« 2011年1月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月28日 (月)

システム終了の前に。

腰の不調をここに書いたら、なんとも優しくありがたいお見舞いメールをもらったりした。
16日に久しぶりにブログを更新したのを読んで、安心した、ブログを書いてる人は、更新する責任がある、とも。……ささやかな、生きてる証、わたしとして思考し活動し続けている証なのだな。

ようやく平日になり、行きつけの中国整体に駆け込んだら、震災以来ぎっくり腰が多いという。被災しているわけではなくても、疲れやストレスがたまるのだろう。そう言えば、スピッツのボーカル草野さんが、震災と震災+原発報道によるストレス障害で、コンサートを中止したと言う。
日本国中が不安になっている。不安にならざるをえない。
すべての美しい者、美しい物、美味しいもの、美しい恵みたち、いや、美醜を越えて、生きているというだけで祝福されるべきものたちが、人災で破壊される恐怖に晒されているのだから。
とは言え、わたしのぎっくり腰は、単に仕事するだけして、自分を大事にしてこなかった罰だ。
この二日、安静にしているつもりでやっぱり書き続けていたものなあ。

このところ診た患者さんの中で一番ひどいという不名誉なお墨付きをもらい、今日は座ることと仕事することを禁じられて、寝ていなさいと言われた。
よし。これで今日はMacの電源を落とす。そして、寝る。
「すぐには治せない!」と言われてしまったので、明日も治療してもらい、それから稽古に行く。
稽古には行くぞ。来てくれる人たちが、しっかり台詞を覚えてくれていたり、伸び伸びした芝居を見せてくらたら、わたしの心と体も少しは緩むというものだ。

よし、ここまで。システム終了。
あ、ひとつ、私信。
トクちゃん、四月になったら、約束のごはん、行こうね。

2011年3月27日 (日)

痛み。

節電しようと、妙な格好で毛布をかぶって、ちょっと体が痛いのを我慢して仕事していたら、翌日、ちょっと深刻に痛かった。
基本的に体が丈夫なわたしは、翌日からストレッチしたり、自分でマッサージしたり、血行をよくしようと温めたり。今から思えば、これがダメだったんだな。
今朝起きたら、明らかにぎっくり腰。生まれて初めての。
起きるのに一苦労。
上半身のどの筋肉を使えば起きられるのか、必死で考えた。何度も「いてっ」って言いながら。
冷やして、腰痛ベルトの代わりに、着物の半幅帯をぐっと下腹で締めて、過ごす。少しはよくなったような気もするけれど、まだまだ痛みはわたしとともに。

ちょっと無理な格好をしただけで、ちょっと寒いのを我慢しただけで、こんなことになるのだ。
被災された方たちの、大きな痛みや悲しみの影に、時間がたつにつれて、こういう愁訴もどんどん増えていくのだろう。そして、心に抱えるストレスの問題も……。
自分の体が痛くなって、そんな痛みを想像する時間の重なる一日だった。

今日も、一日のほとんどを、原発の勉強にあててしまった。
わたしは、昨日のわたしとは違うことを考えている。
知る痛みばかりが増えて、
何を動かす力はないと知っていても、
知るのが責任と感じ。
……でも、ここでその不安をひとつひとつ書き連ねるのはやめよう。

わたしは、わたしの力の及ぶ場所で闘う。
稽古場で、舞台で、教育の場で。

2011年3月26日 (土)

憂いを取りのぞくには……。

つい、朝まで生テレビを見てしまう。
見る甲斐がなかったとは言わないが、議論にならないのを見るのは苦しい。
社会である以上、主張の違う人間が集まるのは当然で、
あのような番組を企画して、違う主張の自己主張だけ並べられるのは辛い。
議論にならなかったあの主張たちが、せめて、個人の活動の中では生かされるようにと願う。

わたし自身は、現在東京に暮らすことで、ことさらに被曝の心配をして生きてはいない。
心配なのは、我が身を使って解決にあたってくださっている方々、
生活を脅かされる、原発近隣の方々、
汚染される土地や水、
内部被曝を避けるため、廃棄を余儀なくされる食物たち、
そして、最も影響を受けやすい、乳児たち、幼児たち。

昨日、ここに紹介した菅谷昭さんは、現在松本市長をしておられる。
彼が、医者として内部被曝を憂える姿は、強い説得力を持っている。


憂いを取りのぞくには、人間力と知性が必要。
ただ一人でもいいから、国を統率できる人間力と知性。そして愛。
そして、国民一人一人の総合力としての、人間力、知性。そして愛。

2011年3月25日 (金)

美しい命。

原発報道を、追い続ける。
最も影響を受けやすい、幼い命たちのことが気になる。

稽古をして、打ち合わせをして、自分の仕事を確認する。

そして、さっき、NHKで放送されたドキュメンタリーをYOU TUBEで見て、激しい感銘を受けた。
このところの、わたしの眠りを阻む迷いや疑念を、すべて晴らしてくれる、人間の力があった。
美しい命が、たくさんあった。
だからこそ、また、今の日本を憂うのだが。

2011年3月24日 (木)

ことだま。

■情報があまりに錯綜し、自分の行動の立脚点をなかなか見いだせないでいる。
あれ以来。

先の仕事の準備の傍ら、ひたすらに本を読んでいる。
今は井上ひさしさんの「東京セブンローズ」を読んでいる。
戦中戦後の日本人のあり方が、
そのまま現代の東京を生きる人たちに重なって、
自分と、自分を取り巻く人々を見直さざるをえない。
正しいとは何か?
逞しいとは何か? 
賢いとは何か?
優しいとは何か?
助けるとは何か?
潔いとは何か?
自由とは何か?
暮らすとは何か?
働くとは何か?
拘るとは何か?
生きるとは何か?
罪とは何か?


■「あ!そろそろだよね」とふと思い出して、
G-Rocketsの山中陽子さんのブログを開いたら、
なんともしっかりした女の子が誕生していた!
折しも今日は、都内で基準値以上の放射性物質が水道から検出されて、乳児のこれからが心配されていた。こんな時期に生まれるには、意味がある。いや、意味なんかあってもなくてもいいや。立派に生まれてよかったと思う。しかも、わたしが出会った中でも、最も逞しい女の中のひとり、陽子のことだ。
きっと、そこからたくさんの人に、生きる力や元気が伝播していくだろう。
ああ、よかった。
もう、わたしは、何度このタゴールの詩を引用したかわからないが、
それでもまた引用する。
言霊ってものを信じているので!
言葉を音にして唱えるだけで生まれるものがある。
紙に書くだけで、キーボードをたたくだけで、生まれるものがある。
……と信じているので!

すべての嬰児は
神がまだ人間に絶望してはいないという
メッセージをたずさえて生まれて来る。


■柴田トヨさんのことは、以前にもこのブログで紹介をした
トヨさんが、飛鳥新社のHPに、この度の震災にふれて書いてらっしゃった。
今回も、リンクをはるだけではなく、書き写し、転載しよう。
きっと、かまいませんよって言ってくださりそうだから。
きっと、言霊があるから。

=================

 被災者の皆様に
          柴田トヨ

 あぁ なんという
 ことでしょう
 テレビを見ながら
 唯 手をあわすばかりです
 皆様の心の中は
 今も余震がきて
 傷痕がさらに
 深くなっていると思います
 その傷痕に
 薬を塗ってあげたい
 人間誰しもの気持です
 私も出来ることは
 ないだろうか? 考えます
 もうすぐ百歳になる私
 天国に行く日も
 近いでしょう
 その時は 日射しとなり
 そよ風になって
 皆様を応援します
 これから 辛い日々が
 続くでしょうが
 朝はかならず やってきます
 くじけないで!

=================

2011年3月21日 (月)

我自らのために。

ニーチェの言葉。

わたしたちは歴史というものを自分とはほとんど関係のない遠く離れたもののように思っている。あるいは、図書館に並んだ古びた書物の中にあるもののように感じている。
しかし、わたしたちひとりひとりにも確かな歴史があるのだ。それは、日々の歴史だ。今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。
おじけづいて着手せずにこの一日を終えるのか、怠慢のまま送ってしまうのか、あるいは、勇猛にチャレンジしてみるのか、きのうよりもずっとうまく工夫して何かを行うのか。その態度のひとつひとつが、自分の日々の歴史をつくるのだ。

生きた魚を手にするためには、自分で出かけていきうまく魚を釣り上げなければならない。
これと同じように、自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない。
そしてそれは、魚の化石を買う連中よりもましなことだ。自分の意見を持つことを面倒臭がる連中は、金を出してケースに入った化石を買う。この場合の化石とは、他人の昔の意見のことだ。
そして彼らは、買った意見を自分の信念としてしまう。そんな彼らの意見はいきいきとしておらず、いつまでたっても変わらない。けれども、この世にはそういう人間が数多くいるのだ。

タゴールの言葉。

鉢の中の水はきらめいている。海の水は暗い。
小さな真実は明晰な言葉をもつが、
大きな真実は大きな沈黙を持っている。

2011年3月18日 (金)

いろんな、力に。

■「南へ」公演を再開した時の、野田さんの挨拶文を読む。胸が締め付けられる。横隔膜をぐっと下に押し下げて、大きく呼吸する。

■そうだ。明日の稽古でも、たくさん呼吸しよう。呼吸して、余分な力から解放されることを思いだそう。

■「楽屋」にも「悪魔の絵本」にも出てくれた、しばしば私塾の稽古に来てくれて塾生の手本であり姉になってくれている、かほりが、コメントを残してくれた。……わたしは、3.11の後、かほりにメールをもらってたのに、返信していなかった。自分が詰まっていると、いつもこうだ。でも、かほりの方からここに来てくれて、また発信してくれる。繋がっていること、確認できる。かほり~、ありがとう。また、稽古場に遊びにきてね。

■秩父にも思いは飛ぶ。本当だったら、19日に久しぶりにみんなと会う予定だったが、レッドアローは動かず、秩父線も昼間は動かないという現状だ。こんな時こそ、あの仲間たちと歌いたいし、あのおおらかなチームは、人を笑顔にすることができるから……。誰よりわたしが、あそこに行くと笑っているという気もするけれど。
笑いたいなあ、心から。笑いたいなあ、体ごと。
この時期に、がんがんワークショップとか開きたい気持ちでいっぱいなのに、どうも花粉のおかげで調子が出ない。ああ、悔しい。にっくき花粉め。まぶたも小鼻も、真っ赤にして、明日も私塾だ。

■買い占め後のスーパーで「……何もない」と途方に暮れていた娘に、父から段ボール二箱分の食料が届く。パンに、卵に、牛乳に、小躍りして感動する。ごくごく日常的な食べ物がそこにあるだけで、ふくふくと喜びが湧いた。感謝、感謝、感謝。そして、この食べ物の喜びを、被災地に送ってくださってるあらゆる人たちに感謝、感謝、感謝。

■生まれて50年近くたつが、今、最も自分が日本人であることを意識していると思う。こういう時に何を読むかと自分に問うて、司馬さんの著作を手にとる。わたしの久しぶりの充電期間は、震災で始まった。
そう言えば、2002年にモスクワを訪ねたのも、充電期間の始めだった。そしてノルド・オストの劇場占拠事件に遭遇したのだった。怯えに怯えて過ごし、そして劇場が汚されることに痛んだ。でも、あの戒厳令下でも劇場は開き、幕があがることに、どれだけ救われたか。モスクワ芸術座で見た書き下ろし喜劇に、マールイで見た桜の園に、ボリショイで見たオペラに。
娯楽の少ないモスクワでは、悪ガキどもが劇場に遊びに来てもいた。ロビーを駆けずり回ってたくせに、芝居が始まると、大人しく席に座って見ているのだ。長銃を抱えて警察が、無線を鳴らしながら劇場内を警備してかなりものものしかったのだが、芝居が始まると、なんと客席に座って無線を切ったのだ!
ボリショイには、ロシア在住の知り合いと行ったので通訳してもらえた、こんな話。……テレビ局が来ていて、一人でオペラを観にきていたお婆ちゃんにインタビュー。「こういう時期に、劇場に来ていて、怖くありませんが?」お婆ちゃんの答え。「戦争中も、亭主が徴兵されてから、わたしはずっと一人でここに来てたから。」と、いかめしい顔でサンドイッチを頬ばっていた。

■劇場の力。わたしはこれを信じる。

2011年3月17日 (木)

新しい日常。

・近所のスーパー、コンビニから食料が消える。ひどいものだ。「備えあれば憂いなし」という言葉は正しい。ただ、節度というものが必要だろう。

・きれいな言葉、前向きな言葉、思いやりの言葉、言葉を出すのは簡単。簡単な言葉が躍っている中で、買い占めなどという節度のない行為が横行する。

・言葉を懸命に選んで、何とか言葉で人の力になろうとする人、何とか言葉で錯綜する情報を正そうとする人たちは確かにいて。尊敬できる人々がいて。誤解されることも、瞬時に消えていくことも恐れず、言葉を発信し続けている。美しい姿はたくさんある。でも、それらを覆い隠してしまうのも、やはり垂れ流されていく、簡単な言葉たちだ。

・この、今は非日常としか思えない新しい日常と、もう戻れない3月11日以降の母国とどう向き合うか。表現者なら誰でも直面しているはずだ。新しい日常が落ち着いたら、話をしたい人がたくさんいる。
それと同時に、己れ自らで考え感じるしかないのだということ。

・今日は久しぶりに稽古に出る。本来は休みだったのだけれど、「稽古をしたい!」という声が届いて、急遽稽古場を押さえた。「石丸さん、稽古したいです!」こう言われて段取りしている時、わたしはしばし憂いから解放される。

おなかが空いている人が目の前にいれば、美味しい食事を作ることに没頭できる。
求められているものがはっきりしていれば、それを叶えたいと思えば、わたしはかなりのエネルギーで滅私奉公するタイプの人間だ。そこに生きる意味を見いだしがちな人間だ。それが自己満足かもしれないという恐れも何も、相手の求める力が消してくれる。わたしはいつも、与えられることより、与えることが、好きな人間だ。だから……。

被災地の人たちに何ができるかと、もちろん考えた。偏った報道を見ているだけでも、そこで何が求められているか、はっきりとわかる。具体的な労働力と、組織する頭脳、どちらでもいいから手助けしたくなる。
でも、そこはわたしの居場所ではないということを、きっとたくさんの人と同じような思考回路を経て、認識した。

・「稽古してください!」の声に応えることから、わたしは今また始めるしかない。今日は、加藤さんと遼と穂高に会う。わたしの、小さくて大事な世界から始める。

2011年3月16日 (水)

「おはようございます。」

また、朝がこようとしている。
また太陽が昇る。
わたしは今夜も眠らぬ夜を過ごしたが、空はもう、光の訪れを感じさせる。
紛うことなき、朝だ。

未曾有の惨事が起こってから、
その惨状をメディアで見聞きし、言葉を喪っていた。
情報交換も、優しさも、戸惑いも、希望も、共感も、批判も、非難も、恐怖も、怒りも、不信感も、絶望も、すべてが言葉になって溢れていて、そこでわたしは、何も言葉を発することができなくて、黙っていた。
今、わたしが稽古中であったり公演中であったりすれば、公人としてのわたしが俄然強さを発揮して、言葉の力で人と関わり人を導こうとしただろう。
そのようにして、生きてきた。
でも、今わたしは、たまたま一人になって、次なる自分の表現を模索する時期に入っていた。
私人としてのわたしは、何も言葉を発することができないでいた。
それが、本当のわたしだ。
誰もが現実として受け入れようとしている、
突然の無残な死の堆積に、押しつぶされていた。
機能しない人のまま、現実逃避のように、戯曲を読み、先の仕事に熱中していた。

余震に揺れる部屋の中で、
立ってみようかと思う。
生きていることを喜び、
相変わらず、演劇人として、
生きていることを感じようと思う。
虚実を行き来する仕事に命を投じてきた自分を振り返り、
あまりにも強烈な現実を前に、
それでも虚構の世界が人に与える何かを信じる。
歌いたい。
笑いたい。
ともに泣きたい。
話したい。
繋がりたい。
そして。
寒さ、飢え、悲しみ、あらゆる恐怖の中で堪える人たちに、
どうやっても通じない祈りを、
続ける。

どうか、どうか、痛みよ去って。
どうか、どうか、かえがえのない人を奪わないで。
神さま、これ以上ひどいことをしないでください。
お願いです。

瞬間をおそれるな──かく永遠なるものの声は歌う。
汝もし太陽を見失うとて涙するならば、
汝はまた星をも見失うであろう

タゴールの言葉。
これは、自分自身への、戒め。

おはようございますと、昇りくる太陽に挨拶。
その、一回、一回の、積み重ね。
あと何回挨拶できるか、誰も皆、知らない。
だから、生きている証に、今日もしっかり挨拶しよう。

2011年3月 7日 (月)

あれこれ。

わたしは、自分の作品を残すことにあまりこだわりがない。
自分自身も写真を撮らないし、作品を写真やビデオに残すことも進んではやってこなかった。
一瞬一瞬、生まれては消えていく演劇の運命を、愛してもきた。
でも、昨年の「楽屋」以来、わたしの作品を写真に焼き付けて残してくださる方がいる。
「悪魔の絵本」も「ACCIDENTS 2」も、美しい時間が切り取られて残った。
切り取られたのは、すべて瞬間なのに、その時の息づかいも匂いも温かさも写し取られている。

いつも無数に撮ってくださる写真の中から、今回のスライドショーを作成してみた。
どうぞご覧下さい。撮影は、すべて、橋田欣典さんです。

こちらから。

===

旧友トクマスヒロミに、今回は舞台美術を頼んだ。
演劇とモノへの愛が炸裂して、彼女は瞬時のインスピレーションを頼りに、die pratzeに世界を創ってくれた。美しかった。
彼女のブログに舞台写真がたっぷり紹介されている。
人を撮ったものではなく、空間の写真。
美しい。

トクマスヒロミさんのサイトはこちら。

トクマスは、いろんなものを創る人だ。
最近は、特に、とっても美しくて賢い、あずま袋を世に送り出している。
求めるお客さん一人一人にあわせて受注生産するという、なんとも贅沢なものだ。
興味のある方はご覧いただきたい。

あずま袋関連記事はこちら

===

このところ、新しい生活だ。
新しいことを考え始めているのだけれど、これまで歩いてきたことももちろん影を落としている。
3月5日の岸田國士さんの命日を出発点に、全集を一から読み始めた。
「動員挿話」「灯ともし頃」「命を弄ぶ男ふたり」の三本の上演は、演出家であるわたしにとって、心躍るものだった。再演もしたいし、また新たに作品をこの方の言葉の中から生み出したいと思っている。
そしてまた、自分の生きている意味と自分の言葉を探る旅にも出る。
ACCIDENTS2で感じたあれこれが、わたしを動かしている。
しばらくは、沈潜して暮らす。
アウトプットが過ぎて興奮した心と体をゆっくり冷まして、自分とゆっくり向き合う、新しい日々。

===

大掃除を終えて、ようやく多少の美観を取り戻した我が仕事部屋に、30本の深紅の薔薇が鎮座ましましている。中川くんが劇場に贈ってくれたバラたちは、いつまでも枯れることがないんじゃないかと思うくらい元気だ。贈り主の命の力の強さかしら。

Roses

Roses1


2011年3月 4日 (金)

ACCIDENTS 2 終演す。

ご来場いただいた観客の皆様に、心からお礼申し上げます。
無事、終演いたしました。

決算も終わり、さて、総まとめを、言葉にして、残しておこうと思うのだけれど、また明日にする。
今回は、何ともハードワークだった。
演出家の仕事だけやっていればいいときの5倍くらい忙しかった、時間がなかった。
その中で、俳優たちとどんな風につきあってきたか、どんな結果があの黒い小さな空間に躍ったか、落ち着いたら書いておこう。

今日はひとまず、die pratze公演恒例、バラシ&掃除後写真をアップ。


Accidents2_2


« 2011年1月 | トップページ | 2011年4月 »