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2009年12月

2009年12月29日 (火)

迷走。

懐かしき古巣の稽古場へ。
行けば、まだ、そこに自分の場所があるかのような錯覚に陥らせてくれるところ。
実際はないから、席は取り直し、新たに名前を記さなければならないのはわかっているのだが。

迷いに迷っていた仕事を、結局受けて、
来年のスケジュールがぐぐっと埋まる。
それが自分に良いことなのか悪いことなのか、
そんなことわかるわけがない。
自分がどう生きるか。
受けたからには、動く。
何か納得いかないことがあっても、
うまくいかないことがあっても、
演劇愛、それに従って、とにかく生きる。

今年度中に形になるはずだったものは、
迷走中。
夜中の打合に出かけていき、
着地点の見えないまま、打ち合わせの代わりになる雑談。雑談。
その帰り道。星の見える夜空の下を歩く。
出発点から目的地を結ぶ歩きじゃあない、歩き。
わたしの中の燃え立つ思いが、筋肉にエネルギーを伝えて、運動になる、そんな歩き。

古くさい言い方だけれど、
「のどから手が出るほど」やりたい仕事の話が舞い込み、
スケジュールがすでに埋まっていて、断らざるを得ない状況。
迷わず、「やります!」と言いたいのに、
わたしはすでに、別の仕事を請けてしまっている。

わたしの運命、迷走中か?

いや、運命論者じゃあないわたしは、「生きる」ことでなんとかケリをつけていく。

なーんて言っても、今夜は眠れないな、きっと。
だって、色々、色々、色々なんだものな。
ああ。


2009年12月26日 (土)

あと一息。

本年度、私塾の本稽古が終了。
帰宅して、家事を終えると、瞼におもしが。
リビングのヨガマットの上で、3時間ばかり寝入ってしまう。

ゆらりと目覚めると、
かたわらに転がったiPhoneが、
何件ものメール着信を伝えている。
それぞれに返信しなきゃあいけないのだけれど、
今日は店じまい。

個人レッスン、私塾の追加稽古などなど、外に出て行動する28日まででひとまずおしまい。

あとは、ただひたすら待つこと。
そして、ひたすらに準備すること。

年末から大晦日にかけて、おそらくずっと仕事をしているのだと思う。
けじめをつけて、時折は休まないとって、ワーカホリックの自分に言い聞かせるが、一番楽しい遊びの準備をしているので、ついだらだらと仕事してしまうのだ。

2009年12月25日 (金)

あるクリスマスプレゼントの話。

こんな、クリスマスプレゼントの話を聞いた。
30代男性の、小学校2年生の時のクリスマス。

クラスの生徒全員が、クリスマスにプレゼントを持ち寄って、交換しあうことになった。
昭和生まれの人なら、そんな経験があるかもしれないな、そう、みんなで輪になって音楽にあわせて隣にプレゼントを渡していく。プレゼントはどんどん輪っかを移動していって、音楽が止まった時に持っていたものが、自分へのプレゼントになるっていう、あれ。
小学校2年生だったら、わずかな自分のお小遣いで何か買ってくるか、両親に用意してもらうかで、プレゼントっていったって、たかがしれている。裕福な家庭の子だって、そんなに突出したものを用意するわけにはいかないだろうし、ね、保護者は大体気を遣って、周りとのバランスを取ろうとする。日本人だもの。
それでも、プレゼントはどきどきする。
すっごく大きな包みがあったりするとちょっと気になったり、きれいな包装がしてあると、自分に近づくにつれ、音楽よ止まれ!って念じてみたりする。そりゃあもう、一大イベント。

彼も、何があたるか、どんなプレゼントがもらえるのか、ワクワクしてその時を待った。
そして、彼の手の中にあったのは、ただの封筒。
開けてみると、クラスの男の子A君が書いた、キン肉マンの絵が入っていた。
下手くそな、鉛筆で線描きされただけの。

彼は、泣いて先生に訴えた。
みんなは、ちゃんとしたプレゼントをもらったのに、自分だけこれはないって。
こんなのプレゼントじゃあないって、何か違うものを持ってきてくれなきゃイヤだって、訴えた。
キン肉マンが嫌いなわけじゃない、キン肉マンは大好きだ、でも、紙に鉛筆でちゃっちゃっと書いたものなんて、プレゼントじゃあない!
彼は絶対に許せなかった。そんなのクリスマスプレゼントとして認めたくなかった。
A君も泣いていた。とっても困っていた。

先生は、A君に何か別のプレゼントを用意するように言ったらしい。
かくして、A君から、別のプレゼントが後日彼に渡された。
でも、彼はそれが何だったか覚えていない。

そして、A君は、小学校5年生で、白血病で亡くなった。

それから彼は、ずっとずっと後悔し続けている。
俺はなんで、あのクリスマスプレゼントを受け取ってあげなかったんだろう、って。

***

苦い苦い、思い出。
オーヘンリーみたいに、心あたたまる話ばっかりじゃあない。
気持ちは時に伝わらず、時にすれ違い。
誰かに何かをあげたいと思った気持ちが、行き場を喪って、12月24日と25日をさまよってる。

わたしも、今日はなんだかほろ苦い気分で一日を終えた。

でも、新しい戯曲が、すぐそばまで近づいてきている、密やかな足音も聞こえてきた。


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


たくさんの人が、クリスマスイブの中、眠っている。
たくさんの人が、クリスマスイブの中、眠らずに過ごす。
みんな、等しく、クリスマスイブの中にいて。

2009年12月24日 (木)

親指と薬指の法則。

このところ、私塾の稽古は、男性陣は集中力と技術を要する難しいテキストに立ち向かっているものだから、珍しく神経をぴりぴりさせて稽古に挑んでくる。
女性陣は、いよいよ公演が決まって、課題が山積み、何かと気ぜわしい。
わたし自身も少しリラックスしたくって、今日は芝居の稽古はやめて歌の日にする。

いつも歌って踊ってアップに使っているABBAとコーラスラインを、歌だけフューチャーしてみたり、この間秩父のミュージカルで使った歌をみんなで歌ってみたり。
メインイベントとして、歌稽古!ってなると緊張してしまうので、それぞれがカラオケで歌っている十八番を歌ってみた。
iPhoneっていうわたしの仕事仲間は、最近とみに優秀で、UTAMOというアプリではカラオケが引き出せる。おまけにキーチェンジまでしてくれる。音源はたいしたことないし、メロラインが消せなかったりもするのだけれど、たいしたことじゃあない。今日のレッスンでは、宝物アプリだった。

ふだん、何気なくカラオケで歌っている歌に、情景やイメージを与え、歌が自分の心のどこからこぼれてくるかを意識して、動きで声の距離感や方向性を出して、歌詞だけじゃあなく音楽が語っていることを感じて……と、色んなことを試していくと、知らず知らず声が変わってくる。歌に表情が出てくる。何より、歌っている本人がとっても楽しくなってくる。
ちょっといつもよりかっこよく見えたり、人の歌を借りて声をはりあげていただけのものが、自分の心の表出に近くなったりする。……これは楽しい。
自分の喜びが、聴く者の喜びにもなるようにしていくのが、歌い手の仕事のひとつだけれど、先ず、自分が揺れる自分が感じる、自分が歌う喜びを持つ、そんなことがやはり第一歩。
歌に物語を感じてちょっと振付して、ドゥーワップのコーラス隊がついて、動く背景が登場したりすると、もう楽しいったらありゃしない。
今日は時間切れでさわりしか出来なかったけれど、またやろう。
辛い稽古ばかりじゃあ続かない。
っていうか、やっぱり音楽は懐が広くって、歌うってことはやっぱり人に与えられた大きな生きる喜びだってことだな。
わたしは、幼い頃から、音楽がめっぽう好きだったくせに、歌にはコンプレックスがあった。もっといい声で生まれたかったと恨み言を言った時期もあった。今思えば、楽しみ方を知らなかったし、自分の声を出す器官の可能性を知らなかったのだ。
楽しみ方を教えてくれる人がいたら、どんなにか人生が変わっていただろうと思う。
でも、だからこそ、自分で色んなことを発見してきた。
これからは、わたしが伝えていく。


母は、若い頃から働くことを余儀なくされていたから、音楽や読書を知らなかった。
だからわたしが産まれる前に、胎教と称して子ども文学全集を買って(嫌々)読み、家にあったもらいもののソノシートを聴いて過ごしたと言う。
おかげでわたしは、言葉覚えが早くってすぐに子ども文学全集を読破し、次をねだったと言うし、保育園の頃から通った音感教室では、一度聴いたメロディーは楽譜に書けるようになった。
母は、すべては胎教のおかげと、いつも嬉しそうに自慢してくれた。
その娘は、その「おかげ」をしっかり生かし切れずに、なんだか失敗の人生を歩んではいるけれど、ようやく最近、落ちこぼれだからこそ出来る「人を導く」仕事を始めることができた。
……これからだ。

小さい頃から、ピアノを習わせてもらったけれど、わたしの小さな手ではオクターブが全く届かず、高校1年で早々とやめてしまった。運指が悪いからと手をたたかれ、歌いすぎたり崩しすぎたりすると叱られ、ピアノの稽古は苦痛だった。
ずっとピアノはわたしの人生から排除されたものと敬遠していたのに、一昨年病気で仕事を休んだ時、もう一度独学で始めようと思い立った。40代で、ハノンから。少しずつ、指が動くようになると、音楽を愛している分、どんどん楽しくなってきた。どんどん。

ある日。
「わたしの指、オクターブ届け!」と指を開いている時に、ふと、親指と小指で届かない鍵盤に、親指と薬指なら届くことを発見する。
なんということ!
わたしの親指・小指間より、親指・薬指間の方が広いじゃないの!
きゃあきゃあ騒いだ。部屋で踊った。ちょっと泣いた。
早速「乙女の祈り」の最初のフレーズを、覚えたての運指で弾いてみた。
感動した。
誰も教えてくれなかったことを、40代でようやく発見した。

好きなら、楽しむ道はある。
可能性は、求めなければ姿を見せてくれない。
探し続けること。

わたしは、この親指と薬指の法則を、これから色んな人に伝えていこうと思うんだ。

2009年12月23日 (水)

ぐらり。

わたしの入浴は、読書が定番だった。
どの一冊を持ち込むか、本棚の前であれこれ悩むところから、あったまる時間は始まっている。
それが、このところ、iPhoneの防水ケースを入手したものだから、映画を見るという選択肢が増えた。
本を読むに必要な、頁をめくるといった動作が、一切必要ない。
これはかなりいい。

試みにお風呂場の電気を消してみた。
ほぼ真っ暗な中でぬるめのお湯につかる。
ちょっと前リラクゼーションって言葉が流行った時に聞いた、羊水体験みたいだ。
iPhoneの小さな画面の光が、湯面に反映して、ゆらゆらするのも心地いい。
湯と肌の触れあう滑らかな音が聞こえる。

今夜選んだ映画は、「ククーシュカ ラップランドの妖精」
題名の妖精ってところにだまされると痛い目に遭う。
邦題はいつも信用ならない。
以下、あらすじをとりあえず引用。

フィンランド最北の地ラップランドで、ロシア軍とドイツ軍、 そして自国の領土回復のためドイツに同盟していたフィンランド軍が戦っていた頃のこと。平和主義者である フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは、戦争への非協力的態度に怒った戦友らによって罰としてドイツの軍服を 着せられた上、鎖で大岩に繋がれたまま置き去りにされてしまう。だが数日間の格闘の末、彼はなんとか身をふ りほどき、足かせをはめたまま安全な場所を求めて歩き出した。足かせと格闘中のヴェイッコを見ていた人物がいた。 秘密警察に逮捕されたロシア軍大尉イワンだ。軍法会議へと連行される途中、イワンは味方の誤爆によって重傷を負う。 その近くを通りかかったのが、ラップランドに暮らす女アンニだ。彼女は重傷のイワンを自分の小屋まで運び、看病してやることにする。 一方、足かせをはずす道具を探し歩いていたヴェイッコもアンニの家に行き当たる。ヴェイッコは、敵軍に捕まることを避けるため、 当面アンニの家に留まることにする。自分の小屋にかくまってやることにした彼女にとって2人は敵ではなく、ただの男たち。 ところが、それぞれが互いにフィンランド語、ロシア語、サーミ語しか理解することができなかった。 こうして、言葉のコミュニケーションはまったくとれないまま、3人のユーモラスでちょっと不思議な暮らしが始まった。 敵同士として対峙する男たちも人なつこいアンニのおかげで心をほぐされていく。だがある日のこと、事件が起こる……。

全く言葉がわからない三者のディスコミュニケーション。
久しぶりの男に性欲がほとばしって止まらない女、二人の男。
「あらすじ」にある「心がほぐされていく」なんて牧歌的なことは一切展開しない。
ただただ、ひたすらに、人間。
それだけでも確かに、わたし好みの苦さと哀しさ可笑しさの同居した映画だったのだけれど、最後の30分で、思わぬ落とし穴があった。

休戦を知って銃(もとより弾を充填してないものだが)を捨てようとするフィンランド兵を、銃を振りかぶって殴ろうとしたと誤解して撃ってしまうロシア兵。
銃撃してから真相に気づき、ククーシュカのもとになんとか彼を連れ帰り。
……そこからだ。
自分を久しぶりのセックスで喜ばせてくれた男を、ククーシュカは何とか救いたい。
ここで、なんと、呪術が始まるのだ。
おいおい、ここで呪術かよ?って感じに、呪術が始まるのだ。
祖母がやっていたことを、見よう見まねで。
俄シャーマンの儀式が始まる。
火を焚き、太鼓を打ち続け、犬の遠吠えを模し、息を吹きかけて風を起こす。
耳許で、振り返れ、引き返せと、話しかけ続ける。
画面には、三途の川ならぬ、ラップランドの荒涼とした山が続き、手引きの少年が現れる。
まるで、ゴドーを待つウラジーミルとエストラゴンの前に現れた少年だ。
まるで、あの少年、白い服着た……わたしが勝手に思い描くところのあの少年。
おいでおいでと少年は彼岸へ誘う。
黄泉の国へ旅立つかこの世にとどまるか。
此岸と彼岸の間でさまよう魂を呼ぶ、女の声。
生きている肉、生きている魂から溢れる、呼び戻しの声。
愛、という言葉がくすんでしまうほどの、力。
果たして。
彼は、此岸を選ぶ。

こんな恐ろしいシーンを、暗闇羊水状態で見てしまったものだから、わたしはちょっとしたトランス状態に。
ぐらり、ぐらりと、世界が揺れる。

現実に足を踏ん張って、金切り声をあげて生きてるような自分に、わずかにプリミーティブな力、原初的なエネルギーが戻ってくるような感じがする。いや、きっとこれは錯覚で、明日になればまたいつものわたしなのだろうけれど、今、この夜の時間だけ、ククーシュカという肉感的な生活感たっぷりの女に、呪術の魔法をかけられたのだ。

ラストシーン、物語は、あまりにも牧歌的な幸福のうちに終わる。
すごい台本。え? そう来るの? はあ……。
こんな強引な展開、なかなか書けない。小説よりも奇なる現実、よりもさらに奇なるフィクション。なのに、現実的だと思わせる力。
夜中に、ちょっとやられた。

明日はどんな一日だろう。
呪術なんて一切信じないわたしが、
夜中の風呂場で、すっかりまじないにかけられた。
それが何のまじないかは……わたし次第だ。
明日は、ちょっと違う自分になれるだろうか?
生きていると、面白いことだらけだ。


2009年12月21日 (月)

妄想から来年へ。

わたしは、この師走の日々に、
一本の戯曲を待っている。
来年10月、サンモールスタジオで上演する予定の戯曲。

昨年の10月、ある若い作家の作品のコピー台本をまとめ買いし、一気読みし、惚れ込んだ。
才能のある作家はいるだろう。
よく書けた戯曲だってたくさんあるだろう。
でも、理屈抜きに「やりたい」と心臓を掻き毟られるような気持ちにさせてくれる戯曲、作家は、なかなかいない。
彼はわたしにとってそんな作家だった。
読み終えた作品群を前に、それらを演出する自分、自分が演出して具現化する舞台を、妄想して、妄想して、やるしかないと心に決めた。
配達されない何通もの手紙を経て、半年後、作家への手紙を投函した。

彼は今、生み出す前の、激しい苦しみの中。
わたしは、何一つ口を出さず待っている。
「待つ」という行為を、こんなにヴィヴィッドに体験するのは久しぶりだ。
未だ聞いたことのない言葉、見たことのない物語が生まれてくる。
その時が来たら、わたしは動き出す。
その時が来たら、改めて、わたしを激しく揺さぶるこの作家について語ろう。

***

妄想でしかなかった公演が少しずつ実現に近づく中、
わたしは次を妄想する。
今度はミュージカルだ。
ベースになる物語をミュージカル台本にする作業も進み、もう少しで作曲家に声をかける時期がやってくる。

楽器は最小限に、親密な空間で、生声を生かして。
歌い手の心の震えを観客に手渡しするするように、
声が生み出す振動を、機械処理せずにそのまま観客の鼓膜に伝える。
メロディーが聞こえる。
リズムを感じる。
五線譜の中で音符が躍りだす。
五線が柔らかな曲線になって宙に伸びていく。

こういう妄想を膨らます時に必ず聞こえてくるのがアッキーの声だ。
彼の声には、PAしてしまうとはかなくも消えてしまう、特別な震えがある。
もちろん、PAを通して聞こえてくる彼の歌も比類のない素晴らしさなのだが、生の声には、機械がひろいきれない、生きている人間の生きている心が生む、その刹那刹那の声帯の振動の奇跡がある。
幸運にも、彼と同じ現場で仕事することで、わたしはその奇跡を知る人になることができた。
「PURE LOVE」を始めて口ずさんだのを聞いた時に。その伸びやかなオブリガードに。
「himself」の深夜の稽古場、ピアノを鳴らしながら、彼から生まれてくるメロディー=歌声に。
「エレンディラ」2幕ラストを歌い始めた時の、歌えば歌うほど深まる稽古場の静寂に。
「SUPER MONKEY」幕開きのナンバーに心を込めた時間に。
「ACCIDENTS」で痛んだ心を晒した、声にならない歌の起源のような震えに。
……わたしは、人が「歌」を与えられている奇跡を感じ、喜びを感じて、彼の歌を享受してきた。
彼の作ったヴァイブレーションが、何の濁りも邪魔立てもなく、我が鼓膜を震わせる、その喜び。

大好きな歌、大好きな声、愛する歌い手、もちろんたくさんあってたくさんいて。
でも。
今わたしが自分を託して待つ若き作家がそうであったように、胸を掻き毟られるように自分も震え、「生きている」ことをどうしようもなく思い出して、愛だの生きる苦悩だのに煩悶さえしてしまうのが、中川君の歌声なのだ。
そして。
わたしは、未だ生まれる前のミュージカルを妄想する時、いつも彼の歌声を夢想する。
生の声で、生の人間が、現実と虚構の間(あわい)で綱渡りするように生きている姿に、思いを馳せる。
……現実に出会う歌い手たちは、きっとハードルが高いだろうな。わたしの中には、いつも魂の震えるような声、天を魅了するような声が聞こえているから。
でも、表現者を導くのは、この妄想力だという気もしている。

あってはならない出来事から始まった2009年も、終わりが近づいてきた。
仲間たちは、元気だろうか?
わたしの2010年は、具現化の年になりそうだ。


2009年12月17日 (木)

ずきずき。

晩ご飯。
帰宅が遅かったので、急いで作っていたら、
鶏肉をそぎ切りするついでに、自分の親指をそいでしまった。
しばしの流血、止血の努力。
皮だけじゃあなくって、白い身が切れた方に分厚くへばりついていて、かなりめげる。
で、押さえつけてひっつけて、ビニテで止めて。
あとは、蘇生力を信じるのみ。

親指の先に、心臓があるみたい。
ずっとドックンドックンして。

POLYPHONICがいよいよ本番に向かう準備を始めたけれど、慣れない人たちなので、何かと意思の疎通がうまくいかない。
不慣れなだけだから、わたしがとにかく丁寧に真摯に向き合えばいいのだけれど、いやはや、なかなか。
親指の、ずきずきする先に、「人」と書いて、大事に見守るおおらかさを持てとの、戒めにしようか。

同時にスタートしている4月の公演の参考に、若き女性たちの友情もの映画を観る。
どこにでもある映画だが、悪くない。ぐっとくる。
わたしは、学生時代、誰とでも仲よくするくせに、特別な友達がいなくって、「わたしと友達になれる人はいない」とか嘯くイヤな奴で、ともあれ一人が好きで、孤独が友でありアイデンティティーだった。
青春期を思い返すと、なんだか大きな落とし物をしてきたような気がしている。今更だけれど。
落としたもの、捨てたものは、山ほどあって。
演劇という形で、あるいは音楽という形で、作品を作りながら、自分の喪ったものを拾い上げて息をふきかけ、命を込め、見つめ直す作業をしているような気分になる時がある。

2009年12月15日 (火)

時系列。

そうだ、実家の母に会いに帰るぞと眠った夜から、書いていないのだ。

何やら、書きたいと思うことが日々起こるのに、書かずに眠り朝を迎える気持ち悪さを引きずった一週間だった。

6日……日曜日。
母は元気だった。
記憶に障害はあるし、杖をつかないと立ったり歩いたりできないし、目も視野狭窄で不自由だし、「元気」という言葉は語弊があるのだろうけれど、久しぶりに会うわたしには、母を表すのに「元気」という言葉以外思いつかない。この前会った時と、まるで違う生き生きした母に戻っていたから。
この「元気」を支える父の疲労を心配する娘を、父は、
「しんどい言うとったってしゃあないやろ、おかげさまで元気やわ」と一蹴する。
世の中で、頻繁に取り上げられる介護の問題。
……我が実家では、介護なんて行われていなかった。
自分のことも人のことも、なーんにも出来なくなった母がいて、ぜーんぶを担当する父がいて、それが日常。かつてとは違う、今の日常。それが生活。
父と母は、世界で一番お互いを大事に思っている。思い合っている。その嘘のなさ、さりげなさに、驚愕する娘。
夜は昨年亡くなった祖母の部屋で眠る。
祖母の部屋は、片付けられず、そのまんま。
一晩目は、暗闇で祖母と対面する勇気がなく、電気をつけたまま眠る。


7日……月曜日。
母はよく食べる。
かつて、危ぶまれていた時期は、自分の口から食べ物を摂取することが出来なかった。
この先の生命のためには、とにかく食べること、といった時期に、小さなスプーンに載せた桃ゼリーを、わたしが舐め、母に舐めてもらいしながら、泣いた時もあった。わたしが泣いているのに気がついて、母が、ほんのわずか、頑張って食べてくれたりした。
それが、とにかく、よく食べる。
「食べて出すのが仕事やもんな」と言うと怒るのだが、実際そうで、人間の基本をしっかりやっている。なんて元気なんだ!
一日中を座って過ごす母の隣にわたしも一日中座り、iPhoneにやってくるメールを読んでちょこちょこ仕事したり、写真を撮ったり、老猫の声を録音したり、思い出話したりしながら、一日中一緒に食べていた。

POLYPHONICの公演で使う帽子を、父が母のコレクションの中から選んでくれる。
ゆうに100を超える帽子コレクションは、働く母を飾った美しい記憶の堆積だ。
わたしが安い感傷にひたっていると、「デイケアに行く時、毎回大変なんやで『石丸さん、今日はどんな帽子かぶってくるやろ』って、みんな楽しみにして見にくるんやから!」と、我が母のおしゃれは健在。
来年が勝負だと思っているわたしは(去年もそう思っていたが)、かつて自分がロシア土産に母に買っただるま型10体マトリョーシカを、「開運ために貸して!」と持って帰る。
母は、「勝負とか、開運とか言うて先のこと考えるあんたが羨ましい」と、悔しそうに唇をすぼめてみせる。

父の淹れてくれるコーヒーは美味しい。
わたしがコーヒーをこよなく愛するのは、わたしが父の娘だからだ。


8日……火曜日。
四月公演の台本を読み、一睡もせず、始発に乗り込む。
新幹線でうとうとして、帰宅してから仮眠をとって稽古へ!のつもりだったのに、品川駅で山手線ストップのため足止め。大崎駅で人身事故。
重い荷物に耐えきれず、喫茶店で時間つぶし。一時間半のロス。
12月になると、この見えない死の匂いで充満する東京。

結局、眠らないままPOLYPHONIC稽古へ。稽古後、青☆組の芝居を観に小竹向原へ。
いくら大人になっても、「成熟」という言葉が似合わないわたしには、少しやっかみたくなるくらいの劇世界が目の前に展開。小夏さんのことを、「この人は、激しい振幅を、ああ、こんな時間にこんな形に託してくるのか……」と、わたしとは見事に違う人のことを考えながら、隠れた激しさに思いを寄せる。目の前に描かれているものを味わいながら、描かれていないものをより深く心に摂取する。
ちゃんと、彼女に観劇後の報告をしようと思っていたのに、不眠だったわたしは、おそらく最も大事だと思われるシーンで目を瞑ってしまっていた。恐ろしいこと、無意識に。
逆に、恥ずかしくて忘れられない観劇体験になってしまった。


9日……水曜日。
来年、四月に上演する戯曲がようやく決まり、動き出す。急ぎ仕事にならないように、丁寧に時間を重ねていかなければ。
POLYPHONICでも、上演に向けて「楽屋」の稽古が進む。
一進一退。まだ積み重ねていける時期に達してはおらず、じっくりと地盤を固める。
最近、我が借家の目の前に7階建てマンションをおっ建てる工事が始まった。
毎日、その進捗を眺めて暮らす。
地盤、固めているわけです。
掘っては起こし、掘っては起こし、何やってんだろうなーと、大クレーン2台の勇猛な姿に釘付け。
そして、騒音とともに暮らすのが、我が日常になる。この理不尽な日常に、もうすっかり慣れてしまった自分がいる。


10日……木曜日。
久しぶりにきっちり、夕飯を作る。
なんてことないメニューだ。
海老フライに、ほうれん草のバター醤油ソテー、金糸卵を載せた和風野菜サラダ、厚揚げを焼いたものに、ジャガイモの味噌汁。
ようやく夕飯にありつけた家人が、あまりに美味しい美味しいと連呼してくれるものだから、嬉しくなる。母と父を思い、わたしにも、ここに生活があると、何やら胸が熱くなったりする。


11日……金曜日。
稽古後、敬愛する仕事仲間であり先輩、池上さんと食事。
思いつく、ありとあらゆることを話し、大好きなお酒を二人で囲む。
韓国人とミュージカルの仕事をした経験から、母国語による発声の違いを認識した池上さんの話を興味深く聞く。外国語を話すことで、広がる、自分の発声器官の可能性。
わたしも最近、同じようなことを考えていた。
そして、発声器官の、個人差、その可能性への興味は、深まるばかり。
わたしはもっと勉強するべきだし、命が続いていく限り、知らないことを知り続けたい。
とか、ただの酔っぱらいのくせに、思う。
そして、また一緒に仕事したいよ。早く。また、一緒に。
それまでは、音楽を、自分なりに愛し続けていくよ。


12日……土曜日。
POLYPHONICのための劇場探し、本腰。
稽古場おさえ、ネットが光スピードでも、時間のかかること、かかること。
この立ち上げ期が一番大変で面倒で苦手だが、このところ自分で全部やっている。
今度だって、きっとそう。
芸術的な仕事は捗らず、目の前の事務に追われる。
いつになったら、ここから脱することが出来るのかなあ。
キャスティングもかねて、かつての仲間の芝居を観る。
俳優であり続けるすばらしさ、味わいあるその馬鹿さ加減、強さ、勇気。
一緒に仕事をしたいという気持ちがむくむくわき上がってきて、止まらない。
新しく迎えた俳優志願者、第一回目の個人レッスン。
わたしは、演劇の喜びの、正しい伝道者たりえているかと、いつも自分に問うている。


13日……日曜日。
「花と嵐と女たち」公演後、はじめて秩父へ。


……時系列で書き始めると、
止まらなくなってしまうな。
もう眠らなければな。
もっとうだうだ書きたいのにな。
明日は、どんな一日だろうな。


2009年12月 6日 (日)

帰郷前夜。

来年の企画のために、やることが山積みで、どれから手をつけていいものやら。
まずは、3月4月を目指して時間を配分するものの、何かふわふわしており。
常に仕事机に向かっているのだが、量がいかない。
今夜も、戯曲を読んでいたら結局4時をまわってしまう。

明日は、母に会いに帰郷する。
動脈瘤手術と、手術の後遺症の脳梗塞で、
思うようにならない体と闘ってきた母。
手術後の眠りから覚めず、
医者から、覚悟をしてくださいと言われていた状況から、
医者が「奇跡です」と言ってしまうような目覚めを迎えた母。
目覚めた時は記憶がなく、
側につき添う父と改めて出会い、その献身ぶりに、二度目の恋をしたという母。
親不孝なわたしは、母に思い出してもらうまでに、長い時間を要した。

帰る時に、何か欲しいものがあるかと尋ねたら、
たださち子の可愛い顔が見たいという。
可愛いったって、もう50前のおばさんだよと答えたら、
いやいや、あんたは今でもとっても可愛いと言う。
その可愛い顔さえ見れたら何もいらないと言う。
そんなことを言うのは、世界でただ一人きりだ。
父は、もう少し現実を認識しているからね。

明日は疲れた顔で帰れないな。
今から眠って……新幹線で眠って……
と、睡眠時間を数えて、自らの老化に刹那的に立ち向かうわたし。

ああ、明日は母に会うのだ。

2009年12月 3日 (木)

日々の区切り方。

一つ夜毎かかっている仕事があったり、一冊夢中になっている長編小説があったりすると、何やら日々はあっという間に過ぎていく。そこには切れ目がなく、眠っている時間も何やら考えているような心持ちだ。
日々を区切ることを、きちんと書き記していけばよいのだが、それも忘れる。
生来の怠け者だからなんて言ったら父母に失礼だから、年を重ねるにつれ怠惰になった自分を責めつつも、区切らない生活を楽しんではいる。
目前の本番を二本抱えた10月では味わえなかった時間がある。

**

新国立劇場の演劇研修所で教えた生徒たちが、自分たちの企画でミュージカルを稽古場上演した。
ダブルキャストだったので、マチソワ両方を観劇。
教え子とは言っても実質つきあったのは2週間くらい。ただ、シーンスタディーで一本の作品をとんでもないスピードで一緒に作りあげたものだから、わたしは彼らをひどく愛しているし、彼らもまた慕ってくれているようだ。わたしの仕事を観にきてくれては喜んでくれる姿に、いつもいたく感動してしまったりする。何というか、一人で出直したばかりで、名前も権威も何もないわたしであるから、彼らと一線上で将来に立ち向かっている同士のような気持ちなのかもしれない。
そして、彼らの公演は、プロ中のプロが企画と指導を担当していたから、とっても前向きでピュアな作品に仕上がっていたのだけれど、残念ながら、歌が届かなかった。
歌、歌、歌。
言葉とはずいぶん仲良くなった印象の彼ら、歌ともう少し仲良くなってほしい。
生きていて、歌が生まれることを、もう少し楽に愛せるんじゃないだろうか。
そして、わたしは来年自分が企画しているオリジナルミュージカルのことを、改めて考える。
歌う喜び。
歌が生まれる喜び。
歌を聴く喜び。
それらを結ぶ物語。

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アジア舞台芸術祭に赴き、ありがたくも無料なのでPOLYPHONICの生徒も誘って小劇団のショーケースを観にいくが、客席があまりに空いていることに驚く。
企画の実現には、多額の予算が動いていると察する。
それなのに、なぜ、観客がいないのか。
もったいない。
観客は待っていても来ない。
イベントの意味を問いたくなる。
長らくの同士がパンフレットに名を連ねているので、問うてみてもよかったのだが、それをせず自分の日常にすぐに戻ってしまったわたしも、どれほどのものか。
……事業仕分けに伴い、地方の文化予算も案の定削られていくらしく、秩父での活動も今後は考え方を変えないと存続が難しくなりそう。そこに否を呈する人を一人でも作りたくって、ひたすらに「いい作品を!」と頑張ってきたけれど、「いい作品」なんて何の力も持たなかった現実を目の前にし、わたしは虚脱する。
闘い方がわからない。
その辺りの事情と闘うのが自分の仕事かどうかも分からず、また「いい作品」という考え方に戻ってしまう。それを安易と呼ぶか、自分の本質と認識して受け入れるか。

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ジュディさんが東京ローズを演じるのは素敵に違いないという妄想から、調べ物をしている流れで、未読だった「東京セブンローズ」を読み始める。井上ひさしさん、と呼ぶよりは、一緒に仕事をさせていただいたことがあるので、井上先生と呼んだ方がしっくりくるのだが、とにかく、井上先生に敬服しつつ、物語の渦に巻き込まれる時間と、歴史の中の生活者たちとの出会いに、震えている。そして、日本語への愛情を再認識する知的喜びと。
それにしても、わたしはせっかく井上先生と仕事をする機会があったのに、どうしてそれまでに作品をもっと読んでいなかったのだろう。
それが、40代前半までのわたしの、限界だったような気がする。
時間がなかった。
人よりずっと本を愛して読み続けてきたけれど、それでも時間が足りなかった。
かなり真面目に働いてきたつもりだった。
でも、表現者としての成長からは、少しずれた道だった。
50代目前、わたしはこの遅れを取り戻せるだろうか。

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POLYPHONICで使うABBAの「WATERLOO」、大好きな曲だが、それでなくても難度の高いシンコペーションに英語の歌詞がつくとより難しく、ひさしぶりに訳詞と譜割作業。
曲を知る、曲と仲良くなるという時間をちゃんと過ごして、歌に新しく生まれてもらうような作業の進め方は、サウンドオブミュージックで心と体を通してわかったこと。
時間はたっぷりかかるが、すべては楽曲への敬意から。
一曲、また一曲、と、その出会いが、わたしの生活の句読点になる。

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雨が降ってきた。
「雨が降っている。」と、宇野千代さんのように書き続けていこうと思うのに、怠け者は時々しか書かない。
「希望もなく、絶望もなく、わたしは毎日書きます」という言葉は、アイザック・ディネーセンのものだが、その凄さに、今更ながらに驚いたりする。
「書くということは、書かないということもふくめて、わたしの運命だ」とは、金井美恵子の小説の中の一文であったか。
そんな人生にはしてこなかった自分に、予感を運命に変えてこなかった自分に、少しがっかりする夜。


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