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2011年8月 6日 (土)

いいもの、いっぱい。

深夜、衣裳を染めたり、コンサート資料の音源やビデオをまとめたりしながら、一気に事務をこなす。仕事してりゃあいいのに、演出家にラブレターを書いたりもする。今日一日を思う。
IN-Projectのことを考えたり……(今日の西谷氏のブログはとてもいい。表現者なら必ずぶち当たる「緊張」ってやつと、真摯に向き合ってきた様が、彼の人となりをよく表している。信頼できる。)
役作りのために取材に行ったり……(あるお医者さんとの出会いで、曇り空が晴れ渡るくらいの「気づき」があった。書を捨てよ街へ出ようって、久しぶりに思ったよ。)
家に帰ったら、とても素敵な贈り物が届いていたりする。(「お礼」とのしの貼られた荷物は、得難い「縁」という素敵なものを、大切に暮らしていこうって思わせてくれた。ありがとうございます。)

そうだ、中川くんのことを書いておこう。
座・高円寺に「ゲゲゲのげ」を観にいった。
どれだけか大変な稽古だったと思う。
そして、納得できなければ表現できない彼のことだ、きっとたくさんの時間、考え感じ、そして疑問を解いていったのだろう。作家であり演出家である渡辺えりさんと、とてもよい関係で仕事をしたのだろうと想像できる。彼の立ち姿に迷いがないから。
表現の手段など、俳優の数×演出家の数×劇場だの予算だの稽古日数だの、その時の現実の情勢だの、まあ、幾らでもありうるわけで。
表現者は、その中から、選び出すわけだ。
誰がどう言おうと、観客の好みがどう別かれようと、とある表現を稽古で選び取っていく。
そして選び取った中で、本番の「自由」を生きる。

鬼太郎晃教は、ちゃんと選び取って、迷いなく立って、生き生きとしていた。
生き生きしながら、戯曲に描かれた人の心の闇や歪みを、しっかり描いていた。
自分の心身で。
……ということは、観客のわたしは、迷いなく楽しめて、大いに笑って笑って、やがて、自分にも記憶のあるチリチリした痛みの時間に連れ去られた。

走りつづける中川晃教をリスペクトする気持ち、いっぱい。
そして、ああ、早く一緒に仕事をしたいという気持ち、いっぱい。

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