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2011年5月

2011年5月31日 (火)

ハンドメイドでオリジナル。

1日が、今日も終わる。
たくさんのTo doをこなして、
また新しい出会いの予感があって、
稽古の時間でまた少し前進して、
明日の稽古に備えて、さらに構想を膨らませる。
気がついたら、また朝。
さっき、茨城震源でまた大地は揺れたけれど、
それでもしっかり今日も生きてる。
ありがたい。

ずいぶん時間をかけて、
チケットを作りあげた。
幾らかでも経費を安くあげて、
少しでも多く被災地に寄付をと願っているので、
色んなことが、ハンドメイド。
チケットは、
西谷さんの友人であるデザイナー松崎亮二さんが、
フライヤーもチケットもボランティアでデザインしてくださった。
そして、ヴァイオリニスト自ら紙を購入し、印刷。
そして、演出家自ら、カッターで1枚1枚切り出した。
何とも手間がかかったが、リーズナブルながら、素敵なチケットの出来上がり。

Ticket

(ちなみに、券面に『開場は開演の30分前』とありますが、1時間前に変更しました。
軽食をとったり、のどを潤して、ゆったりした気分で観て頂きたかったので。)

すべてはハンドメイド。
クラシックの名曲が登場するも、すべてわたしと西谷さんのオリジナルバージョン。

一人でもたくさんの方に、一緒に楽しんでいただきたいのです。
ああ、少しでも多くの方に……と願いながら、
今日もやすむ。
明日も稽古。
熱いぜ、明日も。


2011年5月28日 (土)

ラブレター。

仕事の合間に、ネットに漂うわたし宛のラブレターを見つけた。

ともにIN-Projectを立ち上げた西谷国登さんが、
え???ってくらいに、わたしを持ち上げてくれている。
もう、ラブレターの領域だ。

稽古場に来てた吉木遼君が、
「西谷さんは誉めるのが上手」って言ってたけど、
それか?
いやいや、こういう嬉しい言葉は、素直に受け取っておこう。
とっても心のこもった、言葉の贈り物だ。

愛情をもらったら、愛情を返す。
とっても簡単な行動原理で、わたしは生きてる。

愛情が返ってこなくったって、愛する。
これは、母から譲り受けた資質。

わたしは音楽教育をほぼ受けたことがない。
ただ、音楽が好きという気持ちだけでやってきた。
それでもたくさんの音楽人とつきあい、
こうしてともに楽しめるのは、
やはり音楽の力と言うしかない気がする。

愛なんだ、基本はね、すべて。

2011年5月24日 (火)

頑張り時。

わたし、人生で今が一番忙しいかもって、去年の秋頃感じた気がする。
でも、また記録更新しそうな激しい忙しさに立ち向かっている。
やばいやばい、ちゃんとひとつひとつ丁寧にこなせるか。
頑張れ、わたし。
頑張っても、お金にはならないのだけれど、
自分の人生時間の中においては、ちゃんと勲章をもらえるかもしれない。
自分で自分に授与するんだけどね。

2011年5月21日 (土)

石丸組。

わたしは、時に、組長と呼ばれる。
演劇だの音楽だのやっている、石丸組の組長だ。

今日、その構成員二人が、
(実は年齢も経験も上だが……)
マスカーニの孫弟子と、アラン・メンケンの孫弟子だということが発覚した。
……すごい、凄すぎる。
そんな構成員を持つ、組長であるわたし、すごい。


打ち合わせ→稽古→リハーサル→大事な会合と、
長い長い1日だったが、充実していた。
なのに……。
新宿まで終電で着いて、タクシーに乗車。
「この車、おかしい」と思った途端、
あれよあれよという間に、前の車に激突。
おかしいと思った時に、身構えていたので、
膝を打ったくらいですんだが、
いやあ、人生、一寸先はわからない。

今を生きる。
今を楽しむ。


2011年5月18日 (水)

今日の言葉。

昨夜は興奮していたなあ……。
昼間は、何も彼もを演劇に捧げているのだけれども、帰宅してネットを立ち上げると、毎夜のようにうなされている。

IN-Projectの稽古は楽しい。
これから、もっと音楽の精度をあげなきゃなんないし、俳優たちは表現を探らなきゃなんない。
でも、みんな懸命なので、直向きなので、稽古場が楽しくないわけがない。
(わたしは、共にする苦労を、楽しさと認識しています。)
一人でも多くの人に足を運んでもらいたいなあ。

今日届いたDAYS JAPANの裏表紙で見つけた、
マハトマ・ガンジーの『七つの社会的罪』(Seven Social Sins)

1.理念なき政治
2.労働なき富
3.良心なき快楽
4.人格なき学識
5.道徳なき商業
6.人間性なき科学
7.献身なき信仰

昨日は、清水さんの言葉に支えられ、今日はガンジーの言葉に、かつて生きた人の正しさ強靱さに、救われる。

時として言葉は凶器。
でも、時として言葉は、大いなる救済。

2011年5月17日 (火)

旅する術。

日付が変わる頃に、打ち合わせが終わって、
自転車を漕いで帰る。
暗いよ、街が暗い。
電気をつけてくれないと、事故が増えます。犯罪が増えます。
人間、そんなに強くありませんから、ストレスをためると、悪いことが起きます。
これが、電気の足りないふりなんだったら、やめておくれ。
都市生活に必要なものは必要なものとして、生かそうよ。

風評被害を恐れて、国民がパニックを起こすのを恐れて、
事実を隠蔽するのはやめようよ。
たくさんのたくさんの命を見殺しにするのはやめようよ。
そんなことを、もう、あんまりにもたくさんの人が腹に抱えて、怒り続けている。

メディアの役割は、人を混乱させることだったか。
自己責任で情報を選び取りなさい、すべては自分の責任ですと、突き放され、汚染の広がる時間は過ぎていく。
だって、人は、朝がきたら、いつものように朝ご飯を食べて、いつものように、男は芝刈りに、あるいは狩りに、漁に、出るものなんだよ。で、獲物を家族に持って帰るんだよ。女は、いつものように、洗濯にでかけ、あるいは食事を作り、家と呼ばれるところで待つものなんだよ。離れて働く家族は、また1日のどこかで再会する。そして、屋根の下で眠る。眠ったら、またいつもの朝がくる。
個人差はめっちゃあるけど、朝日を浴びたら、またいつもの日常を生きていくものなんです。それぞれの、それぞれの個人史が生んだ、日常を繰り返すものなんです。
そして、この短くて長い人生で出会った大切なものを、愛することで生きてくのよ。
愛した土地、愛した人、愛した動物、愛した楽器、愛した仕事、愛した記憶、愛した食べ物、愛した自然、ああ!もう!すべての愛したものをだよ!
多くの人の人生は、手の届くもの、手の届く者を愛して大事にして、終わっていく。
だから、疎開にも、移住にも、どれだけかの勇気と決心に向かうエネルギーがいるの。
もう、遺伝子を組み換えなきゃなんないくらい、考え方変えなきゃならないの。
ね、じゃあ、誰がそのエネルギーをくれるの?
なんで自己責任なの?
誰だって、命は大事だよ。でもね、命と愛するものが同義になることだってある。
自分の人生で出会った、生まれた、手の届く愛するものを大切にする、守ることが、すなわち、自分の命を愛することに、なることがある。
そしてね、生きるって、当たり前に生きてても、大変で辛いことだから、粛粛と繰り返される日常の安らかさってものが、支えなんですよ。

ああ、こんなこと、わたしがここに書いたって何の意味もないのに、どうしてもどうしても、怒り続けているので、こうしてガス抜きが必要になってしまう。
自制しないと、いつまでもいつまでも書いてしまう。
美しい魂、醜い魂、どれもこれも人間で、
ああ、すべては人間のやったこと。
みんなみんな綯い交ぜで、世界。
でもってわたしは無知で無力だ。
知ることも怖いけど、知らないことの方がもっと怖いから、
もう戻れない。
今を生きる責任が、明日、そのまた明日、ずっと未来に伸びていることを、
この歳になって初めて痛感した。
情けない。
で、現実的に事態に役に立つ行動をする訳でもないのに、
この怒りパワーを溜め込んでいるのも意味がなく思えてくる。
いや、あるのか?
意味はあるのか?
と、あまりに答えの出ない問いに疲れ、
役立つ行動を選び取り、働いている人々に敬意を表し、感謝し、
もうぐちゃぐちゃになって、わたしは自分の日常に頼る。
わたしがこの人生で愛してきた、手の届くもの、手の届く者を、懸命に愛することに、この持てるエネルギーすべてを注ぐ。
稽古だ、稽古だ、稽古だーーーーーー!





この事態の中を、どうしたら、口笛吹いて、スキップして、朗らかに生きていけるのか?
その術を見つけたい。


ああ。


ああ。





清水邦夫作 「血の婚礼」より。

「……とにかくわれわれは動き出してしまったのだ。 ささやかながらも。 これを旅と呼んでいいのかもしれない。 え? 旅と呼んだっていいじゃないか? だとしたら、ヘルマン・ヘッセ風に言って、 旅する術というものを学ぶべきだ。 目的だけをひたすらに追い求めるような視線には、 さすらいの素晴らしい風景や事件は、飛び込んでこない。 そんな視線の前には、森も、川も、ずっと閉ざされたままだだ。 旅する者だけが持つ無心の輝きが、憧れの星の前で色褪せないように、 足取りも軽く、 時にはスキップもして、 世界のあらゆる輪舞の中へ入ってゆき、 踊り、ざわめき、歌いながらも、 愛する遠方にはきっちりと目を向けている。 それが旅する術だ。』

2011年5月14日 (土)

無題。朝に。

そろそろ眠らないと、と、Macを終了しかけたところに、福島で地震が群発している速報が入る。
また、どうしようもなく心が重くなってくる。
メルトダウンしていたことが明らかになった一号機、再臨界の恐れ、学校に通う子供たち、海が、土が、空気が、水が、人が……。
こんなことが起こっていて。
なぜ、こんなに事もなげに、世の中は進んでいくんだろう。
国ってこういうものだったのか。
生きるってこういうことだったのか。

わたしは、どうしていつも、考えないようにしようと思いながら、眠りに就くのか。
朝を迎えると、明るい気持ちで1日を全うしようとするわたしの足場は、崩れてはいないか。

今夜もやはりわたしは、「今わたしが考えても仕方のないことだから」と、ヘッドフォンをつけてピアノを弾き、歌のアレンジ作業に没頭する。
もう、すっかり朝だ。

怒りとも、悲しみとも、判じがたい、この、日々、心に溜まっていく、息苦しい感情。

ただ、ひたすらに、
絶望から人を救うのは希望だということや、
呪うより祈る方が世界に優しいということや、
穢れを祓う清らかさがあること、聖なる力があることを、
闇雲に信じる、わたしは。

そんな時、わたしは本橋成一さんの写真集「アレクセイと泉」を開く。
2002年に公開された同名の映画を観て、購入してから、しばらく本棚で穏やかに眠っていた本を、わたしはこのところ、仕事机の上に置いている。
チェルノブイリの原発事故で汚染され、移住勧告された土地なのに、その村の中心にある泉からは、何度検査しても放射性物質が検出されない。
奇跡の泉。
村人はその泉を「100年の泉」と呼んでいる。大地に降り注いだ天水が100年の時を経て湧きだしているのだと言う。だから汚染されていないのは当たり前だというのだ。
泉には人が集まる。
移住も退去もせず、村に残ったサマショールたちが、笑顔で水を汲み、洗濯をする。
水は植物を育て、家畜に与えられ、人を潤す。
聖像画が、泉のそばで人々を見守っている。

信じることを、愚かな人間のすることだと、断じたくない。

生きている限り、この、今の気持ちを、歌い続けてやろうと思う。

2011年5月12日 (木)

そして新たな観客席へ。

チケットの発売日を迎えるたびに、胸に、ぽっと、小さな火が灯る。

いつもわたしの舞台に来てくださるお客様がいる。
チケットの発売日に、コメントを添えて、楽しみにしていますと添えて、申し込んでくださる。
その瞬間から、新しい観客席との出会いが始まる。
いつもいつも、ありがとうございますと、感謝の気持ちで胸を熱くして、劇場で出会う日に向かって疾走が始まる。
そしてまた、今回は、どんな新しいお客様と会えるのか?
本番を迎える日まで、わたしは不可視の観客席に語りかけて過ごす。
その繰り返しが、わたしの人生だ。
もう30年もそんな暮らしをしてきた。
大体わかってきた、そういう人生なんだって。

***

事務を終えて3時になり。
今日は早くやすもうと思ったのに、公演サイトをさわり始めたら、またまたあっと言う間に時間が過ぎた。
オフィシャルウェブサイトでは、石丸と西谷氏で、ブログも更新しています。
どうぞご覧下さい。
IN-Project official Blog

2011年5月10日 (火)

滋養強壮の効能あり。

今日は、個人レッスン。
人に伝える、教える中で、わたしは改めて「歌」と出会う。
一人の人に、その人だけの表現があることを、深々と感じる。
誰だってある表現の可能性を、いろんな障害が邪魔をしてる。
その障害を、少しずつ、丁寧に取り除いてあげること。
稽古が終わった後に、
何かを見つけた自分に驚いたり、
笑顔になったり。
そのために稽古場に行く。

教えることの中で、どれだけわたし自身が学ぶか。
それは、真剣に、真剣に、教えることを始めて、
ようやくわかった、大事なこと。

***

夜、日付が変わって、
昨年、Theatre Polyphonicに「悪魔の絵本」を書き下ろしてくれた、
谷さんからメールが届く。
なんとも魅力的な企画、「モリー・スウィーニー」のお知らせと、
その前置きのよもやま話。
よもやま部分が、とっても嬉しい。
誰も知らない「悪魔の絵本」誕生ものがたりがある。
何というか、二人で過ごした、胃の痛い時間のものがたりだ。
谷さんにとっても、石丸にとっても、
あの仕事は、あってよかったのだ。
そんな当たり前みたいなことを言うのに、
どれだけ怯えたり、時間を要したりしたことか。
……このメールは、明日の稽古の栄養となる。
滋養強壮の効能あり、だ。

明日は、いよいよIN-Projectのチケット発売日。

このブログでも、
夜中の独り言ばっかり書いてないで、
たまには、この企画の魅力やIN-Project結成の経緯など、書いていこう。

明日は演劇と音楽のダブル稽古、一日中。
準備も、しっかりしっかり積み重ねて、万端。
楽しもう。

2011年5月 8日 (日)

大好きな5月。

やること満載で時間がない。
昨日もコンサート楽譜を揃えて資料音源を作っていたら、朝。
ゴールディンウィークだというのにガラガラのレッドアローで熟睡。
最近、秩父は行くだけで楽しい。

18年ぶりにステージに上がると決めたことが、
正解なのかどうか、よくわからないまま。
教えている時は、何のストレスもなく出る声が、
自分が本番に出るんだと思うだけで、何やら緊張。
全く、もう。
帰宅して、歌のアレンジを考えながらピアノをぽろんぽろん鳴らしていたら、何やら興に乗ってしまって、あれやこれや楽譜を引っ張り出し、下手なピアノを弾きまくり、気がついたら5時。
何やってんだ、やることいっぱいなのに……と後悔するも、色んな不安が霧消する楽しい時間。
小規模公演を一人ですべて段取るのにも、もうかなり慣れてきた。
ひょひょいとこなして(絶対無理だけど)、
演劇と音楽を、思う存分楽しむ5月を過ごそう。

5月、5月。
大好きな5月。


2011年5月 4日 (水)

お元気ですか?

寝る前に、いつもこのブログを書くものだから、なんだかわたし元気ないみたいだな。

いやいや、とても元気です。

かくも美しく、
かくもどうしようもない世の中で、
実に元気です。

わたしは、元気をみんなに分けるために存在してるんだもの。
それは、母から受け継いだもの。


新しい出会いのデザイナーが鋭意製作中のIN-Projectフライヤーも、もうすぐあがってくる。
それはとってもワクワクすることだし。
7月に命賭けるつもりの「ペール・ギュント」のオーディション予告も出たし。

元気です。

皆さん、お元気ですか?

2011年5月 3日 (火)

どうしようもないこと。

ずっと仕事をしながらも、ずっとやめられないことがある。
知ることだ。
わたしが知っても、何も行動できないのだから、意味がないかもしれないが、知ろうとすることをやめられない。
わずかでも時間があれば、原発のことを調べる。
今何が起こっているのかを調べる。
起こっていることに対して、何が為されているかを調べる。
絶望的になって、この絶望的状況を何とかしようとする人々を追う。
わたしに出来ることと言えば、署名くらい。
それでも、知ることをやめられない。
わたしのHDは、原発の資料やら映像でいっぱいになりつつある。
片っ端から、読んで、片っ端から見ている。
そして、被災地の今を、行きもしないくせに、何の力にもなれないのに、必死で知ろうとする。
今も、西條剛央さんがツイッターで延々書き綴る現実を、印刷を待ちながら、台本を作りながら、読んで、読み続けて、胸が苦しくてたまらない。

やめようと思うのだ。
仕事に集中しようと思う。
今、わたしにできることは、
わたしの周りに集まってくれる人たちに、演劇を通して、何かいいものを手渡し続けること。
6月のチャリティーライブで、観客に手渡す作品を大事に大事に作り上げること。
ともに暮らす家人に、毎日美味しいごはんとお弁当を作ること。
わたしの、手の届くことで、わたしは精一杯。
それでも、知ることはやめられない。

わかった顔して、
いろいろ言うことはできる。

でも、わたしの現実はこうだ。
「今」という非常時にがんじがらめ。
無力に喘ぎ、正しくないことに怒り来るって、
「どうしようもないこと」への絶望感に、
うちひしがれている。
もう、どうしようもない。

だから、作品を作る。
だから、音楽が必要。
だから、言葉が必要。

苦しい。
歳をとったのか、この不自由さは。
いや、違う。
眠って、
また稽古場に行こう。

2011年5月 2日 (月)

そして、朝。

わたし、勤勉すぎる。過ぎるにもほどがある、なんて勤勉さだ。
……と、自分を誉めて、慰める。
午前10時に遅い朝食をとってから午前5時まで、食べている時以外、洗濯して干している時以外、珈琲淹れている時以外、とにかくちょっとした日常のあれこれタイム以外、ずっと仕事した。
しかも、クリエイティブな仕事は殆どなし、事務とメールの送返信に明け暮れた。
ああ、それもこれも、6月に急遽公演を決めたからなんである。

***

たくさんの曲を聞きました。
今、わたしの思いを託せる祈りを探しました。
そして、見つけた一曲を、ヴァイオリニストの西谷国登さんにお願いしました。
わたしたちのライブは、祈りから始まります。

この命にありがとう。
生かしてもらってる、ありがとう。
そして、音楽に、演劇に、ありがとう。
全部のありがとうを、思いきりの笑顔に詰めこんで、
感謝の気持ちを祈りに変えます。

今起きている許し難いこと、
全くわたしの力の及ばないこと、
それでも何とかしたい、
この国のあれこれ、あれこれ、あれこれ。
この、あれこれを忘れちゃならんけれど、
いや、毎日忘れたいって思っても忘れられないけれど、
しばし、わたしは祈る。
祈りという、役に立ちそうにないものに自分を捧げる。

ああ、そんなカタッ苦しいものじゃないの。

人生を楽しむこと。
正しくおおらかに、そしてちょっと厳しく楽しむと、観客が楽しんでくれること。
一緒に泣いたり笑ったりできること。
共有できること。
生きてることを一緒に喜べること。
……そんなこと。

***

新しい仲間の西谷さんと組んで。
(縁ですね、こういうのは。)
ふるーいお仲間のレイコ、泉忠道サマが歌ってくれたり。
私塾の仲間たちと一緒に作品も創るし。
秩父の熟年女性チームにも来てもらうし。
Theatre Polyphonicの二人はもちろん出てくれるし、
3月上演して大好きだった「命を弄ぶ男ふたり」のニューバージョンを作るし、
ああ、石丸組、大集合だ。
そして……
18年ぶりくらいに、わたしも出演する。
司会とかMCとかじゃなくって、出演してしまう。
人前で、やってしまう。

というわけで、アーティスティックな仕事の前に、事務に一日を捧げたのでした。
明日は(今日はだね、陽がすっかりのぼってる)、少しは芸術に身を投じられるか!?
(……ぶっちゃけた文章だなあ、うん、眠ろう。)


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