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2011年4月

2011年4月25日 (月)

幸福を、心して、享受する。

選曲打ち合わせ。
あっという間に時間が過ぎる。
それがなんであれ、何かを創り始める時は、いつも不安。
これでいいのか、これは受け入れられるのか、
でも、いつも直感を信じる。
もちろん、深く沈潜して考えもする。
でも、これを見たい、これを聞きたい、感じたい、という、
直感が、何よりものを言う。
今日も、手探り打ち合わせ。
今、創ろうとしているものの、「気分」を、大事に。
……気分と書くと、何かいい加減なニュアンスもあるが、
それは、意志や覚悟に支えられている類の、「気分」だ。

帰宅して、また、現在、現実と向かいあう。
インターネットをたちあげた途端に、溢れてくる、
この国の現実。
多くの人たちの、痛みの現在が、また。
覚悟して選んでいるはずの、この、「気分」が、
また揺らぐ。
これでいいのか。これでいいのか。
と、いまだにわたしは揺らいでいる。
なんて弱いんだ。
この弱さも含め、わたしの現在。

その現在が、ひとつひとつ選択しているのだ。
きっと、ここにも、意味がある。
それを、生きること、と、今は呼ぶ。
幸福を、心して、享受する。

2011年4月23日 (土)

真っ当であること。

6月の8日(水)〜10日(金)の公演が本式に決定した。
音源を聴き、楽譜を眺め、幾つか夜が過ぎ、朝起きると、稽古場が待っている。
私塾には新しい血が流れ込み、少しずつ活性化している。
とことん、人間と、言葉につきあう。
空いている時間は、どうしてもどうしても、報道を追う。
インターネットで片っ端から情報を得て、今、日本で何が起きているのか知っていないと落ち着けない。そして、知れば知るほど落ち着かない。
このざわめきと不安の塊を体に押し込めたまま、言葉に触れる、音楽に触れる。
何もかもが、かつてと違う様相を帯びてわたしに迫る。

自由報道協会の呼びかけで、孫正義氏が自然エネルギーについて語るのを聞く。
そこには、今、マスコミの報道では決して出会えない真っ直ぐな言葉と、自分の国の未来への真摯な思いがあって、感動する。
おかしいものを、おかしいと言い、導くべきを導く水路を手探りで作ろうとする行動力に、その真っ当さに、感動した。
突然、横隔膜がぐいんぐいんと痙攣して、少し泣いた。
悪い塊が、ごろりと出ていった気がした。
真っ当なこと。
当たり前な人間の感情から直結する行動。

歪み始めた情報伝達ラインや、
私欲蠢くあらゆる体制や態勢、
そして、大きな大きな不幸、
喪われてしまった土地、
命を育めなくなった土地、
汚しつつある美しい自然、慈養、
奪われた自由、
そして、ヒステリックになっていく心、
あらゆることに怯える今、
真っ当であることが、どれほど心の震えを鎮めてくれるか。

ああ、わたしの仕事は。

2011年4月16日 (土)

かけがえのない、美しいもの。

稽古場への道、川沿いに、桜の木のアーチがあって、
幾日か桜に包まれる喜びを味わった。
今日は風が強く、花びらが踊る中を、自転車を駆る。
きっと、この春最後の喜び。

  世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                       (在原業平)

春になると、いつ咲くかいつ咲くか、心が落ち着かず、
咲いてみれば、風が吹かないか、雨が降らないか、
散ってしまうんじゃないか、
いつまでこの美しさがもってくれるのかと、
何か心が落ち着かない。
そわそわと時を過ごす。
桜なんてものがなかったら、
もっとのどかに春を過ごすことができるだろうに。

でも、もし、本当に、この世に桜がなかったら……?
桜のない春なんて、想像できない。
桜が咲くから「春」と呼べる。
この美しさを味わえない春なんて、人生なんて、考えられない。

バラに棘があるように、
何か美しいもの、何か喜びを得るもの、何か幸福を感じるものには、
それなりの代価を払っているような気がする。
でも、辛い思いをしてまでも、自分の身を削ってまでも、
本当に、「これがなかったら人生なんてつまらない」と思えるものは、そうそうない。
でも、確かにある。
みんな、持っている。
だから、楽あれば苦あり、苦あれば楽ある人生を、
よっこらよっこら生きていける。

そういう、本質的なものを、もっと大事にする世の中であってほしい。
自転車で、わたしの頬をかすめて風に流されていく花びらを感じながら、
そんなことを考えた。

===

ドナルド・キーンさんが、「東日本大震災があった今こそ、愛する日本への信念を表したい」と、日本国籍を取得したうえで日本に永住されるという記事を読んだ。
しばらく、胸が熱くて熱くて、じっと記事の字面を眺めていた。

学生時代から、日本文学を語るキーンさんの著書には親しんできた。
あの頃は考えが及ばなかったが、自分の母語でない言語と文学をあそこまで語ることは、どれだけかの愛とどれだけかの努力があったことだろう。
「奥の細道」の英訳もされたキーンさんが、東北を思う気持ちに、打たれる。
文学の力を感じる。
言葉の力を感じる。

このところ、人が人を大事にする気持ち、人が世界を愛する気持ちに、ずっと心動かされて生きている。
巨大な不幸は消せないし、人は相変わらず醜く愚かな側面も持つ。
でも、それを補ってあまりある、尊厳を、人は持っているのだな。
被災地のために行動する多くの人を、尊敬してわたしは見守る。
後方支援、どんなことでもしたい。

6月に、ヴァイオリニストの西谷さんと企画して、音楽とライブの夜を三夜ほど企画している。
チャリティーとは銘打たないけれど、売り上げをなるべくいーっぱい寄付できたらと思っている。
これも、吉野さんという劇場主に感動して、決めた企画だ。

吉野さんは、震災の前日、劇場をオープンされた。
当初の企画を実現できない中、劇場の意味を考えられた。
そして、4月から9月まで、劇場費なしで貸し出して、その分、売り上げを寄付にまわし、表現の場と被災地を結ぶ企画を決められたのだ。

それぞれのかけがえのない思いが束になって、
どうぞ少しでもたくさんの苦痛が去りますよう。
そして、大事な母国、大事な地球を守れますよう。


2011年4月13日 (水)

しばしの解放。

かつて仕事でご一緒した音楽家でもあり、歌唱の先生でもあり、声の専門家でもありの先輩女性と、じっくりじっくり話す。
こんなに話したのは……いつぶり?
ガラスの仮面の時に、池上さんと曲創りに燃えていた時以来か。

音楽を語るのは楽しい。
言葉について語るのは楽しい。
久しぶりに、ニュースから解放されて話した、6時間。

自分の中から、情熱が迸ってくるのを、いくたびか感じた1日。
ささやかにでも、創り続けよう。
キャラメルボックスに賛同。
わたしも、馬鹿みたいに、芝居を創り続けます。

2011年4月12日 (火)

1ヶ月の時を経て。

一ヶ月が過ぎた。
余震は続く。
無数の、無念の死を思えば、まだ四十九日も過ぎない。
わたしに出来ることは、
自分の日常を生きながら、
ひたすら祈ることだけ。

内田樹さんが3月16日の段階で「疎開のすすめ」を書かれた時、わたしはその真意が理解できなかった。
でも、今はわかる。
その後の「兵站と局所合理性について」「荒ぶる神の鎮め方」「原発供養」と続く文章には、ずいぶん気持ちを鎮めてもらった。
でも、いくら気持ちが鎮められても、事態は鎮静していない。

仕事をする時は、なるべく情報から遠ざかろうと努力している。
でも、それは無理なこと。意味がないこと。
現在と共存するしかないのだから。
さっきも、日付が変わる時刻になって、

国の原子力安全委員会は11日、東京電力福島第1原子力発電所の事故で、これまでに最大1時間あたり1万テラ(テラは1兆)ベクレル規模の放射性物質が出ていた可能性があるとの試算結果を明らかにした。

という内容の、日経毎日のウェブニュースが届いた。
政府はチェルノブイリと同じ、レベル7と見直す方向で検討に入ったという。

明日も稽古する。
未来を夢見る人たちと。演劇を喜びとする人たちと。
急遽決めた6月のライブも、7月の公演も、わたしをワクワクさせる魅力に満ちている。
自由を剥奪されたまま、今ここでこの状況下で、自由であることを、模索する。

2011年4月11日 (月)

自由という言葉の個人的解釈にも変容がある。変容しつつある。

目の前にやるべきことが堆くなってきたので、仕事を始めようとしたものの、つい、芝公園のデモUstreamで見てしまう。
自分の人生に今までほぼ関係のなかった、「デモ」というものについて、その意味とあり方について、初めて真面目に考える。
そうこうするうちに、高円寺でも若者が中心となったデモの風景が配信され始めて、どうも落ち着かず、選挙に出向いた後、高円寺に向かう。わずかな時間一緒に進んでみたが、疑問が去来して……これは大いに自分への疑問だが……すぐに列を離れ、帰宅。
届くもの、届かないもの。届けるために必要なもの。
誰一人同じではない個人個人の存在が、その人数分、また大勢が寄ることによって、人数分以上の訴えの束になるために、何が必要であるか。
芝公園に集まった比較的高齢の集団と、高円寺に集まった比較的若年の集団と。
その後、開票結果が出て、またまた、考える。
これじゃあ、仕事になるわけがない。でも、ここが肝心でもある。自分の明日のためには。

自由という言葉の意味を、考える。

===

岩上安身さんが配信する、被災地のボランティア活動の記録を見ていたら、津波の被害を受けた映画館が映し出された。
石巻パールシネマという、今はロマンポルノを専門に上映する劇場だった。
その歴史は古く、開業は大正年間に歌舞伎小屋を作ったことから始まっており、弁士つきの活動の頃から、多くの映画が上映されてきた場所だった。
敗戦後、どれだけの人がこの椅子に体を埋めて、夢を見たことだろう。
泥に埋もれた客席を見て、胸が痛くなった。
何も手ずから出来ないことに無力感を覚える。
3月11日以来、この思いが蓄積し続けている。
そろそろ終止符を打たなければと思うのだが、簡単ではない。

===

6月に急遽開催することにしたイベントの企画を練る。
宮沢賢治の作品をとりあげるかもしれないので、研究。
賢治が産まれる2ヶ月前に、三陸地震津波が岩手を襲ったこと、また、賢治が亡くなる年の春、やはり三陸沖地震が起こって、津波の被害を受けたことを知る。
彼はその短い人生で、天災に苦しむ故郷の自然と語りあい交感しあい、その地の人々や暮らしを愛し、作品にその一端を残した。
かつて秩父で「セロ弾きのゴーシュ」をとりあげた時には注意を払えなかったあれこれに、深く思いが至る。
そんな時に、宮沢賢治の作品の朗読を続けている方から、私塾で学びたいという問い合わせが届いたりする。何か、呼ばれているような気持ちになったりする。また、賢治の作品を一から読み直そうと心に決める。
お気楽だと言われそうだが、誰だって、自分の明日を自分で模索できるはずなのだ。それが自由。
人生の解釈は、自分自身でする。それが自由。
明日が迎えられて、明日を自分自身が作れること、それが自由。
自分の意志で、世界と関係を持つことができる、それが自由。
自由を奪われた方たちの未来のためにも、わたしはこれからも、自由に、創りたい。


2011年4月10日 (日)

何のお陰で生きるか。

春を感じる。
稽古場の窓の外に桜花。
風も春。春の風。
本来なら、日本人ならではの、混じりけのない喜びに、
混じりけのある哀しみ、それが今。
忘れて生きる方がいいのか、
忘れてはいけないと生きるのがいいのか、
常に揺れている。
悩ましい。

3月11日を経て、
わたしたちの人生感は、みな少しずつ変わった。
日本という国の一員であるという意識が、少しずつ変わった。
これは喉元を過ぎても忘れない熱さだ。

「悪魔の絵本」で知り合ったヴァイオリニストの西谷国登さんと一緒に、音楽と演劇を楽しむ企画を練る。彼の若々しい前向きな気持ちが、わたしを動かす。
自分と世界と演劇に、しっかりと向き合おうとする劇場主の思いに、心を動かされる。
人は、とっても難しい。
でも、時に、とっても人は簡単。
一緒に元気になるために、
一緒に生きている喜びを感じるために、
出来ることを考える。

人々の哀しみの束が、
わたしに、かつてより生きることの喜びを深々と感じさせる。
この国の構造の穢れが、
わたしに、人任せに生きるなと、逆説的な警鐘を鳴らす。
いろいろな、おかげで、生きている。
「十二夜」の道化が、「お陰」のダジャレを並べるところがあったな。
どんな台詞だっけ?
ただ、今選ぶべきは、
何かの、誰かの、陰にいる恩恵よりも、
自分の陰にいる人に、何かを伝えたり与えたりすることか。
ささやかでもいいから。
……もう、そんな年齢だ。

原発のおかげで生きてきた東京が、
明日、都知事選挙を迎え、
大きな原発反対デモも実施される。
何のお陰で、わたしたちは生きるか。
自分で選ぶことが肝心なのだと、
選んだことに責任を負うことが国民の資格なのだと、
たくさんの人が同時期に、気づいている今だ。

2011年4月 8日 (金)

揺らぎ、歪み。

昨日は遅くまで打合せ。
キャスティングが決まるまで、ちょっと落ち着かない。

ネット上で風評被害を取り締まる動きがあったり、
学生がボランテイア活動で単位を取れるよう指示があったり、
世の中の歪みは激しい。

それでもわたしは、今日もささやかながら実のある稽古をし、
先の公演の準備に動く。

激しい余震。
……またしても停電に見舞われる中、津波警報に怯える人々を思うと。
ああ。

朝、斉藤和義さんの反原発ソング「ずっと嘘だったんだぜ」を聴く。
胸のすく思い。
言論の自由。
表現の自由。
彼は自分の思うところを歌った。
わたしはそれを聴いて胸のすく思いだったし、
ある嫌悪を覚える人もいるのだろう。
それが、今の日本だ。
でも、言論の自由。
これが、表現の自由。

仕事から帰ると、
やはりYOU TUBEやにこ動からは削除されていた。
すぐに消されることを予測して、
朝ダウンロードしていたものがわたしのHDにある。
歌は、届く。
表現は消えない。

黒澤明監督は、「夢」で、すでにこの挿話を撮っていた。

信じていることを、
言い続ける、
表現し続ける、
勇気がほしい。
自由を手に入れるのが楽な時代ではなくなった。
勇気と強さがなければ。

2011年4月 6日 (水)

それでも、この世界は素敵だと、意地でもなんとか言い張ってやる。

稽古は楽しい。
少人数で今期をスタートして、
一人一人の成長が見える。
あまりにもささやかな活動だけれど、
稽古が楽しい。

仕事が楽しい。
戯曲の言葉に向かっていると、
我が想い、迸る。

石丸さん、何かやりましょうよと話しかけられる。
新しい仕事の話がくる。
これまたささやかな仕事なのかもしれないが、
近い未来に、遠い未来に、悦びを予感する。

===

この国のニュースに、今日も芳しい進展はなかった。
何が真実なのか、何が偽りなのか、境界は曖昧。
とびきり美しいものや、とびきり侮蔑すべきものが、かつてより目に立つ時期だけれど、
なべて人は、美しいとか醜いとかで、線引きはできない。
ただ、自分の心と眼で、
真偽を見分けることはできる。
自分の心と眼で、
美しいものを求めることはできる。


それでも、この世界は素敵なんだと、意地でもなんとか言い張って生きてやる。

2011年4月 5日 (火)

この世に生まれて、信じるということが、これほど難しい時はなかった。

少しずつ、行動する。
進捗がある。

上演台本の第一稿があがって、印刷を待つ時間。
刷りたての台本に、赤鉛筆を手に向かう時間。

幾らかでも人の役に立つためのゲリラ公演、劇場の下見準備、
まだ何をやるかも決めていないけれど、
ともに歩く人がいれば何かできる。
自分が楽しいことをやって、わずかなりとも人の役に立てば。

部屋を片付ける。
珍しく抜本的にきれいにする。
クリーンであることを、心身が求めている。

***

でも、今日、とうとう海に汚染水が放たれた。
泣きたくなった。
いや、こう書くだけで、目が熱くなってくる。
泣いたって仕方ないけれど、泣けてくる。泣くぐらい許せ。

「高濃度の汚染水の貯蔵先を確保するため、低レベルの汚染水を海に放出する措置をとりました。」
単純に、そう、ニュースで知らされるだけ。
東電の会見を見ても、何もない。そこに責任者の代弁を出来る人もいない。
この国の人災を、誰がどう説明し、どう釈明し、どう詫びるのか。どう落とし前つけるのか。どう責任とるのか。海は誰のもの? そこに生きるものたちは?
こう書くうちにも、地面が揺れる。
この揺れが、怒りに思えてくる。

この世に生まれて、信じるということが、これほど難しい時はなかった。
人を、人間を、まず信じてみるというのがわたしのやり方だった。
今は、もう、通用しない。
何を信じるか、まず、選ぶ行為から始めなければならない。
選ぶ行為の始まりは、疑ってかかるということから始まる。
疑ってみる。知性と想像力のありったけを総動員して。
でも、わたしに出来ることは、信じることをやめるという、建設的とは言えない行為で、ただひたすらに無力だ。
行使する力を持つ人たちを、信じることさえ出来れば……。

こんな中にあっても、
信じる力のことをずっと書き続けている人がいて、
わたしは救いを求めるように、或いは深い共感をもって、
彼が毎日、書き綴る言葉を大事に受け取っている。
糸井重里さんの言葉たちだ。
世の中は、こんな風だから、また朝がきて、わたしは自分の仕事に戻ることができる。
泣いたり。
笑ったり。


2011年4月 4日 (月)

気づく。回り道する。

昨日も今日も、なんていいお天気なんだろう。
春の陽射しに包まれているこの幸せに、目に見えないもので汚染されつつあることがずっとつきまとう。
春に芽吹き、初夏には淡い新緑を誇り、生命の力を年ごとに教えてくれる樹木たち。
大好きな樹木たち。
彼らが、汚れたものを循環し続ける、その想像に、目眩を覚える。
土の慈養を受け継ぐ植物たちは、食べ物として、わたしの体内バランスを支えてくれてきた。
そして、命を育む、命あったものたち。その血がわたしの血を巡らせてくれた。
食物連鎖の中のはしくれのこの体は、
自然に、生きるために生きるために、作られていて、自分で闘えるようにできていた。
ああ。川のすぐ側で生まれたから、水が好きだ。何度も水の風景に助けられた。
しかし、清冽という美しい言葉は、もう水を形容してくれなくってしまうのか。

わたしは環境問題には無関心な生活を送ってきた。
簡単に言ってしまえば、自分に被害が及んでいなかったからであり、わたしは自分が享受している太陽や空気や水の恵みに、思いっきり感謝することで生きてきた。
人生に与えられた時間は、そう多くない。
わたしは今、演劇に携わり続けることと、周囲の人たちを愛することだけで、せいいっぱいだ。
それは今もこれからも変わらないだろうけれど、11日以来、わたしは、環境を汚染する様々な問題と闘い、人生時間を費やしている人たちの生活や作品を追う。
わたしは、もう50歳になる。充分に、恵みを楽しんで生きてきた。
そのありがたさをよく知っているからこそ、歪みが恐ろしい。
この世界をこれから楽しもうとしている、新しい命たちに申し訳ない。
わたしは、自分を取り巻く環境が、当たり前に大好きだったから、問題にしないで生きていた。
安穏と。
でも、それはこれまでも、守ることに人生時間を費やしてくれている人たちがいたからなのだと、今更ながらに気づく。遅い、気づき。

稽古をし、作品を作る日常は、粛粛と続く。
回り道をしよう、急いでも仕方がない。
感じること、考えることを、今しないで、いつするのだ。

(ああ、この粛粛と、という言葉がわたしは好きだったのだけれど、上関原発の工事続行のための文章に、「粛粛と工事は続ける」とあって、この言葉が可哀想でならなかった。)

改めて、期せずして命を失われた方々のために祈る。
大切な人を喪ってしまった方々を想う。
懸命に作り上げてきた、それぞれの幸せ、それぞれの快適、剥奪されてしまった喜び。

今、自分が何もできないという事実に押しつぶされないこと。
わたしのやるべきことは、わたしの中にある。
回り道しても、やるべきことがわたしにはある。
世界と自分を、ちゃんと見据えていること。

溢れかえる言葉の中で。

情けないわたしの腰も、ようやく元に戻り……8日もかかったのは長いのか短いのか。何にしろ、この時期に、情けないことではあった。
静かに本を読み、物を書くことが多い時間の中、なるべくなるべく、原発のことを考えないようにしていた。なんでこの時期に、そんな逆説的なことを?と思うが、心が乱れすぎるのだ。
起こっている事故に怒ったり怯えたりする前に(そんなことは言えた義理じゃあない、わたしは現場で働く技術者や戦士ではないし、避難生活をしているわけでもないし)テレビから流れ来る、まるで言論統制下のような言葉たち、責任を逃れるための言葉、曖昧な言葉、正しい日本語を使えない政治家たち、隠す言葉、煽る言葉、もう、わたしは、原発を巡って跳梁跋扈する言葉たちに疲れてしまうのだ。
そして、真実がどこにあるかわからないことに。
そして、人を信じるということを基本に生きてきたわたしが、信じるという行為を疑っていることに。
そして、何より、何より、その言葉の陰で、たくさんの人の命が危険にさらされていることに。
そして、何より、何より、何より、この世界に飛び出してきたばかりのちっちゃな命たちの未来が、最も影響を受けやすいことに。
……心が乱れるから考えまいとしたって、ダメだ、やっぱり、ずっと、追っていた。今までこの問題をスルーしてきた自分を恥じているし、今からでも知らなければならないから。知ったことを、自分のこれからに反映させなきゃ、進めない気がするから。

そんな折り、USTREAMでソフトバンクの孫正義氏が原発問題を語る姿を見た。
3時間に及ぶ番組を釘付けになって見ていた。
田原総一朗氏は、人の言葉を聞けないダメな大人ぶりを発揮していた。語るに足りず。
でも、孫さんは違った。
気負いなく恐れなく、自分の言葉で語る姿が、わたしを押し潰していたストレスを解放してくれた気がする。ああ、こんな風にしゃべればいいんだ、ああ、こんな風に言葉を誰かに渡していけばいいのだ、と。
自分が思うことを主張し、自分が疑問に思うことを問い、そして聞くこと。
自分の欲求が言葉にのっていること。
自分の願いや祈りが、言葉から零れてくること。

母語を習得してきたのは、識字して、与えられたものを鵜呑みにするためではない。
母語を覚え、母語を愛してきたのは、この言葉で考え、この言葉で与え、この言葉で交わり、この言葉で生きるためだ。

言葉が、今日も明日も、光でありますように。

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