そうだ、実家の母に会いに帰るぞと眠った夜から、書いていないのだ。
何やら、書きたいと思うことが日々起こるのに、書かずに眠り朝を迎える気持ち悪さを引きずった一週間だった。
6日……日曜日。
母は元気だった。
記憶に障害はあるし、杖をつかないと立ったり歩いたりできないし、目も視野狭窄で不自由だし、「元気」という言葉は語弊があるのだろうけれど、久しぶりに会うわたしには、母を表すのに「元気」という言葉以外思いつかない。この前会った時と、まるで違う生き生きした母に戻っていたから。
この「元気」を支える父の疲労を心配する娘を、父は、
「しんどい言うとったってしゃあないやろ、おかげさまで元気やわ」と一蹴する。
世の中で、頻繁に取り上げられる介護の問題。
……我が実家では、介護なんて行われていなかった。
自分のことも人のことも、なーんにも出来なくなった母がいて、ぜーんぶを担当する父がいて、それが日常。かつてとは違う、今の日常。それが生活。
父と母は、世界で一番お互いを大事に思っている。思い合っている。その嘘のなさ、さりげなさに、驚愕する娘。
夜は昨年亡くなった祖母の部屋で眠る。
祖母の部屋は、片付けられず、そのまんま。
一晩目は、暗闇で祖母と対面する勇気がなく、電気をつけたまま眠る。
7日……月曜日。
母はよく食べる。
かつて、危ぶまれていた時期は、自分の口から食べ物を摂取することが出来なかった。
この先の生命のためには、とにかく食べること、といった時期に、小さなスプーンに載せた桃ゼリーを、わたしが舐め、母に舐めてもらいしながら、泣いた時もあった。わたしが泣いているのに気がついて、母が、ほんのわずか、頑張って食べてくれたりした。
それが、とにかく、よく食べる。
「食べて出すのが仕事やもんな」と言うと怒るのだが、実際そうで、人間の基本をしっかりやっている。なんて元気なんだ!
一日中を座って過ごす母の隣にわたしも一日中座り、iPhoneにやってくるメールを読んでちょこちょこ仕事したり、写真を撮ったり、老猫の声を録音したり、思い出話したりしながら、一日中一緒に食べていた。
POLYPHONICの公演で使う帽子を、父が母のコレクションの中から選んでくれる。
ゆうに100を超える帽子コレクションは、働く母を飾った美しい記憶の堆積だ。
わたしが安い感傷にひたっていると、「デイケアに行く時、毎回大変なんやで『石丸さん、今日はどんな帽子かぶってくるやろ』って、みんな楽しみにして見にくるんやから!」と、我が母のおしゃれは健在。
来年が勝負だと思っているわたしは(去年もそう思っていたが)、かつて自分がロシア土産に母に買っただるま型10体マトリョーシカを、「開運ために貸して!」と持って帰る。
母は、「勝負とか、開運とか言うて先のこと考えるあんたが羨ましい」と、悔しそうに唇をすぼめてみせる。
父の淹れてくれるコーヒーは美味しい。
わたしがコーヒーをこよなく愛するのは、わたしが父の娘だからだ。
8日……火曜日。
四月公演の台本を読み、一睡もせず、始発に乗り込む。
新幹線でうとうとして、帰宅してから仮眠をとって稽古へ!のつもりだったのに、品川駅で山手線ストップのため足止め。大崎駅で人身事故。
重い荷物に耐えきれず、喫茶店で時間つぶし。一時間半のロス。
12月になると、この見えない死の匂いで充満する東京。
結局、眠らないままPOLYPHONIC稽古へ。稽古後、青☆組の芝居を観に小竹向原へ。
いくら大人になっても、「成熟」という言葉が似合わないわたしには、少しやっかみたくなるくらいの劇世界が目の前に展開。小夏さんのことを、「この人は、激しい振幅を、ああ、こんな時間にこんな形に託してくるのか……」と、わたしとは見事に違う人のことを考えながら、隠れた激しさに思いを寄せる。目の前に描かれているものを味わいながら、描かれていないものをより深く心に摂取する。
ちゃんと、彼女に観劇後の報告をしようと思っていたのに、不眠だったわたしは、おそらく最も大事だと思われるシーンで目を瞑ってしまっていた。恐ろしいこと、無意識に。
逆に、恥ずかしくて忘れられない観劇体験になってしまった。
9日……水曜日。
来年、四月に上演する戯曲がようやく決まり、動き出す。急ぎ仕事にならないように、丁寧に時間を重ねていかなければ。
POLYPHONICでも、上演に向けて「楽屋」の稽古が進む。
一進一退。まだ積み重ねていける時期に達してはおらず、じっくりと地盤を固める。
最近、我が借家の目の前に7階建てマンションをおっ建てる工事が始まった。
毎日、その進捗を眺めて暮らす。
地盤、固めているわけです。
掘っては起こし、掘っては起こし、何やってんだろうなーと、大クレーン2台の勇猛な姿に釘付け。
そして、騒音とともに暮らすのが、我が日常になる。この理不尽な日常に、もうすっかり慣れてしまった自分がいる。
10日……木曜日。
久しぶりにきっちり、夕飯を作る。
なんてことないメニューだ。
海老フライに、ほうれん草のバター醤油ソテー、金糸卵を載せた和風野菜サラダ、厚揚げを焼いたものに、ジャガイモの味噌汁。
ようやく夕飯にありつけた家人が、あまりに美味しい美味しいと連呼してくれるものだから、嬉しくなる。母と父を思い、わたしにも、ここに生活があると、何やら胸が熱くなったりする。
11日……金曜日。
稽古後、敬愛する仕事仲間であり先輩、池上さんと食事。
思いつく、ありとあらゆることを話し、大好きなお酒を二人で囲む。
韓国人とミュージカルの仕事をした経験から、母国語による発声の違いを認識した池上さんの話を興味深く聞く。外国語を話すことで、広がる、自分の発声器官の可能性。
わたしも最近、同じようなことを考えていた。
そして、発声器官の、個人差、その可能性への興味は、深まるばかり。
わたしはもっと勉強するべきだし、命が続いていく限り、知らないことを知り続けたい。
とか、ただの酔っぱらいのくせに、思う。
そして、また一緒に仕事したいよ。早く。また、一緒に。
それまでは、音楽を、自分なりに愛し続けていくよ。
12日……土曜日。
POLYPHONICのための劇場探し、本腰。
稽古場おさえ、ネットが光スピードでも、時間のかかること、かかること。
この立ち上げ期が一番大変で面倒で苦手だが、このところ自分で全部やっている。
今度だって、きっとそう。
芸術的な仕事は捗らず、目の前の事務に追われる。
いつになったら、ここから脱することが出来るのかなあ。
キャスティングもかねて、かつての仲間の芝居を観る。
俳優であり続けるすばらしさ、味わいあるその馬鹿さ加減、強さ、勇気。
一緒に仕事をしたいという気持ちがむくむくわき上がってきて、止まらない。
新しく迎えた俳優志願者、第一回目の個人レッスン。
わたしは、演劇の喜びの、正しい伝道者たりえているかと、いつも自分に問うている。
13日……日曜日。
「花と嵐と女たち」公演後、はじめて秩父へ。
……時系列で書き始めると、
止まらなくなってしまうな。
もう眠らなければな。
もっとうだうだ書きたいのにな。
明日は、どんな一日だろうな。