コリコリした青い果実のように。
「ガラスの仮面」千秋楽。
わたしは自分の仕事に追われて、初日を開けて3日目以降、まったく劇場に顔を出せなかった。
心強い後輩俊太郎に任せっきりだった。蜷川カンパニーで演出助手や演出補の大事な仕事のひとつに、欠かさず本番を観るランニングの仕事がある。仕事に参加して本番を観ないのは、わたしは初めてのことだ。
今日、わたしは久しぶりに芝居を観たのだ。
蜷川さんは、初日を開けると、よくこう話す。
熟した果実より、ちょっとコリコリした青い果実の方が好きだ、と。
芝居は初日を開けると、変容する。良くも悪しくも。
その成熟より、初日を迎えた頃の生硬さが、好ましい場合がある。
腐りかけの美味しさに気づく時だってあるけれど、
「ガラスの仮面」は、今日もコリコリしていた。
それは、成長途上の少女たちの物語にとって、とても喜ばしいことだった。
終演後、ともに音楽を作った池上さんと抱き合って、お互いの仕事を密やかにたたえ合う。
わたしもまた、成長途上の夢見る女で、その思いはちゃんと美帆や佳恵に受け継がれているようで、胸が熱くなった。
大阪で幕を開けるという仕事がまだ残っているが、明日からまた、「悪魔の絵本」に没頭する。
見えていないことばかり。
見えたと思ったら、また霧の中。
わたしは作家谷賢一に「愛」についての話をお願いしたのに、
自分が稽古場で「愛」を忘れて単に演劇としてシーンを作っていることに気づき、愕然としたり。
……コリコリした青い果実のような自分で、わたしは「愛」を読み解かなければ。
わたしは、成熟なんかしていないのだから。