稽古場への道、川沿いに、桜の木のアーチがあって、
幾日か桜に包まれる喜びを味わった。
今日は風が強く、花びらが踊る中を、自転車を駆る。
きっと、この春最後の喜び。
世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
(在原業平)
春になると、いつ咲くかいつ咲くか、心が落ち着かず、
咲いてみれば、風が吹かないか、雨が降らないか、
散ってしまうんじゃないか、
いつまでこの美しさがもってくれるのかと、
何か心が落ち着かない。
そわそわと時を過ごす。
桜なんてものがなかったら、
もっとのどかに春を過ごすことができるだろうに。
でも、もし、本当に、この世に桜がなかったら……?
桜のない春なんて、想像できない。
桜が咲くから「春」と呼べる。
この美しさを味わえない春なんて、人生なんて、考えられない。
バラに棘があるように、
何か美しいもの、何か喜びを得るもの、何か幸福を感じるものには、
それなりの代価を払っているような気がする。
でも、辛い思いをしてまでも、自分の身を削ってまでも、
本当に、「これがなかったら人生なんてつまらない」と思えるものは、そうそうない。
でも、確かにある。
みんな、持っている。
だから、楽あれば苦あり、苦あれば楽ある人生を、
よっこらよっこら生きていける。
そういう、本質的なものを、もっと大事にする世の中であってほしい。
自転車で、わたしの頬をかすめて風に流されていく花びらを感じながら、
そんなことを考えた。
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ドナルド・キーンさんが、「東日本大震災があった今こそ、愛する日本への信念を表したい」と、日本国籍を取得したうえで日本に永住されるという記事を読んだ。
しばらく、胸が熱くて熱くて、じっと記事の字面を眺めていた。
学生時代から、日本文学を語るキーンさんの著書には親しんできた。
あの頃は考えが及ばなかったが、自分の母語でない言語と文学をあそこまで語ることは、どれだけかの愛とどれだけかの努力があったことだろう。
「奥の細道」の英訳もされたキーンさんが、東北を思う気持ちに、打たれる。
文学の力を感じる。
言葉の力を感じる。
このところ、人が人を大事にする気持ち、人が世界を愛する気持ちに、ずっと心動かされて生きている。
巨大な不幸は消せないし、人は相変わらず醜く愚かな側面も持つ。
でも、それを補ってあまりある、尊厳を、人は持っているのだな。
被災地のために行動する多くの人を、尊敬してわたしは見守る。
後方支援、どんなことでもしたい。
6月に、ヴァイオリニストの西谷さんと企画して、音楽とライブの夜を三夜ほど企画している。
チャリティーとは銘打たないけれど、売り上げをなるべくいーっぱい寄付できたらと思っている。
これも、吉野さんという劇場主に感動して、決めた企画だ。
吉野さんは、震災の前日、劇場をオープンされた。
当初の企画を実現できない中、劇場の意味を考えられた。
そして、4月から9月まで、劇場費なしで貸し出して、その分、売り上げを寄付にまわし、表現の場と被災地を結ぶ企画を決められたのだ。
それぞれのかけがえのない思いが束になって、
どうぞ少しでもたくさんの苦痛が去りますよう。
そして、大事な母国、大事な地球を守れますよう。