今日、稽古帰りに、軽くお酒を飲んでいて、
ふと、奈里の話をするわたしがいた。
この元気なわたしが、人に会うのが怖くなって、家から出られなくなって、ずっとこたつにずばり込んで、本を読み続けて、どこにも行かず、そのまま干からびて死んじゃうんじゃないかと思ってた時に……30代になったばっかりの頃だったか……まあ、50年の間には、そういう時もあったわけで……今から思えば、かなり深刻な心の病だったのだけれど……母が何をか察知して、急に電話をかけてきてくれて、たまには旅行に行きなさい!暖かいところがいいよ!と、翌日、お金を口座に振り込んでくれた。
わたしは、こたつから出て、船に乗って、与論島を目指した。
早朝、船に乗りこんだとたんに、ずっとわたしを見ている女の子がいた。
それが奈里だった。
あの子、遅かれ早かれわたしに話しかけてくるなと思っていたら、
かなり早いタイミングでわたしに話しかけてきて。
金髪のざん切りみたいなショートヘアで、前歯が欠けていた。
笑うと、子犬みたいに無邪気で、かわいかった。
左の手首には……ためらい傷って言葉があるけど、「あんた、全然ためらわなかったでしょう?」と言いたくなるような傷が、いっぱいあって。
それに関して、何も理由は聞かなかったけれど、とにかくわたしと奈里は、2泊3日の船旅の間、ずーっと一緒にいた。「ねえさん、ねえさん」って呼んで、ずっとわたしについてきた。
わたしがポータブルワープロを出して、若い女によくあるように、半分感傷に浸りつつ、何か書いているような時は、邪魔をせず、書き終わるまで、ずっとそばに坐って待っていた。黙って海を見ていた。
その時、何を書いてたかなんて覚えていないし、どうせろくなこと書いちゃいない。
ただ、その時隣りに奈里が坐っていたあの感覚だけ、はっきりと覚えている。
一緒に海の日の出や海の日の入りを見た。
何にもイベントがない時の海も、ずっと見ていた。
坂本竜馬もかつて眺めただろう、その辺りの海を見ていた。
飛び魚が跳ねる海を、見ていた。
林芙美子が書いてたように、屋久島の上にだけぽっかりと雨雲が浮かんでいるのも、見た。
夜になると、若い男の子たちが夜通しギターを弾いて歌っているところに連れていかれて、一緒に聞いた。どんな歌だったかなんて覚えていないし、そんなに感動もしなかった、だけど、奈里が笑ってそばにいたことだけ、はっきり覚えている。
わたしが先に船を下りる時には、長い間、二人で泣いた。
人生には、余計なことがいっぱいあるけれど、
わたしが奈里と会ったのは、どうしても、なければならなかったことのような気がする。
わたしが、ちょっとでも違う人生を選んでいたら、わたしは彼女に会っていなかったし、
わたしが彼女に会っていなかったら、わたしの今の人生は、今と少しずれていたに違いない。
船を下りて以来、奈里には会っていない。
奈里と書いて、ないりと読む、女の子。
奈里に、もう一度会いたい。
どうぞ、幸せでいてくれますように。