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2012年7月

2012年7月30日 (月)

今日という一日。

日曜日、そう、日曜日なんだって、昼下がりに気づく。
一日、机にかじりついて仕事する。
うまくいかない。なかなか進まない。
すべての回り道が本番に通じると、経験上知ってはいても、この時期が辛い。怖くて、手が震えてキーボードを打てなくなって、1時間ほどふて寝する。
夜、発注していた曲が2曲あがってくる。
それが素晴らしくって、心が跳ね上がる。浮き上がる。
ミザンセーヌが一気に見える。横隔膜が持ち上がる。
一人じゃないなと思う。
ああ、演劇だって思う。
いけるぞって思う。
作った料理まで美味しく仕上がる。
美味しく頂く。

深夜、「塔の上のラプンツェル」を見る。
愛するアラン・メンケンの音に骨抜きになって酔う。
鑑賞する側にすっぽりはまりこんで、酔う。
ディズニーを見るたびに感じる、迷いのなさとプロフェッショナルに酔う。

映画の途中で、飲んでいたワインが尽きてしまい、ほかに何にもお酒がなくって、焼酎に手を出す。
わたしは、あらゆるお酒を美味しく頂くが、焼酎は好まない。
だのに、今年の1月、どうしてもお酒を飲みたいのにお酒がなくって、初めて自分から進んで焼酎を飲んだ。
その、1月以来の焼酎。
舌が、1月のすべてを連れてきた。
五感は、いつもわたしをあちこちへと連れ回すけれど、味覚は珍しい。
1月のわたし。
7月のわたし。
たった半年なのに、わたしは明らかに違うところにいる。

ラプンツェルを奪った、二人目の母を、映画の後に、思った。
愛すること、愛されること。束縛したいと思うこと、束縛されること。
誰もが、みんな幸せになるなど、無理。
と言うよりも。
明らかに、幸福は、いつも誰かの不幸を礎にしている。
幸福に酔い、
そして、不幸に泣いた。
そんな夜。

明日も仕事をしよう。
長いような短いような今日という一日は終わった。
この一日の積み重ねが、ともに舞台を創る人たちの時間を決めていく。
ああ、因果な職業だなあ。
一人の女としては、実に寂しい。
それなのに、なんだろう、この仄かな生きる喜びは。

2012年7月27日 (金)

終演から二週間が過ぎ。

結婚披露宴会場で演じられる「三人姉妹」から、早くも二週間が経ってしまった。
すぐに次の仕事の準備に入ってしまったため、何の振り返りもなく、まともに総括する言葉や文章も残せないまま、今に至る。
しかも、Mobile MeからアップしていたHPが、Mobile Meのサービス終了とともに消えてしまったものだから、公演HPまで消えてしまった。何とか、復活させるよう、ようやく今日あたりから動き出している。

何人かの出演者が、それぞれの言葉で公演を振り返ってくれている。

杵鞭麻衣さん(オーリガ)
(我が宣伝部長は、もうずっと「三人姉妹」の稽古経緯から書き綴ってくれて写真も満載。むっちーは、これからガンガン売れっ子女優の道を進んでほしい、いや、きっと進んでいくでしょう。彼女とは、俳優としての魅力でも、人間としての魅力でも、また一緒に仕事したいと誰もが思うだろうから。)

竹中友紀子さん(イリーナ)
(稽古時間の半分以上を、ゆっきーとの格闘に過ごした。普通だったら折れてしまいそうなところを、くらいついてくるゆっきー。舞台で生きる喜びを、本番で思い切り味わっている姿に、わたしは涙を禁じ得なかった。)

小栗剛さん(トゥーゼンバフ)
(小栗剛君には、信頼して、放置して、彼の惑いも回り道も、わたし自身が楽しみつつ、最後には一緒に見つけた感じ。彼には、残すふたつのTにも出会ってほしい……。わたしと……。)

河内大和さん(ヴェルシーニン)
(3月11日の忘れがたい公演「エッフェル塔の花嫁花婿」で出会い、信頼関係をしっかり築けた河内さんと、早くもご一緒できたのは嬉しかった。まだまだ若い彼に、大きな大きな役をふりました。あと10年後、実年齢になった時、またこの役で出会えってみたい。)

渡辺樹里さん(ナターシャ)
(成長はなはだしい樹里は、わたしのナターシャ役作り要求に、一度は深く深く悩みながらも、途中から稽古場の牽引力になるくらい、伸び伸び自由に遊んでくれた。伸びしろ、まだまだすごいんだろうな。楽しみな女優。)

今日は、ひとまずここまで。

写真は、千穐楽集合写真の別バージョン。
わたしは、なんとも満足げな笑みで、イリーナゆっきーの隣にいる。
愛して愛して、稽古場では押し倒して抱きまくって握って潰して、と、そりゃまあ大変な騒ぎだったけれど、彼女のしたたかな可憐さは消えなかった。
こんな女優、なかなかいません。
わたしのイリーナを生きてくれたあなたに感謝。
Photo


2012年7月26日 (木)

夜の魔法

夜中の、この何とも言えない寂寥感は、仕事がうまくいっていないからか?
いや、誤解を受けぬよう言い直すと、毎日着実に進んではいるものの、自分がどこに辿り着きたいのか探りながらの作業なので、いたく気分が悪いのだ。
目指す向こう岸がはっきり見えるまでは、イメージできるまでは、そうだ、いつもこの居心地の悪さと、そこから波及する寂しさに、つきあわねばならぬのだ。
歳をとったからかもしれない。
この歳になるまで、独り者で家族を持っていなければ、それは寂しいのも当たり前で。
また、此の世から消えてなくなる日が、どんどん近づいているのだから、不安になるのも仕方なく。
確かにね、わたしは幸せです。
家族みたいな人たちに囲まれて暮らしているし、わたしがぶっ倒れれば、心配してくれる人も何人かはいるだろう。
それでもね、きっと、皆、そうだと思うの。
夜はね、時に、魔法がかかるからね。
生きてることの神秘とか、世界の神秘とかに、真っ向から立ち向かって、荒野に一人、闇の中に一人、立ち尽くすみたいな気分に陥るわけです。
誰しも、きっと、あるでしょう?
わたしは今夜、この夏の夜、その魔法にしっかりとかかってしまったので、仕事しながらも酒を呑み、やることと言えば、相変わらず、次の舞台を夢想すること。どうしてもはっきりとした像を結ばないところに、目を凝らすこと。
夜は怖いな。見えないものに目を凝らすと、いつも見ちゃいけないものばかり見てしまう気がして。
……
これは、エルミタージュ所蔵の、ティツィアーノのマグダラのマリア。
あの部屋に入った途端、この絵にがんじがらめにされた。
本物の前にもう一度立ってみないと、決して追体験できない、あの瞼からこぼれそうな涙、波のように動き出しそうな髪、豊かな乳房。
いや、何より、やはり、あの瞳、あの涙、だ。
夜の魔法にかかると、わたしはあの絵を思い出す。
誰かに赦しを請わなければいけない気がしてくる。
若い頃の夜の魔法には、ミロの「夜の女」という絵だった。
わたしを自由にしてください、この世に解放してくださいという、奔放な欲望だった。
歳をとった。
Photo_2

2012年7月 8日 (日)

「三人姉妹」稽古終了。アンフェリシオンへ!

チケットを完売し、プロデューサーとしては肩の荷をひとつ下ろして、演出家としては最終稽古。
ラストシーンをどう導くか一晩考え抜き、三人の女優たちに投げてみる。
今日の通しで、ぴたりとはまる。
演出家としても、これで肩の荷がひとつ下りた。
オーリガ、マーシャ、イリーナ、ありがとう。
芝居全体も、なんともいい上がりだった。
懸案だったダンスシーンも、変更がバッチリはまって、予定よりずっと早く最終稽古を閉じることができた。
それも、とっても幸福に!!
いよいよ、あさって、初日を迎えます。
でもその前に!
あの手強い箱にまた、敢然と立ち向かう。
今日の夜から明日、あさってと、わたしは獅子のように奮迅の勢いで、働きます。燃えるなあ。さあ、仕事だ。

写真は、出演者全員の稽古場終了記念。
みんな、明日からのすべての時間に、ワクワクドキドキしています。

Reharsal


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