8/11
今読んでいるの小説の中に、こんなくだりがった。
人生で最も早く手に入って、一番長く忘れない学問。
それは、経験大学で取得する、H・L・L の学位。
人生のつらい教訓……HARD LESSON OF LIFE。
電車の中でいったん本を閉じ、
誰しもが通う経験大学のことを思い、
誰しもが取得するH・L・L の学位のことを思った。
そして、ノートとペンを取り出し、抜き書きをしておいた。
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相変わらず、3時間以内で目が覚めてしまう生活が続いている。
それがこの暑さによる単純なものなのか、
新たなH・L・L によるものなのか、
次の仕事へのプレッシャーなのか、よくわからない。
演劇人としてのわたしの生活は、
やってきた仕事をどんどんこなしていくのではなく、
自分の内からやりたいことを探して(やりたいことに突き動かされて)、
火をたんねんに熾していくような生活。
だから、クリエイティブに、目に見えて派手に仕事する時期の前に、
長い長い準備と潜伏の期間がある。
NYでの仕事が終わって、今がそれだ。
そう言えば、昨夏も、「三人姉妹」を終えてから、8月いっぱい「EYES」の執筆で潜伏していた。
そして9月からは、打って変わって、俳優たちと激しい稽古の時間を過ごした。
喧噪の中で、派手に動き回る時も、
一人静かに、新しいものを模索する時も、
忘れちゃいけないのは、「旅する術」だ。
清水邦夫さんの、「血の婚礼」の台詞を引用させて頂く。
わたしが25歳の時にもらった役での台詞。
この台詞をしゃべれただけでも、俳優であってよかったし、演劇人であってよかった。
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「……とにかくわれわれは動き出してしまったのだ。
ささやかながらも。
これを旅と呼んでいいのかもしれない。
え? 旅と呼んだっていいじゃないか?
だとしたら、ヘルマン・ヘッセ風に言って、
旅する術というものを学ぶべきだ。
目的だけをひたすらに追い求めるような視線には、
さすらいの素晴らしい風景や事件は、飛び込んでこない。
そんな視線の前には、森も、川も、ずっと閉ざされたままだだ。
旅する者だけが持つ無心の輝きが、憧れの星の前で色褪せないように、
足取りも軽く、
時にはスキップもして、
世界のあらゆる輪舞の中へ入ってゆき、
踊り、ざわめき、歌いながらも、
愛する遠方にはきっちりと目を向けている。
それが旅する術だ。』
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8/7
昨日、MITFは終演したのだけれど、それでもまた、わたしの中でNY公演の決算はついていない。
経済的な決算はついた。わたしがいくばくかの借金を負った、それだけの話。
でも、演出家として、人として、心の決算がついていない。
それこそが、相変わらず、眠りについても3時間以内で目覚めてしまう原因ではないかと思ったりする。
相変わらず6時半に起きちゃったのに、なぜこの時間まで覚醒しているのか、謎。
風、元気になってよかった!と思っていたら、朝から食べたものの吐き戻し、2回。
私塾の稽古が終わって、土砂降りの中自転車を駆って帰って、病院に連れていく。
避妊手術以来の外出、病院詣で。
暴れるかと思いきや、診察台の上で、わたしのお腹にぴったりと体を寄せ、わたしの横腹と肘の間に頭をぎゅっと押し込んで、二本の注射を身動きせずに耐える。
命ある何ものかに、ここまで頼られるって感覚、「たかが相手は猫」ってクールに装うとしても駄目。
わたしの愛情貯蔵庫はかなりビッグサイズなんだけど、その容量のすべてを彼女に注ぎたくなってしまうほど、彼女の「頼ってます」表現は強烈だった。
作品を創る時も、そう。同じだな。
わたしの発信しうる限りの愛情を注いで、それはすごく激しく大きくって、一生のつきあいになることもあれば、じわじわとわたしから遠のく人を生んだりもする。
激しい。激しすぎる。愛情、深すぎる。
だからこそ生まれる信頼関係と軋轢。
そんなあれこれを考えながら、眠りを待つ夜。
8/5
昨日は、一度も家を出なかった。
風のそばにいてやりたかったのだ。
事件は朝起こった。
尾籠な話なので、ざっくり書こう。
トイレの後、お尻から長いものをつけて走り回っていた風。
よく見ると、癖でよく噛んで口にいれてしまう、ビニール袋。
自力で排泄できないのを、お尻につけたまんま、なんとか出し切ろうとしているのだけれど、いや、どう見ても、無理無理!
恐る恐るひっぱって取りだしてやった。
その長いこと、長いこと。
とんでもない長さ。
どうやってあんなでっかい切れ端を口にいれ、呑み込んだんだろう?
一昨日全然ごはんを食べなかったのは、そのせいだったんだ。
本当だったら、開腹手術だったと思う。
この子はラッキー、強靱。
で、その後、汚れまくった風はそのままお風呂。
にゃーにゃー鳴きながら、きれいきれいにしてもらって。
彼女に言わせリャ、ダブルパンチで厭なこと続きだった訳ですが、
今や気分良く、まっしろしろすけ。
でも、まだ食欲がないわけで……。
一日、家を出ず、一緒にいてあげた。
家にはもう一人調子の悪そうな人もいるし……。
自分が人の世話をできるようになると、わたしは落ち着きます。
わたしが横になると、脇の下に丸まって寝るのが、最近のお気にいり。
今日はご飯を食べてくれますよう。
でなきゃ、病院へ、だな。
8/4
横川義仁氏による、第3幕の舞台写真。
父親とシュミュルツだけのシーンなのに、わたしも清水那保も間宮あゆみも伊藤靖浩も、この幕を外から見たことがない。
演出の選択として、すでに世界の闇に葬られた人物たちを、2階部1階部に死体として配置して、生き残った父親の人柱、大地の礎とした。
それは、どうしても揺れを止められなかったイントレの揺れを止めるための策でもあった。激しく揺れ続ける舞台装置に、自分の体重をしっかり預けて、みんなで菊沢さんとディディエさんを守った。
奇妙な時間だった。
そして、ボリス・ヴィアンが戯曲に書いていないことを、わたしはひとつだけ終幕に付け加えた。
清水那保演じるゼノビに、リインカーネーションを生きてもらった。
舞台上に転がる父親の死体に、彼女は布をかけて去る。
まるで小さな子供が、美しい朝、翼と命を失った小鳥を見つけてこっそり葬ってやるように。
第二次大戦後、ボリスはこの作品を書いた。
破滅へと進む世界への強烈な批判として。
でも、そのままの形で終わるには、現在の日本には厳しすぎる。
わたしはボリスに、
「あなたがこの戯曲を書いた時よりもっと、もっと、あなたが想像し得ないくらい、世界は荒廃しているんです。だから終幕に、ほんの少しだけでいいから、希望の匂いを加えたいんです」
とお願いして。
8/4
写真家横川義仁さんがトップ画像にされている6月の演出作品、アンサンブル室町公演「帝国の建設者」の舞台写真が、たくさんの方の「いいね」を集めているのをタイムラインで発見。
何か、自分の子供がいつの間にか一人歩きしていたような、不思議な気持ち。
公演が終わってからすぐに"Color of Life"渡米準備に入ってしまったので、終演後この作品について語ることがあまりに少なかった。短い間に深く愛して、ぱっと手放したような、ちょっと不憫な子だったのに、こんな風に愛されている。
短い舞台稽古で、空間を見据えた照明を作ってくれた松本永さんに感謝。
限られた予算の中でどんな美術にするか(美術プランはわたしだった……)主催者テシュネさんに理解してもらうために、何度もメールで通訳をし、つないでくださったテシュネみおさんに感謝。
理不尽な逃走を続ける家族は、破滅に向けて理不尽に上へ上へと追いやられるのだが、結局1幕2幕は平場で演じ、3幕ではそれまで壁として存在していたイントレがセンターで合致し、バベルの塔のようにそそりたった。
この塔をとらえた横川さんの写真は美しい。
ここに写っているミイラのような繃帯に包まれた男は、ディディエ・ダブロフスキさん。
いつも稽古場に電子辞典を持ち込んで、フランス語と日本語でのディスコミュニケーションを自分でカバーしてくれた。このシュミュルツという存在が、最も戯曲解釈の分かれる悩みどころだったが、舞台を開けてみると、最も饒舌な存在になって観客に受け入れられた。
バベルの塔に乗りこんで、一人でシュミュルツと向き合う四面楚歌を演じた菊沢さんは、出会った時と上演中では、全く違う顔になっていた。稽古中、役に埋没する彼と二人稽古をしていて、現実に戻って来られるか不安になったことさえあった。平和を愛する優しい俳優が、どんどん狂気にまみれて暴力を救いと安心に代えていくのだから。
あの3階建てのイントレも、稽古場では1階部しか組めなかったから、菊沢さんが実際に高所で稽古できたのは数時間。安全確保のために、舞台監督の森さんは開演まで懸命に動いてくれた。
3階建てでいくか2階建てでいくかの判断を、わたしは初日まで持ち越していた。
選ぶのはわたしだったが、選ばせてくれたのは、スタッフであり、菊沢さんだった。
この公演のGP(舞台での最終稽古)+初日+千穐楽の劇場に向かうタクシーの中、実はわたし、一目を気にせず「吐きそう、吐きそう」って言い続けていた。
あまりにも持ち時間が少なくって、自分の目指すところまで持っていけるか不安で不安で、怖くて怖くて。
自分の作品を自分の思うところまで連れていけないのは、演出家にとって自殺行為だ。
この吐きそうな恐怖、もうごめんだっていつも思うのだけれど、またそこに行きたくなる。
今も、そこに向けて企画中だ。
ボリス・ヴィアンの、世界への深い愛と共感、深い憎悪と絶望、それらが一緒くたになった、ねじくれた世界は、舞台写真になるとひどく美しい。世界の終焉、最後の審判を描いた舞台が美しいことは、わたしの望むところだ。
わたしは、自分が出演していたので、この舞台の本番を見ていない。
こうして残された写真を見ながら、自らの精神の旅路を、心と体で追想するしかできない。
8/4
もうすぐ、わたしたちが参加したMidtown Internatinal Theater Festivalが終了する。
滞在費の問題もあって25日に帰国してしまったけれど、フェスティバル自体はまだまだ続いていたのだ。わたしのメールボックスには、フェス関連のメールが、続々と届き続けていた。
"Color of Life"は、主催John Chatterton氏に手放しで喜んでもらえた。その誉め言葉には、NEW SIMPLE BEATIFULという三つのうれしい言葉が含まれていた。
わたしたちの千穐楽を前にして、実は、後半の空きスロットで追加公演をやらないかという嬉しい提案を、主催者側から頂いていた。
もう、ほんっとうにやりたかったけれど、舞台監督もわたしたちも、帰国の予定を崩すことはできなかった。悔しいけれど、これは仕方のないこと。
でも、次がある、と思っている。
次の機会を作りたい、次を作るべきだ、と思っている。
これがわたしにとってどういう体験であったか、何を学んだかを語るには、まだ1回では足りない。
これは、さらに続く、わたしの人生の大きな残り仕事になった。
夢は続く。
8/2
不調であることをここに書くことに躊躇がなかったと言えば嘘になる。
いつも元気でいることがトレードマークみたいな人なので。
でも、結果、たくさんの方に心配して頂いて、とってもありがたかった。
3日間ほど、しっかり休みました。
眠らなければ、眠れると教わった通り、眠れずに過ごしたあと、今日は3時間の眠りを連続3回とって、眠りも少し取り戻しました。
(相変わらず3時間以内に起きますが、強引に3回連続、眠りを勝ち取りました。)
先ほどから、少しずつ、気にかけてくださった方に感謝の気持ちを伝え始めました。少しずつですが、わたしの声を届けたいと思います。
そして、まだ期日が決定していないのですが、
今月の中旬、NYでの”Color of Life"公演のビデオを字幕つきで上映し、伊藤靖浩のミニライブを楽しんでいただく、感謝と報告の会を開催する予定です。
近々ご招待状をお送りできると思いますので、是非足を運んで頂けたらと思っています。
今日から、その膨大な字幕製作作業にひーひー言ってますが。
さっき、トロントで暮らすChika Griffithsに、電話をかけてみました。
彼女とはニナガワ組でも一緒にやったし、あの喪われた公演でも一緒だった。同志、仲間、です。
NY公演のことをすごく喜んでくれてて、応援の気持ちを飛ばしてくれてて、どうしても今話しておきたかった。
離れていても、お互いのことを思いやって、お互いの暮らしや闘いを尊重しあえるというのは、いいものですね。勇気が百倍になります。話せてよかった。
そんな風にして、これからたくさんの人に会ったり話したりして、せっかく迎えた人生のターニングポイントを、いろんな人と分け合いたいと思います。ここ5年くらい、一緒に舞台を創る人としか会わない人生だった。
必死だった。演劇以外に目もくれなかった。それでいろいろ喪ったし、だからこそ、夢も叶った。
これからさてどうするか?
体調もどってきましたから、明日、白い紙に、これからわたしが叶えたい夢を並べてみようと思います。
夢は、自分で叶えるものだということを、今年前半で、わたしは学んだからです。
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