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2013年8月

2013年8月29日 (木)

「呼吸と声のワークショップ」を開催します。

ポリフォニーは、複数の、対等で独立した声部からなるもの
ホモフォニーは、主旋律があって、複数の声部がその和声としてあるもの
モノフォニーは、声部がひとつだけ。(このブログのタイトル)

"俳優私塾POLYPHONIC"と、"Theatre Polyphonic"
どちらも"ポリフォニック"という言葉にこだわってつけたものだ。
(私塾の俳優たちには、すでに”ポリ”と略されて呼ばれているが……。)
主役がいて、アンサンブルがいるのではなく。
一人一人が、それぞれ対等に、独立して、表現すること。それが見事に絡み合うこと。
そんなことを夢見てこの名前をつけた。

また、ポリフォニッックという言葉で、楽器の特性を指す場合もある。
管楽器はモノフォニック。和音が出せませんから。
ギターは6音のポリフォニック。
ピアノは88音のポリフォニック。

一人の俳優の中に、たくさんの声、たくさんの音があること。
心と体と連動した、たくさんの表現があること。
そんな夢も、この命名には含まれている。

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ずっとずっと、真剣に取り組みたいと思っていた企画を、9月にやってみます。

ニナガワカンパニー時代からずっと試し続けてきたこと、考え続けてきたこと、勉強し続けてきたこと。
独立して俳優塾を開いてから、俳優たちと取り組み続けたこと。
Theatre Polyphonicの稽古中に、発見してきたこと。
そしてさらに研究を続けてきたこと。
それらすべての経験をもとに、「呼吸と声のワークショップ」を開催します。
詳細はこちらから。



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とにかくわたしは、稽古場にいると、ようやく生きてる意味を見いだせる。
平日の昼間はほぼ俳優私塾の稽古場を開いているけど、
きっとこれが、わたしの心の健康のもと。
今日も、5月に出会ったばかりの俳優の扉を開けようと懸命な時間を過ごした。
出会って1年の俳優が見違える進歩を遂げつつあり、わくわくした。
俳優も、わたしも、汗だく。

9月に、どんな人たちと会えるのか、どんな発見や感動があるのか、楽しみ。
もう、生みだした作品と、その時々の出会い、それだけがわたしの人生を語る要素だ。

2013年8月22日 (木)

江ノ島の花火の日に。

私塾に来てくれる裕介の話。
彼は、わたしのところに2期生として入ってくれてから、人生紆余曲折。詳しくは彼の名誉のため書かないが、演劇をまじめに愛するあまり、演劇とつきあったり別れたりを繰り返している男だ。
シャイで、繊細で、自己表現が屈折してて、となると、恋愛と一緒で、なかなか簡単にはつきあっていけないのかもしれない。
今は、駅員として働きながら、いったんは離れた私塾に、時折顔を出してくれる。
別れた後になって、「やっぱりお前のことが忘れられない!」と、より愛が深まるのはよくあることだ。
昨日、彼は稽古に出席の予定だったが、前日の夜「江ノ島の花火が延期になって明日になったので、明日稽古に出られません」と連絡があった。江ノ島の花火の日は、小田急線駅員は忙しいから勤務を抜けられないのだ。そして、「キッチンやりたかったです!」とも書いてあった。
この「キッチン」というのは、アーノルド・ウェスカーの戯曲で、巨大レストランに働く若者たちが、夢と現実の間で揺れる様が描かれる名篇だ。その中で、デザート担当のポールが、自らの抱える夢と悪夢を吐露する長い台詞を、新人たちの新しい課題にしようとしたら、裕介がそれを聞いて、「石丸さん、俺、おれやりたいです!」と直訴してきたのだ。
きっと、夢と労働に挟まれた自分が、ポールに重なるのだろう。
……それが4日前くらいの話。
そして、昨日の朝。
裕介からまた連絡があり、「16時に再度出勤すればOKなので、1時間だけ稽古に出ます」と言う。
夜勤明けで、仮眠の時間を潰して、稽古に1時間だけ来るっていうことだ。……驚いた。
たった1時間。
声を出したいというので、まず発声して、すぐに「キッチン」にかかった。
彼の長台詞に至るまでの流れまでを作っておいて、ぶっつけで、ノンストップで聞いてみた。
わたしは感動してしまった。
労働者の切実な痛みがそこにあったからだ。
人生はあきらめるためにあるのか、あきらめないためにあるのか、揺れる青年がそこにいたからだ。
彼は、ポールの台詞を借りて、自分の現実を噛みしめ、自分の現在と未来に問うていたんだと思う。
そして、長い長い覚えにくい台詞が、ちゃんと入っていた。
きっと、短い空き時間のすべてを使って覚えたんだと思う。
うまいへたの問題ではなかった。
言葉と心が近くって、作家の書いた言葉がちゃんと生かされていた。
演劇的な時間というのは、人の記憶をくすぐるものだ。
労働にまつわるわたしのすべての記憶がひっぱり出されてきて、胸苦しくさえなった。
感動したことを伝えた後、稽古をつけていった。
あっという間に、さっきそこにあった良さはどこかへ消えていく。
それを、「台詞」だと思った瞬間に。
こうしてみよう、て思った瞬間に。
でも、それがスタートだ。
===
演劇は、世界を映す鏡だから、誰だって俳優になれるはず。どんな人にも俳優になる資格はある。だって、世界を構成している一人なのだもの。
でも、俳優であること、俳優になることは、本当に難しい。
だって、世界をそのまま切り取るんじゃなくって、世界を再構成しなきゃいけないんだもの。それには、他者に伝えるエネルギー源としての人間力が必要で、演劇の場合には、繰り返していく技術が必要で、自らの心と体を観客の前に晒して、さらに責任を持つ勇気も必要。簡単には超えさせてくれない高いハードルが、いくつも目の前にドンドンドンっ!って立ちふさがってくる。
裕介の演技が感動的だったったこと、それがなぜ感動的だったかは、実は本人にはあまり分からない類のことだ。
だから、導く者が必要になる。
演技は、ものすごく個人的な行動のように見えて、実はそうではない。
常に、共同作業。
作家との、共演者との、演出家との、観客との……。
わたしは、俳優塾の稽古にいる時は、その全てになる。
===
こんな風に、わたしにとって、考え感じる瞬間が、しょっちゅう訪れる。
俳優塾を開いていることで、一番演劇人として救われているのは、わたしかもしれない。

ゆるやかに動き出す。

少しずつ、いろんなことが動き出している。
次回作を決めかねていたわたしの背を、とある国民的詩人がぽんと押してくれて、ぐいと前向きに動き出したり。
まだまだわたしにとっては終わってない"Color of Life”の字幕作業を乗り越えて、その未来をいろいろ具体的に考えたり。
忙しいと巷で噂のわたしが、8月から見始めた「あまちゃん」の現在進行にもう追いついてしまって、今日は人生において「逆回転」はありえるのかと、深々と哲学的になったり。
眠れないのはあまり変わらないままに、わたしは動き出した。
きっと時間の問題なのだろうから、もうあまり思い悩まないことに決めた。
その一方、愛猫風は、わたしのそばで、どこまでも眠りを貪っている。驚くほど眠る。見ていて心地いい。
お気にいりの段ボールがわたしの枕の横に置いてあって、しょっちゅうそこで寝る風。今日はそこに小さな熊を持ち込んでひとしきり噛んで、猫キックをかましていたぶった後、しっかり腕に抱いて眠りについた。……それは「新・近松心中物語」で闘った後に、阿部寛さんにもらったものであるんだぞ、風。長年、大事にとってあったんだぞ、風。
そんなこと知ったことかと、また、眠る。眠る。
彼女を見ていると、わたしも眠りに誘われる。
我が誘眠剤よ。今度は、わたしが起きないように見張っててよ。

愛する遠方へ。

8/11
今読んでいるの小説の中に、こんなくだりがった。
 人生で最も早く手に入って、一番長く忘れない学問。
 それは、経験大学で取得する、H・L・L の学位。
 人生のつらい教訓……HARD LESSON OF LIFE。
電車の中でいったん本を閉じ、
誰しもが通う経験大学のことを思い、
誰しもが取得するH・L・L の学位のことを思った。
そして、ノートとペンを取り出し、抜き書きをしておいた。
===
相変わらず、3時間以内で目が覚めてしまう生活が続いている。
それがこの暑さによる単純なものなのか、
新たなH・L・L によるものなのか、
次の仕事へのプレッシャーなのか、よくわからない。
演劇人としてのわたしの生活は、
やってきた仕事をどんどんこなしていくのではなく、
自分の内からやりたいことを探して(やりたいことに突き動かされて)、
火をたんねんに熾していくような生活。
だから、クリエイティブに、目に見えて派手に仕事する時期の前に、
長い長い準備と潜伏の期間がある。
NYでの仕事が終わって、今がそれだ。
そう言えば、昨夏も、「三人姉妹」を終えてから、8月いっぱい「EYES」の執筆で潜伏していた。
そして9月からは、打って変わって、俳優たちと激しい稽古の時間を過ごした。
喧噪の中で、派手に動き回る時も、
一人静かに、新しいものを模索する時も、
忘れちゃいけないのは、「旅する術」だ。
清水邦夫さんの、「血の婚礼」の台詞を引用させて頂く。
わたしが25歳の時にもらった役での台詞。
この台詞をしゃべれただけでも、俳優であってよかったし、演劇人であってよかった。
====
「……とにかくわれわれは動き出してしまったのだ。
ささやかながらも。
これを旅と呼んでいいのかもしれない。
え? 旅と呼んだっていいじゃないか?
だとしたら、ヘルマン・ヘッセ風に言って、
旅する術というものを学ぶべきだ。
目的だけをひたすらに追い求めるような視線には、
さすらいの素晴らしい風景や事件は、飛び込んでこない。
そんな視線の前には、森も、川も、ずっと閉ざされたままだだ。
旅する者だけが持つ無心の輝きが、憧れの星の前で色褪せないように、
足取りも軽く、
時にはスキップもして、
世界のあらゆる輪舞の中へ入ってゆき、
踊り、ざわめき、歌いながらも、
愛する遠方にはきっちりと目を向けている。
それが旅する術だ。』
1
8/7
昨日、MITFは終演したのだけれど、それでもまた、わたしの中でNY公演の決算はついていない。
経済的な決算はついた。わたしがいくばくかの借金を負った、それだけの話。
でも、演出家として、人として、心の決算がついていない。
それこそが、相変わらず、眠りについても3時間以内で目覚めてしまう原因ではないかと思ったりする。
相変わらず6時半に起きちゃったのに、なぜこの時間まで覚醒しているのか、謎。
風、元気になってよかった!と思っていたら、朝から食べたものの吐き戻し、2回。
私塾の稽古が終わって、土砂降りの中自転車を駆って帰って、病院に連れていく。
避妊手術以来の外出、病院詣で。
暴れるかと思いきや、診察台の上で、わたしのお腹にぴったりと体を寄せ、わたしの横腹と肘の間に頭をぎゅっと押し込んで、二本の注射を身動きせずに耐える。
命ある何ものかに、ここまで頼られるって感覚、「たかが相手は猫」ってクールに装うとしても駄目。
わたしの愛情貯蔵庫はかなりビッグサイズなんだけど、その容量のすべてを彼女に注ぎたくなってしまうほど、彼女の「頼ってます」表現は強烈だった。
作品を創る時も、そう。同じだな。
わたしの発信しうる限りの愛情を注いで、それはすごく激しく大きくって、一生のつきあいになることもあれば、じわじわとわたしから遠のく人を生んだりもする。
激しい。激しすぎる。愛情、深すぎる。
だからこそ生まれる信頼関係と軋轢。
そんなあれこれを考えながら、眠りを待つ夜。
8/5
昨日は、一度も家を出なかった。
風のそばにいてやりたかったのだ。
事件は朝起こった。
尾籠な話なので、ざっくり書こう。
トイレの後、お尻から長いものをつけて走り回っていた風。
よく見ると、癖でよく噛んで口にいれてしまう、ビニール袋。
自力で排泄できないのを、お尻につけたまんま、なんとか出し切ろうとしているのだけれど、いや、どう見ても、無理無理!
恐る恐るひっぱって取りだしてやった。
その長いこと、長いこと。
とんでもない長さ。
どうやってあんなでっかい切れ端を口にいれ、呑み込んだんだろう?
一昨日全然ごはんを食べなかったのは、そのせいだったんだ。
本当だったら、開腹手術だったと思う。
この子はラッキー、強靱。
で、その後、汚れまくった風はそのままお風呂。
にゃーにゃー鳴きながら、きれいきれいにしてもらって。
彼女に言わせリャ、ダブルパンチで厭なこと続きだった訳ですが、
今や気分良く、まっしろしろすけ。
でも、まだ食欲がないわけで……。

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一日、家を出ず、一緒にいてあげた。
家にはもう一人調子の悪そうな人もいるし……。
自分が人の世話をできるようになると、わたしは落ち着きます。
わたしが横になると、脇の下に丸まって寝るのが、最近のお気にいり。
今日はご飯を食べてくれますよう。
でなきゃ、病院へ、だな。





8/4
横川義仁氏による、第3幕の舞台写真。
父親とシュミュルツだけのシーンなのに、わたしも清水那保も間宮あゆみも伊藤靖浩も、この幕を外から見たことがない。
演出の選択として、すでに世界の闇に葬られた人物たちを、2階部1階部に死体として配置して、生き残った父親の人柱、大地の礎とした。
それは、どうしても揺れを止められなかったイントレの揺れを止めるための策でもあった。激しく揺れ続ける舞台装置に、自分の体重をしっかり預けて、みんなで菊沢さんとディディエさんを守った。
奇妙な時間だった。
そして、ボリス・ヴィアンが戯曲に書いていないことを、わたしはひとつだけ終幕に付け加えた。
清水那保演じるゼノビに、リインカーネーションを生きてもらった。
舞台上に転がる父親の死体に、彼女は布をかけて去る。
まるで小さな子供が、美しい朝、翼と命を失った小鳥を見つけてこっそり葬ってやるように。
第二次大戦後、ボリスはこの作品を書いた。
破滅へと進む世界への強烈な批判として。
でも、そのままの形で終わるには、現在の日本には厳しすぎる。
わたしはボリスに、
「あなたがこの戯曲を書いた時よりもっと、もっと、あなたが想像し得ないくらい、世界は荒廃しているんです。だから終幕に、ほんの少しだけでいいから、希望の匂いを加えたいんです」
とお願いして。
8/4
写真家横川義仁さんがトップ画像にされている6月の演出作品、アンサンブル室町公演「帝国の建設者」の舞台写真が、たくさんの方の「いいね」を集めているのをタイムラインで発見。
何か、自分の子供がいつの間にか一人歩きしていたような、不思議な気持ち。
公演が終わってからすぐに"Color of Life"渡米準備に入ってしまったので、終演後この作品について語ることがあまりに少なかった。短い間に深く愛して、ぱっと手放したような、ちょっと不憫な子だったのに、こんな風に愛されている。
短い舞台稽古で、空間を見据えた照明を作ってくれた松本永さんに感謝。
限られた予算の中でどんな美術にするか(美術プランはわたしだった……)主催者テシュネさんに理解してもらうために、何度もメールで通訳をし、つないでくださったテシュネみおさんに感謝。
理不尽な逃走を続ける家族は、破滅に向けて理不尽に上へ上へと追いやられるのだが、結局1幕2幕は平場で演じ、3幕ではそれまで壁として存在していたイントレがセンターで合致し、バベルの塔のようにそそりたった。
この塔をとらえた横川さんの写真は美しい。
ここに写っているミイラのような繃帯に包まれた男は、ディディエ・ダブロフスキさん。
いつも稽古場に電子辞典を持ち込んで、フランス語と日本語でのディスコミュニケーションを自分でカバーしてくれた。このシュミュルツという存在が、最も戯曲解釈の分かれる悩みどころだったが、舞台を開けてみると、最も饒舌な存在になって観客に受け入れられた。
バベルの塔に乗りこんで、一人でシュミュルツと向き合う四面楚歌を演じた菊沢さんは、出会った時と上演中では、全く違う顔になっていた。稽古中、役に埋没する彼と二人稽古をしていて、現実に戻って来られるか不安になったことさえあった。平和を愛する優しい俳優が、どんどん狂気にまみれて暴力を救いと安心に代えていくのだから。
あの3階建てのイントレも、稽古場では1階部しか組めなかったから、菊沢さんが実際に高所で稽古できたのは数時間。安全確保のために、舞台監督の森さんは開演まで懸命に動いてくれた。
3階建てでいくか2階建てでいくかの判断を、わたしは初日まで持ち越していた。
選ぶのはわたしだったが、選ばせてくれたのは、スタッフであり、菊沢さんだった。
この公演のGP(舞台での最終稽古)+初日+千穐楽の劇場に向かうタクシーの中、実はわたし、一目を気にせず「吐きそう、吐きそう」って言い続けていた。
あまりにも持ち時間が少なくって、自分の目指すところまで持っていけるか不安で不安で、怖くて怖くて。
自分の作品を自分の思うところまで連れていけないのは、演出家にとって自殺行為だ。
この吐きそうな恐怖、もうごめんだっていつも思うのだけれど、またそこに行きたくなる。
今も、そこに向けて企画中だ。
ボリス・ヴィアンの、世界への深い愛と共感、深い憎悪と絶望、それらが一緒くたになった、ねじくれた世界は、舞台写真になるとひどく美しい。世界の終焉、最後の審判を描いた舞台が美しいことは、わたしの望むところだ。
わたしは、自分が出演していたので、この舞台の本番を見ていない。
こうして残された写真を見ながら、自らの精神の旅路を、心と体で追想するしかできない。
8/4
もうすぐ、わたしたちが参加したMidtown Internatinal Theater Festivalが終了する。
滞在費の問題もあって25日に帰国してしまったけれど、フェスティバル自体はまだまだ続いていたのだ。わたしのメールボックスには、フェス関連のメールが、続々と届き続けていた。
"Color of Life"は、主催John Chatterton氏に手放しで喜んでもらえた。その誉め言葉には、NEW SIMPLE BEATIFULという三つのうれしい言葉が含まれていた。
わたしたちの千穐楽を前にして、実は、後半の空きスロットで追加公演をやらないかという嬉しい提案を、主催者側から頂いていた。
もう、ほんっとうにやりたかったけれど、舞台監督もわたしたちも、帰国の予定を崩すことはできなかった。悔しいけれど、これは仕方のないこと。
でも、次がある、と思っている。
次の機会を作りたい、次を作るべきだ、と思っている。
これがわたしにとってどういう体験であったか、何を学んだかを語るには、まだ1回では足りない。
これは、さらに続く、わたしの人生の大きな残り仕事になった。
夢は続く。
8/2
不調であることをここに書くことに躊躇がなかったと言えば嘘になる。
いつも元気でいることがトレードマークみたいな人なので。
でも、結果、たくさんの方に心配して頂いて、とってもありがたかった。
3日間ほど、しっかり休みました。
眠らなければ、眠れると教わった通り、眠れずに過ごしたあと、今日は3時間の眠りを連続3回とって、眠りも少し取り戻しました。
(相変わらず3時間以内に起きますが、強引に3回連続、眠りを勝ち取りました。)
先ほどから、少しずつ、気にかけてくださった方に感謝の気持ちを伝え始めました。少しずつですが、わたしの声を届けたいと思います。
そして、まだ期日が決定していないのですが、
今月の中旬、NYでの”Color of Life"公演のビデオを字幕つきで上映し、伊藤靖浩のミニライブを楽しんでいただく、感謝と報告の会を開催する予定です。
近々ご招待状をお送りできると思いますので、是非足を運んで頂けたらと思っています。
今日から、その膨大な字幕製作作業にひーひー言ってますが。
さっき、トロントで暮らすChika Griffithsに、電話をかけてみました。
彼女とはニナガワ組でも一緒にやったし、あの喪われた公演でも一緒だった。同志、仲間、です。
NY公演のことをすごく喜んでくれてて、応援の気持ちを飛ばしてくれてて、どうしても今話しておきたかった。
離れていても、お互いのことを思いやって、お互いの暮らしや闘いを尊重しあえるというのは、いいものですね。勇気が百倍になります。話せてよかった。
そんな風にして、これからたくさんの人に会ったり話したりして、せっかく迎えた人生のターニングポイントを、いろんな人と分け合いたいと思います。ここ5年くらい、一緒に舞台を創る人としか会わない人生だった。
必死だった。演劇以外に目もくれなかった。それでいろいろ喪ったし、だからこそ、夢も叶った。
これからさてどうするか?
体調もどってきましたから、明日、白い紙に、これからわたしが叶えたい夢を並べてみようと思います。
夢は、自分で叶えるものだということを、今年前半で、わたしは学んだからです。
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2013年8月 2日 (金)

覚醒し続ける日々。

8/2
家にはテレビがないのだけれど、ずっと気になっていた宮藤官九郎脚本の「あまちゃん」。
この眠れない時期に一気に見てやろうと思い立ち、NHKオンデマンドで、昨日からがつがつ見進める。
木俣冬さんがすっごく推していた訳がよくわかった。おもしろいよ、これおもしろい。夢中。
いろんな小ネタでもパロディーでも笑いのセンスでもキャスティングでも、楽しんでるのだけれど、こうして一気に見ると、やはりドラマの基本、ストーリーの展開を追うのが楽しい。
今、あきちゃんが、初めて自力で「うに」を採って、天に「うに」を突き上げたところ。第24話で、ようやく!
わたし涙ぽっろぽろ。
しかも、ああ、やばいよ、その「うに」、海の神様に奉納してる! 
わたし、そういうの弱いです!
わたしも、演劇の神様に奉納できるもの、採りたいです!
あきちゃんみたいに、まずは懸命に手を伸ばし続けます!
考え過ぎちゃいけない、脳が酸素使っちゃうから。
だから、まずは頭を空っぽにして……!
……って、ほら、いい歳して、朝からこういうこと書いてしまうわけだ。
まったく、わたしったら。

8/2
昨日行ってみた美容室のヘッドスパが、期待と想像を超えた素晴らしさだったのです。
頭皮の解放どころか、視神経や脳の凝りまで解放してくれるような。
その力強さと心地よさに、うっとり。
ついでに、ずっと気になり続けていた白髪を染めてもらって、夏らしいカットをしてもらった。
それだけでどんなに心が軽くなったか。
人前に出ることの多かった、NYでの仕事の前に、どうしてこの自分をきれいにする時間を過ごしておかなかったか? と後悔。先に立たず。
というわけで、昨夜は自分の眠りにちょっと期待をしていた。
変わりそう!って。
でも、蓋を開けてみれば、やはり2時間半で起きている。
NYでやり残したことがたくさん、そして人生でやり残していることもたくさん、と強く感じているわたしは、ホンモノのショートスリーパーになったのかな?
だったら、こんな風に悩んでいないで、人よりずっと長く起きて、人より仕事して人より楽しんで、この先を生きてくのだけれどなあ!!
今日は午前中から杉並区の助成金の面接、そして私塾稽古再開。

8/1
昨夜は半日以上仕事を休んで、ゆっくり食事をとり、お酒の力を借りて就寝。でも、しっかり2時間後に目覚めた。
すごいな、わたし。徹底してる。
書斎が「帝国の建設者」から戻ってきた小道具と資料でごちゃごちゃになっていたのをようやく片付けて、仕事場を寝室から書斎に移した。
仕事場と寝室を分けるのは、たぶんとってもいいこと。
明日から私塾再開なので、今日は最後の精神解放の時間。
きっと何か面白い小説を開くのがいいのではないかしら?
そして、先輩に勧められたヘッドスパに行ってみる予定。

7/30
長い間「短い眠りをとっては、起きて3秒後にもう仕事している」みたいな暮らしを続けてしまったせいで、今、苦しんでいることがあります。
3時間以上、一度に眠れない。
このところ、これが2時間に減ってきたようです。
起きたとたん、二度寝できないくらい、ぴりりと覚醒してしまう。
体は「眠りたい!」と悲鳴をあげているのに、
脳は眠りを拒否しているようです。
きっと、「寝ている暇があったら仕事しなきゃ」って切迫感を持っているに違いない。わたしの知らぬところで、脳が勝手に。
時差ぼけではなかったんです。
とある先輩に、「仕事を忘れて太陽にあたること。それでわたしは治ったから!」と力強く薦められたので、じりじりする太陽が出た日に、実行してみたい。
薬を飲む、以外に、この深刻な症状を治す方法をご存じでしたら、どなたか教えてください。

7/29
日曜の朝、眠りのとれないままに現場に向かう折り、体調の異変に気づき。到着したものの、居ることさえできず、最終通しを控えた稽古場を静かにフェイドアウト、帰宅。
胃腸は壊れていないのに、吐き戻し。めまい。
きっと体の疲れ、凝りのため、とマッサージなどに行くも、空しく。一度で何かが変わるわけもなく。
今日も一日安静。ただ、山積みの残務への不安が大きく、少しずつ仕事する。これをこなしていない精神的圧迫が、不調を呼んでいるのではないかという気もしているから。
体は休みたいと悲鳴をあげているのに、精神と脳が必ず3時間以内で目覚めてしまうのだ。
自分の体力を過信しすぎていたと思う。
自分がこなしてきた激務を、甘く見過ぎていたと思う。
サポートします!と声をあげた現場に申し訳ない。
でも、自分の体をいたわってやるのは、わたしにか出来ない。
明日の自分がどうなっているか、まだ読めない。
風がずっとわたしのそばに寄り添って、気持ちを支えてくれている。
たとえ猫でも、そばにいてくれるものがいることの、精神への優しさを痛感する。

7/28
2時近くまでの打ち合わせを終えて、考え事などして自転車を駆っていたら、夜の世田谷区→杉並区の迷路に、ずっぷりとはまりこむ。
延々、延々、iPhoneのGPSを片手に、漕ぐ、漕ぐ。
寂しいとか思ったら夜に負けるので、無心で漕ぐ。
帰宅。
風が玄関でお出迎えしてくれて救われる。
時差ぼけのわたしはすでに覚醒時間に近い。
一日眠って過ごした風も、覚醒中。
ひとしきり彼女のお気にいりのネズミのおもちゃで遊んでやったものの、
まだ興奮して、ネズミを追い、段ボールに飛び込み続けている。
いったい、人はどこまで眠らずにいられるのか?
なんて問う前に、眠る努力をしよう。
酒を飲む?
うん、酒を飲もう。
で、また明日を迎える。
1日の休みもなく走りつづける日々が、またちょっと日延びしてしまったが、それもまた運命。
泣き言を言うと、かえって辛くなる。
わたしの神様は、いつも大体、そんな感じ。
===
というわけで、テキーラを台所で一杯あおってきた。
あとは、風が落ち着くのを待って……。

7/27
やはり、昨日の予感通り、8月1日まで、とある公演のサポートに入ることになりました。
へとへとになってNYから帰ってきましたから、きっと体を休めたほうがいいのだろうし、また、支えてくださった方々への御礼や報告を優先すべき、という心の声も聞こえてきます。
でも、人生って、こういうこと、あります。
男気を出して、13時から稽古場入りします。
御礼をしなければいけない方々が、たくさん……。
どうぞ、わたしを少し待っていてください、よろしくお願いします。
そして、8月から本腰を入れ直すつもりのわたしの俳優私塾へ、昨日FB上で「いいね」と言ってくださった皆様、本当にありがとうございます。
アメリカで学んだことのひとつは、自分の仕事を知ってもらうことに、仕事と同じくらいの熱意を注ぐべきだということ。
人と人とのつながりから、自分の仕事はぐんと育ち、ぐんと役に立てる可能性も増える。
声を大きくしっかりと、看板をあげ、より多くの人と知り合い、力を借り、そして自分は借りた力以上のものをお返しする努力をすること。
酷暑の中、自転車を飛ばして、さて出陣してきます。

7/26
朝6時起きで、ざくざく仕事をしていたら、仕事の電話がかかってきて、今日16時から早速出動予定。
とある演劇公演にひと肌脱ぐ予定です。
いや、もしかしたら諸肌脱いでしまうかも。

7/26
とことん眠るつもりだったのに、ベッドに入って3時間後には目が醒め、二度寝できる気もしない。わたしとともに起きた風をかまいながら、やっぱり仕事のことを考えている。
ひどく貧乏性的な、時差ぼけの朝。

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