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2011年12月

2011年12月31日 (土)

俳優私塾POLYPHONIC 2012年の展望。

来年の公演企画が、幾つか同時に動いていて、頭の切り替えが忙しい。

それと同時に、「赤鬼」での俳優たちの成長に励まされて、
また、今一緒にいる俳優たちにもっと刺激的な稽古場を味わってほしいから、
4年目を迎える俳優私塾POLYPHONICにも、ぐっと力を入れるつもりだ。
石の上にも三年やってきて、ようやく分かってきたことがある。
全部、塾生たる、俳優たちに教わってきたことだ。

2012年は、私塾で、いろんな実験や冒険を企画していきます。
意気込みも新たに、新しい私塾のHPを作成。
これからサイトを育て、
何より、新しい企画の発表をしていきます。

たくさんの俳優たちと、よい出会いを経験すること。
出会いがすべてのこの世の中で、
わたしは大切な出会いを演出したい。
ふつふつと、意欲が湧いてきます。
わくわくしてきます。
来たれ。来たれ。

2011年12月23日 (金)

上を向いて歩こう。

もうすぐ、2011年が終わる。
いつの間にか、節電ムードは一掃され、クリスマスのイルミネーションは例年通り、あるところではセンス良く、あるところでは趣味悪く、とにかく、光を放っている。
忘年会の人々で東京は例年と変わらず賑わっていて。
街と人々の営みは変わらない。
それでいい。

かつて、戦争を「是」とした一部の人間の欲得を覆すのに、「非」と知らしめるのに、多勢の人間の人生が束になって損なわれることが必要とされたように、
わたしたちは、この人生が目に見えない汚染で損なわれていることなどものともせず、それぞれの人生を精一杯生きる。その束の力、束の不幸でしか世の中は変わらない。或いは変わらないかもしれないけれど、変わるとしたら、その人間のあらゆる普遍的な営みの力によってだ。

わたしは、今、この人生を精一杯楽しむことでしか、何かを証明できない。
作りたい作品を創ること。
仲間と過ごす時間を愛すること。
わたしの現在に特別な意味を与えてくれる他者を、渾身で愛すること。
食べ物に生かされていることへの感謝。喜び。
眠りの後の食べ物は、間違いなくわたしの原動力を作る。
家族や、親しい者たちと囲む食事は、なおさらだろう、その喜びは。

===

先日、伊藤靖浩さんのSoloLiveに、わたしは、「上を向いて歩こう」を組み込んだ。
それは、3月11日以来、わたしが最も聴きたかった歌だったから。
そして、さらに言うと、日本が大きな問題を抱えている間に、わたしには個人的な大問題が起こっていて、その日々の辛さを思うたびに、この歌を思いだしていたから。
2009年の2月13日14日15日の間に、小さな黒い空間に零れてきた歌が忘れられず、その歌をずっと求めていた。
そして、2011年12月16日に聞けたことを、わたしの喜びとしている。

笑えない国の中で、
笑いながら歌うこと。
その美しさ。

上を向いて歩こう。
涙が零れないように。

この歌は、鎮魂歌だ。
2011年の終わりに、「上を向いて歩こう」と、誰かに歌ってもらうのが、わたしには必要だった。

2012年は、もっと、もっと、生きたい。


追記

ACCIDENTSを上演した、die pratzeから昨日メールが届きました。
来年の7月でマンションに建て替えるため、劇場を閉鎖するというお知らせでした。
ACCDENTSという大事な作品は、あの狭くて黒い空間とともにあった。
今日、またわたしの中に、「上を向いて歩こう」が、聞こえ続けた所以です。

2011年12月22日 (木)

道。

「赤鬼」オリモトホール公演が終わった。
厳しくって、それでも、どれだけか幸せな現場だった。
5人の出演者にとっては、一生忘れられない芝居になる、きっと。
一本の戯曲を生きるためには、自分たちの成長が必要だった。
導き、見守るわたしは、たっぷりの愛情を注いだ。
生きたいと彼らが本気で思ってくれたから、わたしが彼らに見込んでいた伸びしろ以上に、ぐいぐいと成長してくれた。

私塾を始めて三年。石にかじりつくようにして続けてきた活動が、こんな風に実を結ぶのは、大きな大きな喜びだ。
わたしの元で、どんどん芝居が好きになっていく俳優たち。
どんどん魅力的になっていく俳優たち。
演出家としての仕事とともに、この私塾の仕事は一生のものになるのだろう、これから。
そう自覚させてくれる一本だった。

***

そして、人生は動く。
あまりに思いがけず。
満身創痍になりながら、道を探る。
目の前に、ようやく道が見えてくる。
正しい道かどうかなんて、そんなこと、いつも、分かる訳がない。
大体、正しいとか、正しくないとか、そういう倫理観に縛られない半生だった。
その時々の自分に正直になるしかない。
人間誰しも、嘘をつかずに生きてはいけないけれど、
人として、絶対守らなきゃいけないこと、
真っ直ぐでなければならないところで、
今、わたしは、正しく、いろんな判断ができるだろうか?
自分を大事にすることと、
大切な他者を大事にすることと、
その間に、幸せな接点を、ちゃんと見つけることができるだろうか?

生きていることは、
生かされていることは、
どれほどか神秘的で、どんなフィクションよりも結末が見えない。
そんな当たり前なことを、思う。
自分の死に様など、知らなくてもよいけれど、
自分が生きていることで、人を悲しませたり辛くさせたりしたくない。
歳をとったから分別を持たなければ、なんて思わないけれど、
振り返って見える足跡と、
これから自分が踏む道とくらいは、
見えているべきだろうと、思う。


2011年12月18日 (日)

Yasuhiro Ito 1st. Solo Live 幸福に終了。

昨日、伊藤靖浩SoloLiveにご来場くださいました観客の皆さま。
本当にありがとうございました。
心から感謝しています。
彼にとって、大きな大きなステージでした。
それを見届けてくださる方がいること、
観客席から温かい眼差しで見守られること、
自分の歌う喜びを聴く喜びに広げて受け取ってもらえたこと、
どんなにか大きな力になったと思います。

3回のステージを見届けたわたしは、
3回のステージを観客席側で体験しながら、
それが誰よりわたし自身のの求めていたものだと確信し、
フライヤーに書いたように、
わたしの求めた歌が、観客席に幸せに吸い込まれていくのを感じて、
さらに幸福でした。
もちろん、受け止め方は人それぞれだろうし、
音楽の好みも様々。
演劇の仕事を通じて、音楽の仕事をずいぶんしてきましたから、
その辺りのことはわかっている。
でも、昨日の彼のステージを否定する人なんて誰もいないと思う。
初めてのSoloLiveという企画で
一人の歌い手が表現すること。
そこには、たぶん、それまで生きてきた歴史のすべてが入っている。
お父さんとお母さんが愛し合って、それで彼を此の世に産みだしてくれたことから始まって、
出会った人たち、出会った音楽、出会った喜怒哀楽、いいことも悪いことも、すべて。
努力したことも、遊んだことも、愛したことも、憎んだことも。
どれひとつ欠けても、「今」はきっと、昨日の「今」じゃあなかったわけで。
そして、その偶然の産物でありながら、揺るぎのない「今」に加えて、
さらに、昨日の歌には、
これからへの「夢」が含まれていた。
この、「夢」という成分が、表現している最中にも、
人を少しずつ先へ先へと連れていってくれるわけで。

そんなLiveだったとわたしは感じました。
だから、きっと観客席の方々は、みんな何かを受け取ってくださったのではないかと信じています。
演劇作品を世に問う時より、ずっと楽観的に、わたしは信じます。
歌は届いた、誰の心にも。

いや、それにしても、
伊藤+伊賀の、なんとも素晴らしいコンビネーション。
音楽的には言う間でもなく、あの抜け感のあるMCにしても。
伊賀君には、惚れ惚れと、酔いました。

朝から晩まで、ずっとずっと、素晴らしい気配りのバックアップで支えてくださったblackAのスタッフにも、本当に感謝。
中川君の妹さん、和泉ちゃんには、PA関係を任せっきり。
とても頼りになりました。
高屋プロデューサーには昼ご飯に手作りカレーをご馳走していただいて、男たちは大喜び。
ありがたい。
伊藤君の歌につい聞き入ってしまうわたしの横で、スタッフの森田さんは、記録写真をわたしの代わりに撮ってくださっており。
唐十郎さんの「吸血鬼」っていう戯曲に「お世話の都」って言葉が出てくるんだけど、
久しぶりに思い出したな、その言葉。
わたしは昨日、「お世話の都」にいました。

そして、わたしは伊藤靖浩Liveの第二弾を、きっと企画します。
というか、もう、3月に開催するつもりです。
わたしがやりたい、と言って、動かすんです。
好きなことを実現するためにお膳立ての努力をするのは、本当に苦にならない。
そういうスキルがあってよかったなあと思います。

====

そして、今日は19日の「赤鬼」本番第二弾に向けての稽古。
わたしがLiveの仕事をしている間、自主稽古をしてくれていたので、
さあ、その成果を見てみるかと始めてみると、ひどい出来。
強引に、女優を引っ張って、
めったにやらないことだけど、自分も一緒に泣きながら引っ張って、
ようやく何かが動き出した感じ。
女優陽子に、稽古場を出てから、熱燗を飲みながら、蕎麦味噌焼きをつつきながら、
大人のダメだし。
連続二度の通しで火照った体と心には、
きっと浸透率のよいダメ出しだったと思う。
明日の劇場稽古が楽しみになった。

それから。
面白かったのは、
今日、赤鬼役の齋藤穂高の芝居が、「え?」とわたしが驚くほど、よくなっていた。
よくなっていた、というよりは、力が抜けて、思い切りがよくなって、自由になってた。
なかなかそんなに一気に成長したりするものではないのだけれど、
どうもこれは、伊藤君の歌が関係しているらしい。
彼には、昨日、一日中Liveの手伝いをお願いした。
ということは、3回のステージをすべて聴いということで。
どうもどうも、伊藤君の渾身のステージが、俳優の彼にたくさんの気づきを与えたらしい。
トレーナーのわたしには、その突如の成長が微笑ましく、嬉しく。
また、人間ってものの、複雑さと単純さ、その両方に、頭を垂れるような気持ち。

ああ、怒濤の年末。
私生活もドタバタ続きで、
身辺のすべてが揺れているけれど、
仕事をする中で、こうして何とか、
幸福につなぎ止められている。

2011年12月15日 (木)

興奮し、発熱し、発光し。

私塾「赤鬼」公演、一回目が終了。
昨日の通しを終えて、物足りなかったところ、納得いかなかったところ、
2シーンを、急遽、演出変更。
公演当日で、俳優たちには申し訳なかったけれど、確実によくなった。
わたしの見たいものに近づいた。

今日の公演は、熱さが先走って、繊細さが失われてしまった感もあったけれど、
いやいや、十分。
イシマルよ、一度に望みすぎるな!
奴らはよくやったよ。
そう、わたしは感動した。
演出したわたしが、胸を打たれた。
だから、お客様だって!

いい1日だった。
興奮した。
感動した。
感謝した。
そして、本番を見ながら、改めて、
戯曲の言葉また言葉が内包するものに、心を打たれた。

そして!

明後日は、いよいよ、伊藤靖浩 1st. Solo Live開催の日です。

いよいよ、いよいよです。
伊藤氏は、準備に余念がありません。
わたしも、準備に余念がありません。
彼の歌を、たくさんの人に大切にお届けするために、わたしの出来る精一杯をやりたい。
縁の下で、興奮し、発熱し、発光しています。

ああ、いよいよ、いよいよなんです。

2011年12月12日 (月)

頼もしい奴ら。

迷える、惑える、50代を、毎日、果敢に生きている。
こうして漢字で書くと、迷ったり惑ったりするのは、「迷惑」なのね?
ふむ。
迷惑は、かけてないな。
すごく近しい友には心配をかけてもいるが、
わたしは人に依存するタイプじゃあない。

私塾の公演は、いよいよ明明後日、最初の公演日を迎える。
出演する若者たちは、少しずつ、少しずつ、逞しくなってきている。
一本の作品を仕上げるために、どんどん経験値があがってきている。
それでも、やっぱり彼らも、迷ったり。惑ったり。
情けない姿を、それぞれに晒し、それぞれに見せ合ってきた。
迷惑をかけあってきた。
そんな大変な時期を長らく経てきての、ようやく、今、だ。
今日は、公演を前にして、
成長株の高木拓哉が、なんだか頼もしいメールをメンバーに投げていた。
わたしはちょっとぐっときてしまう。

あと2日の稽古。3日後には本番。
わくわくが止まらない。

2011年12月11日 (日)

お誘い。月蝕の夜に。

生活の基盤が大きく崩れかけていて、家に帰ると、人心地がしない日々が続く。
長い人生、こんなこともあろう。
そのことで、仕事をする自分がぶれることがない。
仕事に支えれられて生きているからだろう。


私塾の「赤鬼」公演。
強引に公演企画を立ててよかったと思うのは、やはり、本番を前にしないとありえない成長を目の当たりにできた時。苦労をともにする共演者たちの間に、しっかりした絆が、自然に生まれていて、絆ゆえの演劇マジックが見られる時。

なのですが、14日と19日の公演。
どちらも、患者さんや病院のスタッフの方々を中心に見ていただくつもりでしたが、14日の公演は、ほぼ病院の中の方はご覧にならないということが判明。
14日は、今、とんでもなく観客席が淋しい状況です。
少しでも興味をお持ちでしたら、是非、14日の日に、清瀬の織本病院にあるオリモトホールまでお運びください。
きらきらした宝石みたいな魂たちに、出会えるはずです。
原石かもしれませんが、わたしがごしごし磨きあげた部分は、きらっきら光っています。

●俳優私塾POLYPHONIC公演「赤鬼」

そして!

伊藤靖浩SoloLiveも近づいてきました。
わたし自身がいちばんドキドキしているかもしれません。
彼は今、遊戯ヱペチカトランデ「The Girls next door」という小劇場の舞台の本番中。
音楽監督とか作曲とか歌唱指導とか、どうやらそれ以上に演劇的なあれこれまで、どどんと面倒みながら、存在しているらしい。
表現者はみな、「現在」という偶然だか必然だかわからない謎をしょっています。
同じ表現がいつもいつも生まれるわけがない。
この初めてのSoloLiveだから、
この仕事をした後の彼だから、
こんなことを考えている時だから、
こんな風に調子に乗ってる時期だから、
こんな風に疲れている時期だから、
と、もうあらゆる偶然必然の現在を生きていて、
だからこそ、どんな歌が聞けるのか、
どきどきする訳です。
だからこそ、その時間を共有してくださるお客様が大事。

●伊藤靖浩SoloLive

夜、歌う男性のことを書いた小説の中で最も素晴らしいものと思っている、「われらが歌う時」をぱらぱらと見返す。
歌を称する、あまりに美しい言葉に酔う。酔う。酔う。

意気揚々とした八小節からソプラノが跳ね出す。一夜のうちに花開いたサフラン。冬枯れした芝生があっという間に生き返る。

兄の声を録音するなど不可能だった。恒久不変という概念に反逆するようなところがあった。

いつまでも引用しそうなので、今夜は眠ろう。うっすらと、脳裏に音楽を聴きながら。

2011年12月 7日 (水)

動いている。いろんなところで。

そんなこんなで、わたしの周りでは、いろんな人生が動いている。

初日を開けるために獅子奮迅の働きをして、音楽の申し子から演劇の申し子に転身できそうな男がいれば、
今日初日を迎えた老人たちもいる。(加藤さんや上村さんを、わたしはとても老人なんて呼ばないけど、そういう触れ込みの集団ではある。)
稽古場でわたしの牽引になかなかついて来られず、迷いのど真ん中の駆け出し俳優がいる。
稽古後、彼の台詞覚えにつきあってくれた、心優しき仲間の俳優たちもいたらしい。
自分の心の闇とひたすらに闘う男がいれば、
心の闇、上等じゃないかと闘う女がいる。
あちらこちらで、初日を迎える準備の新しい仲間たち。
そして、演劇馬鹿でいると忘れてしまいそうになる、我が国の人たち、そのあまりにもいろんな人生。
今日もまた、1日が終わった。

劇場の下見に行き、来年のカレンダーを埋める。
予定の詰まった自分の年末スケジュールをにらんで、本を書く時間を捻出する。
どうぞ、再来年に繋がりますように……と。
わたしもまた、明日が見えないからこそ、明日のために今日の夜を過ごす。
今日の喜びのために過ごす、そんな夜が、もう少し増えてほしいが……贅沢は言うまい。

2011年12月 6日 (火)

愛についての雑文。

わたしは稽古中に「愛」という言葉をよく使う。
このブログでも、しょっちゅう使う。

若い時は、恥ずかしくて使えなかった。
「愛」というものを、何か美しい概念のように思っていたからだ。
でも、今は、それが概念なんかではなく、
努力や、誠意や、責任や、持続力や、忍耐などに支えられている、
精神の行為、ひいては、生命力を必要とする行動だと思っている。
もちろん、この世に生きる意味と言ってもいい美しき概念「愛」は、在る。
きっと、わたしと、他者の間に。
でも、そんな不可視の頼りない美しさを支えているのは、
行動としての愛なのだ。

O.ワイルドを、このところ読み続けているが、
彼の愛は、ずっとずっと遠いところにある。
こんなに生活に密着した愛は、彼の作品には描かれない。
でも、彼が堪え忍んだ生活、半生を思えば、
彼は、どれだけか、行動する人であったと思う。
行動しないということが、行動に内包されるとすれば。

作家が、書いていない時ほど作家であるように。
俳優が、演じていない時ほど俳優であるように。

愛の行為を、選ばないことが、愛である、という場合もある。

2011年12月 5日 (月)

戯言。

うむむむむ。
明日は9時から稽古である。
ゆっくりお風呂に入って、生姜茶を飲んで、いつもよりしっかり早く床に着く、という目標に向かっていたのに、まずかったのは、お風呂での読書だ。
マックス・エルンストの「百頭女」を一葉一葉眺めていると、頭の中が言葉だらけになってしまった。
絵を見ても、ダンスを見ても、音楽を聴いても……何か心に触れると、わたしは真っ白になって体が痺れるか、言葉まみれになって言葉に溺れるか、どっちかだ。
エルンストの絵からは、とんでもない言葉ばっかり溢れてきて、で、その文字たちが集まって、奇っ怪な生き物を創り出してしまいそうで、なかなかえぐいバスタイムだった。

で、眠れない。
でも、大丈夫。
この間は睡眠2時間半で劇場稽古に向かったが、演出脳は冴え冴えとしていた。

不幸が、わたしのステータスだったんだと、つい最近思い出した。
わたしは、ここのブログに「幸せだ」と、よく書く。
でも、もちろん、ブログには書けないことがたくさんある。
今、わたしを形成しているのは、この書けない部分で、
それは、少し、不幸の様相を呈している。
この、拭えない不幸は、どうしようもなく、わたしが仕事をする、物を創る時の、エネルギーなのだ。
そして、これは、墓場に一人で持っていく類のもの。
誰とも共有できない。
きっと、みな、同じこと。
ただ、わたしは生きるエネルギーが、確実に人より強いので、
墓場への土産は、年々、荷姿を大きくしていく。
マグロみたいに、ずっと仕事してしまうのは、
この手に負えない荷物のせいなのだ、きっと。

2011年12月 3日 (土)

プリンターが働いている間に。

プリンター酷使の日々。
今日は、台本を印刷してくれるのを待っている。

劇場での稽古、2回目。
激烈な、あまりにも激烈な抜き稽古の後に、
初めて、強引な通しを実施する。
あまりにあまりに、強引な。
でも、走りきった俳優たちは、ようやく、
自分がどこに辿り着くために走っていたかを認識したようだ。
感想を聞いてみると、
結果はどうあれ、マラソンコースを一回走りきって、肩の力がちょっと抜けたと言う。
そう、今までは、どこを目指して、どんなコースを走っているのかも知らなかった訳だ。
でも、わたしに言わせれば、飛距離が小さすぎる。
走りきったかもしれないが、わたしはもっと遠くへ行くつもりでいるのだ。
で、そういう、心も体も火照っている時こそ、浸透率がいいだろうから、
2時間たっぷりかけて、全篇の読み直しのような、ダメだし。
初めての通しが終わってからの、テーブル稽古みたいな感じだった。

ようやく、一本の作品を手に手を取って作るチームになりつつある。
これからだ。
無料公演だから、予算は一切ない。
あるのは、俳優の心と体だけ。
わたしは、彼らの現在に、しっかりと命を吹き込む。
ようやく、ようやく、ほんの少しだけ手応えが……。

どこまで行けるだろう?
どこまでも、どこまでも、連れてってやりたい。
わたしが、色んな先人たちに、ここに連れ去られてしまったように。
一生やめられなくなる、虜になって離れられない、演劇の醍醐味うずまくところに。
実は実は、とても静謐なところに。

2011年12月 1日 (木)

兄と弟。

谷賢一氏の参加するプロジェクトを観に行って、心ならずも、生まれて初めてアフタートークを聞いてしまった。(普通は絶対に聞かない、意地でも本編終わりで劇場を出てきたのに、今日は出損ねてしまった。)
ゲストは永井愛さんで(素敵な女性だ)、結果、聞いてよかったのは、永井さんが作品に出てくる「兄と弟」「兄貴分と弟分」に興味を持たれたという、何気ない会話だった。「日本の問題」という企画後の座談会の割には、当たらず障らずの会話の中で、そこだけがわたしには魅力的だった。

わたしは、弟の話ができない。
わたしには、弟の話をする資格がない。
弟がいるのに、弟とは、もう長い間会っていない。
会おうと思えば会えるところにいるのに、この20年で会ったのは二度だけかもしれない。
わたしは、ずっとずっと、弟を探しているのに、弟に出会えない姉だ。

弟分……と言えば、映画に出てきそうな兄貴と舎弟って感じの二人と、偶然出会って、公園で一晩過ごしたことがある。久しぶりに記憶がありありと蘇った。
ストリートシンガーと、そのファンの水商売少年。
でも、わたしから見ると、ひたすらに兄、ひたすらに弟。
兄がいて、兄を慕う弟がいた。
兄はことさら弟を大事にしていなかった。
だからこその、兄と弟だった。

2000年10月2日の日記が残っていた。
通し上演すると11時間かかる芝居の、名古屋公演の後のことだ。
わたしはくったくたに疲れて、俳優の宴席に呼ばれて飲んで、
あまりノレなかったものだからひたすら飲んで、酔って、先に帰った。

以下、我が記録。

 3時過ぎに先に席をたち、ホテルを目指した。目指して歩いたも のの、方向感覚のないわたしは目的地に向かって歩くということが 苦手。ふらふら夜の街を徘徊しているうち、自分がどこにいるかわ からない。仕方なくタクシーに乗ったら、新米の運転手さんで、2 メーターほど走ったあげく、そのホテルは知らないと言う。納得の いかないままお金を払い、また知らない場所に降り立った。自棄に なって再び歩き始めた時、男の人に呼び止められた。わたしの顔に 「迷っています」と書いてあったのか。行き先を聞かれて、親切に も送ってくれると言う。とても悪い人には見えなかったので(わた しはこういう自分の勘を信じていて、間違った例しはない)話をし ながら夜なお明るい栄の街を歩き出す。 彼は栄の交差点のロイヤルホスト前で毎夜歌い続けているストリート ミュージシャンであるらしく、近くに止めてあった車からチラシな ど持ってきてくれて自己紹介をしてくれる。 「歌を聴く?」と聞かれ、「聴きたい」と答える簡単な流れで、ホ テルの前の公園に於いての深夜コンサートが始まった。コンビニで 仕入れたアイスクリームだのジュースだのカップラーメンだのを囲 んで。客はわたしのほかにもう一人。彼のファンであるらしい夜の 飲食店勤め風の男の子。黒いズボンに白のカッターシャツ。胸ポ ケットには赤と黒のボールペン。前歯が一本抜けている。ファンが 高じて彼の手伝いを仕事の後にしているらしく、「ピック!」 「ハープ!」「(カップラーメンに)コンビニで湯いれてくれ よ!」などといった言葉にかいがいしく応えている。彼がギターで イントロをかき鳴らし始めるたびに、「これ、好きなんすよ!」 と、まだ子供っぽい目を輝かせる。  風貌からロックを想像していたら、曲は真っ直ぐなフォークロッ ク。伸びのあるしゃがれ声に力があって、歌声にうるさいわたしが 満足して聴き始めた。水商売の外人ばかりが目立つ薄汚れた公園 だったけれど、彼が背負っていた噴水が時折水しぶきと音を立てて 噴き出し、ちょっと悪くなかった。  何曲くらい演奏してくれたのだったか。途中で心地よく地べたに 寝転がって聴くうち、浅い眠りに落ち、夢の中で、最近発売したCD のタイトルソングというのを聴いたのが最後だった。  夜が明けて。コンサートが終わると、ホテルの場所が分からないままに歩いて いたわたしのことを「さっき歩いてる姿、浮浪者みたいだったよ」 と彼は言った。「眠ってない顔してるし、疲れた顔してるし、行き 先知らずの歩き方してるし」とも。そして「そういう時はビタミンC をとった方がいいな」とコンビニに入り、青いミカンを買ってくれ た。

この夜のLiveは、一生忘れないだろう。
弟少年の、兄の歌を聴くときの目の輝きも。
キャップのないボールペンをさすから、黒と赤の線だらけになった、胸のポケット。
前歯なんでいれないんだよ?と突っ込むのを忘れさせる笑顔。
この子は、きっと兄貴といる時以外、笑わないんだろうなと思わせた。
一晩、わたしのことも甲斐甲斐しくお世話してくれた。
「ねえさん」と呼ばれた。
兄貴がこの一晩を過ごす女に選んだからか?
わたしは、一晩「ねえさん」だった。

甘酸っぱい想い出だ。
あの時の歌声、まだ忘れていなかった。
日記の最後に書いてあった名前を検索してみたら、
ちゃんとちゃんと、歌い続けてくれている。
旁月今日人さんという方だった。

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