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2011年10月

2011年10月31日 (月)

「呼吸と鼓動の120分」まで、あと3日。

秋の風が吹き始めた頃、膨大にあった事務仕事をひとつずつこなし、とうとうここまで来た。
あの頃、わたしの中にあった漠然とした「呼吸と鼓動」のプランが、稽古の中で少しずつ明確になっていく。淡かった輪郭が、今やくっきり見える。
いつも、こうして本番を目前にする頃になると、まるでそのプランは最初から決まっていたことのように、おさまるべきところにおさまっていく。
何もないところから、作品を生み出していく、苦悩と歓喜が、そこにある。

もうすぐ。
もうすぐ。
心、躍る。
そして、不安も。

この世にバイバイしなきゃならなくなる日まで、
この苦悩と歓喜を、きっと繰り返していくんだ。

今度のIN-Projectは、ちょっと特別な作品です。
見逃さないでください。
お願いします!

2011年10月29日 (土)

「ハ」で始まる食べ物に、感動。

わたしはすごく今元気だと思う。
でも、午前中とか、ちーっとも声が出なかったり、とか、
夜になっても、感情に唱法が追いつかず、ちーっともいい声が出なかったり、とか、
なんだか、悔しくって、とにかくもっと元気になりたくって、
稽古帰り、「元気になる食べ物は?」と聞いて、帰ってきた答えのひとつが、豚肉をキムチと一緒に焼く「ハ」から始まる韓国料理だった。
うーん、名前が思い出せない。
そして、帰り道、その「ハ」から始まる食べ物がメニューにある店を見つけて、食べて帰った。
斜めになった鉄板に、実に雄々しく分厚い豚バラをのせて焼く。開帳場の下部にはキムチ。
バラの油は開帳場を落ちていき、キムチに吸い込まれ、さらに余分な油は、なんと鉄板の穴からこぼれていく。
焼き上がったバラ肉はハサミでさくさくとカットされて、我々に供された。
サニーレタスと、ゴマの葉っぱの上に、ごま油をまとわせた豚バラを据え、味噌をのせ、油のしみこんだキムチと、醤油ベースだれと卵黄をからめた白髪葱をトッピングして、巻き込んで一口で食べる。

感動。

美味しくって。

元気でそうで。(絶対、出る。)

なのに、なんで名前を覚えてないのかな、わたしは。


IN-Project初日まで、あと5日。

おかげさまで初日(11月3日)は完売しました。
でも、どうもバランス悪い売れ方をしており、
4日5日は、まだまだいーっぱい残席があるのです。

どうぞどうぞ、このブログを読んで下さる方々、
4日5日に、江戸川橋までお運びください。
(初日しか行けない!という人も、きっとなんとかなります、ご一報を!)
掛け値なしに、心震える瞬間に出会っていただけると思います。

2011年10月27日 (木)

奈里に会いたい。

今日、稽古帰りに、軽くお酒を飲んでいて、
ふと、奈里の話をするわたしがいた。


この元気なわたしが、人に会うのが怖くなって、家から出られなくなって、ずっとこたつにずばり込んで、本を読み続けて、どこにも行かず、そのまま干からびて死んじゃうんじゃないかと思ってた時に……30代になったばっかりの頃だったか……まあ、50年の間には、そういう時もあったわけで……今から思えば、かなり深刻な心の病だったのだけれど……母が何をか察知して、急に電話をかけてきてくれて、たまには旅行に行きなさい!暖かいところがいいよ!と、翌日、お金を口座に振り込んでくれた。
わたしは、こたつから出て、船に乗って、与論島を目指した。

早朝、船に乗りこんだとたんに、ずっとわたしを見ている女の子がいた。
それが奈里だった。
あの子、遅かれ早かれわたしに話しかけてくるなと思っていたら、
かなり早いタイミングでわたしに話しかけてきて。
金髪のざん切りみたいなショートヘアで、前歯が欠けていた。
笑うと、子犬みたいに無邪気で、かわいかった。
左の手首には……ためらい傷って言葉があるけど、「あんた、全然ためらわなかったでしょう?」と言いたくなるような傷が、いっぱいあって。
それに関して、何も理由は聞かなかったけれど、とにかくわたしと奈里は、2泊3日の船旅の間、ずーっと一緒にいた。「ねえさん、ねえさん」って呼んで、ずっとわたしについてきた。
わたしがポータブルワープロを出して、若い女によくあるように、半分感傷に浸りつつ、何か書いているような時は、邪魔をせず、書き終わるまで、ずっとそばに坐って待っていた。黙って海を見ていた。
その時、何を書いてたかなんて覚えていないし、どうせろくなこと書いちゃいない。
ただ、その時隣りに奈里が坐っていたあの感覚だけ、はっきりと覚えている。
一緒に海の日の出や海の日の入りを見た。
何にもイベントがない時の海も、ずっと見ていた。
坂本竜馬もかつて眺めただろう、その辺りの海を見ていた。
飛び魚が跳ねる海を、見ていた。
林芙美子が書いてたように、屋久島の上にだけぽっかりと雨雲が浮かんでいるのも、見た。

夜になると、若い男の子たちが夜通しギターを弾いて歌っているところに連れていかれて、一緒に聞いた。どんな歌だったかなんて覚えていないし、そんなに感動もしなかった、だけど、奈里が笑ってそばにいたことだけ、はっきり覚えている。

わたしが先に船を下りる時には、長い間、二人で泣いた。

人生には、余計なことがいっぱいあるけれど、
わたしが奈里と会ったのは、どうしても、なければならなかったことのような気がする。
わたしが、ちょっとでも違う人生を選んでいたら、わたしは彼女に会っていなかったし、
わたしが彼女に会っていなかったら、わたしの今の人生は、今と少しずれていたに違いない。

船を下りて以来、奈里には会っていない。
奈里と書いて、ないりと読む、女の子。

奈里に、もう一度会いたい。

どうぞ、幸せでいてくれますように。


2011年10月26日 (水)

からだだいじ。

私塾の稽古と、照明の打ち合わせと、ダンスの稽古と……。
すべての荷物をあわせると、物量重量とも、外出拒否したくなる量だった。
でも、持っていかずばなるまいと、新米ADみたいに荷物を自転車に積みまくって出かける。
稽古場に着いた時点で、ぐったり。
でも、稽古では、しっかり汗をかく。
からだは甘やかすといいことがない。

私塾メンバーは、フィジカルな稽古にぐったり。
そのままIN-Project稽古に突入。
20時過ぎると、もうみんなへろへろで、声にも力がない。
うーん、情けないなあ。

かく言うわたしも、みんなが帰った21時からようやく自分の稽古で、
一回通すと、もう、残りがない感じだったな。

それからまた荷物をごっそり自転車にのせて……。
家に着いてビールを飲んだら、ちょっと魂抜けた人になってしまった。
一日を生き抜いた。
今日は、閉店します。

声を大事にしないと。
今回のわたしの表現は、ほぼ、声がすべて。
体力だって、余ってるくらいじゃなきゃ、人の前には立てない。
からだ、からだ、からだがだいじ。

===

今日のリハーサル。
広崎うらん嬢と作る作品が、すっごく美しくなりそうな予感で、うれしくなる。
今度の絵空箱公演は、なんだか、万華鏡をのぞいたような、おもちゃ箱をひっくり返したような、そんな作品になりそうです。


2011年10月24日 (月)

ごくごく当たり前な毎日なのに、何やらときめく日々。

今日は自分の稽古。
一度通しただけで、へとへとになる。
心と体の強さで勝負、という感じになってきたので、
毎日、よく食べる。
6月のIN-Projectでは、あまりに体重オーバーだったので、本番直前までダイエットしてのぞんだが、今回はもう見栄えなんぞどうでもよくなってきた。
今だって、十分重量オーバーなんだけど……。
Caesiumberry Jamの夏、母ちゃんの役だし、おばさんだし、ちょっとくらい太ってる方が貫禄でるよね〜!と、好きなだけ飲食したツケがまわってきてはいるのだが、いや、もうそんなことどうでもいい!

そして、伊藤くんの作ってくれた歌がなんとも心揺さぶられる曲なので、支えられている。
うまく歌えなくっても、優しさと力強い情感で、支えてくれる。
ありがたい。
これをやることが、3月以来、生きているというこの実感を伝えたいと走ってきたわたしの、折り返し地点みたいな気がする。
観客にどう受け止められるかは、わからない。
まあ、そんな怖さは、やると決めた時から折り込み済み。

夜は、Caesiumberry Jamで一緒だった東谷君の出演する、スズナリへ。
主宰の詩森さん(わたしは面識がないが)という方は、作演出をされているが、
作家の目線と演出家の目線が、位相がずれていて面白かった。
作家の書いた言葉より、演出家の目線はずっと優しい。
俳優たちを、男たちを、とても愛しているからだろうな。
戯曲の言葉の堆積する時間と、演出家が男たちを見つめる時間が、
バランスを取りながら進む感じ。
最後には、演出家の目線の方が少し先に行って、
嫉妬の話なのに、とっても観劇後の後味が優しかった。
もっと悪意のある演出をしたらどうなるんだろう?
……と、想像すると、何やらまた面白い。
ああ、それにしても、俳優たちが、それぞれの現在で、とてもいい仕事をしていて、小気味よかった。それぞれに魅力的だった。
わたしは、東谷エイティの、目がお気に入り。

2011年10月23日 (日)

IN-Project「Breath & Beat」は、恐らく、ちょっとほかでは見れない、贅沢な舞台になります。

いつも、わたしの演出作品には、わたしが出てくるって言われる。
よくあることだが、自己投影した役が出てくるということだろう。
今日、踊る酒井を見ながら、
今回は、これかもなあ、などと、思う。

IN-Projectの稽古、毎日、わたしが一番、ぞくぞくしている。
ダンス作品が出来ていく過程にともにいるのが、官能的過ぎる。

ようやくスタッフと過ごす時間も持てる。
照明の山口明子さんは、ニナガワカンパニーを離れてから、最も信頼している人。
厳しくて嘘がない。創る明かりは、分析のきいた男くささに、持ち前の女が、うまくミックスされてくる。
クリアかつ柔らかい。

舞台監督の山本さんとは、「Super Monkey」で悔しい思いをした仲間。
そしてそのまま「ACCIDENTS」を共にした。
以来、ずっとお世話になりっぱなし。
「Super Monkey」が当たり前に上演されていたら、
もしかしたら、今のわたしと彼の関係はないかもしれない。
そう思うと、何もかもが不思議。

さあ、ブログを書いている暇があったら、台詞をもっとしっかり入れなさいという、
何やら心の声が聞こえてくる。

そうね、眠る前に、もうひと頑張り。

IN-Project「Breath & Beat」は、恐らく、ちょっとほかでは見れない、贅沢な舞台になります。


2011年10月22日 (土)

娘たち、頑張ってる。わたしだって。

今年の春から、私塾に参加していた桜井ユキ嬢が、売れ始めている。
最初から、3ヶ月みっちり勉強して、それからどんどんオーディションなどに挑戦させたいという、マネージャーの強い思いを受けて彼女の指導を引き受けたが、こんなに早く結果が出始めるなんて!
もちろん、彼女の恵まれた容姿や負けん気の強さ、明るさなどが認められているのだろうが、
演技に関しては、会って3ヶ月で、みるみるうちに、いろんなことを吸収してくれたと思う。もちろん、俳優としてはまだまだこれからなのだけれど、「今」の魅力を認められることが、まずは、才能だと思う。
スバルのCMを見せていただいたけれど、とても魅力的。
ああ、うれしい。
映画も、オーディションで役を勝ち取ったと聞いている。
頑張れ、ユキ。

ずっと私塾やわたしの公演で一緒だった佐伯静香も、昨年オーディションに受かって、今はわらび座のミュージカル「誓いのコイン」で、ロングランの主演を務めている。IN-Projectが終わったら、愛媛県の坊ちゃん劇場まで、是非足を運ばなければ!
ああ、これもとっても嬉しい。

わたしの娘たち、頑張ってるなあ。
拓哉とか、遼とか、うちの息子たちにも、もっと先に行ってほしい!

今日は、柳本雅寛さんのリハーサル。
とても静かな演目なのだけれど、大変な疲労度だったと思う。
模索に次ぐ、模索。
どこかに行こうとする彼を見守るわたしさえ、ずっしりと疲れた。
彼はどれほどか?
3時間半が、あっという間に過ぎてしまった。
来週のリハーサルで、きっとどこかにたどり着ける予感がある。
瞬間瞬間が、何かに繋がっている実感。

そしてわたしは……
昨日、陽子ちゃんに面白いと言ってもらえて少しは気が楽になっていたのだけれど、一昨日のリハーサルの録音を聞いてみてびっくり。……酷すぎる。酷すぎたけれど、己の現在を知るために、何度も聞いた。
もう、すっかり落ち込んでしまって、一から出直し、といった気分。
明日、また明日、と、頑張る。
こんな時期に、芝居のチケットを2公演分も予約してしまった。
Caesiumberry Jamの東谷くんと百花亜希嬢の2本。
いいのか?わたし?
でも、どうしても観てあげたいので、残された時間、とにかく稽古する。稽古する。稽古する。


2011年10月21日 (金)

IN-Project開幕、あと2週間。

お誕生日って、いいものだなと、何年かぶりに思った。
まあ、いつもあまり口外しないので、誰も知らないだけなのだが。
今年は、何やら風の噂が流れたらしく、いつになくバースディメールをもらったり。
ひねくれ者のわたしが、「ああ、嬉しいものであるなあ」と、
繰り返し、メールを見直したりしている。

そして、お誕生日に起こったあれこれは、自分の心の中に、特記して大事にしよう。

今日は、一人で黙々と作っている作品を、私塾の陽子ちゃんが手伝ってくれることになって、初めての観客になってくれた。そして、喜んでくれた。作品を楽しんでくれた。
こんなに心強いことはない。
2週間後に、観客の前で演じるための、強い味方が来てくれた。
ただ、ひたすら、進もう。前に。
音楽チームも、1回目とは比べものにならないくらいのリハーサル時間をとって、音楽の精度をあげてくれている。西谷さん、史ちゃん、よろしくね。
わたしたちのIN-Projectは、今回も、とっても素敵なものになると思うよ。
開幕まで、2週間。
よしっ。

2011年10月18日 (火)

恩師のこと。

一通の葉書が、午前中、届いた。
恩師からだった。

わたしは中学高校とミッションスクールに通っていたが、その6年間、ずっと演劇部の活動に熱中していた。恩師は、その顧問だった英語の先生だ。
母校はわたしのいた頃、ちょっといいメンバーが集まっていて、高校演劇の全国大会に行くような、そんな学校だった。
東京に行くのは、千葉の全国大会に行く時が初めてで、先生と一緒に総武線に乗った時のお茶の水駅の景色を、なぜかよく覚えている。
我が故郷、姫路にやってくる新劇公演は、ほとんど先生が手配してくれて、一緒に観にいった。評判のいい芝居がかかっていたら、放課後新幹線に乗せてくれ、大阪まで観劇に連れていってくれた。懐かしい、憧れの食堂車で、ハンバーグ定食を食べさせていただいたこと、絶対忘れない。
先生と観た中で、いちばん記憶に残っているのは、アルブーゾフの「ターニャ」。新人会の公演で、長山藍子さん主演だった。すでに結婚した女が、自立していく話。ちょっと、ノラに似ている。
それを観てから、わたしはロシア文学やロシア演劇に熱中し、俳優になるってことも、「ターニャ」を観て心が決まった記憶がある。それまでは、音楽の道に進もうって決めてたのに。

東京で、大きな商業公演に出た2回目、築地本願寺で平さん主演の「オイディプス王」を観にきてくださって、わたしを見るなり、「石丸さーーーーん、おめでとうーーーーーっ」と駆け寄ってくださった姿も、一生忘れないだろう。

最近は、病と一緒の生活で、苦しんでらっしゃる時も多いが、それでも、わたしが今演出する作品を、ほとんど見にきてくださる。

そんな方がいるから、今のわたしがいる。

葉書には、「お誕生日おめでとうございます。」と書かれていた。

ありがとうございます。
先生のことを書いていたら、感謝の気持ちで、ちょっと泣いた。

先生に、はじめてお会いしたのが、12歳の時。
石丸は、おかげさまで、もう、50歳になりました。
感謝します。

2011年10月17日 (月)

ふたたびの、Жизнъ Прекрасна! ちょっと複雑な気持ちで。

ダンスのリハーサル。
3時間があっという間過ぎて、怖くなる。
3時間って、こんなに短かったっけ?
今日は、舞台の形状変更までしてしまう、稽古場での即断。
当たっているのかどうか……。
うーん、うーん。
当たっているかどうかは知らない。
ただ、自分が見たかっただけで。

明日から、私塾参加の作品も始まって、
いよいよな感じ。
楽曲たちを聞いてる時間で妄想したことは、
無理と知っていても、一応、総当たりしてみる。
それにしても。
今回の私塾出演者たちは幸せである。
色んなアーティストの現場を垣間見れるんだから。
でもって、今回の女性ゲストは、二人とも美しい。
お客様。眼福です。
わたしが出てくるのが、ちょっとお目汚しだけれど……。

===

そう云えば、忙しすぎて、大事なことを忘れていた。
毎年、忘れたことのなかった、アンナ・ポリトコフスカヤの命日が過ぎていた。
わたしが世界にきっちり目を向け始める端緒となった、
チェチェン問題の、渦中にいて、
身近な愛情を捨てても、大きな正義と勇気を守り、暗殺された。
彼女は、わたしより3歳年上だった。
5年前、享年、48歳。
こうして生きているわたしは、もうすぐ50歳になる。
こうして生き続けていくということは、
生き続けられなかった人の分まで、
この世界がどうなっていくかを、
見届ける責任があるということだ。
……いや、そして、楽しもう。気楽にね。
Жизнъ Прекрасна!
人生は素晴らしい!
皮肉なことに、アンナの暗殺を想いながら、ロシア語でこう書くと、
醜悪極まりないことも人生の一部と見なして、
それでも、素晴らしいと言い続ける強さが、
必要に思えてくる。
(いや、アンナとロシアのことをわざわざ例に取らずとも、
今年の日本を見てご覧、ということか。)

アンナ・ポリトコフスカヤ様。
わたしのいる日本国は、今、大変な状況ですが、
それでも、わたしは、今、大変に幸せです。

ああ、40代が終わる。もうすぐ終わる。
誕生日なんて気にしない質だけど、
さすがに40→50は、気になるね。

2011年10月16日 (日)

美味しい時間。

初めてご一緒する柳本雅寛さんと、
今まで何度も同じ現場でやってきたのに、一緒に作品を創ったことなどなかった広崎うらん嬢と、
新国立の授業で一緒になってから、信頼関係のある、俳優、若菜大輔君が加わって、
二本のダンス作品のリハーサル。

短い時間で、いろんなことを感じ、いろんなイメージが生まれ、踊る人の体に触発されてわたしの中に言葉が生まれて、断片だったものが、一気に繋がっていく。最初からその繋がり具合が狙いだったかのように、欲しかったものが偶然、形になってみえてくる。
演出的には、驚くほど一度にいろんなことが決定してしまった。
ひとつの企画を立ち上げようとすると、
地道に一人で音楽を聴く時間、
あれこれと資料を漁る時間、
妄想する時間、
それはまあ楽しいのだけれど、
その後に、もう恐るべき量の事務作業が待っている。
いやってほど眠りを削って、この公演の準備をしてきた。
そして、そして、ようやく、
こうして稽古場で、演出家としての喜びに喘ぐ時間が訪れた。
この時間に辿り着くまでが長かったよ!
でも、ここからが、いちばん美味しいところだ。
そして、わたしの人生が問われるところだ。
たまらない。
興奮する。

わたしにとっては……
震災以来、疾走し続けてきた活動の、これがひとつの区切りになるような作品になりそうだ。
まあ、これはとても個人的な感じ方で、
お客さまに申し上げるなら、
もう、とても贅沢な作品が仕上がりつつあります。どうぞご覧下さい。
と、こういうことだろう。
贅沢な……という意味は、心があるということ、表現者たちの「時間」がたっぷり感じていただけるだろうということ。きっと、わくわく高揚してもらえるだろうということ。たくさんの感情を、たっぷりかつ上品に詰め込んであるということ。お弁当じゃなくって、ちょっとしたコース料理をご用意しているってこと。

2011年10月14日 (金)

緊張だの緩和だの。

最近は、塾生がやってくる13時の前に稽古場をとって、黙々と自主稽古をしている。
IN-Projectの演目の稽古、自分の歌声のトレーニング。
まあ、とにかく、一人で黙々。
今日は、夜、大事なリハーサルがあったので、朝から緊張しまくっており。
朝方寝たくせに、早起きしてしまったり。
ああ、でも、こうして、一日が終わった。
なんとか、明日に一歩を踏み出せる一日になって、ほっとしながら、リハーサル後、遅い食事。
緊張した後に、心の緩む時間が持てる幸せ。
朝からマドレーヌ一個で動いていたので、しみた。
食事も、お酒も、会話も。
食事の共の話題には、和やかで前向きな話題の中に、辛く痛い話題もあったけれど、それもこれも、こうして暮らしていると、仕事していると、不可避なこと、かもしれない。
人は、どうしようもなく愛しく、人は、どうしようもなく面倒だ。
愛しすぎて、嫌悪しすぎて。
その大元は、すべて、わたしが愛したことからくるから、これまた面倒だ。
いや、面倒だ、なんて言ってないで、すべてに責任を取るのがわたしの仕事なんだ。
ああ、緊張とか、緩和とか。

移動で、一日のうち、3時間も自転車に乗っていた。
道を間違えなければ、2時間ですんだのになあ。
まあ、これもよし。
酔い覚ましの自転車は、ちょっと癖になるくらい、心地いい。
またまた無灯火で止められて、防犯登録チェックされたけれど、
今日は反抗的にならず、にこやかに待った。

明日もまた、さらに緊張度の高いリハーサルが控えている。
こうして、よしなしごとを書きながら、興奮と酔いを覚まし、
さて、予習を始めることにする。

2011年10月12日 (水)

本格的リハーサル、始まる。

体調がいい。
恐ろしいくらい。
ちょっとくらい寝なくたって、ぴんぴんしている。
ちょっとくらい深酒したって、翌朝に残らないどころか、さらに快調。
筋肉も何やら元気。足も、腕も、力強い。

でも、新しいものを作っている時は、不安。
この不安はでっかい。

元気で、やたらと不安。
だから、闘う、闘う。
そんな毎日。

今日、初めて、IN-Project音楽班、西谷さんと史ちゃん(ゑ川さん)の、リハーサルの途中経過を聞かせてもらった。自分の選曲や、決めた曲順が、どんな世界を作るのか、初めてしっかりと聞いた。
自分が求めていたことや、見たかったこと、聞きたかったもの、感じたかったこと、触れたかったこと、味わいたかったもの、わかってきた、わかってきた。繋がってきた。

今回のIN-Projectは、踊る人、肉体で語る人を見てもらう時間が、とても長くなる予定です。
今日は、その一人目、酒井亜矢さんの最初のリハーサル。
きっと彼女はすごく緊張してやってきたはず。
わたしだって。
何も決まってないところに、躍動する体が、心のぶれにしなる体があるだけで、わたしの中に、「これが見たい!」というものが浮かんできました。かなり色鮮やかに。
それはとてもドキドキすることだった。
ほぼ即興で動きまくった彼女は、とにかく疲れたと思うけれど、わたしは、今まで見たことのない彼女を見たいのだ。そして、その片鱗は、初日ですでに見えた。
そして、音楽も踊り手とともに、進化をしていくだろう、どこの演奏会でも聞けない、今回のIN-Projectオリジナルが育っていくはず。

演出家にとって面白い時間は、
踊る人にも面白い時間であったらしく、
こんな風にブログに書いてくれていた。
これから作り込んでいく共同作業が、また楽しみ。

この緊張感ある出会いは、あさって、しあさってと、続いていく。
この1週間で、IN-Project Vol2の概要が見える。
不安をしのぐ、この、わくわくの力……たまらない。
元気なのは、当然だな。

2011年10月10日 (月)

鳥の目、虫の目。

ふーーーー。
このところ、耳からエネスク、目から舟越作品、この二本立てに支えられて仕事してきたけれど、また新たなエネルギー源がやってきた。
求めてると、とんでもないものに出会う。
この「求めてる」って力が、いつもわたしを何かに出会わせてくれる。
……一冊の写真集なんですが、それを見ると、人生、変わります。
ミクロの世界の写真集。
体の中の写真集です。

かつて、モスクワで、ヤン・アルテュス=ベルトランの航空写真にはじめて出会って、ひどく重い大型本を大事に抱えて持って帰った。
鳥の目で、変わる、世界観。
今日であったのは、
虫の目で、変わる、世界観。

===

長い演出助手時代。
蜷川さんの隣にずっといて、教わったことは、いろいろ。
でも、その中で、最も印象的なことは、
鳥の目と虫の目と、一緒に持ちながら、世界を見る、演劇と対峙するってこと。

世界への、愛の目線、いろいろ。

2011年10月 8日 (土)

わたしの中身。

脳みそが錯乱、詰まってきたので、誰かと話したかった。
頼み込んで、とある方に会ってもらった。
ただ、現状を話しただけ。
ひえ〜〜〜、わたしダメかも、と、思ってもいない弱音を吐いただけ。
で、少し楽になった。
自分が動かなければ何も動かない、先の話も、少し。
自分がどうしてこうなっているのか、
自分がこれから何をしたいのか、
「うん、そうだったんだな」と確認。
しばしのガス抜き。
ありがたかった。

帰途、長時間の本屋。
今のことにまるで関係のないものに限って心奪われ、
また大量買い込み。
その中の一冊は、
敬愛する彫刻家、舟越桂さんのもの。
「雪の上の影」という作品に心震えて、
今、カリカリと自分が進めている仕事が、少し情けなくなった。
心をゆるめて、ゆるめて。
そして、もっと見つめて、見つめて。
わたしの中身、1回全部取りだして、
風通しのよいところで休ませてあげたい。
剥き出しはちょっと感じやすそうだけれど、
柔らかな光で温めてあげたい。
それから、「じゃ、また頑張ってね」と、
わたしの中に戻すの。

2011年10月 7日 (金)

囚われの身は何のため?

心も体も、次のIN-Project公演の企画のことでいっぱい。
生きているどの瞬間も、囚われの身のように、考え続けている。
いつも、今度こそ魔法が使えなくなるのではないかと怯えながら。
でも、鼓舞してくれるものがある。

わたしに力を与えてくれるのは、ルーマニアの音楽家、ジョルジュ・エネスク(日本では仏語読みでエネスコと呼ばれることが多い。)のヴァイオリンソナタだ。
(前回は、ハンガリーのコダーイにこだわり、わたしはどうも東欧の作曲家に惹かれる。)
何より先に、今回の「Breath & Beat」のテーマソングとしてわたしが選んだ曲。
(わたしと西谷さんの出会いの曲、コダーイのアダージョのように。)
すべてのモチーフが、きっとこの曲に向かっていくんだと思う。
まだ見えていないものも、
今、それぞれのアーティストに渡されて、生まれつつあるものも、
きっと、このエネスクに収斂していくはず。

この曲を聴くその時は、きっと、わたしは絵空箱の隅っこにいる。
観客と一緒に、まるで「そして、人生は続く」と歌うような、この曲を聴くのだ。
その時のために、わたしは走っている。
まだ向こう岸ははっきり見えないけれど、
走っていけばきっと見える。
そこは、エネスクOp.2-3の聞こえるところだ。

2011年10月 6日 (木)

雨音の絶えない一日に。

朝から、次のIN-Projectの準備に明け暮れる。
ぎりぎりまで没頭してしまって、私塾の稽古ぎりぎりの時間。
いつもは自転車の距離も、雨が降っている時はバス。
でも、もう間に合わない、普通なら「タクシーに乗っちゃえ!」と思うところだが、
最近、散財の過ぎているわたしは、久しぶりに雨中自転車。
雨合羽と雨靴で身を固めて、荷物をゴミ袋に全部押し込んで前カゴに突っ込んで。
雨の中を走るのは、ひんやりして、とっても気持ちのいいことだった。
フードはするものの、前を見なきゃ走れないから、顔は雨にうたれっぱなし。
濡れた手で、顔の雨水を何度もぬぐいながら、前を見る。
わたしは自転車が好きだなあと思う。
自分のエネルギーで走る、あの感じがたまらない。
ペダルを踏んで、踏んで、進んでいく。
雨のカーテンを切り拓きながら。

私塾では、ここ半年、アップにヨガの太陽礼拝を採り入れている。
これがまた、いい。
規則正しい呼吸に、体の内側からエネルギーを動かす動きがひとつひとつ寄り添っている。
吸うたびに酸素をとり入れて、それは全身に運ばれて、内なるエネルギーを支えてくれている。
体の中からあったかくなってきて、ワンセット終わる頃には、水を浴びたように汗をかいている。
終わり近くなると、汗が動きとともに飛び散っていく。
夜通し書き仕事をした翌日などは、始める前は実に気が重いのだけれど、
終わる頃には、からだがすっかり軽い。
今のわたしの無茶なワーカホリック生活を支えてくれているのは、この太陽礼拝かもしれない。

夜。
ひたすらに、企画を考える。
少しずつ、自分のみたいものを言葉にして殴り書いていくと、
今日は、時間はわたしを裏切らず、考えた分、淡くも作品の輪郭を見せてくれた。
おかげさまで、いい歳をして、名前も名誉もお金もない。
だから何も怖くない。失うものがないからね。
だから、今、自分が求めているものを作る。創る。
作品ごとに、新しいわたしが出てくる。
作品を創る中で、わたしはいつも新しく、今の自分と出会うのだ。
幸せなことだと思う。
そして、きっとどこかに共振してくれる人がいる。

IN-Projectのチケット発売開始とともに、
いつも、わたしの公演を観にきてくださるお客さま、Oさんが、
今回も、早速予約をしてくださった。
どんな作品であれ、万人に愛されるわけではない。
そして、万人に愛される作品を目指しているわけでもない。
でも、このOさんにだけは愛される作品を創りたい。
それは、このところのわたしの大事な指針だ。
どうしても、こたえたい、まなざしを、客席の暗がりの中に感じる、幸せ。

雨音の絶えない一日に、いろんなことを考えた。

2011年10月 5日 (水)

迷子になって。

ひとつ、お祭りが終わって。

お陽さまの下で、大人数で駆けまわって転げ回って遊んでいたのに、迷子になって、一人、日陰で佇んでいるような。日陰で世界を眺めていたら、日が暮れて、世界が日陰より暗くなってしまったような、そんな気持ちで、次の作品を妄想している。

再びの光を、願望して切望して渇望して。
わたしの手をとってくれる手を、求めて探して嗅ぎあてて。

===

「戦艦ポチョムキン」の中で、
安らぎの象徴、乳母車が、
ガタンガタンと音をたてて階段を落ちる風景。

揺りかごで眠りたい。
でも、そこで聞く音楽は、
いつも優しい訳じゃあない。

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わたしの選んだ音楽や、わたしが見たがった風景が、
きっと、何か結託して、
わたしの手を引いてくれるだろう。
陽だまりのある場所へ。

2011年10月 2日 (日)

時を区切るもの。

何気ない毎日、その繰り返しが人生だ。

でも、こんな仕事をしていると、企画→稽古→本番という流れがいつもあって、そういう意味で言えば、本番を迎える明日は、人生の区切りとなる一日だ。
5年続けてきた活動の、さらなる明日への区切りの一日でもある。

何気ない毎日、そこにこそわたしは依拠しているけれど、
このお祭りのような区切りの日に、どこまで行って何をつかめるか、
それが、明日の何気ない幸福の色味さえ変える気がする。

その繰り返し。

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