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2009年10月

2009年10月24日 (土)

身体能力と、ひたむきさ、感動の初日。

G-Rockets初日。
なんてタフで、柔らかで、ひたむきな女たち。
高い高い身体能力と、仲間通しの信頼関係が、類い希な表現を呼んでくる。
演劇、かなわないな、あんなことやられちゃあ。
しかも、大人も声をあげる楽しさの3D映像とのコラボ。
GPから、すでにわたしは、感動に継ぐ感動。
わたし演出の「控室」は、あまりに稽古日数が少なかったので、迷える時間を与えてしまい、それはわたしの大いなる反省材料なのだけれど、彼女たちは本番で、ぽんっと飛んでくれた。
わたしの見たかった芝居、またひとつ見ることができた。
わたしの見たかった、繊細かつ大胆、傷つきやすいけどひたむきで怖いもの知らずの、かっこいい女の子を、観客も喜んでくれますように。
あと、二日で三回の公演。

来年の劇場申込用の資料もようやく作成、送付して、
さあ、これで、きれいな体になって、秩父本番一週間前。
秒読み開始だ、いよいよ。
今年に入ってから、ずっと案を練り続け、
いったんは既成作品に向かったものの、
男性陣の出演不可情報が入ってきて、一気に方向転換。
一ヶ月のインタビュー期間を経て、
八月いっぱいの、眠らない夜。
曲があがってくる喜び。
蓋を開けたら、大変すぎる稽古。
スタッフとの交渉も、たった一人でおおわらわ。
それも、いよいよ。
あと一週間。

1時間45分、13曲分の夢を、来週は迎えているのか……。
さあ、行こう。

2009年10月19日 (月)

Sad Birthday.

誕生日は、穏やかな稽古場の日常で始まったが、終盤、思わぬことで乱れに乱れた。
乱れたことで、またさらなる哀しいことも起き。

日々、ずいぶん頑張ってるつもりなのに、
周りの人に喜んでもらっているはずなのに、
自分のこと棚上げで、人のことばっかり考えて生きてるのに、
こういう日があるのだなあ。
(「のに」、なんて書いてるわたしがダメなの?)
誕生日なんて、もう、どうでもいい。
ただ、悲しいよ。
なんでだよ、神様。

「もう、どうでもよくなっちゃった」って、投げ出せる現在じゃあないから、わたしはひたすら進むしかないのだけれど、それは、きっととても大変なこと。
こんなに、ここまで、悲しくなってしまうと。

明日の大事な大事な打合までに、この気分を修正すること。
何して過ごしゃあいいんだ。

夜よ、眠りよ、どうぞわたしの味方でいてください。

2009年10月 9日 (金)

救済ではなく。

DULL-COLORED POPを見る。
「心が目を覚ます瞬間」。
あまりにも柔らかなものに触れ、胸が痛む。
それはかつての自分であり、
それはかつての他者であり、
ほぼ、喪われてしまったもの。
過去のものであったとしても、
懐かしいとは決して呼ぶ時の来ないであろう、痛み。

痛みとともに、
演劇とは、
言葉とは、
俳優とは、
という問いも。

谷賢一という表現者。
あんなにも柔らかなものを、無数の棘でくるんで。


日本語のわかる、痛んでる者は、
みんなこの芝居を見ればいい。
という訳にもいかないからこその、演劇ってもの。

金と時間は、救済のためだけに使うものじゃない。
そこに優しい救いなどなくても、多面の鏡が自分や他者を映し出す。
他者の言葉を、自分の言葉として生きる、そこにある演劇ってもの。
見ろ。
と言いたい。


2009年10月 7日 (水)

傑作。

「て」を観る。
一家族の構成員の、誰も彼もの、そのどうしようもなさが、そのまま日本だったり。世界だったり。
演劇であるからこその描き方がちっとも奇をてらってなくて、作品自身が、生まれるときに素直にその手法を望んできたかのように思えたり。
作家の柔らかな心が感知する世界が痛々しく、俳優たちの表現もナイーブで。
何もかも、恐れ入ってしまう出来で。
恐れ入る前に、わたしはぐっときているし。
やられた。
衝撃度は、劇団初見の「ヒッキー」の方が高かったけれど、
これは間違いなく、傑作。

昔は、やられたと思うと、悔しくて眠れなかったりしたものだが、
歳をとると、いいものを観るのがただひたすらに嬉しい。
困ったな、わたしは何者でもないまま、歳だけはとってしまったのだ。

今や看板俳優の金子が、スタッフ手伝いとしてパリにきたことを思い出す。
とんでもないパリの砂と闘った、あの夏夢。
その頃やってたエチュードで必要だからと、國井さんにジャングルジムの作り方を聞いていたことを思い出す。そして、パリの町に一人旅だっていったときのこととか。

時間がまた過ぎた。
歳をとるわけだ。

2009年10月 6日 (火)

絶望的に希望する。

多忙な上に、多感な日々である。
稽古で、たくさんの人が笑う。たくさんの人が泣く。かなり泣きまくる。
演者の感情を突き動かしている当の本人は、それらを真っ向から受け止める。
もう、大いに受け止めて、同化しては突き放し、異化しては自分の血にして。
と、そのようなことを積み重ねていると、何とも感じやすい人になって暮らすことになる。
これは疲れることだけれど、悪いことじゃあない。

電車の中で、iPodにため込んだ色々なミュージカル映画を見直しながら……何かヒントが落ちていないものかと……「Fiddler」を見ていたら、ツァイテルは仕立屋と結婚できるのだと知っているのに、テビエが肉屋の親父との結婚話を強引に勧めるシーンで、ほろほろと泣いてしまった。
その先、すぐにテビエは仕立屋との結婚を認めてくれるし、その先こそがメインストーリーだと知っているのに! 
その時点でのツァイテルの気持ちを思うと息苦しく、電車の中でほろほろで、仕方なく途中下車した。
そういうことが、しょっちゅうある。

我が敬愛するサガンが、こんなことを言っていた。
たとえば「ロミオとジュリエット」が悲劇的な結末で終わるのを知っているくせに、「ロミオとジュリエット」を読むときは、彼らの幸福を信じて希望して読んでしまう。
「椿姫」を聞くと、音楽が希望する心を後押しして、アルマンが間に合うようにと祈ってしまう、と。
絶望的に希望すること、理解の出発点である想像力を働かせて生きること。

***

10月末に本番を迎える市民ミュージカルの稽古に取材が入り、新聞に大きく取り上げてもらった。
宣伝にもなるだろうし、うれしいことだが、わたし自身はひどく悲しい気持ちを味わうことになった。
見出しにでかでかと、「蜷川流」という文字が躍っていたのだ。
それを見た瞬間、メンバーの一人が「えー、石丸流なのに!」と言ってくれた言葉に救われたりもしたが、そうか、その名前を出さないとわたしの仕事は語ってもらえないのかと、ひどく傷ついた。
とても理解のある記者で、わたしの仕事をとても認めて話をしてくれていた風だったのに、それなのに、別の名前が踊ってしまったので、よけいに口惜しく。
深く、深く、深く、深く、傷ついて、傷ついていたら稽古にならないので、すっぱり忘れて稽古した。

わたしの50年にまだ満たないここまでの人生は、
とっても幸せだったとも言えるし、
失敗だっとも言える。
三人姉妹三幕のマーシャ、「失敗の人生。」という台詞を、実感として言うための年月だったような気さえする。
でも、かつて、愛し合った男がかけてくれた言葉を思いだそう。
「あなたは元気でいいね。スタートが遅くても、体力があるから人よりずっと長いこと仕事ができるよ。」

そうだ、こういう時にもこの言葉は使える。

……絶望的に、希望する。

2009年10月 1日 (木)

出来た女。

書いてた頃の朝7時まで毎日書くペースが、今度は稽古のために人並みに7時に起きる生活に。
日ごとの朝の色を味わいながら書くのも趣があったが、このところの早寝早起きはいたって健康的でこれまたよろしい感じ。

この朝は、歌詞を書き足して、音楽家に再発注して、詳細稽古スケジュールを本番まで作って、貯めこんだ事務をバッサバッサと斬って、おまけに家人の夕食を作って、うまいカレー!、で、もう誰も褒めてくれないから自分で「なんて出来た女、生活しながら演劇者、ちょっといない、こんなわたしー♪」と、ミュージカル風に歌いながら働いた。

今日は稽古の前に予算打合。
稽古でダークな気分にならないよう、ビジネスライクにさくさく打合しようっと。
さあ、出陣。

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