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2010年12月

2010年12月28日 (火)

帆をあげる心構え。

来年再来年を動かしていく打ち合わせが、年末にいくつか続く。
仕事が重層化してくるにつれ、環境の整備が急務だと思うし、周囲からも警告され続けている。
時間を食い潰すように、自分ですべての事務をこなしている。
クリエイティブな時間が浸食されても仕方ない状況だ。
時間を奪われるということは、眠りと体力を奪われるということでもある。
確かに元気自慢なわたしだが、これからはもうちょっと、体力過信を自戒して進もう。進まなければ。

一緒に歩いてくれる、マネージャーないしは秘書を探すこと。
真面目に探そう。恋人を見つけるより大変そうだけど。

人と会い、本と出会い、作品と出会うことで、
今年あったこと起こったことが、すうっとひとつにまとまり、
来年の指針が見えてきた。
必要は発明の母って言うけれど、
必然は計画の母だ。
向こう見ずに出立しないこと、そろそろね、無茶なわたしも。
向こう岸をはっきり見据えて、必然的帰結を見越して、帆をあげること。
その上で、人生の喜びである、偶然の風景といたずらを、楽しむ余裕を持つこと。

2010年12月26日 (日)

休日に、息を吸う。

一切仕事をしない一日を過ごすというのは、もう半年以上なかったことだ。
忙しすぎる時間はもちろん続いていたけれど、それよりも、休もうと思えば休めるのに、不安だったり、不器用だったりで、時間を見つけては仕事してしまっていた。

本を読み、歯医者に行き、ピアノを弾き、食事を作り、映画を二本観た。
たったこれだけの、深呼吸の時間。

映画を観て、しばし泣いた。
今夜観た二本は、どちらも映画ならではの魔法の目で、世界と人間の営みを切り取ったものだった。
泣きながら、哀しいことの多かったこの一年を思った。
今年はわたしにとって、出発の年であり、喜ばしいことのたくさんあった年なのに、その反面、日々、哀しみが堆積していくような年だった。試練だったと、言っていいかもしれない。
これはすべて、来年からの自分のためなのだと、今は信じるしかない。

朝方、恐ろしい夢で目を覚ましたりする。
未来。わたしは孤独と痛みにさいなまれている、いつも、曖昧に、そんな夢を見る。

わたしのブログは何かいつももの悲しい感じがすると、誰かに言われた。
きっとそれは、眠りの前のわずかな時間に書くからだろう。
昼間のわたしに影はない。
元気なこと、エネルギーに溢れていることを、取り柄に生きている女だもの。

休日に、大きく息を吸う。
今、わたしを取り囲んでいる空気を。
深呼吸と一緒にたっぷりと哀しい予感を吸い込む。
これを腹に隠しこんで、また仕事をする。
今できることをすべてやって、一日一日を終えられればいいのに!
怠惰なわたしにはとても出来ないことだけれど、
夢見るように、そう思う。
老いて消えるまで、一日一日を、たっぷりと生きる。
それだけでいい。

2010年12月25日 (土)

年の瀬。その2。

・私塾を開き、週3日〜4日の稽古を始めてみて寂しいことのひとつが、誰も彼も、しょっちゅう体調を崩すということ。「体調不良です」「気分がすぐれません」「疲れがたまっています」とかいうメールを稽古前に受け取るたびに、どっちかと言えば、嘘であってくれよと思う。
仮病のメール、実は……こんな天気のいい日に稽古なんかできるかよ、とか、今日は彼と一日ベッドにいたい、とか。そういう嘘の方が俳優らしい。
俳優を目指す人、あるいは俳優が、しょっちゅう体を壊すなんて哀しすぎる。

・中川くんが、新しい形のコンサートを開いた。ミュージカルのほぼ全曲を、一人で組曲を演奏するように、一気に歌いきるというもの。伴奏はピアノだけ。
歌ったのはWIZ。彼1人で、ドロシーを、ブリキを、かかしを、ライオンを、歌う。
WIZは、持っていないものを希求する物語。どこかここではない場所を夢見る物語。
彼の持つ、希求する心が、複数の登場人物を演じ分ける。或いは、力業で複数の人物をひとつの心臓で括りこむ。
ああ、これは中川くんだからこそ出来る形なのだと、魂消ながら聞き惚れる。
そして、ストレートプレイとかエンタテイメントとかやっている間に、どれだけ彼の歌が、成長を遂げてきたか知る。これからも進化し続けるのだと想像すると、何だか、手足が痺れてきそう。

・映画の「ノルウェイの森」が公開中なので、よくそのタイトルを耳にする。早稲田の生協の本屋で、発売当日に横積みされたものを手にとってから、ずっと発売日に村上作品を買ってきた。人にもよくあげた。
購入当時の、自分の生活の匂いとか、自分を取り囲んでいた人のこととか、とてもよく覚えている。
「ノルウェイの森」の頃は、俳優で仕事がなくって、バイトばっかりしている頃だった。直子も緑も、自分の中に棲んでいるような時期だった。
……今日。その「ノルウェイの森」を、読者が、「初めて読んだ官能小説」と語っていた。否定的に、そう語っていた。
本が売れるってのは、それはそれで恐ろしいことだ。
わたし自身が、今年作った作品で受けた無理解、根拠のない否定、批評の言葉の無神経さなど思いだし、しばし呆けてしまった。
ああ、もっともっと強くなりたい。
すべてを受け止めて、しかも負けない、柔らかな殻をまといたい。

2010年12月24日 (金)

年の瀬。

慌ただしい。
コンサートが終わって、私塾公演の年内に解決したいことどもに手をつけるものの、目の前の俳優たちが未だ前のめりな段階ではないので、どうにもペンディング事項が多すぎる。
「これだー!」と雄叫びをあげて走り始めるのは、来年になりそう。

企画書を作ったついでに、今夜中にチラシもあげてしまおうか、なんて思ってしまうが、いけないいけない。これは生徒である俳優たちに任せたことだ。黙って待とう。
うーん、黙っていたら出てきそうにないので、ちょこちょこ口だしするわけだが。
一年レッスンを積んできても、俳優としては、本番の舞台でなければ体得できないことの方が多い。
もちろん、そのために公演をするわけだが、公演を打つというすべてを理解してもらうための公演でもある。
制作業務をみんなで手分けして、小さな公演くらいなら手打ちできるくらいのHow toを習得してもらうこと。

稽古、年内あと2回。
成長途上の俳優がふんばっているのに伴走するのは、喜び。
どう力を貸してあげればいいか、始終考えている。


2010年12月21日 (火)

そして、次へ。

そして、「悪魔の絵本」終演以来、かかりっきりだった秩父市民ミュージカルの公演が終わった。

こんな感じで。

さあ、次は私塾公演。

笑いの渦から、涙の渦へ。

2010年12月17日 (金)

深夜に。

・私塾は、確かな成長とともにある混乱、困惑、苦悩、いろんな思いが渦巻く。わたしを信じて!というには、真っ向から彼らに立ち向かうこと。責任をもって、彼らに踏み込んでいくこと。口はばったいけれど、愛すること。

・明日から、コンサート本番に向けて、いよいよ秩父泊まり込み。一昨日の稽古は、みんなが疲れていくことを確認するような時間だった。でも、うちのメンバーは、きっちり本番にあわせてくることをわたしは信じている。だって、もう4年もわたしとガチでつきあってきたんだから。わたしが、ぶっ飛びスピードで演出をつけても、「想定内です」と言ってくれる。一緒にモノを創るには、こうして時間を積み重ねることがどれほど大事か。
今回は、男性の中心メンバーが仕事に追われ、参加できず、女の中に男が二人の出演者だった。
で、男性助っ人として私塾の吉木遼君に出演してもらうことになったのだが、今日私塾の稽古場で、「両親が見にくるんです」と知らされた。
え? 千葉から、秩父へ……? いったい何時間かけて?
なんだか胸が熱くなるわたし。

・思い出。
わたしが俳優時代、はじめて帝劇でワンシーン持った時、父と母が見にきてくれた。商業演劇だから、スターの出演シーンはシーンが終わる毎に拍手がくるのだけれど、わたしのシーンにくることは、ごく稀だった。それが、両親の来た日、やけに拍手が多くって……。
聞けば、母はシーン終わりで、「うちの娘なんです、拍手してやってください!」とやったそうだ。もちろん、関西弁で……。

・そして今日。
父から留守電が入っていた。
これがある度、わたしは身を凍らせる。
動脈瘤手術から奇跡の復活を果たし、今やごはんが美味しいと元気を取り戻した母ではあるが、やはり離れている身としては、ずっと心配。
電話してみると、なんだなんだ、ちょっとした用事だけで。
母は元気元気。
そして、ほっとして明るい声を出すわたしに、「あんたの声、今日元気やわ、ママ、うれしなる」と。
ママが元気だから、わたしは元気になったのよ。

・文学座の戌井先生が急逝された。
「近松心中物語」の方言指導で来てくださったことがあった。まだ蜷川さんの稽古に入る前の、基礎稽古の時期だった。
方言指導だと思ったら、いきなり稽古になってしまい、梅川の高橋恵子さん相手に、わたしはなんと忠兵衛の代役をやって……なんだか、ずいぶん、何度も何度も封印切りとか心中とかやったのだった。
戌井先生は、穏やかな顔で、稽古を見守られていた。とても柔らかな日本語を使われる方だった。
直接、ご一緒したのはその時きりだが、深々と感謝の気持ちがある。
ご冥福をお祈りします。

2010年12月15日 (水)

音楽に、ありがとう。

午前から私塾の稽古、夕方より秩父でコンサートの稽古。
同じ人が作るものとは思えないほど、違うことをしている。
振り幅が広くって、実に、生きてるって感じがする。

いよいよ、明日から本番に向けて詰めていく。
「フラガール」で福島の炭鉱町の集会所にハワイが現出したように、
わたしは秩父の小さな公民館の一室に、ブロードウェイをディズニーワールドを、現出させるのさ。
うきうき。わくわく。
うーん、まだ稽古場では声を張り上げまくって、みんなを叱咤激励叱咤激励しているけれどね。
で、もうなんだか、興奮してて眠れない。
わたしの一番の盟友であり恩人であり師匠である池上さんにメールを書いてから眠ろう。
前略、ご無沙汰ばかりですみません。
わたしは相変わらずです。
と、いつも変わらない書き出しで。

わたしに音楽の喜びを教えてくれたすべての人に感謝する夜。
Thank you for the MUSIC
ありがとうを胸にいっぱいにして、
日曜日までを過ごす。


2010年12月11日 (土)

蓋を開ける。

私塾の俳優たちが、停滞した稽古を続けるので、今日は激しい稽古をする。
凝り固まった感情を解きほぐし、少し強引に心の蓋を開けてやる。殻を割る。
うまく蓋を開けることの出来た女優がひとり。
今日の感覚を宝物と思ってほしい。
わたしは、自分の腹の上に女優を乗せて、おっしおっしと殻を割っているラッコのような気分。
我が腹に乗せるってとこが、大事也。

今夜もコンサートの準備、最終攻勢。
十分な支度を終えて、まだ興奮冷めやらず……明日の早起きに備えなければ。
いいものが出来たので、早く秩父に飛んでいきたい。
明日も思いっきり歌って、人生謳歌。

2010年12月10日 (金)

毎日、毎日が。

今夜も楽しい深夜作業。
コンサートの台本執筆も明日でほぼ書き終わる。
楽譜にしか書き込んでいなかった自分の訳詞を台本上に並べてみて、我ながら改めてその言葉たちにわくわく。
あとは映像編集して……この先にまだ素敵な可能性が残っていないかあれこれと考える時間を過ごす。
たっぷりの眠りが恋しいけれど、本番が終わってからのお楽しみにとっておこう。

このところ、声の調子が悪いと思っていたが、今日久しぶりに真面目に発声をしてみたら、すっかり戻ってきた。何より、毎日自分の体としっかり対話することが大事なのだ、地味だけれど、この毎日ってやつが、本当に大事。
急がしすぎて、肌の手入れなどまったくしない日々を過ごしていたら、なんとも悲惨なことになってきた。おおいに反省して、久しぶりにデパートのカウンターに座り、基礎化粧品をがっつり買い込んだ。切らしたまま買いそびれていたお気にいりの香り、お気にいりのテクスチュア。鏡台に並べるだけで、少しきれいが戻ってくる気がする。地味だけれど、毎日お手入れする大事さ。
ああ、人生はなかなか忙しいな。
明日もデイタイムはしっかり私塾。
世界の片隅で……だけれど、演劇の道、まっしぐら、だ。

2010年12月 9日 (木)

変わらず熱い塊が。

ブログを書かないと、いろんな人が心配をしてくれているようだ。
あまりにやるべきことが多すぎて、夜ごと何かを創っている、書いている、調整している、考えている。
それでも余った時間があれば、アウトプットの人生にちょっと疲れてインプットの時間を持っていた。
沈潜する夜を過ごしては、激しく人を動かす昼が訪れる。
その繰り返し。
自分の立脚点がもろくなって、というより、頑なにこだわっていたところから解放されて、今は自由だ。
そして、気がつけば、自らの中に、変わらず熱い塊がある。
ありがたいことに、こういう時期には必ず、自分を揺り動かしてくれる書物との出会いがある。
固定化しかかっていたわたしという人を、揺り動かして、また新たな構成で生かしてくれる書物。

コンサートの本番に向けて、また私塾公演の企画の詰めで、大忙しではあるが、心は穏やかだ。
いつも心に歌がある。
軽やかだ。
そして、シンプルな人生の喜びが、いつも手の届くところにある。
わたしを取り巻く状況は何も変わらないし、特別恵まれてもいないから、いつもひいこら生きているのだけれど、それを幸せと呼ぶ力が、今はある。

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