一年の最後の日に、小説を読み耽る。
新潮クレストが出版されて以来、多くの作品に触れてきたのに、この走りつづけた5年の間、読書時間がどんどん少なくなっていた。
出会うのが遅すぎた、とは思う。でも、振り返れば、何もかもが必然なのかもしれない。
”Color of Life"を終えて、アリス・マンローに出会った。
ノーベル賞を受賞するほどだから、多くの読書人に愛されてきたであろう彼女の作品を、わたしは、この秋はじめて読んだのだ。
今まで読まなかったのも不思議だし、
出会ったのが、この、今、だということも不思議だ。
人生に迷うと、必ずそこに「本」がある。
文字の印刷された紙があり、その紙を1枚1枚めくっていくという、行為の時間がある。
「Family Furnishings」という短篇の中に、こんな一節がある。
それを聞いたとたん、なにかが起こった。わながバタンと閉ざされて、これらの言葉をわたしの頭のなかにつかまえたような気がした。自分がそれをなにに使うのかはまだよくわからなかった。わかっているのはただ、それが自分に衝撃を与え、そしてすぐさまわたしを解き放って、わたしにだけ吸える異なった種類の空気を吸わせてくれたということだけだった。
わたしがマンローを読んで体験しているのは、まさにこれだ。
時間が、風景が、人間なら誰しも共有の感覚が、五感の記憶が、あらゆる震えが、痛みが、喜びが、わたしの頭のなかに、つかまっていく。そのたび、わながバタンと閉じる。
この「バタン」の瞬間を、わたしは何度も味わう。噛みしめる。
それは、罠に満ちた人生を生きるわたしを、絶望させたり、希望させたり。
一年の最後に、この一年の最後に、アリス・マンローを読んでいる奇跡。
わたしにとっては、「生きていてよかった」と思える瞬間。
人でいることは、苦々しく、喜ばしい。
でも、明らかに言えること。
この人生を体験できてよかった。
味わい尽くしたい。