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2010年7月

2010年7月28日 (水)

電車を待ちながら。

いつものように、12時間を稽古場で過ごす。
熱く火照ったような、自分の現在を眺めて静かに醒めたような、
そんな心持ちで電車に乗ると、懐かしく大事なかつての仲間に出くわす。
途中下車して酒を飲む。
ずっと、別の場所で演劇の現場に踏みとどまり続けた仲間。
心でものを言いあってきた仲間。
若い頃は、それなりにぶつかりあった仲間。
ぶつかりあうよりたくさん、抱き合ってきた仲間。
長い空隙を一瞬で埋めていく時間。
お互いの50年を感じながら。
店を出てから、昔のように、地べたに座りこんで話す。
お互いの闘い、お互いの孤独が混じり合う。
もっともっと先に行こうよと、抱擁して別れる。
ふだん降りない駅で、長いこと電車を待つ。
ふだん考えないことを考える。

この間、地球ゴージャスを観た時もそうだった。
観客席で中川くんを追いながら、
ふだん考えないことを考えた。

ふだん考えること……
今で言うとそれは、現在の仕事のことと次の仕事のこと。
さらにそのまた先の仕事のこと。
つまり、現在の舞台のことと、次の舞台のこと。
さらにそのまた先の舞台のこと。
考えなければならないことが山積みで。
ずっと考えている。

でも、観客席にいる間、
その「ふだん」と違うところで、
いろんなことを考えた。
人生のこと、物語のこと、リズムのこと、体のこと、年齢のこと。
「ふだん」を離れて考えることが、わたしの瞬時の休暇だった。

今夜もそうだったんじゃないか。
「ふだん」を離れて感じること考えること。
たかだかさくら水産で飲んだ安い日本酒、
武蔵浦和の駅で座り込んで手を握り合っていた時間が、
夜の海で潮騒を聴きながら、シャンパンを酌み交わした時間のように思える。
闘っている者の、
わずかな、ささやかな、休暇。

2010年7月21日 (水)

自分の仕事。

めまぐるしい日々が続く。
創らなければならないものがたくさん。
今の自分の人生を反映できること、
雇用された集団に奉仕すべきこと、
その間(あわい)で揺れながら、
自分の仕事を模索する。

今日は、いまだあがっていない楽曲の調整に、
音楽監督と稽古場の近くのホテルで合宿、深夜作業。
稽古場での時間では足らず、一緒に創作を楽しめる素晴らしい先輩と一緒に。
仕事を忘れて、自分たちの求める音楽に熱中することもしばしば。
現実と夢を一針一針縫い合わせながら、
愛すべき遠方にきっちり目を向けていたいと思う、日々の作業。

Theatre Polyphonicの方は、チラシのラフがあがってくる。
いい。
ぐっとくる。
わたしのこれからを賭ける劇団の旗揚げは、
けっこうな嵐、波風の中を出帆したけれど、
大丈夫、
辿り着きたい向こう岸を、信じることをやめなければ、
しっかり見据えていれば、
大丈夫、
と、
自分を励ます。

2010年7月15日 (木)

錆と油。

何も書けない時がある。

仕事では、メールだの何だの、毎日ずいぶんいろんなことを書いているし、
作詞作業真っ最中で、頭の中はしょっちゅう、「ことばことばことば」になっている。
それでも、ふと一人の時間に、何も書けない時がある。

腕の痛みから逃れるために、
可能性のある治療の噂があれば、飛びついている。
この間、ゴッドハンドだという関節の専門家に診てもらったら、
あるべき本来の姿から、複合的なずれがたくさん起こっていると言われた。
ずれたまま、力とストレスが加わり続けることで、ひどい炎症を起こしているのだと。
そのずれを調整してもらったら、痛みは消えなかったけれど、手首と肘の関節が、驚くべき柔らかさしなやかさで動いた。錆を丁寧に落としてから、油を差したって感じだ。
この状態に戻しておけば、自然治癒力が働き始めるかもしれないと言われ、それはわたしに、とっても説得力をもって響いた。

わたしは錆びていないかな?
いつも書きながら考えたり書きながら感じたりして大人になった。
何も書く気にならない夜がある、なんて、わたしの心、錆びていないかな?
久しぶりに商業演劇に戻っているから、
錆びに気をつけよう。
するするぴかぴかした心でいたいものだ。
そして、上手に油を差して、
ころころゆるゆる、滑らかに転がっていく心でいたいものだ。

希望もなく、 絶望もなく、 わたしは毎日少しずつ書きます。

こんな時に、いつもいつも思い出すのは、
このアイザック・ディネーセンの言葉だ。
この言葉が孕むすべての意味という意味を、今は噛みしめて味わい、自分の明日の糧にしよう。


2010年7月 6日 (火)

かつての自分に贈る。

昨年12月から、長い時間をかけた10月公演のキャスティング、ようやく発表するところまでこぎつけた。
明日はいよいよチラシの撮影。
みんながいい顔をしてきてくれますように!

もう一方の稽古場では、久々の稽古再開。
続々あがってくる楽曲と出会い、俳優たちと仕上げていく作業が始まった。
ものすごく大事な時期。
そこから溢れてくる、何かいいものに、気づけるアンテナを持ち続けること。
この作品と向かいあっていると、今目の前にいる俳優たちだけではなく、不可視の、無数の、演劇に憧れる少女たちのことを考える。
この年齢になると、真っ直ぐ語るのが恥ずかしくなりがちな、夢とか希望とか愛を、てらいなくちゃんと表現しなくちゃって思う。
それは、現在の自分が、かつての自分に贈るエールのようなものだ。
よし。ちゃんと仕事しよう。

2010年7月 3日 (土)

THANK YOU FOR THE 〜

中国整体と鍼。
腕の痛みと全身の疲れが、なんとかして抜けぬものか。
でも、施術する先生に言われる。
なんでもっと早く来てくれなかったの? 手遅れだよ、と。
いろんな痛みを訴える人に、いい先生がいるよと紹介するばっかりで、自分はちっとも行かなかった。
後悔の念。
本当にまめに治療しておくべきだった。
ためこんだ疲れは、どんなに素晴らしい施術でも、すぐにはほどけない。
拷問のような痛みに耐えていると、それでも1時間後には少し軽くなってくる。
麝香の入った中国の湿布を貼ってもらい、何やら温泉につかっているような匂いに包まれる。

チラシの打ち合わせを終えて、夜は訳詞作業。
MAMMA MIA!の「THANK YOU FOR THE MUSIC」。
急ぎ仕事だったけれど、またまた市民ミュージカルの愛唱歌になりそうな勢いの歌が完成する。
歌の恵みには、わたし、いつも感謝しているので、いくらでも歌いたい。
SO I SAY……THANK YOU FOR THE MUSIC……
MUSICのところを、いろんなものに変えて歌えるな。
いろんな恵みに感謝、感謝。
明日もまた、みんなと思いっきり歌ってこよう。

2010年7月 2日 (金)

遂げずばやまじ。

昨日はTheatre Polyphonic10月公演の、最初の集合、顔合わせがあった。
キャスティングがようやく終わり、戯曲の調整のための読み合わせの日でもあったけれど、脱稿ならず、顔合わせのみに終わった。それでも、わたしにとっては大事な時間だった。
あまりにたくさんの事務的制作的な仕事をこなしてきた。延々。
クリエイティブな仕事場にたどり着くために、段取りばかりで、何に向かって走っているのかわからなくなることもあった。
でも、創る時は、刻一刻と近づいている。
出演者とスタッフの前で、長々と、所信表明する。
わたしの船に乗りこんでくれた人々は、どんな風に聞いてくれたんだろう。

ほっと一息つく間もなく、今日は8月の現場のスタッフミーティング。
音楽と歌詞のことばかり考えていたので、台本を読み直し、にわか勉強。
参考映画のチェック。
それが終われば、10月の仮チラ作り。

ミーティングが終わって、コクーンの明かり作りを少しのぞいてみる。
わたしがかつていた場所で、地に足つけて働く演劇人たち。
ずっと眺めていたかったけれど、わたしには時間がない。
そっとフェードアウトして、帰宅。
チラシ作りに精を出し、
山盛りの未決事項を少しでも減らそうと、電話連絡、メール連絡、電話、メール、電話、メール。
今日から代講を頼んでいる私塾のことも、気がかりで、あれこれと連絡をとる。
終わりが見えたところで、さっきから秩父のコンサートのための選曲を始める。

わたしは何者なんだ?って思うこともある。
でも、Theatre Polyphonicも、俳優私塾POLYPHONICも、秩父市民ミュージカルも、ニナガワカンパニーでの久しぶりの仕事も、すべて、すべて、悩んで選び、どうしてもやりたかったから興し、大好きだったから続けてきたこと。どれも大切な、わたしの一部分だ。

「遂げずばやまじ」という言葉を思い出す。
先日、POLYPHONICの稽古を見学にも来てくださった広島大学の難波先生が、昔昔、教えてくれた言葉だ。
わたしが18歳、難波さんが21歳。
早稲田に入学する際に、はなむけとして送ってくれた言葉ではなかったか?
意味は教えてくれず、「○○さんに意味を聞いてごらん」と言われ、生意気盛り18歳のわたしは、「意味ならわかるよ」って、字面だけの意味でわかった気になって、言葉の真意を深く考えることもなかった。

この言葉が、国語辞書の草分け「言海」の編纂者大槻文彦氏の言葉だと知ったのは、ずいぶん後のことだ。蘭学者の祖父玄沢の言葉を座右の銘として、苦労を重ね大事業を成し遂げられた。

およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず、思ひさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず

わたしは、わたしの仕事を遂げなければいけない。
どれも、心して興したわたしの事業だ。
そして、遂げるためには、愛情だけではだめだ。
漫然とやっていてはだめだ。
遂げるために、知力も体力も尽くすこと。

30年前に教わった言葉が、ようやく今わかる。
わたしを待っていてくれた言葉に、深々と頭をさげる。
そして、「遂げずばやまじ」と、声に出して言ってみる。
言葉の力を感じる。
この言葉を胸に生きた人たちの魂を、言霊を感じる。

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