寂しがる。
「ひとりで眠る者は、その揺りかごを揺すられているのだ、その者の愛している、愛した、愛するであろう者たちすべてによって。」
ジャック・プレヴェール
……こんなことを書き付けて眠ろうとしたら、ゆりかごじゃなくて、大地が揺れた。
いい加減にしてよ、神さま。
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「ひとりで眠る者は、その揺りかごを揺すられているのだ、その者の愛している、愛した、愛するであろう者たちすべてによって。」
ジャック・プレヴェール
……こんなことを書き付けて眠ろうとしたら、ゆりかごじゃなくて、大地が揺れた。
いい加減にしてよ、神さま。
明日千秋楽の「血の婚礼」を、ぎりぎり駆け込みで観る。
上演時間の間、時間が行きつ戻りつして、記憶の波がうねりをあげる。
わたしは、1986年の初演の舞台に出ていた。
あの芝居がたちあがった時は、一生涯で経験できる劇的時間の中でも、最も美しい時間に属する。
不思議なことに、かつて自分の言葉だった台詞は、今でもするすると出てくる。
「世界の、あらゆる輪舞の中に入っていき、踊り、ざわめき、歌いながらも、愛する遠方にはきっちり目を向けている。それが旅する術だ。」
上演時間の間に、たくさんの、先に逝ってしまった仲間たちにも会った。
電車の中に、あの顔も、あの顔も、みんないた。
わたしは、まだここにいて、本当にちゃんと生きているか?と、自分に問うと、泣けて泣けてしかたなかった。
情けなくて、自分が。
誰になんと思われてもいい。
誰になんと思われるかで、人生が変わるような時はもう過ぎた。
いずれにしろ、富とか名声とかとほど遠い人生だ。
自分に恥じないように、やればいい。
そして、それは難しい。
世間はごまかせても、自分にはごまかしがきかない。
雨脚が、激しくなってきた。
アゴタ・クリストフさんが亡くなった。
「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」この連作に、どれほどの衝撃を受け、どれほど心揺さぶられたか。
「悪童日記」が、発売されたばかりの頃、わたしはまだ20代で、俳優だった。たまたま本屋で手に取って勘で購入、あっという間に読み切り、ラストシーンに度肝を抜かれて、そのまま電車に乗って、稽古場に走った。蜷川さんに、「こんな本を見つけた!」と報告したかったのだ。
「悪童日記」との出会いは、わたしにとって事件だった。
レイ・ハラカミさんが亡くなった。
わたしは、俳優塾の稽古でも、秩父の稽古でも、アップする時にはいつもレイ・ハラカミさんの音楽を使っている。ほぼ毎回、稽古の始まりは、彼の音楽なのだ。
この3年で、いちばん聞いていた曲たちと言ってもいい。
明日のアップは、少し、哀しみが混じる、きっと。
エレクトロニックなのに、体と心に優しいナチュラルな音だった。
===
今日は出番のない日だったので、稽古を休ませてもらい、私塾後、仕事をこなす。
稽古に集中するためには、秩父の選曲と構成を急ピッチで進めなければいけない、それはIN-Projectも同じこと。せっかく今度は時間をかけて準備しようと始めた企画が、わたしのせいで押せ押せになっては西谷氏に申し訳ない。私塾の8月の段取りもある。「Caesiumberry Jam」関係で調べたいことも山積みだ。
谷さんからのメールには、今日の稽古場は有意義でした、とある。
そりゃそうだろう。
台本があがって、俳優たちがそれぞれに、作家の言葉と立ち向かい始める、制作期間の中でも最も面白い時期を迎えているのだものね。
くそっ、からだふたつ欲しい。
寝る前に、あと30分、台本を読む。
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
16分ほどです。
この記録映像を見てください。
まな板の上の鯉、じゃあ、つまらないのよ。
まな板の上には乗っかるけど、そうそう好きに包丁いれさせない、活きのよさが大事ね。
ひとかけらの魂を覆う筋肉と、筋肉を覆う一枚一枚のうろこで、闘うって感じ?
まあ、なかなかそうはいかないんだけれど。
そんな、心境の今。
20年ぶりに俳優脳に切り替える時間を過ごし、混乱が続く。
でも、「ペール・ギュント」で演出家として振り切れた後なので、すっきり気持ちの切り替えはできている。混乱は、心と体がバラバラでだらしない自分への叱咤激励から起こっている。
稽古帰り、
出演者の百花亜希ちゃんと方向が一緒になり、
二人でしばらく話しながら歩いて帰ろうということになった。
わたしは自転車を押し、
彼女は燃料満タンにしたばかりの重い原付を押し、
あれこれ穏やかに演劇話しながら歩いていると、
成城学園あたりから高井戸まで歩いてしまった。
風は涼しく気持ちのいい夜だったが、
二人ともどんどん汗ばんでいき。
節電ですっかり暗い夜の路を、
せっかくの足を押しながら行くのは、
ちょっと宮本輝の小説みたいで、
自分の汗が、生きてる証の、いい香りに思えてきた。
若い、素敵女優と、共演者同士として話す時間。
演出家としてのわたし、先生のわたしとしては、
なかなか過ごすことのない、柔らかな時間だった。
面白いなあ。
来週は、先生脳と俳優脳を切り替え切り替えの暮らしになるが……
今のところ大丈夫だ。
私塾の生徒たちにとっても、充実した1週間になるように、明日は準備、準備。
ロシア文学に親しんでいる者には、名+父称+姓という面倒な名前が、いたく好ましく聞こえる。
いちばん好きな名前は、アカーキイ・アカーキェウィッチ。
(姓はバシマチキンだが、彼はずっと名+父称で呼ばれる。)
ゴーゴリの「外套」の主人公。
大学に入って、第2外国語を選ぶ時、わたしは迷わずロシア語を選んだ。
理由は簡単、ロシア文学好きだったから。
でも、その当時から、一番好きな作品は?と聞かれたら、
敬愛するチェーホフでもなく、ドストエフスキーでもなく、ゴーゴリの「外套」と答えていた。
我が人生で、最も愛してきた文学作品のひとつだ。
残念ながら、中学生時代に買った、日焼けしたパラフィン紙に包まれた、☆と★で値段を示した古い岩波文庫は紛失してしまった。
再読を重ねても重ねても、「今、読みたい!」と出先で思ったら、つい岩波文庫を手近な本屋で買ってしまうので、家には「外套」が何冊も増えていき、幾人にもあげてきた記憶がある。
アカーキイ・アカーキェウィッチ。
彼の外套への執着は、我が、人生への愚かな執着とよく似ている。
我が人生、と言えば、
大学に入って、わくわくしながら開いたロシア語の教科書の扉ページには、
Жизнъ Прекрасна!
と書いてあった。
ジーズニ プレクラースナ!
人生は素晴らしい、Life is beatifulといった感じ。
ロベルト・ベニーニの大好きな映画、「La Vita è bella」のロシア公開タイトルも、
確か、「Жизнъ Прекрасна」だった。
あの、ロシア語の教科書を開いた18歳の4月以来、
わたしの耳の中に、ずっとこの音が生き、
このキリル文字の字面の美しさが、目の中に焼きついている。
人生は、素晴らしい。
……台詞を覚える間の、ちょっとした息抜きの戯言。
明日から、稽古に本格的に参加する。
私塾も今日から再開した。
今月中は、単発のワークショップという形で。
今日は少人数ながら、わたし自身の学ぶことの多い、いい稽古だった。
大きな、胸の痛む、問題の中にあって、
3年分、泣いた。
3年というのは、何かメタファーの数字とかじゃなくって、
わたしが歳遅くして独立してからってことだ。
しばらくブログを書かないと、
石丸、生きてるのか?
と、いつも心配をかける。
逆に、こういうことを書くと、
さらに余計な心配をかける気もするのだが、
元気でないと、こんなことも書けない。
パソコンで書き綴ったものは、
ほとんどが、PCの事故とか、外付けHDの故障とかで、
喪われていく。
ネット上に書き付けたものだけが、
ひっそりと生き続けている。
だから、自分の句読点として書いている。
句読点を。
我が人生に、打っていく。
自分が読み返すために。
===
自分のことを考える時期になると、
わたしは、よく、
佐野洋子さんのことを考える。
メイ・サートンのことを考える。
そして、助けられる。
佐野洋子さんとの共著で、
当時夫だった谷川俊太郎さんが書いた詩を、
なぜか、思い出していた。
彼らはすぐに別れることになってしまうから、
皮肉な言葉の羅列にしか読めないと言えば、
それもそうなのだが、
でも、誰しもが抱える愛の喜びと不安の原型だ。
ともに生きるのが喜びだから
ともに老いるのも喜びだ
ともに老いるのが喜びなら
ともに死ぬのも喜びだろう
その幸運に恵まれぬかもしれないという不安に
夜ごと責めさいなまれながらも
わたしは、これから、谷賢一さんが書いた、
愛の話を、我が身で体現しようとしている。
不安だが、愛を生きるのは、うれしい。
「ペール・ギュント」をご覧いただいた皆様、心よりお礼申し上げます。
全5回公演、無事終了しました。(公演回数、少なすぎる……。)
わたしの準備期間は、かなり長いものでした。
5時間に及ぶ台本を、どうカットしていくかで、公演が決まりますから、台本を作る作業はかなりの長時間を要しました。
でも、オーディションの開催も遅かったし、稽古期間はとにかく限られていた。
制約だらけの中で、あそこまで作品を作り込めたのは、
寄せ集めだった出自の違う出演者陣が、とにかく心ひとつに、わたしに着いてきてくれたこと。
信じていいのかどうかもわからないうちから、しっかりとわたしの言葉に耳を傾けてくれ、次第に、どれだけか結束力のあるチームに育っていった。……これはすごかった。
初めは「これ、面白いの?」とみんな訝しがっていた「ペール・ギュント」が、演出がつき、わたしの言葉が解説していくうちに、みんなきっちりしっかり物語に取り込まれてくれた。
なんたって、稽古初日からざくっと動きをつけていって、3日目には通し稽古をしていたもの!
あの勢いと集中力は、普通の現場では体験できないものだった。
ペール・ギュントを演じてくれた石母田史朗さんには、わたしの魂を預けるような気持ちでつきあった。
とんでもない大役を、この短い時間で創造しなければならなかった。
普通なら稽古で解き明かしていく役作りを、時間がないために、プレ稽古として、解説しまくった夕刻があった。どんなに解説してもしたりなかった。
人の一生丸々だし、イプセンさんの言葉、手強いし!
リーディングと言えど、(演出はリーディングなんてものじゃあなかったな……)彼は確かに、ペールの一生を駆け抜けてくれた。
わたしの演出の詰めの甘さもあって、千秋楽で動きを変えて、ようやく嵌ったシーンもあったり……とにかく、ずっとずっと手探りの進化を遂げてきた。で、そこにペールは確かに存在した。
演出家として、タイトルロールを一人の俳優に託して幕を開けるという特殊な気持ちを、今回初めて味わったような気がする。
本当に、魂を預ける気持ち。
今でも、彼の息づかいがわたしの中に残っていて、わたしの愚かさや孤独をえぐってくるようだ。
彼が己が人生と対面し、目を見開く瞬間の鬼気。
その表情を横から凝視し、わたしは、俳優という職業に頭を垂れもした。
「誰もいないのか、誰もいないのか、此の世には?」
他者の命と他者の血が支える大地で吠えるペールのヒトガタが、切り絵のように、わたしの心の中にシルエットとして残っており、それは、恐らくわたしの末期に思い出す類のものだ。
作曲し、演奏し、歌ってくれた伊藤靖浩さんには、ペール・ギュントの一生を推進する役を一手に担ってもらった。
彼の作った子守歌を彼が初めて歌って聴かせてくれた時の感動は一生忘れない。
あんな優しくって、密やかに輝く愛の歌、そうそうないよ。
また、追加発注したト書きソングを、ひとつひとつ心に残るメロディーにしてくれた音楽性と読解力に感謝。
そして、あの歌声。
日だまりのような。
清冽な水のような。
(いや、初恋の味カルピスのような。)
初夏の風のような。
あるときは思いっきり男の匂い漂わせドライブして、
あるときは、得も言われぬ優しさで辺りの空気を包み込み……。
たまらなく好きだ。
彼の歌もまた、わたしの中で未だに鳴り続けている。
きっと、これから、たくさんのたくさんの、いい仕事をしていく才能。
一緒にやれて本当によかった。
またきっと、彼とは創りたい。
ソールヴェイ:加藤理恵と、緑衣の女:玄里とは、オーディションで知り合った。
二人とも、感性溢れる逸材。これから、きっとどんどん売れていくはず。
彼女たちが売れないようなら、日本の芸能界、おかしいよ。
どんどん、いい仕事してほしい。
こういう、多感な若い女性たちと言葉を交わし、タッグを組めるのは、わたしの大きな喜び。
古い仲間、堀文明氏、わたしの大事にする言葉たちを、丁寧に立ち上げてくれてありがとう。
神父の言葉は、「ペール・ギュント」をやりたいと思うきっかけにもなるほどの、大事な言葉たちだった。
要所をしめてくれた、名優ふたり、田村真と森山大輔さん。
ペール・ギュントが死と対峙してからの時間は、この三人が支えてくれた。
三者三様の味、男らしさ。
わたしに食いついてきた、愛すべき南久松おっかさん。
この作品に参加することを、どん欲に喜んでくれた田中里枝さん。
加えて、中川奈緒子嬢と桜乃まゆこ嬢は、超いい女。
二人とも、わたしとの出会いを喜んでくれ、大いに楽しみ、また助けてくれた。
子役時代から可愛がってきた、佑介と、
わたしの大事な私塾の生徒たち、遼、穂高、ユキ。
稽古場をどれだけか柔らかくあったかくしてくれた、可愛い々子役ふたり、錬と凌芽。
俳優たちとの共同作業が、こんなに手応えあって楽しかった現場はなかなかない。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
===
アニトラを演ってくれた中川奈緒子嬢から、心のこもったメールがきて、
その中に、
「その場での最高ができるように魔法をかけるような、石丸演出、本当に本当にすばらしかったです」
という素敵な誉め言葉があった。
で、わたしは思う。
魔法をかけるのは、そんなに簡単なことじゃない。
だから、こう返信した。
「演出の魔法は、かかる側に、愛情と才能がある場合にのみ、有効です」
そして、もうひとつ。
わたしがたどり着きたいと思っている向こう岸に、
みんなが行きたい!と思ってくれること。
=========
わたしは、ペールのように、これから、愚かしくも疾走する50代を過ごす。
決意した。
どんなに孤独でも、どんな末路が待ち構えようとも、
己れ自らを決して捨てはしない。あきらめはしない。
東京の夜を一望し、「この森の支配者になる」と吐いたペール・ギュントは、すでに70代だった。
わたしの人生なんて、まだまだこれからだ。
=========
中川くんから届いた花は、
「ACCIDENTS2」 深紅
「命と祈りの120分」真白
に続き、華やかな黄色だった。
「ゲゲゲのげ」、絶賛稽古中のようだなあ。
このところ、ずっと忙しくて、全く彼の仕事を追えなかった。
これは必ず、行く。
そして、早くまた一緒に仕事をしたいと、心から願う。
休演日。
公演後、初めて講義することになっている広島大学の授業に備えて、レジュメをまとめ、わたしがこれから教育者になろうとしている人たちに、わずかでも伝えられることを考えて過ごす。
忙しくてすっかり遠ざかっていた、原発問題、最近の動向を調べてまた頭を抱える。
本橋成一さんの写真集をまた眺め、人々の表情の奥にあるものを感じて過ごす。
次の公演のための資料を読みつつ、人を支える愛について考える。人を損なわせるもの全てについて考える。
今夜、大きな余震があった。
今、演劇公演することの意味を再び考える。
明日の本番前の稽古について考える。
考えてばっかりだが、今わたしの中にあるのは、恥ずかしげもなく言ってしまうが、愛、愛、愛、ばっかりだ。こんな小さなわたしが、どうやったらちょっとでも愛を具現化できるかな。
自分が生きていることを、わたしの周りの人たちが生きていることを、みんなみんな生きていることを、慈しんで過ごしたい。
初日を観ていただいたお客様には、空調の効きが悪く、暑い思いをさせてしまいました。
今日、舞台監督に頼んで、エアコンの大掃除。俄然、効きがよくなりました。
暑さは解消。
初日を観ていただいたお客様には、上演時間の説明が足りなかったようです。
今日からは、わたしが客席案内をし、わたしの口から、上演時間に関する説明をすることにしました。
木の椅子の堅さは、今のところ如何ともしがたい。
だから、この期に及んで、大幅カットを試みました。
「ペール・ギュント」が成立するためには、あの尺が必要と、敢えて選んでいましたが、椅子がお客様に及ぼす問題は、やはり責任を取らねばなりないので。
わたしの芝居は、いつもそうですが、大絶賛と、半ば否定、この両方を呼びます。
確かに、低予算+10日間の稽古期間でこしらえた芝居ですが、わたしは全力で構築しました。
見たいと思うものに近づく努力を、日毎夜毎積み重ねました。
誰が何と言おうと、わたしは、あのペール・ギュントが見たかった。
ペールを演じてくれる石母田史朗さんや、音楽でこの芝居の心情を支えてくれる伊藤靖浩さんを、
わたしの強引なリードに、懸命にまた朗らかに応えてくれている俳優たちを、
心から愛して、心を委ねて、上演時間を過ごす。
上演中は照明と音響を引き受けているので、愛しすぎるととちりそうになるという恐怖があるのだけれど、でも、愛さずにはいられない……。
たまらない、たまらない、たまらない。
明日は、三日目。
あと三回しかできないのが淋しい……と、全員が感じています。
自分たちの作品が愛せて、また、一緒にいると楽しすぎる仲間たちなので。
わたし自身が、最も心震わせているのかもしれない。
観たかったものが、そこにある。
「ペール・ギュント」をやるなんて、そんな大それたことを思いついて、
本当によかった。
(産みの苦しみはすごかったけれど……。)
短い稽古期間だったが、
この時間で、ここまで来ることができたのだと、
誰もいなくなった、マンションの一室のような劇場で、
ひとつ深呼吸。
いよいよ、明日から。
やることは、もちろんまだまだある。
やるべきことをやる。
===
とにかく、観にきてほしい。
この、なんとも評しがたい、
リーディングとかいう言葉ではとても括れない、
珍品、
いやいや、心ふるえる、
演劇ならではの時間を、
とにかく、体験してほしい。
わたしと、ペール・ギュントと一緒に。
暑くて目が醒めて、ようやく二度寝できたか?と思ったら、大きな揺れがやってきた。
ゆうべ、と言っても、4時間前くらいに、
神さまに、祈って、眠りに就いたことを思い出す。
わたしは神さまなど信じてもいないのに、よく祈る。
もし、神さまってやつが願いを叶えてくれる都合のいいものであるべきなら、
今、我々を俯瞰している存在は、真逆の存在だろう。
どこまでも追いかけてくる、姿なき悪魔のようだ。
でも。
信じてあげることだ。
稽古がうまくいかない時、
トラブルを抱えた時、
俳優がつまづいている時、
とにかく、わたしは、「信じる」ことに賭ける。
もちろん、信じられるようになるための努力はしながら。
わたしが神さまとよく呼ぶ、曖昧な存在も、
信じてあげようと思う。
信じて進もうとするエネルギーが、必要。
恨みや不信や呪いのエネルギーを、
世界に溜め込んじゃあいかん。
神さまの思うツボだ。
信じて、期待して、いい仕事してもらわねば困る。
さ、稽古に行くぞ。
今夜の通し稽古を思い返しながら、
ひとりで、最後の詰め。
妄想の翼を、あともう少し広げてみる。
この作業を、ひとり、しっかり闘っていると、
稽古場で、湧いてくるもの、思いがけず生まれてくるものがある。
わずかな稽古期間の作品ではあるが、
ここまで来た。
でも、もう少し行ける。
もっと、羽搏ける。
神さま、お守り下さい。
俳優たちが、みんな元気で初日を迎えられるよう、
見守ってください。
いいことも、悪いことも、あれこれ、たくさん。
人が複数集まれば、そりゃあ、いろんなことがあるでしょう。
人間、そんなものです。
それでも、わたしの熱で、どんどん煮詰めれば、
色んなものが、純度の高い結晶となって、この世界を映し出してくれるのではないかと、
そんな希望を持って暮らしています。
あれこれ、色んなものが、結晶となって、ね。
純度の高いものには、生命体の必然があります。
良きにつけ悪しきにつけ。
それを抽出するのが、わたしの仕事。
===
内田樹さんが、昨日の松本復興大臣の一悶着について、言葉にされていた。
わたしは、内田氏の言葉に、いつも共感したりしなかったり、あれこれだ。
それでも、言葉にするという、人間への恵とも言える営為に、いつも感動している。
===
稽古終わりに、音楽家と全曲完成祝いで美味しい酒を飲んだ。
わたしは、彼のお母さんに似ていると言う。
自らの母を思い、彼の見知らぬ母を思い、母になり損ねた自分の半生を思い、
帰り道、夜に包まれて、泣きそうになった。
泣かなかった。
自転車をこぎながら、歌って帰った。
生きていることが、喜びだ。
昨夜は、稽古休みを前に、久しぶりに明るくなるまで飲んでしまったので、
今日はひたすら、一日中、仕事して、過ごす。
本番用の台本を完成させて、SEと音楽と照明、それぞれのキューを時系列で整理。
すっきりと全体が見渡せるようになった。
今日一日の仕事に、満足する。
たった10日の稽古期間で、どこまで詰め込むんだって感じの稽古だけれど、
楽をしないことが、きっと何かよい時間を連れてきてくれると信じている。
===
せっかく気分よく眠りに就こうと思っていたのに、
YOU TUBEで、松本復興大臣の恐喝まがいが伝えられたニュースを見て、
気分が悪くなった。
夜寝る前に、今日の日本のニュースをチェックするのが習慣になっているけれど、
そろそろ嫌気がさしてきた。
毎日、毎日……。
ひどい。
酷すぎる。
神さまは、一体、この国の何を暴いて、何を制裁しようとしているんだろう?
理不尽過ぎて、息苦しい。
8月。谷賢一さんが主宰されるDULL-COLORED POPの第10回公演、
「Caesiumberry Jam」に、出演することが決定いたしました。
現在立ち向かっている演出作品「ペール・ギュント」の幕が開いたら、
この突然の決定に関して、
谷賢一氏と仕事することに関して、
また、俳優の仕事をすることについて、
きっちり、言及したいと思います。
以下、公演概要です。
明日、7月4日チケット発売開始予定です。
(チケット申込はこちらから。)
=========================
DULL-COLORED POP
第10回/活動再開記念公演: 『Caesiumberry Jam』
2011年8月20日(土)〜8月28日(日)@シアターグリーン Box in Box
■出演
東谷英人
大原研二
塚越健一
中村梨那
堀奈津美
若林えり
(以上、DULL-COLORED POP)
石丸さち子(Theatre Polyphonic)
井上裕朗(箱庭円舞曲)
加藤素子
佐賀モトキ
芝原弘(黒色綺譚カナリア派)
田中のり子
細谷貴宏
百花亜希
守美樹(世田谷シルク)
吉永輪太郎
■スタッフ
作・演出:谷賢一(DULL-COLORED POP)
舞台監督:棚瀬巧+至福団
照明:松本大介(enjin-light)
美術:土岐研一
制作:北澤芙未子(DULL-COLORED POP)
会沢ナオト(劇団競泳水着/MONO.tone)
演出助手:元田暁子(DULL-COLORED POP)
海野広雄(オフィス櫻華)、竹田悠一郎
■日程
8月
20日(土)19:00
21日(日)14:00/19:00
22日(月)19:30
23日(火)14:00/19:30
24日(水)19:30
25日(木)14:00/19:30
26日(金)19:30
27日(土)14:00/19:00
28日(日)12:00/17:00
受付開始は45分前
開場は30分前
■チケット
発売7月4日(月)12:00〜
前売・予約:3000円
当日:3500円
学生:2000円(要予約・当日受付にて学生証の提示をお願いいたします)
■会場
池袋シアターグリーン Box in Box
(〒171-0022 豊島区南池袋2-20-4/03-3983-0644)
3日間で、大作を全部一通り当たって、通すところまでいくという、長い演劇生活の間でも経験したことのない急ぎ仕事をした。
明るく、前向きに、あれこれとアイデアを持ち寄り、この作品を楽しもうとしてくれる俳優たちに、心から感謝。
出会って間もなく、稽古が始まって間もないというのに、わたしは今回の出演者たちが大っっっっ好きだ。
そして、稽古場の雰囲気がすっごくいい。
救われている、わたしが。
ものすごく、幸せ。
恐らく、演出家としてわたしの未熟な部分を、みんなきっと腹に呑んで、わかって、ちょっと我慢したりして、ついてきてくれてるんだろうな。
ありがとう、頑張ります、と、思う。
今日は4日め。
作曲家、兼、本番の伴奏者であり歌い手でもある、伊藤靖浩さんが参入して、音楽入りのシーンを創っていく。仕事をお願いした時は、5〜6曲の作曲というオファーだったのに、今や……。
「ペール・ギュント」は音楽劇です。まちがいない。
彼の伴奏で歌う時、俳優はとっても楽しそうだし、彼がわたしのお願いに応えて、即興でどんどん曲を作っていく様は、出演者たちを驚かせ、そして楽しませてくれている。
それぞれが、それぞれの仕事をして、リスペクトする関係になりつつある。いいなあ、この現場。
10日間で、これだけの作品を仕上げなければならないという、何か運命共同体めいた元気と明るさがある。
稽古後、ひとり稽古場に残って、さらなる楽曲作りに立ち向かう伊藤氏に立ち会っていた。
彼のインスピレーションから生まれてくる音につきあうのが、本当に楽しかった。
今から本番が楽しみでならない。
とは言え、まだまだ稽古しなきゃあならんこと、詰めなきゃならんことは山積みで。
わたしは、わたしの仕事をしよう。
でも、今日はとりあえず、寝ていいかな……。
毎朝、興奮して、大して眠っていない時間に、目覚ましよりずっと早い時間に、起きてしまう、困ったものだ。
眠って、また明日が迎えられる、そんなことに、これだけの喜びを覚えるなんて。