劇場入り。
「楽屋」仕込み。
マンションの一室のような空間に、闇を作るのがひと仕事。
なんたって、窓の向こうには、新宿西口の高層ビル街を一望し、扉を開ければ、富士山がくっきりと見える。なんたって、中野富士見町ですから。
そこに、女優たちの闇を刻み込む準備。
お金がないから、すごいことは出来ない。
電気の容量がないので、照明さえたいして吊りこめない。
それでも、わずかなスペースと、照らしてくれる明かり、俳優がいれば、そこに劇場は出来る。
わたしは、ここで、わたしの仕事をしよう。
昨日は、新国率演劇研修所三期生の卒業公演を観た。
あの若い彼らが、若い心と体のままに、世代を演じて存在し、世の不条理の中に当たり前に生きてみせる。
生徒のひとりが、「石丸さん、不条理劇って何なんですか? 何だと思います?」って電話をしてきたことがあった。
わたしは、そりゃあまず「演出家が稽古で話してくれることを聞けばいい。」って答えたのだけれど、おまけに少し、生きてることそのものとか、与えられた人生時間とか、現代とか、社会とか、世の中が、とにかく不条理だらけ、不条理まみれだってことを、語った。
よく書けた戯曲には、ほつれや謎がある。
概ね会話で物語だの時間だのを進行していく戯曲では、予定調和みたいなものがいっぱい存在しているけれど、で、それはそれでほぼ確信犯なのだけれど、わたしは、あまり好きではない。
この複雑怪奇な人生を、あまり単純に切り取ることより、その複雑さの重層の中に、何かを感じ取ってもらう方が好きだ。
話がそれたが、彼らはまさに、その不条理の中に飛び込んでいく。
一緒に芝居を作った時に、よく彼らが幸福なモラトリアムの時期にあることを話したが、いよいよその柔らかな殻は破け、演劇界に飛び出していく。
いつか、またどこかで一緒に闘う時のために、わたしも真摯に進んでいこうと思う。