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2010年3月

2010年3月31日 (水)

人生の書き換え作業。

4月に出会った私塾のメンバーと、明日、最後の稽古。
その半数は、また今期も少しずつ稽古に通ってくることになったが、
これでしばらくお別れの人もいる。
別れるというと何やら淋しすぎるので、分かれると言っておこう。
眠る前に、彼女たちに送る、ひと言を選ぶ。

わたしは、俳優を教える場を作ったと同時に、人が出会う場を作ったのでもあったのだな。
出会いは、前向きな人生の書き換え作業だ。
わたしと出会うことで、変わった人たち。
そして、今のわたしは、彼らに会わなければ、なかった。

明日は、普通に稽古して終わる。
そして、一週間後には、新しい出会いがまた、待っているのだ。

2010年3月30日 (火)

女はね、夢と憧れって名の欲望で、できてるんだよね。

1年の区切りが近づいているので、柄にもなく、わたしはちょっとセンチメンタルな気分になっている。
ただ、センチメンタルなまま日常を過ごすことは無理で、やたらと働いている。今日は事務。事務。ほぼ制作の事務作業。

先日観た、広崎うらん嬢のダンス公演で、八十代重本さんが見せた女。
今日観た、二十代女性監督と二十代主演女優の映画。若き女たち。

女は、ひたすら始末が悪い。
女は、どこまでも面倒な存在。
でも、これははっきりしている。
男気をよく誉められるわたしだが、
わたしは、それはそれは女で、
女でよかった、とも思っている。
これからどんな女であるのか……
ずっとずっと、自分の女と向き合っていく。

2010年3月26日 (金)

とても懐かしい世界の愛し方。

青☆組の吉田小夏さんにお誘いをうけて、キコという劇団の旗揚げ公演「はなよめのまち」を王子小劇場に観にいく。
劇場に入り、自由なスペースにタッパがあって、いつもながらいい劇場だなと思う。芝居が始まると、声の返りも肉声を伝えるのに丁度いい。
そして、作品に、深く深く心を奪われる。
ここではないどこかを希求する心。
憧れを希望に変えてためこみ、革命を志す魂。
美しいものを美しいと、隣の誰かとともに感じる幸福。
手を伸ばし、触れる、畏れと悦び。
もしかしたら、今のわたしはすでに喪ってしまったかもしれない、
とても懐かしい世界の愛し方。

ここではないどこかで、映画を観ることを夢見た少女が映画に内包されて、
誰かの手を求めてさしのべるラストシーンが凄まじく美しい。
世界中で、今この瞬間も、みんなみんな、そんな風に手を伸ばしているのだ、きっと。

作者であり演出家である小栗さんの、この世界を愛してやる!って気持ちが、
熱を帯びているのに清々しい、不思議な清潔感を持って、迫ってくる。
今生きてるこの世界を、こうして生きてる自分の生を、
愛したり罵倒したり、闘ったり許したり。
高みからひいて見るのか、
その渦中に身を投じてみるのか。
どうであれ、生きてるからこその、自分の中の熱くでっかい塊を、
世界に晒して、見物してもらうこと。
……なんだか、演劇を作り始めた原点みたいな気持ちを思いだして、
火照った心で帰ってきた。

さて。
わたしの企画も、吹きすさぶ嵐の中を邁進中だ。
一本目。
二本目。
少しずつ、進もう。


今日は雨がやんでしまったので、もう4時だというのに、
うちの前では掘削作業が延々続いている。
我が勉強部屋は、揺れる揺れる。
目の前にヘリポートがあるかのような騒音の中。
3月末までと言われていたこの深夜工事、
ポストに投げ込まれたたった一枚の紙で、
6月まで延期と告げられた。
眠れない夜が続く。

2010年3月23日 (火)

多声部の喜び。

あれやこれやの宅内作業、ひたすらにこなす日々。
地味な事務作業に、一通に一時間以上かかってしまう大事なメールたち。
どっさりあったTo Doをひとつひとつあげていって、チェックマークをいれるささやかな満足感。
ものすごーく大事なことをひとつ取りこぼしてしまったけれど、それは明日。また明日。

こういう忙しい時ほど、つい手をつけて燃えてしまうのが、打ち込み作業。
市民ミュージカルと私塾で、打ち込み候補が二曲あって、一曲は完成。
もう一曲は鋭意打ち込み中。
Finaleを使い始めたのはつい3、4年前だけれど、よくもまあこんなに短い間に使いこなせるようになったものだ。
今や、コンパクトなMIDIキーボードにワイヤレスキーボードとワイヤレスマウス、iPodtouchがテンキーになるアプリまで出てきて、打ち込み環境は快適この上ない。
右手で音を鳴らして、テンキーで音価を決めて、さくさくと楽譜を書いていく。
複雑な楽譜も、こうして写譜していくと、作曲家が何を聴きたくて、何を選び取っていったのか、ただ楽譜を眺めているよりずっとよくわかる。
Finaleで打ち込みが終わったら、そのMIDIデータをLogicProに流し込む。
あとは、テンポやヴェロシティーの調節。これもまた地道な作業だけれど、楽しい。実に楽しい。
ただ、どんなに手際がよくなっても、時間がかかる。つい凝ってしまうし。
……なぜ、忙しい時ほど、この仕事に手をつけてしまうのか。
これはもう、ただただ音楽が好きだとしか言いようがない。そして、楽譜フェチ。
美しいシンフォニーの楽譜など見ていると、意味なく打ち込みたくなってしまう、写譜してしまう。
五線を横に追っかけることと、五線を縦に束ねて時系列で追っかけることを、同時に楽しめる。
……そんなこんなで、自分の集団に「POLYPHONIC」という名称をつけてしまったのだな。
多声部が、自立して響き合う。
主声部があって副声部があるのではなく、独立した声部が響き合って、新しい地平が開ける喜び。
ほら、わたしが好きな演劇に似ているわけだ。

今週は、稽古して、芝居を観て、個人レッスンの出会いがあったり、一年の私塾の総まとめだったり。で、合間には、先の企画を愛でて愛でて。
また、一週間が始まる。


2010年3月20日 (土)

責任。

窓外で、春一番が吹き荒れる音のする休日。
久しぶりの稽古休みは、とにかく家を出ずに、ひたすらにPCに向かって仕事をする日。
やるべきことが、たまりにたまっている。
今日一日で、どこまでクリアできるか。

昨日の夜、二通のメールが届いた。
別の場所で、わたしが教えている、二人の20代女性。
わたしを通して演劇と出会ったことを、とても喜んでくれている二人。

一人のメールに、書いてあったこと。
新しい挑戦をするのに、先生の稽古場での言葉が後押ししてくれた、と。
わたしが歌のレッスンで、地声から裏声のチェンジボイスを教えている時に、
どうしても声がひっくりかえってしまい、笑われた女性に言った言葉。
「何でも必ず初めは恥ずかしい思いをして成長していくんだよ」と。
わたしは稽古場で、とにかく色んな言葉を発しているので、
その言葉は、わたしにとって海の中の一滴。
でも、彼女には、ひとつの決心をするための、大きな言葉になっていたわけだ。

どちらの女性も、とても感じやすく、傷つきやすく、
世間に対しては、怖さのあまり、排他的な態度や顔を見せることもあるのだけれど、中身は何とも柔らかくて美しい。
わたしは二人がかわいらしくて仕方がない。
自分がまだ折れやすかった頃のことを思い出す。
彼女たちの心についている、感度の高いアンテナが、
わたしの言葉と生き方を、いつもキャッチしようとしているのだ。

***

わたしは、こうして、いつも稽古場という公の場で晒されている。
その責任を、いつもいつも、忘れずに覚えていなければ。

と、気合いをいれたところで、今日は仕事する。
とことん、仕事するぞ。

2010年3月17日 (水)

まいったな。

あれこれにバタバタしていて、俳優私塾四月からの第二期生募集開始が、すっかり遅くなってしまった。
で、サイトの書き変え、宣伝など、慌ててこなしていく。
紙媒体の宣伝が間に合いそうになく、今年はWEBだけで果たして集まるのだろうか?……と弱気になったが、いやいや、運命の神様はきっと今年もいろんな出会いをわたしに授けてくださるだろうと、泰然自若の構え。
きっとネットで初めて知る人には参考になるだろうと、今通ってくれている俳優たちに、「一年通った感想とか、POLYPHONICの魅力を書いてほしいのだけれど!」とお願いしたら、今日はこんな文章を送ってきてくれた。
まいったな。
感動しちゃって。
やばい。
夜中に、気合い入りまくる。
明日も稽古だ。うれしい。

2010年3月16日 (火)

静かな雨の夜。

我が家は今、騒音とともに暮らしている。
目の前の8棟が取り壊されて、7階建てマンションの施工が始まり、毎日朝の8時過ぎから騒音が我がベッドルームを襲う。このマンションが完成すれば、お気に入りだった新宿の高層ビル街が窓から見えなくなるし、うるさいし、いいとこなしなのだけれど、引っ越しはしない。現在の住まいが大好きだから。
と思っていたら、今度は、目の前の商店街の電線を地中に埋め込み、電柱をなくして景観をよくするという工事が始まった。なんとこれは、夜中の作業である。平日の23時から始まって5時まで激しい騒音が続く。深夜に仕事しまくるタイプのわたしは、これにはどうしても慣れることができない。
家人が、役所と警察にかけあってくれたが、一笑に付される始末。
役所も警察も、個人が安らかに暮らす権利は守ってくれない。
で、我慢して暮らしている。

ただ、今夜のように、雨が落ちてくると、期せずして静かな夜が訪れる。
施工期間が一日延びるだけなのだけれど、それでも、仕事に追われる身としては、この静けさがありがたい。聞こえるのは、雨音だけ。気分転換に台所に仕事場を移すと、冷蔵庫のうなる音が、寂しさを消してくれる。わたしはこの、夜中の冷蔵庫が大好きだ。ぶうぅぅぅぅぅぅん。

俳優私塾の第二期生の募集を、遅まきながら始めた。
昨年は、何もないところから立ち上げるのに、ずいぶん時間をさき、財布を寂しくし、心を砕き、苦労したものだけれど、今は大事な人たちと出会う場を作れたことが自慢だ。
そして、教えるということが、わたしのこれからの大事な仕事のひとつだと自覚も持った。
愛情が深い分、人として真剣に向き合う分、わたしの稽古は決して無駄にならないと自負しているが、そりゃあ駄目な部分もいっぱいあった。生徒たちは、よく着いてきてくれたと思う。
よく笑い、よく泣いた。これでもかってくらい笑い、これでもかってくらい泣いた。
出会ってしまうと、出会わないことなんて想像もできない、この、人との出会いという宝物。
今年もまた、いい出会いがあるようにと、心から願う。

2010年3月15日 (月)

焦らずに進めばいい。

中川晃教 MEETS 青山学院という、
学生が学生の手で企画主催したライブにお邪魔した。

稽古場や舞台で一緒になるものの、
中川くんのライブに行く機会の少なかったわたしは、
かなり緊張して、そわそわして、客席に。
学生主催ということで、客入れから開幕から混乱の様子がありありと、で、
これは本番を迎えるまでに相当苦労しただろうなと想像しつつ。

ステージで、
出演者が音楽でコミュニケートする。
ステージから、
出演者が観客とコミュニケートする。
音楽で、問いかける。
音楽で、応える。
音楽で、喜びあう。
その素敵さを、素敵なまま観客に伝えようとする。
……そのすべてを、中川くんが心と体をフル稼働させて、
教えてあげているような、
いや、教えるといった大上段に構えたことではなく、
伝えているような、
そんな時間だった。
音楽家として、アーティストとして、エンタティナーとして、
プロであるということがどういうことなのか、
学生たちは、中川くんからきっと受け取ってくれたに違いない。

表現者が知っておくべき、コミュニケーション能力。
昨日の学生たちがまだ持っていない、最も必要なもの。
中川くんが仕事を重ねて大きくなっていることを実感。

いい仕事をしているなあ。
大変だったろうということは、そりゃあそりゃあ、想像できるけれど。


そんな風に、演劇人として、同業者として、見守りながらも、
わたしは、ピアノ一本の「焦らずに進めばいい」が聞こえて来たとき、
突然、心臓がドキドキして止まらなくなってしまった。

「himself」の冒頭の曲だったから、
歌詞も全部知っているし、
映像キューとかいっぱい出していたから、
曲の構成もコード進行も、すべて記憶に残っている。
それなのに、
初めて聞く曲のように、胸を打たれた。

運命はリボンさ 出会うべきものと結ばれている たとえば キミとボクのように

焦らずに進めばいい
夢も恋もみんな 逃げたりしないから

と、彼は歌う。

まだ20代前半だった彼が、
この歌詞を、
このメロでこのリズムでこのアレンジで歌ったことに、感動。
最近もてはやされる、応援ソングみたいな単純な優しさではなく、
体の中の、生きているからこそのリズムが、
焦るな焦るなと、時を刻んでいく。
一歩一歩を味わいながら、
日だまりの中を進んでいく感じ。
他者に語りかけると同時に、
自分にも語りかけながら。
オケでしか聞いたことのなかった曲が、
彼のピアノ、彼の内臓リズムで、
生まれ変わっていた。

この曲との改めての出会いに、
心が洗われる。
運命のリボンが、五線にのって、わたしに優しく絡みついてくる。
わたしから、運命のリボンがするすると伸びていく。
どこを目指しているやら。
その行く先に、微笑んでみる。
そう。焦らずに進めばいい。

***

自分の体ではちきれそうになっている、
無数の、喜・怒・哀・楽を、
ほとばしらせるように歌うことも。
体が浮き上がりそうに見えて、怖いくらい。
歌声は時に、炎を呼ぶ導火線であったり。
強靱にピンと張った琴線であったり。
頬を撫でる風であったり。

わたしは恥ずかしいので、客席でじっとおとなしく聞いているのだけれど、
ブーツの中で、ずっと足指がリズムを刻んで踊っていた。

演劇やコンサートのよさって、
記録メディアではほぼ伝わらないもので、
その時にいた観客と表現者が作る場所と時間の一回性に美しさがあると思うのだけれど、逆に、いいものを観たり聴いたりしてる時って、わたしは、よくこう思うのだ。
「世界中の人が、今、これを観ればいいのに! 聞けばいいのに!」って。

***

歌の喜びに気をよくして、
今日は、花粉舞い飛ぶ秩父へ。
一緒にいる間、とにかく、体を動かす。
そして、歌う。
ハーモニーの喜びを、分け合う。
わたしもまた、歌の喜びを、伝えていく。
それが、わたしの大事な仕事のひとつ。

2010年3月11日 (木)

ああ、わたしは幸せだ。

わたしは、本番を控えたいわゆる現場がない時でも、
今は俳優私塾を抱えているから、常に、常に、稽古をしていられる。
一年中、稽古していられる。
……これは何て素敵なことなんだろう、と、今更のように。
もちろん、レッスンが続くと、ああ、劇場入りしたい、観客と出会いたいとすぐに欲求不満になるのだけれど、それでも、稽古場にいるということが、どれだけ刺激的で楽しく、発見に溢れていることか!

今も、もう、自分でびっくりするくらい、発見を繰り返している。
かなり、読み込んでから稽古場にいくのだけれど、いやいや、稽古してみて、実際に目の前に俳優がいて、初めて気づくことの多いこと、多いこと。
戯曲の解釈だけじゃあなくって、教えるということに関してもそうだ。
毎日が勉強。毎日が発見。毎日が感動。
ああ、わたしは幸せだ。
幸せなことはとっても喜ばしいので、もっと幸せになりたい。
俳優たちには、どんどん素敵になってほしいし、
さらに、さらに、一本ずつ、いい作品を生み出して。
そしてまた、演劇に魅入られた人生を送る一人として、
続いてくる演劇人たちが少しでも歩みやすくなる、これからの演劇界に寄与できたら!
これには、やっぱりちょっとばかり名前ってものが必要になってくるから、
まあ、とにかく頑張っていこう。
師匠に言われたものなあ、
「石丸、名前があるとな、いろいろ動かせるようになるから、お前も早く有名になれよ。」って。
うーん。わたし、有名になりそこねちゃったものな。
でも、まあ、いいや。
まだまだ人生長い……はずだから。


「楽屋」の写真を撮ってくださった恩人に、劇中曲をプレゼントしようと準備していて、とあることに気づいた。
テーマとして使ったのは、ギター曲のショパンとも言われた作曲家、アグスティン・バリオスの「最後のトレモロ」という曲だったのが、その演奏として、バリオス弾きの名手JOHN WILLIAMSを選んだ。
で、ラストシーンに聞こえてくるマーチを、探して探して、あれこれ悩んで、ようやく「これ!」と落ち着いたのだが、その作曲家の名前が、なんと、同姓同名の、JOHN WILLIAMSだった。
なんと、使っていた本人が、今日気づいたのだ。
ああ、何か、導かれている気がするなあ。

どこかで導いて下さっている方へ。
ありがとうございました。
おかげで、とても美しい公演になりました。

2010年3月10日 (水)

火のようにさみしい姉がいて。

わたしをかつて姉ちゃんと呼んでくれていた優秀なるスタッフがいて、夜中に猛烈に、彼のことを思い出していた。また、彼の周りにいた人たち。彼らと一緒に働いていた現場。あの稽古場、あの劇場、あの町、あの舞台袖……。


そう言や、わたしはしょっちゅう姉だったな。
ほんとに、どれだけかの人に、「姉」のついた名前で呼ばれてきた。
そういう資質なんだろう。
たくさんの妹や弟のことまで、一気に考えてしまって、またまたこの寒い夜に、独り甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。
30になって俳優をやめてこの仕事を始めた最初の現場、一緒になった若き主演女優を、本当の妹のように可愛がり面倒をみて、そりゃあそりゃあ一緒の時間を過ごしたものだけれど、今や立派な国際女優だ。
彼女だけじゃあないな。つい目を細めてしまうような、美しい妹たち。両足踏ん張って頑張ってる女たち。
そんな妹たちの活躍を、姉は飛雄馬の姉ちゃんみたいに、いつも柱の陰から応援する。
陰に隠れていても、時に妹たちはめざとく見つけてくれて、両手を広げ抱きついてきてくれる。
まあ、大体が、そんな感じだ。
大体が、愛して淋しい、姉である。
清水邦夫さんの戯曲に、「火のようにさみしい姉がいて」というのがある。
このタイトルだけで、わたしは何処かに連れ去られてしまうような気がする。
何処かの誰かの、深い淵をのぞき込むような。
火柱のように毅然と立つ女の目の奥に吸い込まれるような。
永遠の孤独の黒さに塗りつぶされてしまうような。


2010年3月 8日 (月)

母の夢。

母は、わたしに大きな仕事が決まったことを大層喜んでいた。
体を壊して自由を奪われ、娘の幸福を自分の幸福としている今、
その仕事を期せずして失ってしまったことを告げるのはショックが大きかろうと、
まだ話すことができずにいた。

今朝は母の夢で目が覚めた。

40代、今のわたしと同じ年頃の、働き盛りの母だ。
一人で宝石屋を始めて、家族を支えていた頃の。
母屋の横の敷地、幼い頃は柿の木いちじくの木があった場所に、
小さな宝石屋の事務所兼店舗を建てた。
店舗と言っても、田舎で飛び込みの客がいるわけもないので、
母は知り合いから知り合いへ紹介から紹介を呼んで、
鞄に宝石を詰め込み、セールスにまわっていた。
鞄屋という売り方だった。

夢の中、弟が病気で寝込んでいて、
わたしは心細いから留守番をしたくなくて、母を止めるのだが、
母は、仕事だからとかっちりしたスーツを着て、優雅な帽子をかぶって、
出かけてしまう。
働く女になって。
その背中が何か震えているようで、わたしは更に不安を覚える。

しばらくして、わたしはふと、離れの店舗をのぞいてみる。
そこには、仕事に行ったはずの母の姿がある。
かっちりしたスーツを脱いでスリップ姿のまま、
帽子をテーブルに投げだして、
事務机につっぷして寝ている。
眠りの足りない人が、喘ぐように寝ている。
寝ながら泣いている。

母がわたしの視線に気づく。
仕事に行くと偽って家を出て、眠っていたことを後ろめたく思っている様子はない。
ただ、虚ろにわたしを見ている。
そして言う。
「さち子、それうとて。(歌って)」
帽子の横に、しわくちゃの紙がある。
有名な聖歌の歌詞だ。
家は浄土真宗だが、
わたしはミッション・スクールに通っていたので、
聖歌はたくさん知っている。
単に、歌が好きだったから、聖歌集が好きだった。
ミサで歌わない聖歌も、全部自分一人で歌って楽しんでいた。

わたしは、しわくちゃな紙を見ながら、母の前で歌った。
歌詞を全部覚えていたけれど、紙を見ながら歌った。

慈しみ深き
友なるイエスは
罪、咎、憂いを取り去り給ふ
心の嘆きを包まず述べて
などかは下ろさぬ
負える重荷を

慈しみ深き
友なるイエスは
我らの弱きを知りて憐れむ
悩み 苦しみに沈める時も
祈りにこたえて
慰め給わん

慈しみ深き
友なるイエスは
変わらぬ愛もて導き給ふ
世の友我らを棄て去る時も
祈りにこたえて
労り給わん


***


なぜ、こんな夢を見たのか。

中学ですでに、意味など考えず暗記して歌っていた聖歌の歌詞を、
40代後半のわたしがこうして思い出す。
夢で。
時は流れた、と、思う。

父に電話をして、あのでっかい仕事がなくなってしまったのと、とうとう告げた。
母はデイサービスに出かけていていなかった。
一週間に一度、お風呂に入れてもらえる日だ。

父は、わたしを励ましながらも、
「ママには、しばらく言わんとこな。めちゃくちゃ喜んどったからな」と、
少し困った風だった。


電話の向こうにも、わたしの居場所はある。
でも、電話を切る。
わたしの居場所は、ここだ。
「生きていかなければ、生きていかなければ」
三人姉妹の終幕のように、わたしはつぶやく。

チロの死。

忙しくなると、わたしはちっとも新聞を読まない。
もったいないから購読をやめなさいと、しょっちゅう家人に怒られるのだが、
思いがけない記事に出くわす偶然がほしくて、やめられない。
今夜も、
今日と昨日と一昨日の新聞を、
まとめて読んだ。

そして、荒木経惟氏の愛猫、チロの死の記事に出くわした。
記事の最後が「荒木さんは悲しみを振り切るように、無理して笑った。」なんてありきたりな結び方をされていて、いい記事じゃあなかったけれど、とりあえず事実を伝えてくれた。

長らくファンであった氏の写真を見直す。
陽子さんを亡くす直前に出版された「愛しのチロ」と、奥さんへの鎮魂歌のような「センチメンタルな旅 冬の旅」を仕事机に並べて、一葉一葉、ゆっくりと。

今夜は、荒木さんと、陽子さんと、チロのことをじっくり書こうと思っていたのだけれど、書けなくなってしまった。そこに切り取られた情景と、空気感に圧倒されて。愛しい者、愛しいものの影に襲われて。あるいはすでに喪った者やものに慰撫されて。骨を抜かれたように、泣いてしまった。

小さい頃、犬を拾うのが好きだった。
給食のコッペパンが全部食べられなくって、紙に包んで家に持って帰るのだけれど、母に叱られそうだから、帰り道で犬にやっていた。下校中にたくさん犬と友達になってしまって、連れて帰っては飼わせてほしいとねだった。
最初の拾い犬の名前が「チロ」で、それ以来三代のチロを飼った。
猫もたくさん飼った。
実家では代々、六匹のペルシャを。
東京で飼った最初の猫は、当時大学の同級生だった現シナリオライターの北川悦吏子嬢からもらった茶虎。それから、拾った白猫。わたしと恋人を結んでいた荒木家のチロそっくりな雑種。どの子も喪ってしまった。茶虎の太郎は、毒性のあるものを食べて急逝した。近所の猫嫌いの仕業じゃないかと獣医に言われた。わたしの腕の中で、ゆっくり死んでいった。柔らかく温かい生き物が、固く冷たい死んだ物になる過程を、わたしはこの両の腕で覚えた。
仕事が忙しくなってからこの方、生き物は飼わない。飼えない。
道ばたで出会う柔らかく温かい猫たちを、愛でるだけ。
二度ほど、道ばたで固く冷たい死んだ猫に出会ったので、わたしは勝手に埋葬した。
一度は土で、一度は落ち葉で。

「センチメンタルな旅 冬の旅」は、激烈であるのに、静謐な愛と、愛を取り巻く風景たち。それは稀有な美しさのラブストーリーでもある。
わたしは、わたしのパートナーのことを考える。
わたしたちは、結婚をしていない。結婚はずっとしないかもしれないけれど、恐らくこれからお互いどちらかが死ぬまで一緒にいることになりそうだ。
お互いに、結婚して縛りあうことはしないくせに、どう考えてもずっと一緒に居続けるだろうと思っている。そして、眠る前に、よく彼はわたしに、「長生きしてね」って「おやすみ」の代わりに言ったりする。「俺が困るから」と。

この今を噛みしめて、この夜を過ごす。
愛することと、愛されることで、生きている。
いつも。

2010年3月 7日 (日)

脱力。

「楽屋」が終わり、何かすこんと力が抜けてしまって、山積みのやるべきことになかなか手が出せないでいる。
本来ならもうすぐ始まるはずだった稽古がないという事実に、まだ打ちのめされているのかどうか、自分でもわからない。
ただ、ずっとずっと、たくさん眠りたいと欲望してきたので、春眠を貪ることが時折許されることにささやかな喜びを覚える。

一昨年秋、ニナガワカンパニーを離れてから、わたしの生活は出会いの嵐だった。
新しいスタッフ、新しい俳優、新しい観客、生徒として出会う俳優たち。
出会っていくのは大変で、出会うための準備も、出会ってからも、何もかもが精神力と体力を要する。
それでも、この出会いがわたしの演劇活動の拠点だ。
そこに他者がいなければ何も始まらない。
一人じゃあ何もできない。
そんな当たり前のことを、再認識するこの頃。

明日は、ほんとにほんっとに久しぶりの秩父。
ここにもまた、わたしの人生から切り離せなくなった大事な人たちがたくさん。

2010年3月 5日 (金)

えも言えぬ芳香が。

私塾の稽古、再開。
3日ぶりに顔をあわせて、公演を振り返る。
大きな大きな山を一緒に越えたことで、自然な連帯感が生まれているのを感じ、心地よく思う。
出演者から、iPhone用のスピーカーをプレゼントされた。
この何年かで、一番うれしいプレゼントだった。
稽古場ジプシーする中で、強引に持ち運んでいたタイムドメインのスピーカーを破損してしまい。片スピーカーでしのいでいたわたしには、もう、何よりの。
愛情に感謝。

青春期、ともに俳優として切磋琢磨した松田かほり嬢と一緒に仕事できた喜びも大きかった。
一緒に仕事をしなくなってから、すでに15年ほどが過ぎているのに、我々はしっかりした共通言語と、変わらぬ演劇への愛情で、がっちりタッグを組むことができた。
これからも、お互い実年齢には見られない若さ(馬鹿さ)を誇りながら、別の道を行き、また出会い直そう。

私塾の俳優たちにこれから望むことは、心と体の記憶力をつけること。
心と体の自己管理が上手になること。
七転八倒しながら迎えた本番だったが、過ぎてみると、えも言えぬ芳香がたつ。
己の記憶追憶への執着という点では、ようやく彼女たちも「楽屋」の住人の仲間入りをしたわけだ。

これからも、演劇を信じて進む。
わたしの信じてきたことは、どうやら無駄ではないらしい。
そして、わたしの生きていることも、どうやら無駄ではないらしい。
最近喪った仕事の痛手で、珍しくひとり涙することもあったが、
またしても演劇に救われている。

2010年3月 4日 (木)

感謝。

幸福に、公演が終了した。
終了してすでに3日経つのだが、まだ今の気持ちを文章にできない。

ただただ、あらゆる人への感謝。

舞台写真を撮っていただいた。
彼女たちは、美しい。

こちらよりご覧下さい。

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