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2010年1月

2010年1月28日 (木)

1440分の進捗。

稽古稽古の毎日で、体調を崩す俳優たち。
わたしは稽古稽古の毎日+アルファーすごいけど、体調は崩さない。
……なんて、心ないことは言わない。
人それぞれ、体力は違う。
心を配り目を配って、みんなが心身が充実した状態で稽古が出来ることを心がけること!
本日、自宅療養の二人、早く元気に!

朝からメール連絡の返信をこなしてから稽古場へ。
遅々として進まない稽古場で忍耐稽古。
その間にも、どんどんメール連絡。
決定を待つ、山積みの問題たちに関して、
わたしが稽古している間にもどんどん進んでいる。

稽古場を移して、歌のWS。
池上さんと一緒だったので、もうどんどん進めていただく。
かけがえのない貴重なレッスンなのだが、それがどこまで伝わったか。
今日は時間が短すぎて、感触も淡かったが……
歌う喜びの伝道は、歌がたいしてうまくないわたしの、やはり大事な仕事なんである。
音楽の喜びは、心を開き、耳を澄ませば、誰でもわかる。
透き通った音でも、雑音でも、音には音の存在価値と主張。
人生で、どんな音を、どれだけの音を、享受して暮らすか。
自分の歌声が、骨伝導から空気の振動から、鼓膜を震わせる。
それがどんな歌声であれ、声帯の振動から鼓膜の振動へ、そのメカニズムこそ、神様からの贈り物。

そうこうしているうちにも、仕事はどんどん進んでいる。
一方、わたしも別件で、決める、選ぶ、仕事を進める。

帰宅はまたしても遅く。
昨日中にもらったメールへの返信をCCで一気に。
すると、3時半だというのに、プロデューサーから電話。
……今日も一日お疲れさまでしたと、心から。

一日で一人で出来ることはわずか。
でも、一人じゃあないから、一日でいろんなことが進む。
一日で出会った人が、今日もたくさん。
出会ったことが、ほんの擦り傷程度でもいいから、彼らの心に何かを刻みますように。

一日。
1440分の進捗。

2010年1月27日 (水)

雑記。

仕事の必要あって、トラ・トラ・トラを見直す。
子どもの時に見たうっすらした記憶が、今、鮮烈な太平洋戦争の認識に変わる。
この映画が、当初は黒澤明監督で始まったものの、降板に至った話はよく知られているが、このシナリオがほぼ黒澤脚本のままだということに驚く。
山本五十六が歴史を変える瞬間、読み間違える瞬間、日本兵たちの歪んだ目標に捧げられたとは言え、ひたむきな青春、生きることの意味、米国が暗号を傍受しながら真珠湾攻撃を防げなかった経緯、意味をなさなかった大統領天皇間の親書、日本大使館の不手際、開戦に向かわざるをえないとした両国の未だ見えざる真実。
偏向せずに描かれた脚本が秀逸。
公開は1970年。戦後25年にして、これが、日米合作であるということ。
本物とセットとミニチュアの、この映像は実にリアルで、歴史の是非を問う資料になる。これがCGのない時代に作られていることにまた驚嘆し、映画の底力を感じる。

TALK LIKE SINGING。
ニューヨークで幕を開けるとか、そんなこと一切気負わずに作られた、三谷作品色の濃いもの。いや、厳密に言えば、少し薄味の。
慈英の力業の水先案内で2時間。
それにしても、劇場に着いた時はSMAPのコンサート会場にまちがって入り込んでしまったような居心地の悪さ。
こうまで観客席が偏向性を持っていると、演劇って一体なんなんだろう?って思う。
香取くんが体当たりで演じる、「歌がなきゃ、生きてる感じがしない。」ええ、その通り。その通りよ。
伝わったかな? そのピュアな喜びが、あの観客席に。

明日は、歌のWSでSeasons Of Love A を歌う。
歌を演出するのは、最近の大きな楽しみ。
歌のない人生なんて。

2010年1月22日 (金)

仕事とひと括りにできないあれこれ。

私塾の稽古で、長い長い間、あの手この手で魅力を引き出そうとしてきたのに、なかなか応えてくれなかった俳優が、突然ぐぐっと変わる。
どれだけか頑張ったんだなあ、とかわいく思う気持ち、高まる。
俳優には、この、「ある日突然」がある。
地道な稽古が実を結ぶ時。
ある日突然を生む、蓄積。


もう一人、個人的な事情で公演に参加できない女優がいる。
このところ、稽古の主流からはずれて、一人別の課題に立ち向かっていた。
稽古の終わり30分で、魂の震えるような芝居を見せてくれる。ふだんの彼女を知っているととても想像できない瞬間が生まれる。
自分が導いた結果とは言え、感動して感動して心が揺れまくる。
演劇ってなんて奥が深いんだろう。
なんてなんて、人間なんだろう。


公演の稽古は、なかなか進まない。
激しく時間がかかる。
演出方針はすっかり出ているし、いやもう口が酸っぱくなるほどしゃべったし、
目指すところはわかってくれているのだけれど、
自分の心と体で、できない人たち。
もう、ただひたすらに時間をかけて時間をかけて、稽古を積むしかない。
獲得しては失う、思い出しては忘れるの繰り返しにつきあう。
出会った人たちと、添い遂げる、心中する、覚悟。
そりゃあ大変だけど、覚悟。


10月公演の戯曲を書いてもらっている作家に会いにいく。
昨年末までにあげてもらうはずだったものが、大変な難産になっているが、それもまたきっと意味のあることなんだろう。生まれてくる戯曲の方が時を選んでいるのだと信じ、わたしは待っている。
目の前の作家が、今生きているすべて、その呼吸、愛と憎、ありとあらゆる刹那の偶然が作品をいずれ連れてくると思うと、身震いしてしまう。
たまらない。わたしは待つ。生まれる瞬間を待っている、大いなる偶然を。


4月に上演する予定の大仕事は、着々と、とは言い難いものの、地道に一歩ずつ進んでいる。
あまりにも大変だし、冒険だし、博打だし、でも、信頼できるプロデューサー陣と一緒に仕事をしていると、演劇への愛情がふつふつと湧いてくる。
どうか、この純粋な気持ちのままで、仕事を続けられますように!
眠りを、とことん削る日々だが、2時3時を過ぎてメール連絡しても、ガンガン返信が返ってくる。
わたしひとりじゃない。一緒に闘っている。
自分のささやかな、けれども恥じることはない、経験値と愛情を、捧げようと思う。


わたしは、ただひたすらに仕事をしているようで、仕事とひと括りにはできない喜びと愛情の中で暮らしているように思える。
幸せだよ。こういうのは、たぶん。
と、遠く関西方面の実家でもう眠りについている、母の方を向いてつぶやく。
病気と出会って、ちょっと元気がなくなってしまった母だけれど、元気だった頃の生命力、エネルギーは、全部わたしが受け継いでいる。
この小さな愛情の確信が、大きな愛情への勇気。


2010年1月18日 (月)

水仙みたいに。

昨日、助けられてるぞわたしは、ってしみじみ思っていたら、また今日も助けられた。
相談にのってくださいとお願いすると、「今日たまたま休みなのよ、会おう!」と向こうから言ってくれる。わたしの一大事に、「そりゃあ大変、なんとかしなきゃ」って目の色を変えてくれる。
わたし、どんだけか頑張んなきゃ、でしょ。
って思っていたら、石丸さんが頑張り過ぎないでいい体制を作ろうと、身を乗り出してくれる。

自分が何を頑張ればいいのか、どこで力を抜いて、何に力点を置いて、近くに何を見、遠くに何を感じるのか。
冬の冷気に背筋をただす、水仙みたいに凛と立って、静かにわかってなきゃあ、と思う。


……このところ、どうもきれいごとばかり書いているような気がして、読み返して気恥ずかしくなるのだが、何か、こう、わたしはどうやらそういう時期であるらしい。自分を情けなく思ったり、それでいて自分を信頼する気持ちを高めたり……わかっているのは、少し先に行きたい、もう少し足を伸ばしたい、遠くのものを掴みたいと、欲望を強くしている時期だということ。
それは何やら、思春期の如く。それもまた気恥ずかしく。


わたしの個人レッスンを受けて、演劇を志したばかりの女性が、自らと出会い直す中で泣く。
演技することを知ろうとしたら、どうしたって自分と向き合って、自分を知り直すことになるわけで。
で、わたしは、あえて土足で人の心に入ることをする。
えてして人の心をかき乱し過ぎるのだけれど、それでも、ぐいと扉を開けて入る。
そして、私塾の俳優たち。
稽古でこてんぱんにやられて、悔しい思いをして、それぞれ家路につき……みんなどんな風に夜を過ごしているんだろうと、よく思いを馳せる。
布団に入った時、ふと自分の来し方を振り返ったりするんだろうか?
現在の自分を疎ましく思ったり、悔し涙を流したり、眠れなかったりするんだろうか?
センチメンタリズムではなく、明日をより強靱に生きるための希望や夢を、持ち続けてほしいなと思う。
……わたしは、若い頃、弱くって弱くって、俳優を続けることができなかった。
自分が出来なかったことを、人に託しているのだろう、わたしは。

2010年1月17日 (日)

助け合うこと。

ここのところ、多くの人に助けられて暮らしていることを、実感、また実感。
出会った人の笑顔に救われること。
面倒だなどとひと言も口にせず、協力してくれる方たち。
仕事とは言え、強力にサポートして仕事をしやすい環境を作ってくれようとする人たちとの、新しい出会い。
そしてまた、ずっとわたしを支えてくれた、先輩たち。

大きな仕事を前にして、
新しく出会った人たちに、
ずっと頼りっぱなしの人たちに、
しばらく会っていなかった同志たちに、
わたしは、よし、頼るぞ、助けてもらうぞ、と、前向きに思う。
一人の力で出来ることは、人の力を借りると、もっと素敵に、大きくなるからね。

そして、わたし自身も、分身の術を使って、
山積みのやるべきことをこなしたい。
一人じゃあ足りない。
もう一人わたしがいて、助けてくれないだろうか。

***

ハイチの地震に、胸が痛む。痛み続ける。
それにしても、これほど地震の恐怖と隣り合わせで暮らしている国なのに、支援の手が遅くて緩いのはどういうことだろう。
iTunesから届いた米国赤十字の救援金のお願いに、少額ながら参加しつつ、こういうことが、この国のメディアでもっと上手に出来ないのかしらと歯がみする。
誰もが人の子であり、大事にする人を少なからず持っていることを考えれば、助け合うということはもっとシンプルに出来る気がするのに。
今は小沢問題で、日本はそれどころじゃあないのね。
くだらない。
ただ、わたしの人生は、政治とほど遠い。
芸術に携わる身で出来ることは何か、もっと真剣に考えろ、わたし。

2010年1月14日 (木)

眠りの前に。

深夜作業、深夜打ち合わせが連日。
ここが頑張りどころと、思っている。
ゆとりを持とう。
人とまっすぐに知り合うゆとり。
景色をまっさらの目でみるゆとり。

祭りの中にいて、
踊りの中心にいながら、
華やかな祭りの周辺の静けさに気づいていること。
踊る人の汗と、吹いてくる風の行く末に、
同時に思いを馳せること。

2010年1月12日 (火)

ありがとう。

私塾の公演で、出演者の一人が、体調を崩して降板することになってしまった。
一緒に、ずいぶんたくさんの時間を稽古場でともにしてきたから、淋しくて悔しくてならない。
人の思いを自分が引き継ぐことなど、もちろん出来ないのだけれど、無念さはわたしとほかの出演者で、舞台成果として昇華するよりない。

********


今日も、一日を元気に終えるということの、素晴らしさよ。

この元気が、また新しい仕事を呼んできてもくれた。

悲喜こもごもの毎日。
身悶えして悩む現実問題もあるし、
埋められない自分の不勉強にほぞを噛むこともある。
それでも、希望を持つこと、夢を見ることは、わたしの前に自由だ。

そして、わたしを支えてくれるたくさんの人たち。
感謝で胸が熱くなる瞬間が、最近、何度もあった。


今日も一日、元気に終えることができた。

ありがとう、って、誰に言えばいいんだろう。
ちゃんと毎日、伝えたい。

2010年1月 7日 (木)

小さい人、奮闘。

松の内もそろそろ終わりが近く、世界が動き出した感じ。
わたしも今日が稽古始め。
公演が近づいてきてモチベーションがあがってきている俳優たちが頼もしいが、わたしから見ると、まだまだまだまだ普通過ぎて、はっぱをかけまくる。
生徒たちとやる公演だからって、適当なことなんかするもんか。
一緒に天国と地獄を見なきゃ。

お正月で休みをとって、
新しい年に、気持ちも清新になって、
人の心も凪いでいる時期かと思っていたら、
満員電車は小さな悪意の温床で、
なんだかちょっと暗い気持ちになる。
いや、暗くはなりゃあせん、
不愉快なのだ。

戦争のような大悪も、
人ひとりが生む小悪も、
世界を歪ませることにかけては等価。
人を傷つけることにかけても等価。

***

年明け早々、わたしの周りは賑やかだ。
なんだか仕事がいっぱいでありがたい。
とにかく、ひとつひとつ、誠心誠意やっていくほかない。
新年明けて、台本を読みまくってる。
メールを書きまくってる。
電話しまくってる。
で、考える、想像する、企画する、発注する。
……いやはや。

めったに人を褒めない家人が、
「小さなからだでよくやってるねえ」と、褒めてくれて嬉しかった。
身長が彼とは30㎝近く違うから、
わたしのように小さな生き物があれこれ仕事してるのが、
単に不思議なのかもしれぬ。


2010年1月 3日 (日)

揺れる。

悦ばしいこと、
不安なこと、
すべきなのにできていないこと、
心躍ること、
心沈むこと、
思い溢れるのに通じないこと、
叶わないこと、
寄り添えないこと。
あまりに千々に揺れるので、
ふわふわとして、
新しい年と、まだ不仲なような気持ち。

そんな中、
最もわたしをなだめてくれることが、
実にちっぽけなことで。
黒豆が、
人生で一番おいしくたけたこと。
料理を始めて30年余、
最も上手に。
ふっくらと、
つやつやと、
はちきれんばかりに。
しわひとつなく、
脆くて心許ないほど柔らかな内側が、
しなやかな弾力を誇り、
微塵の不安も感じさせない表皮に包まれて。
過不足のない甘さ、
畑で穫れたものの旨み。
漆黒の美しさ。

わたしの懸命な毎日も、
どれほどのものかと泣き出しそうな時間、
黒豆を見つめて過ごす。
iPhoneで思わず写真を撮る。

大きな鍋の中、
小さな器の中に、
完璧なお正月があって、
そんなささいなことに、
わたしは救われる。

Img_6807

2010年1月 2日 (土)

2010年、始まる。

また、新しい年を、無事迎えることができました。
なんてしあわせなのだろうと、思います。
少しでも、争いの少ない、
強引に人の命の奪われること(お願いだから!)少ない、
現行の戦争が収拾に向かう、
新しい戦争の起こることのない、
世界であれと、
子どものように願います。
本当に、愚かしく、バカみたいに、子どものように、祈るだけ。
大人になっても、力のない社会人は、ただ祈る。ひたすらに。


新年は、ひそやかに風邪などひいて熱っぽく迎えた。
仕事をしている時に体調を崩すことのない昨今だから、
まあ、この時期は、当然と云えば当然か。
そして、今やっておけば、この一年、まあ風邪などひかずに乗り切るであろうから、これは春から縁起がいい。

仕事をしている正月を懐かしく思い出したりする。
商業演劇をやっていた頃だ。
30日にGPを終えて、1日リハの2日初日とかやってたな。
喉元過ぎれば熱さ忘れるどころか愛しかったりするのが、
初日看板病欠交代事件。
正月早々、交代稽古をして、わたしは大声で仕切りまくって、
初日の舞台では、暗転でいそいそと茶箪笥の裏に自分でスタンバイし、
舞台上でプロンプをつけた。
「楽屋」の稽古を初めてから、我がプロンプ人生を何かと考える。


年末から、今年前半期のスケジュールがぐらんぐらんと揺れて、
何やら落ち着かない日々だった。
Photo_3
このところの「ツキ」が落ちてしまったかと我が身を危ぶみ、
年の瀬に明治神宮にお礼参りをしておく。
明治神宮で鳥居を守っていた寅が勇猛果敢で素敵。
今年はこの面構えでいこうと心に決める。



そして、1日、近所の八幡様にお参り。
ここ10年ほどの習慣。
昨年、こんなお神籤をひいた。

見通しが明るく物資的にも恵まれて周囲の人達の支持も得られます。ちょうど太陽が輝くような盛んな運気。 何をやっても順風満帆、いまこそ全てに積極的に行動を起こす時です。 ただし心のおごりや調子に乗りすぎて反感を招くことのないように。大いなる運勢のもとで将来の原資をつくれ

まさに、そんな日々だった。
ACIIDENTSが成功して、挨拶をと云われた時に、思わず「今年ひいたおみくじに、何でもやれやれ大丈夫だと書いてあったので」と、間抜けな話をしてしまうほど。

その効力や落ちたかと、自分の運勢に疑問符を投げていたら、
今年はこんなお神籤をひいた。

友人や知人の協力を得て希望がかない喜び事も多い素晴らしい好運を掴めます。 何事も機先を制して一歩先に手をうてば願望はととのいます。しかし資金を必要とすることの多い時でもありますのでその準備も怠らぬように。 強い運気を逃すことなく積極的な動きで明るく過ごせばさらに幸運。

こりゃあ、また張り切って生きていくしかないなあ。

そして、いい歳して、子どももなく、自由な身の上だから、
少しでも人の役にたつ人生であり日々であろうと、
年頭、まじめに思ったりする。
わたしはしょっちゅう、ふまじめを気取り、クールに装うが、
一皮むけば、面白みのないまじめな人間で、心熱いことだけが実は取り柄だったりする。
今年は、夢見たり、かっこつけたりしながらも、自分らしくいこう。

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