそれはことばとなり、同時に文字になっている。文字は彼の心の写しだ。そしてその写しが、今を生きるわたしを、ドキドキさせワクワクさせ、驚かせ、感動させる。わたしは「詩」に出会う。
教室で、青空の下で、汚れた下宿で、兵舎の寝床で、書き続けられたことばは、美しかったり、おっかしかったり、痛ましかったり、青春のすべての写しになっている。それら膨大なことばを一つ一つ追いかけているうち、次第に胸がつまってくる。
こんな素晴らしいことばの泉を枯らしてしまったものを改めて恨む。
漫画好きで、小学校中学年から漫画回覧雑誌を作り始めるものの、ちょっとした風刺記事がもとで、1年の発行停止。それでも彼はくじけない。次から次へと発行する。中学時代には謹慎処分をくらうことにもなるが、その時期も面白おかしい日記となって残っている。日大専門部映画科に進学しての東京暮らし。酒と煙草と珈琲と。文学と映画と音楽と。そこではいつも金欠に泣き、父母を失ってから献身的に自分を支えてくれる姉に、無心する。年相応にだめな自分と対峙して、またことばが溢れる。恋をしたら人並みに自らの不可解な心の作用に戸惑い、「おれ自身よりも、お前が好きだ」なんて口説き文句を口にする。出征の日は、チャイコフスキーの「悲愴」を背中を丸めて聴き、外で待つ見送りの人に「最終楽章まで聴かせてくれ」と頼みこむ。陸軍の筑波飛行場で軍事演習に明け暮れる中、「筑波日記」を書き続けた。回れ右はワルツでも踊っているようで楽しい気さえしたと書いていたり、、演習中にラジオから流れるメンデルスゾーンに口をぽかんと開けて聞き惚れ(こういうとき、もちろん上官に叱られる)、風呂からあがってカルピスを飲んだように、甘い音が体に心地よくしみこんだと書いていたり……。これは、「ソノトキ、ソノヨウニ考エ、ソノヨウニ感ジタ」ことを書き留めた日常の記録なのだ。検閲を逃れるために、この日記は、宮沢賢治の詩集をくり抜いた中に埋め込まれて、姉の元に届けられた。
この全集に収められているのは、もちろん彼のことばの一部に過ぎない。多くのものが失われてしまったから。きっと、そのことばの泉が枯れる時にも、懐に鉛筆と紙があったに違いない。
「骨のうたう」の中で、戻ってきた白い箱の中の白い骨がうたう。「帰ってはきましたけれど 故国の人のよそよそしさや 自分の事務や女のみだしなみが大切で 骨は骨 骨を愛する人もなし……なれど 骨はききたかった がらがらどんどんと絶大なる愛情のひびきをききたかった……故国は発展にいそがしかった 女は化粧にいそがしかった ああ戦死やあわれ……国のため 大君のため 死んでしまうや その心や」
萩原朔太郎の詩集の目次には、こんな草稿が走り書きされていた。「戦争は悪の豪華版である 戦争しなくとも、建設はできる」これは「戦争」「悪」「戦争」「建設」のところを伏せ字にして、自ら発行する文芸誌に載せたものだった。
彼は、見通していた。
この人が生き続けていたら、いったいどんな作品をわたしたちに届けてくれたのだろうと、どうしてもそう考える。彼はこう書いている。「生まれてきたから、死ぬまで生きてやるのだ。ただそれだけだ。」彼の時間は、奪われた。
高価な本だけれど、多くの人に読んでほしい。また、この本を知らない人、買えない人のために、全国の図書館に置かれるようにと願う。
***
十二ヶ月 竹内浩三
一月
凍てた空気に灯がついた
電線が口笛を吹いて
紙くずが舞い上った
木の葉が鳴った
スチュウがノドを流れた
二月
丸い大きな灰色の屋根
真っ白い平な地面
つけっぱなしのラムプが
低うく地に落ちて
白が灰色に変った
三月
灰色はコバルトに変り
白は茶色に変った
手を開けたら
汗のにおいが少しした
四月
ごらん
おたまじゃくしを
白い雲を
そして若い緑を
五月
太陽がクルッと転った
アルコホルが蒸発して
ひばりが落ちた
虫が蠢いてみて
また地にもぐりこんで
にやりとした
六月
少年が丘を登って
苺を見つけて
それを口へ入れ
なみだぐんだ
七月
海が白い歯を見せ
女が胸のふくらみを現す
入道雲が怒りを示せば
男はそっと手をさしのべる
ボートがゆれた
八月
ウエハースがべとついて
クリームが溶けはじめた
その香をしたった蟻が
畳の間におちこんで
蟻の世界に椿事が起り
蝉が松でジーッとないた
九月
石を投げれば
ボアーンと響きそうな
円い月が
だまって ひとりで
電信柱の変圧器に
ひっかかっていた
十月
ゲラゲラ笑っていた男が
白い歯を収め 笑いを止めて
ひたいにシワをよせ
何事か想い始めた
炭だわらの陰でコオロギが鳴いた
十一月
空は高かった
そして青かった
しかし 俺はさみしかった
十二月
ラムプがじーと鳴って
灯油の終りを告げた
凩が戸をならして
「来年」のしのびやかな
足音も聞こえた