あらゆる屋根に……。
明日劇場入り!を控えて、
今夜は、幸福な場に身を寄せて、幸福のお裾分けをしてもらう。
儀式の大切さが身にしみる。
弟の結婚式で、普段無口な父がとんでもなく雄弁になった時を思い出す。
わたしという人は、どういう巡り合わせか、儀式ってものに縁がない。
小学校の卒業式が、最後の儀式だったなあ。
中高6年教育だったから、中学の卒業式はなく、
高校の卒業式は受験に行って欠席、
成人式は稽古の真っ最中。
結婚式は、未婚なのでもちろん挙げておらず、
このまま無冠の帝王みたいな人生をまっしぐらなのかしら?
まあ、わたしのことはさておき、
人の幸せを喜べるというのは、とても喜ばしいことだ。
人の幸せを喜べない精神状態というのが、人間にとって最も悲しく、自分に堪えるのではないかと考えながら、今日の式の間、素直に喜んでいる自分を喜ばしく受け止めていた。
わたしの半生は、嫉妬や、他者と自分を比較しての苦しみから、少しずつ解放される歴史だったのかもしれないな。若い頃のわたしは、人の幸せを素直に喜ぶのが、とても下手な女の子だった気がする。
今のところ、歳をとって容色が衰えたり、自慢だった黒髪の質が落ちてきたり、恋する資格がちょっとずつ喪われていくようで淋しい気もするのだけれど、それでも、少しずつ、自由になる喜びもあるのだ。面倒な自分から少しずつ自由になる。
悪くない、歳をとるのも悪くない。
佐野洋子さんみたいに、わたしは夜、独りごちる。
今日の二人の掛け値なしの幸せは、きっと列席みんなの心を温かくしたと思う。
素晴らしい時間だった。
そして、
ああ、こんな幸せが、この世界に、もっともっと平等に降りかかりますように。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む(三好達治「雪」)
太郎の屋根に雪降り積むように、次郎の屋根にも雪降り積むように、
あらゆる屋根に、幸せが降りかかりますように……。
今日の幸福な儀式に参加して、
今なお続く戦争や、現在の日本の窮状を思い、
あらゆる屋根に……と願ってやまない。
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さて、話題は変わって、明日、劇場入り。
わたしの役は、がっつり「母」で、きっちり「おばさん」です。
20年のブランクを経て、この先もうないかもしれない俳優としての役は、40代後半。
実年齢。
私生活では、「おばさん」と終ぞ呼ばせたことのなかったわたしが、芝居の中で「おばさん」と呼ばれて、実に違和感なく、自らおばさん道を追求している。
私生活では「母」にならなかったわたしが、夫や娘たちに、不器用に、元気に、愛情をふりまいている。
わたしは、幸せですよ。
是非、「Caesiumberry Jam」を観にきてください。
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それにしても。
「ペール・ギュント」をともにした伊藤君の歌は、いいなあ、いいなあ、本当にいい。
彼の歌を聴けたこと、これがまた、今日のわたしの幸せ。
そりゃあわたしは歌が好きだけれど、色んな歌を愛してきたけれど、
でも、こんなにぐいぐいっと、個人的に愛するのは、中川君以来かもしれぬ。
歳をとって、大好きな宝物は、増えるばかり。
喪うことを恐れず、出会い続けるのが、人生ってものだ。
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