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2013年10月

2013年10月29日 (火)

「若き詩人への手紙」 を深夜に開く。

深夜に。
眠りの前に。
自らを慰撫するように、
リルケの「若き詩人への手紙」を開いた。

以下は、辻邦生さんが訳された、美しい日本語訳。
まだ夏を迎えていないわたしに、
何度、この言葉が力を与えてくれたことか。

「芸術家であること、
それは意図することではなく、
樹木のように成長することなのです。
決して樹液を早くめぐらそうとはせず、
春の激しい風に身を委ねながら、
夏は来ないのではないかと恐れたりせずに耐えているあの樹木のように。
夏は来るのです。
しかしただ待つことを知っている人々のところにのみ来るのです。
自分の前に永遠を望んでいる人と同じく心静かに、
物に打ち込んでいる人々のところにのみ。」

2013年10月19日 (土)

お誕生日がこんなに幸せだなんて。

昨夜は、素晴らしいバースデイパーティーでした。
何もかもがちゃんと演出されていて(構成・演出:伊藤靖浩)なんと、50人の知人友人たちが集まってくれました。
一次会、二次会、三次会、と、稽古後、本番後の俳優たちも駆けつけてくれて。
長い長いつきあいの友人たちから、最近知り合った友人たちまで。

わたしは、稽古後気合いを入れて化粧をして、この日のために用意した赤い花柄のワンピースに身を包み……。
もっとポップにしたくなってしまって、舞台衣裳で使えるかなと、タイムズスクエアの屋台で衝動買いした、でっかいカラフル朝顔が幾つもついた蔓を、首にかけてみたりして。
一体幾つになったんですか?ってなりで、たくさんの人に祝福してもらいました。

ずっとずっと幸せで、ずっとずっと嬉しくって、延々、頬がゆるみっぱなし。こんなに幸せでいいものか、と。今が訝しくなったりもして。

誕生日はいつも静かに過ごしてきました。
人に、自分の誕生日を告げることも、あんまりしなかったな。

初めて、バースデイパーティーなんて開いてもらって。
あんな風に、わたしの芝居に出てくれた俳優たちや、支えてきてくれた人たちが、貸し切りのお店に一同に会して、みんなみんな楽しそうにしてくれてて。
その一人一人の顔に、わたしの走りつづけた5年間が映り込んで見えるような時間を過ごしました。

写真を、自分で一枚も撮りませんでした。
そんな余裕がなかった、今がうれし過ぎて。
送って頂いたものをアップします。
「ペール・ギュント」のソールヴェイを演ってくれた佐伯静香が送ってくれた一枚、手元にあるのみ。

伊藤靖浩からの歌のプレゼントは、「男が女を愛する時」「I wanna be somthing new」「上を向いて歩こう」の弾き語り。
どれもわたしの大好きな歌たち。わたしの身体を長い時間が駆け抜けるような、わたしの記憶をくすぐる曲たち。
さらに、あまりにもたくさんのプレゼントをたくさんの方にいただきました。今日、一つずつ眺めながら、それを選んでくれた時間に感謝しました。
パターンが幾つかありまして。
1 酒
2 猫グッズ
3 髪留め、あるいはヘアケア製品
4 お花
5 ボディーケア
1と2は、言わずと知れたわたしの好きなもの。昨年風と出会って以来の入れ込みようは、みんな知っているみたい。
3は、長い髪だからってのもあるけれど、わたしがしょっちゅうお箸で髪を留めているからかもしれないな。
頂いたお花を、大事に長持ちさせるのは得意だったのだけれど、最近は、風がしばしば囓ってしまいます。
そして、女であることを忘れるなよって感じの、ボディーケアですね。
……わたしのことを知っている人たちが、わたしのために用意してくれるプレゼント、すべてが、素晴らしかった。

頂いたものがたくさん。
それは、気恥ずかしいことを、もう、思い切って書いてしまいますが、
「愛情」です。
この一年は、思いがけないジャンプの一年でした。
ホップステップを過ごした後の、ジャンプの一年だった。
この先の一年は、まだ想像もつかなくって、実は怖くて仕方がない。
でも、さらにまた歩き続けるための力を、心と体にフルチャージできた一晩でした。エネルギー源は、愛情。

すべてに感謝して、また演劇で、愛情返しして暮らしていきます。

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2013年10月 8日 (火)

受賞の後に。

プロデューサーとして、演出家として、”Color of Life"について書く前に、自分のことを書いてみようと思います。

演劇人生活を、長らく演出助手という仕事で過ごしたわたしは、どこかでずっと自分を去勢して暮らしていたような気がしていました。
五年前、ようやく自分でプロデュースし、演出するようになり、夢中で作品を創ってきました。創り続けてきました。今まで、心と体に貯め込んでいたものが、噴出する時を重ね。どれも、すべてが、渾身の愛すべき作品になりました。
その走りつづける勢いの延長線上で、この”Color of Life"は生まれました。
NYで新作ミュージカルを開けるという冒険も、資金繰りが大変なことも、何も恐れず、すべてが楽しかった。もちろんとんでもなく大変だったけれど、自分の想像力で、ともに作品を創るキャストやスタッフと激しく、充実した日々を過ごして、また、愛すべき作品ができあがった。

どの作品も、ささやかながら評価と深い愛情を頂いてきました。
でも、今回の評価は、もう、格別だった。
評価が、自分が主役のドラマ仕立てでやってきたのですから。

ノミネートを知った喜びの夜。
無理をしてでもNYでの授賞式に参加しようと決心して。
ふだんジャージ+自転車移動で稽古に行くようなわたしが、晴れ舞台のために着物を用意して。
前夜まで緊張の時間を過ごし。
授賞式会場になったアクターズ・テンプル・シアターは由緒ある劇場で。そこに続々と現れる、着飾った200人のノミニーたちに囲まれて。

ひとつの賞ごとにプレゼンターがいて、ノミニーを発表し、封筒から最優秀者を発表、選ばれた人が舞台上にあがり、受賞の挨拶をするという、おなじみのスタイルでセレモニーが進む間、わたしはどんどん心臓が痛くなってきました。「心臓が痛い!」って小声で言うと、フランに「着物きつく着すぎたんじゃない?」って優しくからかわれたり、自分自身も激しく緊張している靖浩が手を握ってくれたり。

わたしは30歳まで俳優をやっていましたから、誰でも一度は夢見る通り、何かの賞に選ばれて、華やかな場で受賞の挨拶をするというシーンを妄想したことがあります。(誰だって、あるよね?)
"The award goes……" の次に、"Sachiko Ishimaru"って聞こえた時の感動は、その事実以上に、素晴らしい演出をされた、夢や憧れを満たしてくれる、大きな喜びだった気がします。
"Color of Life”チームから歓声があがって。
靖浩とフランは隣で全開の笑顔で。
着物を着て階段を登るわたしに手を差し出してくれる人がいて。
マイクの前に立って、覚束ない英語で、お世話になった人に謝辞を述べるわたしを、温かいまなざしが見守ってくれていて。

フランは主演女優賞に選ばれ、堂々と挨拶し。
作詞/作曲賞に選ばれたわたしと靖浩が舞台にあがった時は、代表で靖浩が挨拶。感動を、少年のように顔と体に溢れさせた彼の姿は、すべてのノミニーと観客に愛されていました。
そして、ショーの一番最後の発表で、最優秀ミュージカル作品賞が選ばれて、照明のPoeさんや音響オペレートしてくれたマユちゃん、全員で舞台へ。

よい作品だったと認めてもらえる、よい仕事をしたと賞賛される、それが、こうした形で演出され、その中心に自分がいたことを、とても不思議に思い出しています。
今日、フェスティバルの主催者に会ったら、「着物を着て、あなたが一番人気だったよ」と言われました。
ちょっと気合いが入りすぎていた気恥ずかしさもありますが、
ずっと、人の後ろに少し下がって仕事をしてきたわたしには、自分をなかなか愛せなかったわたしには、この歳にして、大きな自意識の変化を呼ぶような、大きな経験でした。

演出家としては、格別にスタートが遅くって、不安だからこそ走りつづけてきたわたしに、大きな勇気を、この受賞体験が与えてくれました。

これからまた、新しい気持ちで走り続けます。

MITFアワード、授賞式に出席しました。

感謝をこめて、ニュー・ヨークからご報告いたします。
最優秀ミュージカル作品賞……Color of Life
最優秀作詞・作曲賞……石丸さち子・伊藤靖浩
最優秀演出賞……石丸さち子
最優秀主演女優賞……Shino Frances

今日の授賞式で、以上の賞を頂きました。
この作品を支えてくださったすべての方々に感謝いたします。

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2013年10月 7日 (月)

かつて稽古場があった場所で、フロイトについて考える。

今、新大橋のChatという店にいる。
ベニサンに稽古通いしたことのある人なら思い当たる、稽古場の隣の喫茶店だ。
わたしは24歳からベニサンの5階にあった蜷川スタジオに通っていたから、
もうどれだけこの店に入ったことだろう。
ベニサンがマンションに変わってしまった今も、この店はある。
所用で通りがかって、吸い込まれるように入ってしまった。
時計の針がとんでもないスピードで逆回りを始める。
わたしという容器は刻一刻老いに向かって、歩みを止めることは決してないのに、
精神だけが、過去に足を伸ばす。
危険だ。


NYから帰ってすぐに、谷賢一翻訳・演出「最後の精神分析—フロイトVSルイス—」を日暮里d-倉庫に観に行った。
上演成果に関しては、終演後演出家と直接語りあったので、感想めいたことは書かない。
ただ、今この作品を観るということが運命だったか?というほどに、強いインパクトをわたしは受け、ぐらぐらと揺さぶられて、今がある。考えずにはいられない、書かずにはいられない、今だ。

この戯曲をわたしが個人的にフロイト側から読むと、いくつかの要素、エレメンツがある。
・フロイトがユダヤ人であるということ
・第一次大戦が終結した後の世界の大きな流れに(或いは極所的な流れに)人々がまだ訳を知らずに身を任せている間に、第二次大戦が芽吹いてきた、まさにその時代であること
・神とは何か、イエス・キリストが何者であるかという問題が、永遠の謎であること。(世界を瞬時に崩壊できるだけの知力を得た現代人でさえ、答えは用意できない。)
・フロイトが老人であること
・フロイトがすでに癌に冒され(癌治療が現代とは比較にならないくらい進んでいなかった時代に)、手術の失敗により口内が冒され、不出来な人工口蓋をつけて暮らしていたこと
・フロイトが思考を妨げる麻薬による痛み止めを排し、痛みと共棲していたこと
・そこに、若く純粋な文学者が、神の存在について対話しにやってきたということ

木場勝己さん演じるフロイトは、幕開きから、忌々しそうにゆっくり歩く。ヒットラーからウィーンを追われ、自分の家族を恐怖に陥れた現在への忌々しさか、崩れゆく自分の肉体への忌々しさか、刹那の痛みの忌々しさか、約束に遅刻してくる客人への忌々しさか。
ルイスを迎え入れて会話が始まってすぐに、フロイトは指を人前で無様に口内に突っ込んで顔を歪める。
彼の崩れた硬口蓋から軟口蓋を覆っているアタッチメントは、実に不出来なものだということが、痛みが常にそこに棲息していることが、容易に見てとれる。
ここから、終演までわたしの戦慄は止まらなかった。

わたしの聞き間違いでなければ、純粋なキリスト教信者であるルイスに興味を持ち呼んだのは、フロイトの方だ。
なぜ彼はこの純粋極まりない論客を必要としたのだろう?
発語するという行為は、どこまでも口蓋を刺激する行為だ。
痛みは日常だったかもしれないが、現に論争中に人工口蓋をルイスの手を煩わせてまで外している。
なぜ彼は「神の存在」についてといった答えのあるわけもない論議に、熱くなり言葉を弄するのか?
第二次大戦の開戦は、知の巨人ではない、人間フロイトを、どう揺さぶっていたのか?
彼は自分の老いをどう受け止めていたのか?

老いるということは、多分に、排他的になることだと、わたしは思っている。
彼のように理性的に科学的に、人間を分析してきた人なら、自らの脳内だけで論議は全うできるだろう。自らの宇宙に答えは用意されていて、他人の反駁を必要としないはずだ。今まさに戦争が始まらんとする時に、なぜ彼は「神」についてなど論じようとしたのか?
……この文章は問いばかりになる。

老いて、避けられないものばかりが残る。この世の凄惨、人間の愚かさ、我が身の痛み、この世を去るという絶対……。すべて回避不可の現実を前に、人が何を考えるか。
どこをどれだけ彷徨い、何を手放し、最後まで何を手放すまいとするのか。
わたしの興味はそこにある。
木場さん演じるフロイトから、わたしは、人間を理性で知り尽くそうとした巨人の頭の中を、妄想する。想像を超えているとわかっているのに。
それは、これからわたしが通る道でもあるからだ。
動かしようのない孤独。誰もが、期せずして若く死ぬことなく、生きながらえてしまったら、必ず通る道。
この命が終わることを前提に生きる、生きてしまった後の、孤独。
自分の人生でなしたことを、すべて忘れ、0に化する時を迎えるための孤独。
自分の人生が終わっても、続いていくはずの世界を遠見してしまう孤独。
こんな巨人に、自分の老い先を見ようとしてしまった理由が、わたしにとっての、この作品の魅力であり、出会いだった。
恐らく、この知の巨人は、感情の表出の仕方も、表情筋の作りも、一般や標準を受け入れない、特殊なものだったに違いない。彼の写真を見て、わたしは想像する。
しかし、彼はルイスを呼び、ルイスと語り、しかも「神」を巡って熱くなった。開戦時に。痛みを抱えて。
明らかに、他者に手を伸ばしていた。
そして、このわたしですら、その対論に入っていきたいと思わせる、真っ当で優しい人間らしさを見せた。
その奥に隠された、孤独。
来客中避けていた音楽を、一人になって聞く姿。
音楽を味わうには粗末過ぎる再生装置から流れる音が、彼の宇宙の中で、時を癒す音楽に変わっていく様が表情に見てとれる。わたしも、彼の宇宙に聞こえるオーケストラの喜びを、ともに聞く。

木場勝己さんという、人間的な、あまりにも人間的に魅力的な俳優が演じることによって、フロイトがわたしのところに降りてきた。ルイスとともに、わたしは、フロイトという先達の前に自分を晒す。

こうして生きている意味について。
この喜びと苦悩の意味について。


かつて自分の若き人生時間のほとんどを費やした、稽古場のあった場所で。
自分が50代にあることを思う。
激しい孤独と闘いながら、わたしも「神」について、「救い」について、考える。
どれだけ、こんな思考の時間を過ごせばよいのか、少し気が遠くなる思いで。
考えは一切まとまらない。
いくら書いても、無駄に消えていくだろう、言葉たち。
意味を与えられない時間が過ぎるばかり。
だから、また作品を創ろうと考え始める。

2013年10月 2日 (水)

MITFアワード、受賞の言葉。

プロデューサーとして、演出家として、”Color of Life"について書く前に、自分のことを書いてみようと思いま

す。

演劇人生活を、長らく演出助手という仕事で過ごしたわたしは、ど

こかでずっと自分を去勢して暮らしていたような気がしていました


五年前、ようやく自分でプロデュースし、演出するようになり、夢

中で作品を創ってきました。創り続けてきました。今まで、心と体

に貯め込んでいたものが、噴出する時を重ね。どれも、すべてが、

渾身の愛すべき作品になりました。
その走りつづける勢いの延長線上で、この”Color of Life"は生まれました。
NYで新作ミュージカルを開けるという冒険も、資金繰りが大変な

ことも、何も恐れず、すべてが楽しかった。もちろんとんでもなく

大変だったけれど、自分の想像力で、ともに作品を創るキャストや

スタッフと激しく、充実した日々を過ごして、また、愛すべき作品

ができあがった。

どの作品も、ささやかながら評価と深い愛情を頂いてきました。
でも、今回の評価は、もう、格別だった。
評価が、自分が主役のドラマ仕立てでやってきたのですから。

ノミネートを知った喜びの夜。
無理をしてでもNYでの授賞式に参加しようと決心して。
ふだんジャージ+自転車移動で稽古に行くようなわたしが、晴れ舞台のために着物を用意して。
前夜まで緊張の時間を過ごし。
授賞式会場になったアクターズ・テンプル・シアターは由緒ある劇場で。そこに続々と現れる、着飾った200人のノミニーたちに囲まれて。

ひとつの賞ごとにプレゼンターがいて、ノミニーを発表し、封筒から最優秀者を発表、選ばれた人が舞台上にあがり、受賞の挨拶をするという、おなじみのスタイルでセレモニーが進む間、わたしはどんどん心臓が痛くなってきました。「心臓が痛い!」って小声で言うと、フランに「着物きつく着すぎたんじゃない?」って優しくからかわれたり、自分自身も激しく緊張している靖浩が手を握ってくれたり。

わたしは30歳まで俳優をやっていましたから、誰でも一度は夢見る通り、何かの賞に選ばれて、華やかな場で受賞の挨拶をするというシーンを妄想したことがあります。(誰だって、あるよね?)
"The award goes……" の次に、"Sachiko Ishimaru"って聞こえた時の感動は、その事実以上に、素晴らしい演出をされた、夢や憧れを満たしてくれる、大きな喜びだった気がします。
"Color of Life”チームから歓声があがって。
靖浩とフランは隣で全開の笑顔で。
着物を着て階段を登るわたしに手を差し出してくれる人がいて。
マイクの前に立って、覚束ない英語で、お世話になった人に謝辞を述べるわたしを、温かいまなざしが見守ってくれていて。

フランは主演女優賞に選ばれ、堂々と挨拶し。
作詞/作曲賞に選ばれたわたしと靖浩が舞台にあがった時は、代表で靖浩が挨拶。感動を、少年のように顔と体に溢れさせた彼の姿は、すべてのノミニーと観客に愛されていました。
そして、ショーの一番最後の発表で、最優秀ミュージカル作品賞が選ばれて、照明のPoeさんや音響オペレートしてくれたマユちゃん、全員で舞台へ。

よい作品だったと認めてもらえる、よい仕事をしたと賞賛される、それが、こうした形で演出され、その中心に自分がいたことを、とても不思議に思い出しています。
今日、フェスティバルの主催者に会ったら、「着物を着て、あなたが一番人気だったよ」と言われました。
ちょっと気合いが入りすぎていた気恥ずかしさもありますが、
ずっと、人の後ろに少し下がって仕事をしてきたわたしには、自分をなかなか愛せなかったわたしには、この歳にして、大きな自意識の変化を呼ぶような、大きな経験でした。

演出家としては、格別にスタートが遅くって、不安だからこそ走りつづけてきたわたしに、大きな勇気を、この受賞体験が与えてくれました。

これからまた、新しい気持ちで走り続けます。

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