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2010年6月

2010年6月29日 (火)

絵を描くとき必要なもの。

パレット 
  フレークホワイト    ローズマダー
  クローム・イエロー   コバルト・ブルー
  ナポリ・イエロー    ウルトラマリン・ブルー
  ロー・アンバー     エメラルド・グリーン
  ヴェネチアン・レッド  アイボリー・ブラック
  フレンチ・バーミリオン ロー・シェンナ
  マダー・レイク     ヴィリジャン・グリーン
              ホワイト・リード

忘れないこと
  パレットナイフ
  スクレーピングナイフ
  テレピン油

筆?
  先のとがったテンの毛のもの
  豚毛の平筆

  
  キャンバス以外のすべてのものを無視すること
  機関車のように仕事をする才能
  鉄の意志

(Raymond Carver "Ultramarine" 黒田絵美子訳)

R・カーヴァーは、彼自身失敗だったと後に述懐する結婚生活で、家の中では仕事に集中できず、ポーチに止めた自分のおんぼろ車の中で書いていた時期があった。
キャンバス以外のすべてのものを無視すること。
自分をはぐらかすばかりの、自らの「意志」を手なずけること。

でも、機関車のように走っていると、風景がありのままの姿でこの目に飛び込んでこない。

ペソアは、こんな風に言った。

「一流の詩人は自分が実際に感じることを言い、二流の詩人は自分が感じようと思ったことを言い、三流の詩人は自分が感じねばならぬと思いこんでいることを言う。」

鉄の意志は、時折、目を眩ませる。

今、わたしの目に見えているのは、本当の世界だろうか?

あまりに忙しい暮らしをしていると、ふと立ち止まって、自分に問う。

わたしには、確かに時間がない。
馬車馬のように働けるなら、働いた方がいい。
でも、時間を惜しむより大事なことは、
この目がちゃんと見えているか、
この耳がちゃんと聞こえているか、
この舌は自分を裏切っていないか。
わたしは、本当に、感じているか。
そんなことどもだ。

2010年6月24日 (木)

元気です。

調子が悪いって、
仕事を休んだって、
ここに書いたものだから、
たくさんの人からお見舞いメールをいただいた。
ありがたい。
ひとつひとつ、
ありがたかった。
でも、なるべくキーボードを叩かないと決めていたので、
まったくお返事をしなかった。
きっと、みんな察してくださっているのではないかと、
お一人お一人の気持ちに甘えて。

まあ、こんな風に痛めてしまうと、
そう簡単に完治するものではないようだけれど、
たかだか3日ほど手を使わないようにしただけで、
ずいぶん楽になっている。

うれしい報せがあった。
厭な報せもあった。
どちらも、かなり喜ばしいものと、かなり辛いもので、
わたしの人生、泣いたり笑ったり、忙しい。

2010年6月19日 (土)

赤鉛筆ギプスにて。

何が災いしたのか、
毎日の重い鞄か、
キーボードとマウスか、
稽古での叩いたり振り回したりか、
何だかよくわからないけれど、
右手が壊れてしまった。
病院に行って、痛みの元はエコー写真で確認したものの、
なんでまあ、ここまで痛いのか。
指を使うと、肘の方に電流が走る。
キーボードを打つのはもちろん、
ホッチキスを使ったり、
歯磨きも辛い、
この間は卵が重くて落とし、
今日は氷の一かけに電気が走って落とす。

その痛みをかばったためなのか、
単に疲れが出たのか、
背中と腰も悲鳴をあげて。
稽古を2日も休んでしまった。
はじめてのこと。
2日続けてなんか絶対休めないと思っていたわたしに、
「休んでも罰はあたりません。もう1日休んでください」というメールに始まって、なんだか感動的なのが何通もやってきた。男子が、「飯、作りに行きますよ」なんていうのもあって、泣かせる。
各処に心配をかけながら、自宅で自分メンテナンスの時間を過ごす。
とにかく、休む。

肘と手首に、病院でがっつりとテーピングをしてもらって、テニス用のベルトで締めても、最低限のキーボード仕事がまだ辛い。
試しに、手首のテーピングの隙間に赤鉛筆を突っ込んで、手首が曲がらないギプスを作ると、これがちょっと楽。
で、久しぶりにブログを自分に解禁して書いているのだ。
昨日までは、痛くて書いてる場合じゃあなかった。
POLYPHONICの俳優たちにもらった2日間で、ずいぶん楽になった。
明日から、赤鉛筆ギプスで、少しずつ復帰していこう。


2010年6月17日 (木)

青春は遠く。

打ち合わせで、新大橋の、とある事務所を訪れた。
森下駅、新大橋、そう、ベニサンのあったところ。
かつて、ベニサンスタジオの5階に、ニナガワスタジオがあった。
そして、ベニサンピットで、1スタで、3スタで、4スタで、
人より少し長めの、青春と呼ばれる時期を過ごした。

一昨年の12月、ベニサンがクローズする直前、
1スタで、公演中止の運命を辿る芝居の稽古もしたっけ。
稽古場と2008年に別れを告げる日には、
1スタにぐるりと貼られたポスターを、携帯で撮ってまわった。
その時一緒だったプロデューサーとは、
ずいぶん長い時間、ベニサンでご一緒してきた。
そして、今また、新しい仕事の話をしに、
新大橋を歩く。

かつてベニサンのあった場所は、すっかり更地。
マンションが建つらしい。
青春の影は、遠く、苦みは消え、甘みが増していく。

***

最近、少し働きすぎた。
毎日の稽古も、ちょっと真面目にやり過ぎて、
というか、ペース配分の苦手はわたしはいつも全力投球過ぎて、
少し疲れ気味。
稽古場にいる時はひたすらに元気でも、
一歩出ると抜け殻。
肘はいよいよ悪く、
ホッチキスを止めるのさえ痛い。
今朝は、卵を冷蔵庫から取ったものの、
卵一個の重さに痛みが走り、べっしゃりと落としてしまった。

それでも、
待ちに待った台本が、折り返し地点まで書き上がり、
わたしはいよいよ動き出せる。

ペース配分が苦手とか言っていないで、
仕事をする環境を整えよう。
時間と手間はかかるけれど、クリエイティブなことに時間を割くためには、上手に人の力を借りることが必要。手の借り方も自分で考案していくしかない。
常に考えている。
常に、考えている。
ずっと演劇者であり続けたいので、
ずっと健康でなきゃならない。
そのためには、考える。
なんだか、考えてばかりの人生になってしまった。

青春に比して、現在は何て、苦み走っているんだろう。

2010年6月13日 (日)

時間が足りない。

きっと、仕事するたくさんの人が、そう思っているんだろう。
時間が足りない。って。

さんざん事務仕事した後、
もう休めばいいのに、夜中になってから新しい仕事に手をつける。
12月のコンサートの準備に、ネットで楽譜を買いまくる。
1曲5ドル以上するから、決して安くはないけれど、
楽譜を豊富に揃えているショップがある。
プレビューは1頁目だけ。
それで当たりをつけて、候補曲を、いろいろ。
楽譜を読むのは楽しいことなので、つい時間を忘れる。
訳詞なんか考え始めたりしたら、もう終わり。
本当はFinale入力してミディデータにしてしまいたいのに、
その時間がまったく足らない。
もう寝ようと思いつつ、明日の稽古が気になって、伴奏の稽古なんかし始めたりして。

駄目だ。
まったく時間の配分ができない。
今日1日仕事をしていたつもりが、結局この時間だ。
猛反省しながら、
短くてもよい眠りをとろう。

2010年6月11日 (金)

生きていたら。

千秋楽の芝居を、どセンターから観る。
800〜2000の劇場で、センターから絵づくりするのが、わたしの過去15年間の仕事だった。
今は、その10分の1のキャパの劇場を時折の住処としている。
作り方は、意外と変わらないのだけれど、客席に座って見える世界は違う。
額縁を、センターから見据えながら開演を待ち、自分が正対してきたたくさんの額縁を思い出していた。

「生きていたら、もっと書けたのに……」という戯作者のことばを、再び聞く。

「生きていたら」を反芻しながら、1日の後半を過ごす。
仕事のためには、たくさんの嘘をつく。
つかずばなるまい。
その嘘を補ってくれるだけの真実を探す、必死の闘い。
誰にわかられなくとも、いい。
作品になった時に、わずかでも観客の胸をえぐれれば。

2010年6月 8日 (火)

週末。

梅雨を迎えるまでの、爽やかな日々を味わう。
帰ってきたビアンキを駆って、いつもなら電車の劇場まで。
11キロくらいの道程は、もう少し乗っていたいと思わせる距離。
車の少ない日曜の道では、
坂道のたびに心地よいパースを目で味わい、
木に咲く花の甘い香りを味わい、
遠く子供たちの歓声を楽しみながら。
奇跡のように心地よい、週末。

そして週末は、わたしにとって、
たまりにたまった仕事を一気呵成にこなす時間でもあるのだが、
キーボードのたたき過ぎか、
それとも稽古場の行き帰りでの重い荷物がたたったか、
かねてからの肘の痛みが本格化。
仕方なく病院に行ってみると、
何やらあまりよくないらしい。
湿布だの、テーピングだのでごまかしごまかし、
またキーボードをたたく。
……痛い。
……情けないなあ。
でも、書く。
来週には、次々回公演の企画をあげなければ。
要返信のメールも山盛り。
Theatre Polyphonicのサイト製作も!

心はとっても楽しんで仕事をしているのに、
体がこうして愁訴の声をあげるなんて。
歳をとったのだなあ、と、しみじみ。
これからが、わたしの人生のいよいよお楽しみの時間。
保ってくれよ、体。
いじめたりなだめたり、
食べ物の慈養に力を借りて、
使いきるぞ、この体。

2010年6月 6日 (日)

世界の表側。

愛車、ビアンキが修理から戻ってくる。
代替車に比べて、なんと軽快なことか。
初夏の陽射しの中を走っていると、
自分が世界の表側に生きていると、皮膚で感じる。
何一つ自慢できることのない人生のようにも思えていたものだが、
こうして表側で、いくばくかの人に必要とされて生きてる。
それだけで充分だ。
そして、世界の裏側に生きている人々に思いを馳せる。
表と裏は、不均衡、不平等、不公平でいて、パラレル。
自分に何ができるのかを考える。

Theatre Polyphonicのサイトを作成。
まだ製作途中だが、情報はもうすぐ公開できるところまでこぎ着けている。
朝陽の美しいことを確認して、眠る。

2010年6月 4日 (金)

小池栄子賛。そして共謀者の薦め。

疲労困憊、早々に就寝したら早々に起きてしまう。
朝の仕事は気持ちいい。

昨夜は円形で「甘え」。
確かに脚本は面白いが、作・演出より主演女優の魅力が半端ない。
小池栄子嬢は、「くちづけ」を見てからの大ファンだが、
大変な内包量を感じさせる。
もっと爆発させたい。
もっとしゃべらせたい。
もっと動かせたい。
もっと抑圧したい。
もっとだまらせたい。
ただそこにいさせたい。
と思わせる女優。
あれだけバラエティーの仕事をしながら、
神秘性を保って存在できるのもいい。
自我を見せすぎず、素材に徹する心身もいい。
いいなあ。小池栄子。

久しぶりに円形に向かう道すがら、
青劇に通っている頃毎日のようにのぞいた古本屋をのぞく。
そして、宝物を見つける。
古本屋でしかお目にかかれない、
集英社世界文学全集所収のJ・ボールドウィン「もうひとつの国」。
しかも200円。

俳優をやめて間もない頃だったか。少し経った頃だったか。
激しい恋愛のもつれに悶々とし、
毛髪をかきむしり、体と心をかきむしって過ごしていた時。
ニナガワ氏とお茶をした。
共謀者のような目をして、
「イシマル、そういう時に読んだら面白い本があるんだよ」
と密やかに薦めてくれたのが、これ。
その頃は、まだネットの古本屋検索なんてなかったから、
神保町と早稲田を探して歩き、結局高円寺で見つけた。
一気に物語に取り込まれ、
「読書」という形で、
作家の人生に出会い、
まるで握手する手から相手の青春が滑り込んでくるような経験をした。

その後、人に薦めるたびに、
「なかなか手に入らないんだけどね」と断りを添えた。

これで一冊余分に入手。
今度、髪をかきむしっている人に会ったら、
わたしは共謀者の目をして、これを差し出してあげよう。

この全集にはほかにも宝物が一杯収められていて、
結局、全集本5冊を購入。
それでなくても、荷物が重くて移動にへとへとだったのに、
なぜ、そんな重いものを?
と、自分に問いながらも、ほくほくと帰宅した。


2010年6月 1日 (火)

デニス・ホッパーが亡くなった。

昔話。
大学を卒業するのに、5年半かかった。
今もそんな制度があるかどうか知らないが、
5年通って卒論だけ残してしまったわたしのような半端な人間には、
9月卒業という道があった。
卒業の連絡をもらい、
指定の期日に大学の事務室に行くと、
「はい、ではこれ。」と筒に入った卒業証書を手渡され、
それでおしまい。
4月に卒業したら……別に要らないけどさ……セレモニーがあって、
何やら大々的に送り出されるはずが、
それでおしまい。
そのまま、一人、いつものように大学を後にして、
いつものように早稲田通りを歩いて帰ったら、
早稲田松竹には、
「イージ・ライダー」「俺たちに明日はない」の二本立てのポスター。
ふらふらと入り、
23歳のわたしは、思いっきり感情移入して、
ジャック・ニコルソンの死を、
デニス・ホッパーの死を、
ピーター・フォンダの死を、
悼んだ。
人目をはばからず泣いた。
あの時、あの二本を見た時から、
わたしのドロップアウト人生が始まったような気がする。

ニナガワカンパニーに入るきっかけになった、
「タンゴ・冬の終わりに」のオーディションに受かり、
トップシーンのイメージを作るために出演者みんなで見たのも、
「イージ・ライダー」だった。
わたしの節目に、デニス・ホッパーあり。

彼が、銀幕の中だけでなく、
本当に亡くなってしまうなんて。

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