■「ピナ」を見る。
生きていること、存在していることの表明。
誰しもが持って生まれた、同じ体から生まれる表現は、時にぎりぎりまでそぎ落とされ、時に豊かに肉付けされ。時に孤独であることを潔しとし、時に他者と否応なくぶつかりあい、時に渇きを癒すように求め合い、時に幸福の輪郭を崩さぬように愛し合う。
これを見ながら、わたしは記憶庫にしまっていた言葉を激しく思い出していた。
秋元松代さんの言葉で、「これだけは言わなければ、自分の魂が滅んでしまうというようなことが、ひとつはあるでしょう? それを書けばいいのです」
でも、これはわたしの記憶違いだった。
わたしにはしょっちゅうあることだが、心を激しく揺すぶられた言葉を記憶庫にしまい込むうち、思い込みによる改竄を加えてしまうのだ。
原典を求めて、秋元松代全集を開いた。
正しくは、こうだ。
秋元松代さんが、生きる方途に迷って、戯曲の師三好十郎さんを訪ねた時のこと。
師は言う。
「何か書いて来てごらん」
秋元さんが言う。
「戯曲は書き方も知りませんし、書こうという気持ちも本当はないので、何を書けばいいのでしょうか」
師はこう言った。
「小学校時代に作文か童謡を書いたでしょう、原稿紙に二枚か三枚でいいのです。ただし、あなたがこれだけは、ぜひともいいたい、それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が亡びてしまうと思うことが、一つはあるでしょう。それを分かりやすく、誰か一人の人に話しかける気持ちで書けばいいのです。」
……言葉の主は、秋元先生ではなく三好十郎で、言葉自体ももっと柔らかかった。
でも、わたしはこれからも、人生を賭けて表現し続けることを選んでいる女性に会うたびに、きっとこの言葉を思うだろう。
これを言わなければ、自分の魂が滅んでしまう……それを表現すること。
■3月11日、1回限りの公演が終わった。
東京芸術大学のローラン・テシュネさんが主宰するアンサンブル室町の演奏と、ジャン・コクトーの「エッフェル塔の花嫁花婿」のコラボレーション。
二人の作曲家が書き下ろした、西洋古楽器と和楽器のための現代音楽の中に、俳優の身体と演劇的な遊びを駆使した演出で、荒唐無稽な前衛劇を組み込んだ。
これがどうやったら面白くなるんだ? と問いたくなる戯曲を、びっくりするほど面白くできたことに、ちょっと自負を覚えている。
いや、いや、それより何より、わたしのインスピレーションを刺激してくれた俳優たちに、感謝をすべきだろう。彼らがいなければ、あの演出もあの公演もなかった。
俳優と演出家がタッグを組んで、幸福な偶然を呼び込み、丁寧に磨きをかけていった、そんな稽古だった。
3月11日に公演するということに、抵抗はあった。
作品の質から言えば、別にその日に拘る必要もないように思えたし、その日に合わせて創っていくつもりもなかったからだ。
これは、出演を決めた時の俳優たちも同じだったらしい。
でも。
本番を直前に控えて。
わたしも出演者も、心ひとつに、この作品をこの日に上演できる喜びを噛みしめていた。
劇場で今日も仕事をしているということ。
一心に、演劇のことを考えていられること。
目の前の舞台に心血注げる自分と仲間がいること。
元気であること。
観客が待ってくれているということ。
黙祷の時間は、客入れ中の袖で迎えた。
上手の一袖から客席をこっそり見て、暗みに戻ってから目を瞑った。
一緒にはいなかったけれど、出演者たちもそれぞれ、袖を選んでいたらしい。
モスクワに行った時、タガンカ劇場で観劇中に、隣町で、劇場占拠テロという悲劇が起こった。
あの時の、「わたしは一生劇場で働こう」という決意を思い出す。
3月11日は、静かに、自分の奥深くに沈潜していくような、再認識だった。
この機会を与えてくださったテシュネさん、
この上演を誰より喜んでくださったテシュネさんに、
心から感謝する。
