わたしを見続けてくださる「目」
わたしの作品を、いつも券売開始と同時に、予約してくださるお客様がいる。ふとしたご縁で、独立して最初に演出した「ACCIDENTS」から、ずっと。
売れている演出家なら、ごく当たり前のことなのだが、わたしにはただ一人、いる。
わたしより少し年配の、ご婦人で、
どんな作品であれ、わたしが作るものをずっと追いかけてくださっている。
秩父の市民ミュージカルでさえ、足を運んでくれた。演出していない、出演作もちゃんと観にきてくださった。
昨日、今回のご予約の感謝とお礼のメールを書いたら、朝、素晴らしい返信が届いていた。
不安と痛みであまり眠れず、それでも早起きしてしまって、今日1日が闘い果せるか心配な時に、本当に本当に力になってくれた。
ちょっとだけ引用しても、怒られないと思う。
Oさん、許してください。
「一人のひとの仕事をずっと見続けていくのは
とても面白いです。
今度はどんな形で驚かせてもらえるのか、と
わくわくします。
年を取ると、いろんなしがらみで
なかなか自由がきかなくなっていきますが、
家の事情が許す限り、
自分の楽しみは何とか確保して
明日への生きる糧にしたいと思っています。」
サリンジャーの、「フラニーとゾーイー」を読んだことのある人なら、ラストシーン、彼らが支えにする存在を覚えていることと思う。(「フラニーとゾーイー」は、あまりメジャーではありませんが、名作です。設定を現代の日本に変えて舞台化したい作品のひとつ。)
わたしにとっては、彼女が、その存在。
客席の暗がりの中に、いつも観てくれている「目」がある。
その目に支えられる。
今回、わたしが作ろうとしている作品は、まさに、そういうものです。
出演者たちを、その目のところに、何とか引き連れていこう。
大変な牽引力が必要だけれど、大丈夫大丈夫、やれる、やれる。
辛さと、救いと、その両方。
ささやかながら、記憶に残る、朝。