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2013年3月

2013年3月28日 (木)

Hotel Existenceから。

舞台を創っている時は、生きている。
終わったとたんに、生きている気がしなくなる、これは何だろう?

ポール・オースターの「ブルックリン・フォリーズ」という昨年ようやく翻訳の出た小説(オースター2005年の作品)に、Hotel Existenceと呼ばれるホテルが出てくる。
それはホテルの固有名称ではなくって。
自分が「生きている」ということを、深いところで実感させてくれるような。
「存在している」ことは辛いことだという大現実をひっくり返してくれるような。
自分の「存在する」煩わしさを忘れさせてくれるような。
自分の存在と現実の関わりを度外視して、世界の美しさと触れあえるような。

これらは、オースターが書いたことではなく、わたしが行間から勝手に読み取ったとものだが、傷ついた犬みたいな登場人物たちが、Hotel Existenceと呼ぶ、ほぼ機能していない宿泊施設に泊まっているシーンは、読むのにずいぶん時間がかかった。
読み終えるのが怖くて、ゆっくり、ゆるりゆるりと、呑み込んでいった。
「こういうシーンに出会いたかった」という幸福の瞬間が、時折読書する時、訪れる。
大体、突然、やってくる。
そういう時、わたしは一度本を閉じ、今から出会おうとしているシーンの予感に鼓動を早くしてしまうので、鎮めて鎮めて、息を整え、出会いにいく。本を開く。

Hotel Existenceのシーンを読みながら、わたしも彼らと同じ空気を吸っていた。

読書には、終わりが来る。

それ以来、何冊かの本を読んだが、まだHotel Existenceにわたしは泊まったままだ。

最近、大きな仕事が決まって、まあ、お金にはならないから仕事と呼ぶのは控えても、大きなチャンス大きな冒険が、先に待っている。
ひどくうきうきしていていいはずだ。
でも、わたしはまだHotel Existenceにいて、そこに留まる自分を、外から眺めているような気分だ。

わたしが、存在するわたし自身を、眺める。

50代の書くことではないかな。
いや、辿り着いてみると、こんなものだ。
まだ、存在することが覚束ない。

わたしのHotel Existenceは、舞台にあるかな?
本当にあるかな?
誰かのHotel Existenceを、わたしは作れるのかな?
ごくごく当たり前に、てきぱきと仕事をこなす日々を送りながら、
精神は、Hotel Existenceの中に留まっている。
この不可思議な日々。

舞台を休みなくやり続けていると、
周りのみんなに、早く死ぬよって驚かされるけれど、
舞台がなくっても、休んではいない。

稽古場も劇場も近くにない時期が、いちばん怖い。
ただただ次を夢見て、そこが自分の、観客の、Hotel Existenceであれと、願う。

わたしの人生は、すでにボタンを掛け違えてしまっている。
ペールみたいに、溶かされる恐怖に出会わないように、
ただただ、おのれ自らと向き合う。
掛け違えたボタン、失敗の人生でも、Hotel Existenceに辿り着くことはできる。
他人の評価ではない。
自分の人生だ。

2013年3月18日 (月)

「テネシーの女たち」舞台写真

こちらから、舞台写真をご覧頂けます。

伊藤由華さんの壁画、山口明子さんの照明による、美しい舞台写真をご覧下さい。

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