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2012年5月

2012年5月20日 (日)

人は何で出来ているか。

人は、何で出来ているか。

今日のわたしの答えは、再構成された記憶と、無駄。

とある食事について、かつてわたしは書いた。
ズッキーニのフリットを、恋人と一緒に作って、恋人と一緒に食べた夜のことを書いた。
もう10年近く前のこと。
美味しい関係と美味しい食事だけでも、記憶に残るものなのに、わたしは書いてしまった。
だから、時を経ても、それは、より記憶に残る。
現実だの経験だのって奴が、書くという時間で再構成されて、自分の都合で色濃くなっているわけだ。
でも、その産物は、人の記憶にも何かしら爪痕を残す。
だって、書いたのは、ネットで誰でも読めるブログって媒体だったからね。
ある友人が、思いがけずそのズッキーニのことをfacebookで書いてくれて、わたしは「記憶」で自分が出来ているのを認識する。
しかも再構成された記憶。
……記憶の集合体であるわたし。

とある昔の仲間の、幼い頃の写真。
もう、現在の日本にない場所で、何かを見据えて立っている。
その見据えている何かは、時間なのか、場所なのか、わからない。
でも、切り取られた写真という記憶は、写真として残ってしまった以上、記憶として彼の構成物のひとつとなる。
その、幼い彼を構成していたElementsたちは、彼の心身に残る。恐らく墓場まで。

ああ。
街を歩けば、記憶ばかり。
あらゆる風景に記憶がしみこんでいる。

これは、実際の経験だけじゃあない。あらゆる芸術的体験の記憶からも。
そう、例えば海を越えた地に立つ時。
わたし、翻訳文学に埋没して、小さい頃からどんなにか旅行してきたから。
ベルリン、モスクワ、ロンドン、ニューヨーク、ロス、ペテルブルグ、そこら辺は、わたしの妄想の中で都市像がはっきり出来ていて、実際その地に立つと、「あ、変わっちゃったのね?」「変わらないなあ」という感慨になる。
文学に接することも、経験。もう、わたしはその地に飛んでいるのだ。
記憶から解き放たれた時、また、新しく出会うことになる。


今日。
わたしの人生にとっちゃあ、何てことない、事務的な、無駄な時間を過ごしながら、
今目の前にある、再構成された記憶にきっとなるであろう現在を生き、
今、この手で触れられるものに、手を伸ばし、甘えて、
甘えるということは、時として逆に距離感を感じることであったりして、
息苦しくなった。

この無駄な時間に、わたしの10年後が秘められている。恐らく。
泣きそうになりながら、涙を止めるちょっとした美学に酔いながら、
しっかりと、一人であることを、噛みしめる。
酒の肴って、いつも極端にふたつ。
愛されている喜び
か、
一人きりだという諦観か。
酒の肴は、いつも、甘いものと辛いものが、交互に欲しくなる。
きっと、そんなものなのだ。

2012年5月16日 (水)

長い一日の終わりに。

朝から、いろんなことがあった1日だった。

ずっと、お互いにわだかまりを抱え続けていた仲間と、向き合って話す時間。
そんなに長い時間じゃあなかったけれど、ちゃんと話すということが、長い時間をかけて縺れたものを、ゆるゆるとほどいてくれる時間。
こういう時間を過ごすと、わたしは自分をわかっていないなと、つくづく思う。
人に映ったわたしを目の当たりにして、ようやく自分が見えてくる。
そして、愛し合うには、どんなにか傷つけあう時間を過ごさなきゃいけないってこと。
愛し合えば愛し合うほど、傷つけ合って。
でも、基本、お互いを尊重する気持ちがあれば、歩み寄れる。
また、思いあって、愛し合える。
そこには努力も必要。
そこには赦しも必要。
でも、それは愛しあってれば可能で、かつ、手を取り合って、先に進めるような気がしている。
そんなことを感じる時間を過ごした。

私塾の稽古では、それぞれの抱える問題を、しっかり洗い出して、打破するきっかけと糸口を探し。
それぞれの現在を、がっかりするほど認識して。

個人レッスンでは、社会人ながら舞台に立つことになり、一から教わろうとする人と出会う。
わたしとひとつ違いの、きっちり前を向いて、教わろうとする姿勢のしっかりした人だった。
教える者の能力は、教えられる側の姿勢が引きだしてくれるものだ。
わずかな時間の積み重ねでも、責任をもって、伝えようと心する。

21時に稽古を終えて、「三人姉妹」の演出助手モスクワカヌさんが、家まで事務仕事を手伝いにきてくれる。徹夜態勢で。
出来上がった台本の印刷、発送の準備。
券売の準備。
稽古スケジュールの作成。
メーリングリストの作成。
色んなことを二人で手分けして。
いつも2時には寝るという彼女が、4時半までも一緒に作業してくれた。
ここのところ、一人深夜の事務作業に没していたので、なんと心強かったことか。
ありがたい。
わたしは夜に強いので、こうして、台本の印刷待ち。
ワカヌさんはわたしのベッドの中。
6時くらいに、交代しよう。

長い一日。
わたしは、長いつきあいの人や、
今日知り合ったばかりの人や、
これから長いつきあいになりそうな人や、
いろんな人に囲まれて、幸せだった。


2012年5月11日 (金)

不眠の夜の、ささやかに幸福な独白。

昨夜は、今朝が締切だった仮チラシを作ったり、Webサイトの作成などしていたら、もう5時半。
眠りまでと思って、ベッドでチェーホフの手紙を広げたら、また興奮してしまって、最近書き始めた「チェーホフ日記」を書いてみたり。
すると、夜送ったたくさんのメールに、早朝返信が届き始め、それにまた返信をして、調整をして……。
気がついたら、9時だった。
11時に起きて稽古へ。
不眠などものともせず、稽古は楽しい。
そして、明日は7時起きでフライヤー用の写真撮影へ!さあ、早く寝るのだ!と、1時半に早々とベッドに入ったのに、またチェーホフを開いたのがいけなかったか?

こうして起き出して、興奮を覚ますために書いている。

忙しいことがいいことだとは、ちっとも思っていない。
日々を、もっとゆったり過ごせたらな、と思う。
でも、叶わないことがある。
この一度っきりの人生は何のため?
と、問いながら、わたしはあくせく動き続ける。
喪うもの、多数。
でも、せめてもの救いは、わたしは生活に倦むことは、ほぼないということ。
若い時は、他者との交わりを避けることが多かったわたしが、
こうして歳をとり、人と交わることが仕事になっている。
人と交わり、関わっている限り、倦む時はない。

こんな夜は、いつも同じ言葉を思い出す。
清水邦夫さんの「血の婚礼」の台詞。

とにかくわれわれは動き出してしまったのだ。
ささやかながらも。
これを旅と呼んでいいのかもしれない。
え? 旅と呼んだっていいじゃないか?
だとしたら、ヘルマン・ヘッセ風に言って、
旅する術というものを学ぶべきだ。
目的だけをひたすらに追い求めるような視線には、
さすらいの素晴らしい風景や事件は、飛び込んでこない。
そんな視線の前には、森も、川も、ずっと閉ざされたままだ。
旅する者だけが持つ無心の輝きが、
憧れの星の前で色褪せないように、
足取りも軽く、時にはスキップもして、
世界のあらゆる輪舞の中へ入ってゆき、
踊り、ざわめき、歌いながらも、
愛する遠方にはきっちりと目を向けている。
それが旅する術だ。

世界のあらゆる輪舞に入ってゆくこと。
わたしが、若い時にはなかなか為せなかったことだ。
人と交わる前に、わたしは、厄介な自分と向き合うという大問題を抱えていた。
そして。
こうして普通なら体力の衰える時期になって、
わたしは、この人生で一番踊り、一番ざわめき、一番歌っている。
もちろん、愛する遠方にはきっちり目を向けて。
演劇がある限り、わたしの周りに人が集まってきて暮れる限り。
この眼差しの向くところは、きっと狂わない。

こうして独白していると、
なんて恵まれた人生だろうって、穏やかな気持ちになってきた。

眠れるかもしれないな。

2012年5月 7日 (月)

よき種銭であれ。

若き俳優田島優成さんが企画出演する、中津留章仁さん作の「黄色い叫び」。
今年3月11日に、「エッフェル塔の花嫁花婿」で共に闘った一人、河内大和さんが出演するというので、五月快晴の空の下、自転車を飛ばして観劇に出かけた。

彼の芝居は、蜷川さんの舞台で見ただけだった。
また、若いナイーブな俳優が出てきたな、と、そう思ったけれど、
わたしからは遠かった。
でも今日、下北沢の小劇場で、彼が昨年3月11日以来、長く深い心の旅をしてきたことが、痛々しいほどにわかる舞台を見て、わたしは客席で、何度も彼と共振してしまった。
このどうしようもない世界に、まだ青い自分ができること。
考えたこと。
どうしようもないこと。
行動したこと。
絶望したこと。
希望をもらったこと。あげたこと。
あの立場、この立場で、想像したこと。
忘れてはいけないんだと、声をあげてみること。
声をあげずにはいられない自分を、いろんな鏡に映してみること。

今日、心を震わせ、体を震わせ、声を震わせ、黄色い叫びをあげていた彼を見て、わたしは、先日サザンシアターで観た、こまつ座「闇に咲く花」を思い出していた。

どちらも同じ。
忘れちゃいけないことがあるっていうこと。
忘れたら繰り返す、だから、忘れちゃいけない。

そして、彼と、彼と共に舞台に関わる人たちみんなが、種銭に見えてきた。
「闇に咲く花」にね、出てくるの。種銭。
お財布にいれておいて、それが種になって増えていくっていう、あの、種銭。

叫びが虚空に消えても、
不完全燃焼のまま消え去っても、
彼は、彼らは、大事な種銭。

そして、わたしも、いい歳をして、どうもまだまだ青臭い味で生きてるので、
種銭でありたいと、思うのだ。

=====

さて、今日は7月公演の情報公開をすませた。
ようやく、ここまできた。
そして、ここからが本当の始まり。

そうだ、そうだ。

種銭のような台詞、「三人姉妹」でもヴェルシーニンが語りますよ。

「だからと言って、あなたがたは空しく消え去るのではない。なんの影響も残さずに終わるわけではない。あなたがたのあとに、あなたがたのような人が、今度は六人でてくるかも知れません。それから十二人、それからまた──というふうに殖えていって、ついにはあなたがたのような人が、大多数を占めることになるでしょう。二百年、三百年後の地上の生活は、想像も及ばぬほどすばらしい、驚くべきものになるでしょう。人間にはそういう生活が必要なので、よしんば今のところそれがないにしても、人間はそれを予感し、待ち望み、夢み、その準備をしなければなりません。」

まあ、ヴェルシーニンの幸福論は、己の現在の不幸を肯定するところから来ているので、ちょっと屈折していますが、ここだけ読むと、「種銭」ですね。でも、増え方は、そんなに単純じゃない。

チェーホフは、日露戦争開戦の前日に息をひきとった。
あれから、日本は、三つの大きな戦争を越え、幾つかの天災人災を越えてきた。
100年が過ぎて、さて、世界は?

ああ、それでも、やはり、よき種銭であれ。

=====

下北沢からの帰り道、あんなに快晴だった空はどんよりと攻撃的な灰色で、あっという間に突風、撲りつけてくるような雨。

種を蒔いてからも、大変だ。育てるって過程に、世界はなかなか意地悪だもの。

……おやすみなさい。明日のために。

2012年5月 1日 (火)

とっても大事なこと。忘れないために。

毎日が忙しくって忙しくって。
時間がまったく足りない中で過ごしていると、生活にゆとりがなくなり、いっぺんにたくさんの人を愛せなくなる。無償には愛せなくなる。
でも、今、目の前にいる人たちだけは、わたしの出来る限りで、自分がちょっとくらいすり減ったとしても、大事にしようと頑張っている。
交歓っていう言葉が好きだ。
そうでなきゃって思う。
私塾の俳優たちや、新しく第二次が始動したばかりの秩父市民ミュージカルや、これから一緒に仕事をする人たち……。
なんとか、なんとか、わたしと過ごす時間が、よきものになりますように、と。

というような日々を過ごしていたら、
一番ないがしろにしていたのが、大事な父母。

今日は、とっても大事なことを忘れないために、眠りを削って書き留める。
明日を思えばもう寝るべきなのだけれど、自分のこの先の人生を思えば、明日一日くらいなんてことない。

先週末、入院している母に会いに、実家の姫路に帰省した。
正月以来帰っていない、電話もなかなかかけない、正真正銘親不孝な娘が帰省した。
母は、大動脈の手術をしてから、ずっと静養の暮らしを続けていたのだけれど、このところ腎臓を悪くして入院している。そして、気管とと食道を分けてくれる喉頭蓋がうまく働かず、自分で嚥下できないので、一切口から食事や飲み物が取れなくなっていた。
口から、自分で、栄養をとれないことが、人をいちばん弱くする。
わたしが見舞った時は、小さな小さな氷を口に含むのが精一杯だった。
せめて、栄養ゼリーでも口から入れられたら、と、父と何度も話した。

かつて、母が手術から復帰した時に、わたしの差し出すスプーンから、桃味の栄養ゼリーを食べてくれた時は、本当にうれしかったっけ。
口から食べてくれるだけで、「ああ、明日は来る!」って思えたっけ。

そして。
疎遠にしていた弟から、わたしよりずっと親孝行な弟から、
「ママ、ようなったみたいやで」という電話。
父に、電話して聞いてみる。
母を助けたのは「歌」だった。

母が、自分を迎えにくる霊柩車の夢や死をにおわせる話ばかりして、父がかなり滅入っていた、その翌日。
病院にボランティアの音楽隊がきたそうだ。
父に言わせれば、あまりうまくない電子ピアノと、あまりうまくない歌と……
なのだけれど、童謡が聞こえ出すと、ママは、急に生き生きして、大声で歌いだしたらしい。
ちょっとトークみたいになった時間も、「はいはい!」と手をあげて、おおはしゃぎだったらしい。
……ママは、童謡が好きなのだ。
……思い出した。ママは、歌がうまくはないけれど、歌が大好きなのだ。
ママは、童謡をたくさん一緒に歌って、急に元気になった。
音楽隊が帰った後もずっと、「楽しかったあ、楽しかったあ」とご機嫌だったらしい。

そして、ゼリーを一個、吐かずに食べてくれたらしい。

このことを忘れずにいよう。

わたしの仕事。
わたしの仕事。
プロだから、お金を頂くから、これが生きがいだから、
わたしは作品を創る時は、作品の質にとことんこだわる。
でもね、
演劇の力、
音楽の力、
すごく本質的な力に支えられてるって、
そのことを忘れないように。
自分の力だけじゃないんだってことを、忘れないように。

ママを元気にしてくれた、「歌」にありがとう。
ボランティアの音楽隊の方々に、ありがとう。

そのことを忘れないで、また明日、稽古場に行こう。


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