見逃さないで!「Caesiumberry Jam」
「Caesiumberry Jam」、初日を開けて、4日が過ぎました。
観客席で、お客さまの人数分の「今」が、揺れているのを感じます。
(○・□)
ご来場をお待ちしています。
今、劇場に足を運ばなければ喪われてしまう、大事な時間が生まれています。
脚本を読んだだけではわからない、
演出家の言葉を聞いただけではわからない、
出演者の名前を眺めただけではわからない、
DVDには決して残せない、
再演されたら全く別物になってしまうだろう、
今。
演劇、です。
わたしがずっと好きだった、演劇って形に、真っ直ぐな、公演。
ご覧下さい。
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さて。
わたしは、長らく客席を仕事場としてきたから、演劇公演が生きており、一度として同じ姿を見せることはないことを、よく知っている。ただ、舞台の上に立って、自らの火照った心と体で、共演者の瞳の奥に、舞台を流れる空気感に、それを感じる「今」が、驚きと発見の連続。
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稽古場で、作家兼演出家が、遠くを目指して、指を指す。
「あそこに行きたい」
雨や霧で見通しが悪い時もあるし、こっちだと進んでいたら、「あっちだよ」と違う方向に指が向いて、また進路を変える。立ち止まってしばらく進路を見定めることもあれば、とにかくがむしゃらに進んでみることもある。
でも、対象に近づいてみれば、彼はピンポイントを指していたのではなく、ものすごく柔らかな土壌の広範な土地を指していたと気づく。
(喪われてしまう祖国を描いた映画「アンダーグラウンド」で、ラストシーンに出てくる、あの幸福を絵に描いたような浮島がありましたね。わたしは、演出家が指さすたびに、あんな浮島を妄想するのです。まあ、単にイメージに過ぎないのですが、地盤を喪っても、どこに流されるかわからない浮島でも、ネガティブなことを補ってあまりある、繋がりあう人間力、笑いあう人間力。愛しあう……人間の基本。)
あの向こう岸に行きたいってことをしっかり共有して、同じ憧れのまなざしを持って……みんなそれぞれバラバラの心と体なんだけど、ヨーイドンで一緒にスタートして、心や体をすりあわせながら、ちょっとくらい遠回りしても寄り道しても、約束した地にはちゃんとたどり着けるように。同じ場所に、同じ時間に、存在しあう。
毎回、毎回、違うんだ。
今。今の劇場。今の観客。今の俳優。今の演出家。
演劇って、本当に、世界を映す鏡だったのね?
と、今さらながらに沙翁先生に頭を垂れる。
観客を迎えて、開演時間を迎えて、幕を開け、芝居が始まるって、こういうことだったんだと、毎回が発見なわけ。舞台上の、この感覚。こういうのって、演出家だけやってると忘てることだった。
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意外と不器用で、面倒くさい内面を抱えたわたしは、俳優なんてやると、やっぱりやっぱりすっごく大変なわけで、ああ、もうなんでこんな冒険に乗り出したんだと何度も悔やんだし、転びもしたが。
でもね、でもね、ただでは起きないよ。握った手には、たくさん素敵なものを握っているよ。
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