今日という一日。
日曜日、そう、日曜日なんだって、昼下がりに気づく。
一日、机にかじりついて仕事する。
うまくいかない。なかなか進まない。
すべての回り道が本番に通じると、経験上知ってはいても、この時期が辛い。怖くて、手が震えてキーボードを打てなくなって、1時間ほどふて寝する。
夜、発注していた曲が2曲あがってくる。
それが素晴らしくって、心が跳ね上がる。浮き上がる。
ミザンセーヌが一気に見える。横隔膜が持ち上がる。
一人じゃないなと思う。
ああ、演劇だって思う。
いけるぞって思う。
作った料理まで美味しく仕上がる。
美味しく頂く。
深夜、「塔の上のラプンツェル」を見る。
愛するアラン・メンケンの音に骨抜きになって酔う。
鑑賞する側にすっぽりはまりこんで、酔う。
ディズニーを見るたびに感じる、迷いのなさとプロフェッショナルに酔う。
映画の途中で、飲んでいたワインが尽きてしまい、ほかに何にもお酒がなくって、焼酎に手を出す。
わたしは、あらゆるお酒を美味しく頂くが、焼酎は好まない。
だのに、今年の1月、どうしてもお酒を飲みたいのにお酒がなくって、初めて自分から進んで焼酎を飲んだ。
その、1月以来の焼酎。
舌が、1月のすべてを連れてきた。
五感は、いつもわたしをあちこちへと連れ回すけれど、味覚は珍しい。
1月のわたし。
7月のわたし。
たった半年なのに、わたしは明らかに違うところにいる。
ラプンツェルを奪った、二人目の母を、映画の後に、思った。
愛すること、愛されること。束縛したいと思うこと、束縛されること。
誰もが、みんな幸せになるなど、無理。
と言うよりも。
明らかに、幸福は、いつも誰かの不幸を礎にしている。
幸福に酔い、
そして、不幸に泣いた。
そんな夜。
明日も仕事をしよう。
長いような短いような今日という一日は終わった。
この一日の積み重ねが、ともに舞台を創る人たちの時間を決めていく。
ああ、因果な職業だなあ。
一人の女としては、実に寂しい。
それなのに、なんだろう、この仄かな生きる喜びは。