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2009年11月

2009年11月25日 (水)

怖くないよ。ありがとう。

昨日は××歳になっても、日々知ることの喜びを書いた。
でも、それと同時に、日々壊れていく自分とも向き合っている。
歳をとるのが、怖くて怖くて仕方ない時間がある。
普段は忙しくってそんなことかまってられないのだけれど、ええいままよと壊れていくに任せているのだけれど、時折、ふっと、暗い淵を見下ろしているような気分になる。

先日、新聞に紹介されていた98歳の女性が書いた詩が愛おしく美しく、忘られず、新聞社から彼女の小冊子を取り寄せた。
届いた詩集は、92歳から98歳までに書かれた、新聞への投稿作品37篇で成っている。
柴田トヨさん。
90歳を過ぎてから、息子さんのすすめで詩を書き始めたという。
ここに紹介しても、きっと許してくれるだろう。
書き写さずにいられない。


「目を閉じて」

目を閉じると
お下げ髪の私が
元気に
かけまわっている

私を呼ぶ 母の声
空を流れる 白い雲
何処までも広い
菜の花畑

九十二才の今
目を閉じて見る
ひとときの世界が
とても 楽しい

(トヨ 92歳)


「私Ⅰ」

九十を過ぎてから
詩を書くようになって
毎日が
生きがいなんです
体は やせ細って
いるけれど
目は 人の心を
見ぬけるし
耳は 風の囁きが
よく聞こえる
口はね
とっても達者なの
「しっかり
   してますね」
皆さん
ほめて下さいます
それが うれしくて
またがんばれるの私

(トヨ 94歳)


「先生に」

私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい

「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ

(トヨ 94歳)


「96歳の私」

柴田さん
なにを考えているの?
ヘルパーさんに
聞かれて
困ってしまいました

今の世の中
まちがっている
正さなければ
そう思って
いたからです

でも結局溜息をついて
笑うだけでした

(トヨ 96歳)


「化粧」

倅が小学生の時
お前の母ちゃん
きれいだなって
友達に言われたと
うれしそうに
言ったことがあった
それから丹念に
九十七の今も
おつくりをしている

誰かに
ほめられたくて

(トヨ 97歳)


「風と陽射しと私」

風が
硝子戸を叩くので
中に入れてあげた
そしたら
陽射しまで入って来て
三人でおしゃべり

おばあちゃん
独りで寂しくないかい?
風と陽射しが聞くから
人間 所詮は独りよ
私は答えた

がんばらずに
気楽にいくのがいいね

みんなで笑いあった
昼下がり

(トヨ 97歳)

自然の摂理で老いていっても、人はこんなに真っ直ぐ世界を見ていられるのか。
わたしは何だか嬉しくなって、歳をとることへの恐怖、壊れていくことへの不安が、ちょっと和らぐ。
忘却するありがたさ、追憶する喜び、その狭間で、しっかりと「今」に踏ん張っている様が、こんなに美しいとは。

2009年11月24日 (火)

石丸さち子(××歳)の知らなかったこと。

自分で書く前に、読んでおきたい本が幾冊もあった。
公演を終えてから私塾の稽古だの観劇だの来年の準備だのにあたふたして過ごして、あっと言う間に三週間が過ぎ。
この何日か、ようやく時間を見つけて、ひたすらに読んでいる。
出会っておきたかった言葉たちは、それは膨大な量で、日がな一日をいくら重ねても追いつかない。それでも、わたしは一瞬ごとに、その一行その一頁を読んだ人に、変わっていく。もう、その一行その一頁を読んでいなかったわたしではない。

エリザベス・ギルバートの「巡礼者たち」という短篇集がある。
その中に、「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」という短篇がある。
タイトルが示すように、デニー・ブラウン(十五歳)が知らなかったことを知っていくお話だ。といっても、知っていくのは、深遠なことでもなんでもない。
昨日は知らなかった数学の公式を、今日は知っている、今日習ったから。その程度のこと。
昨日は知らなかった彼女のことを、今日は知っている、今日はじめて彼女が話しかけてきたから。その程度のこと。
でも、「その程度のこと」が、ささやかな感情のブレをつれてくる。
「その程度のこと」の積み重ねが、自分との出会い、世界との出会いの鏡になっていく。
「その程度のこと」の積み重ねが青春だったって、極言しちゃってもいいくらいだ。

この短篇を読んだのは、もう10年も前。
新潮クレストで新刊が出る度、楽しみに読んでいた頃だった。
その10年で、わたしは何を知ったか? とか自らに問うと、寝苦しくて己をひっかいてしまいそうなので、とりあえずこう考える。
今日わたしを驚かせ楽しませてくれた一冊を前にして。
……この一行、この一頁を、わたしは読んだ人になった。
今日はこれでおしまい。

ひたすらに読んでいたら、いつの間にか、目が文字通り血眼になってしまった。
毛細血管が破れて、片眼がウサギ。
困ったものだ。おそらくは、疲れと老化でしょう。
言葉を貪った後は、眠り。眠り。眠り。

不服を言ってはきりがない。
今日はひとまず、幸せじゃあないか。


2009年11月18日 (水)

母に会いたい夜。

昨夜見た、宮崎駿さんのドキュメンタリーが、今日のわたしを支配している感じ。
まだ見ぬ観客に、どれだけ心を尽くして生きるか。

パラドック定数、『東京裁判』。
長い考察の時間が、強い筆圧で昇華している。
そして、緻密な稽古を経ないと立ち現れない清潔感、そしてかつて生きた人たちの熱。

劇場で誓さんにばったり出会う。
カガワさん、ことみ、たーこさん、誓さんと、桜でご一緒した人たちと、このところ出会う時間が続く。
つい、淀んでいた自分を責めがちだが、あの頃のわたしも漫然と生きていたのではないという証のように、彼らとの出会いを喜ぶ。また喜んでくれる人々。

ちょっとした時間に、ふとした生活の余白に、物語のアイデアが湧いてくる。
表面張力が破れるまで、これを続けていこう。

わたしの生きてきた時間を考える。

無性に、母に会いたい夜。

2009年11月17日 (火)

真夜中に。

家の周りが工事づいている。
朝を迎えるたびに陽光が新宿副都心をシルエットに変えていくその様を、楽しみに見ていたのだが、それがもうすぐ見えなくなる。
家の前の商店とアパート8棟が取り壊され、なんと7階建てのマンションが建つのだ。3階のわたしの部屋は、愛すべき景観を喪う。
そして、我が家の位置する商店街では、電線を地中に埋め込み景観をよくする工事も同時に始まっている。
今、まさに、午前3時近いというのに、殺人的な音を立てて工事が続いている。バス通りで車止めをしなければならないので、夜しか工事出来ないらしい。もう、本当に「やめてくれ!」って泣きたくなるような音。眠れないし、仕事の集中力は削がれるしで、悔しいからベルリンのことを思い出していた。1ヶ月滞在したのは、壁がなくなってから10年ほどした頃。どこもかしこも工事だらけで、それに携わっている人が一様に「急いだって仕方ねえだろ」みたいな顔して、のんびりかまえていた。芸術をたっぷり享受させてもらったと同時に、忘れられないベルリンの顔だ。
……なんて、思い出を楽しんでも耐えられないこの音。商店街なので住居が少なく、「少数ならいいだろう、我慢させときゃ」って声が聞こえてくる。そして、遠慮なくやらかす。ひどいなあ、杉並区。それでなくても、昼間は解体の音でくらくらしてるのに。
我が家は、静かな夜を奪われ、美しい景観を喪い、理不尽な仕打ちばかり受けている。
大好きな家が崩れていくと文句を言っていたら、「俺がいるからいいでしょ」と家人に言われた。一緒にいるのもなかなか大変だけれど、間違いない。やはり一緒がいちばんいい。

私塾の稽古はどんどん熱くなる。
公演を想定すると、演技指導から演出になるのは当たり前。
Theater Polyphonicの来年の戯曲のプロットも、間もなくあがるだろう。
作家と会ってつい飲み過ぎた先日。
歳が20も違う相棒は、頼もしい男。
相変わらず、少年の笑み、老獪と言いたくなる笑み、両方を行き来する。
第二作は、ミュージカルの予定。
今日、プロットを考えるたたき台のMリストをあげた。
これは自分で書く。台本と、歌詞と。そして作曲家と歌い手を口説く。
年内に、どこまで攻められるか。
やることが一杯ありすぎて、疲れたとか言う暇がないし、実際、最近言った覚えがないな。きっと楽しいんだろう。インフルエンザに気をつけて、とかしょっちゅう言われるのだけれど、自分がかかる気がしない。
ゴールドの加藤さんは自分の「楽しい」に真っ直ぐで、それがかっこいい。
わたしも「楽しい」に正直に暮らして、30代で取りこぼしてしまったもの、全部ひろっていくんだ。軽やかに、楽しげに。

森繁さんが亡くなり。
テヴィエは、わたしの初ちゃんとしたミュージカル体験だった。

そして、今日、大浦みずきさんの訃報を新聞で知る。
商業演劇界を離れているので、新聞で知る。
この間、泉先生の店に行った時、癌と闘っている話を聞いてはいた。でも、こんなに早くと、胸が痛んで痛んで痛んで。
ご一緒したのは一本きりだったけれど、大好きだった。
そして、レッドシアターで清実さんと踊るのを見たのは去年だった!
素敵だったんだよ、あの長い手足から放射されていくエネルギーが。
……ただただ、痛ましく。
追悼しては祈り。
こうして、またこの命のあることを、深く深く、思う。

2009年11月12日 (木)

H3。

ひからびた汗、落葉の匂い、日照りの街、ひんやりしたマンホール、蒸気の漏れるマンホール、壊れた宝箱、濡れたアスファルト、乾いたアスファルト、ネズミの死骸、ポケットの中、食べ損ねた朝ご飯、狂った四季、がらんとしたドメスティックライン、食べこぼしのミイラ、口の開いたスニーカー、血染みのシャツ、ためらい傷、壊れた車、陽のあたる水飲場、べたついたキャンディー、人のいない教室、慣れない工場、塗り立てのバス、煙をあげる砂利道、8ビートの子守歌、角の丸まったカード、折れたゴールシュート、空のテキーラ瓶、風に飛ぶ新聞紙、倒れた看板、酒場の老夫婦、色んな肌の怒鳴り声、恋の予感、つばの折れたキャップ、サッカーを映すテレビ、おさがりのリュック、肉屋のウィンドウ、珈琲を煎る匂い、教会の鐘音、、、、、

今日、かつて稽古をした懐かしい場所で、体育館のまんまの劇場で、過ぎっていった風景。

H3というブラジルのダンスグループを観てきた。
ダンスを見るという経験ではなかった。
身体への畏敬さえ忘れさせる、身体からこぼれる日常の感情たち。
文学より文学的な感傷。
演劇より饒舌で寡黙。
いや、表意という意識など軽く超えた、弾み、躍り、弛み、歪み、走り、転げる肉体。
肉体そのもの。
芸術品ではない、生活者の香りを放ちながら、覇権を得た肉体。
彼らと間近に呼吸した、今日という日に感謝。

2009年11月11日 (水)

雨が降っている。

雨が降っている。
夜の部屋は、雨の音でいっぱい。
こんなに音でいっぱいなのに、いつもより静寂を感じる。
それが、雨の夜。

明日のことを考える。
来月のことを考える。
来年のことを考える。
それはすべて、
稽古のことやら、
戯曲のことやら、
舞台のことやらで、
おかしくなる。

この間のミュージカルを観てくれた友人から、
あんたたちは幸せだね、好きなことして食っていけて、
と、メールが届く。
彼女の旦那様は著名なオペラの演出家だ。
わたしは著名ではないけれど、
確かに幸せだと思う。
幸せなどという、曖昧な言葉を定義しても始まらないけれど、
好きなことをして食っていけるのは、幸せ。
この分類にまちがいはない。

分かれ道に出会うたび悩むし。
誰かと行き違っては苦しむし。
人の心を波立ては後悔し。
歳をとるだけ愁訴は増す。
いくら働いても貧乏だし。
オイディプスの娘みたいに、夫もいなければ子どももいない。
いいことばっかりじゃあないけれど、
とりあえず、わたしは幸せ。

雨の音を聞きながら、
キーボードを打ち、
キーボードの聞き慣れたカタカタを聞きながら、
我が両の手を眺める。
この手に、どれだけのものをつかんできたのか。
この手から、どれだけのものが零れて消えたのか。
追えども空しいと知っていて追えるのが若さだとしたら、
わたしはまだまだいけるかもしれないな。
追いかけて、追いかけて、まだまだ追っていきそう。

雨の中、
何台かの車が、
雨水を蹴る音をたてて過ぎる。
フーガみたいにしばらく続いて、
わたしは嬉しくなる。

2009年11月10日 (火)

あれから7年が過ぎ。

2002年の10月22日から11月2日まで、わたしは一人ロシアを旅した。
ルブリョフと出会い、劇場を巡る予定の旅だった。
そして、あの、劇場占拠テロに出会った。
以下は、当時の日記から。

●10月22日から11月2日まで、予定通り、ロシアを訪れた。モスクワに9日間、ペテルブルグに3日間。

 22日、モスクワに到着しホテルの部屋に落ち着いたのは22時過ぎ。モスクワの街を歩き始めたのは23日のことで、この23日に、チチェン人による劇場占拠事件が起こった。そしてわたしは、この夜、事件現場のすぐ近くにあるタガンカ劇場で芝居を観ていた。

 モスクワを訪れようとした理由はただ一つ。毎夜劇場を訪れるためだ。毎日50本くらいのストレートプレイが上演される、世界でも稀な劇場の街、モスクワ。その街で、1日目にあの事件に出会ってしまったのだ。

 滞在中はずっとあの事件に心を占められて暮らした。
 プロになってから数えても、劇場を自分の居場所として暮らし始めて、もう22年になるわたしであるから、何か自分の生きている足場がぐらぐらと音を立てて崩れてしまうような、あって当然の地面が柔らかな殻のようなものに変貌してしまったような、不安な気持ちでモスクワを歩き続けた。

●帰国してからすぐに仕事に追われ、ここにきてようやくゆっくりと自分の時間を持てるようになった。記憶の鮮明なうちに、あのモスクワでの時間をことばにしながら追想し、自分のうちに留めておきたい。少しずつ、ゆっくりと。
 警官の詰めた劇場で観る芝居。事件の悲しみを吹き飛ばすかのように、笑いと喜びに溢れた劇場。上演中止の貼り紙を見て、劇場をあとにする夜。悲劇に巻き込まれてしまった人々の顔、テロリストたちの顔。どうしても不幸へ不幸へと道を選んでしまう世界。
 
 上演中の劇場が、襲われるということ。


帰国してから、テロリストたちの悲劇を知り、チェチェンの研究を始め、アンナの存在を知ったりした。
あれからもう7年。
わたしが、一生劇場で生きると誓った旅。
あれからもう7年。


***


来年10月に、わたしの演劇企画母体「Theater Polyphonic」の公演が決定した。
その準備のために、始動。
俳優私塾POLYPHONICの方も、そろそろ公演を打ちたくなってきた。
演劇三昧の予感。

7年前、ロシアの地で誓ったことは、今もわたしの胸に生きている。
そして、これから、人より少し遅いスタートを切ろうとしている。


***


Theater Polyphonic の始動に向けて、サイト構築を少し変えた。

s-ishimaru.com が石丸の仕事のトップページ
・Theater Polyponic はただいま準備中
Private school for acting POLYPHONIC で俳優私塾の案内
・MONOPHONIC(このページ!)で、石丸の一人語りブログを


***


以下は、「チェチェンで何が起こっているのか」という本に寄せた書評。

日本人の間でチェチェンと言えば、テロリストの温床のようなイメージを持つ人がいるほど、その状況が知られていない。歴史と強者に翻弄されてきた小さな民族の運命と、その抵抗の歴史を、本書は浮き彫りにしてくれる。

筆者は二人。
1995年から15回にわたって現地取材を続けているジャーナリスト、林克明氏。
インターネットで「チェチェン総合情報」というサイトを運営し、Eメールで「チェチェンニュース」を発行している大富亮氏。

まずは戦争の歴史が語られる。19世紀のカフカス戦争、スターリンによる民族の強制移住、1991年のソビエト連邦解体に伴う独立運動を契機とする第一次チェチェン戦争、そして、現在に至る1999年からの第二次チェチェン戦争。
おおまかな知識を得た上で、読者は、延々と続くロシア軍による拷問、虐殺、処刑の実態を知らされる。そして、空爆や派兵の契機となってきたチェチェン人によるテロが語られる。しかし、そのテロの実際は、わたしたちがロシアを通した報道で知っているものと少しずつ食い違ったりしている。
そう、著者が伝えようとしているのは、あまりにも知らされることのなかった、チェチェンから見た、チェチェンとロシアの実際なのだ。

2002年10月23日、モスクワで劇場占拠事件が起こった。
人質の死者129名、武装ゲリラの死者41名。
ロシア特殊部隊の強行突入で事件は終結したものの、129名のうちの123名は、突入の際に解毒剤の準備なく使用した特殊ガスによる死亡なのである。

偶然、事件前日からモスクワを訪れていたわたしは、発端から終結まで、ことばがほとんど分からないままにテレビニュースを見続けた。インターネットで情報を得ては、繰り返される映像に見入った。そして、その報道から受けた印象に、長らく疑問を持ち続けることになる。
客席に散在するテロリストの死体。その多くが、ロシア軍によって夫や子どもを奪われた一般市民女性だ。腹に爆弾を巻き付けたまま無惨な姿をさらす彼女たちの映像が、「制裁を受けた悪」として、日がな一日流れ続けた。
その一方で、病院を訪ねたプーチン大統領と、生き残った人質たちの感謝を湛えた表情が「勝利」の証として流れ続けた。……報道は、事実を知らせる為のものではなかった。

わたしはこの本に出会って、ようやく事件を知ることができた。

***

本書は、チェチェンから見た実際を知らせてくれた。そしてその実際は、ロシアの実際ももっとリアルに知りたいという思いを導く。プーチン政権について、ロシア市民の対チェチェン人感情について。ロシア市民の日常的な脅威である、テロについて。

戦争もテロも、他人事ではすまなくなった今、わたしたちは正しい意見を持つために、動かないものを動かしていくために、少しでも多くのことを「知る」ことを求められているのだろう。偏らない、広い見地で。ジャーナリズムに翻弄されず、自分自身で情報を選び取るための知識を持つということ。

これからの日本とこれからの世界を考える人たちに、是非読んでほしい一冊だ。


 

2009年11月 4日 (水)

晩秋の候。

6月から準備にかかり、8月いっぱいかけて執筆し、
9月10月と稽古稽古、制作仕事に明け暮れた仕事が、終わる。
終わった。
いつもの虚無感で、1日半を過ごす。

激しく愛し愛された2ヶ月。
激しい愛の結晶の3回の公演。

3年をかけて築き上げたキャストとの信頼関係は強く、
出会って2日で通じあった新しいスタッフとのこれからが嬉しく、
かけがえのない時間を過ごす。

わたしの書いた本や歌が、
人々を動かしていった、この2か月。
この部屋から孤独に生まれたものが、
多くの人を動かしていった。
そして、また孤独へ舞い戻り。

この孤独から逃れる方策は、
また次の孤独を選び、また次の祭りを生むこと。

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