先を生きる者。
私塾の太一が、「先生、絶対読んで!」って言い続けてた「ワンピース」を読み始めた。
この忙しい時に?って思うけど、年貢として太一が運んできてくれるので、扉を開けてみる。いったん手をつけると、ちょっとはまってしまった感じで。空き時間を見つけては読む。文学に手をつけるより、気持ちが楽、息抜きにはいい。そして、息抜きの度を超えて読んでしまう。やばい。
そう言えば、「先生」って呼ばれることに、わたしはずいぶん慣れたな。
「石丸さん」と呼んでくださいとみんなにお願いして、はじめは断固拒否だったのだけれど、何人かは「先生」のまま。でも、彼らの呼び方に何のストレスもないので、拒否しなくってもいいのではないかと思い出した。
大体、今わたしはまぎれもなく先生だ。
私塾にいると、演出家であると同時に、先生。
「先生」って言葉にくっついている色んなイメージを嫌っていたものの、最近は、「先を生きる者」としてとらえている。年上の方も「先生」と呼んでくださるが、こと演劇に関しては、わたしは彼らより「先を生きる者」だ、まぎれもなく。
だから、わたしは、しっかりと手渡ししていく。先に生きているからこそわかることを。長い時間をかけて見つけてきたものを、丁寧に渡していく。
昨日から私塾の稽古にきている佳恵を導く。選ばれた彼女が、今、何を喪いそうになっているか。今、何を獲得しようともがいているか。それを、うちの女優たちが熱いまなざしで見ている。稽古が終わって、週末のオーディションに来られない女優の先行審査。
たくさんの女優たちに囲まれて、わたしは粛粛と思う。
わたしにできることが、ある、と。
先を生きる者として。
驕らず、溺れず、賢明に。そして心熱く。
あ、もちろん、男たちも。
でも、ちょっと違うんだな。
若き女性たちに向かう時と、
若き男性たちに向かう時と、
「粛粛」の種類が違う。
そういうことに、人生は賭けられる。
そういうことに、真剣に立ち向かえることは、幸せだ。
先を生きてはいるけれど、進化の途上であるわたしの、幸せ。