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2014年1月

2014年1月25日 (土)

文読む日々

公演が終わり、文読む日々。
語呂がよいからこう云うのではなく、本当にひたすら、読んでいた。

作品のことを書いておこうと思いつつ、まだまとまらない。
自分の思いと、稽古場で現実的に闘わなければいけないことが、かなり乖離していたので、終わってから、過ぎた時間を反芻して咀嚼して、出来上がった作品の味を確かめているような。

すぐに稽古場に戻ることになるから、しばしの間、餓えていたものを取り込む。文章であり、かつて生きた人たちの「知」であり。
年末、稽古休みの日にダンスを観に行ったのは、演劇まみれの暮らしの中でよいアクセントになった。きっと、明日観に行く小野寺さんのものも然りに違いない。
言葉に飢えているし。
言葉に辟易としている。
この妙な感覚。

そして、年末からずっと寂しい思いをさせていた風と、一緒に過ごす。
彼女の最近の眠りのスタイルは、「布団の中に潜り込む」なのだけれど、きっと熱がこもるのだろう、朝にはわたしの顔の横に、その頭を並べている。ちゃんと、枕の上に。
のみならず、しっかりわたしの腕の上に体を横たえて、腕枕の形を完成させている。ほぼ、毎朝。
……如何にしてわたしを起こさず滑り込むのだろう?
今日は、お風呂にいれて、全身シャンプーしてあげた。
淡雪のように、真白くほわほわで、なんて素敵なお嬢さんなんだろう、と思う。ちょっと大柄だけれど。

2014年1月21日 (火)

「燕のいる駅」終演。

「燕のいる駅」、無事終演。

私塾の俳優たちが綴り続けたブログは、130ポスト超えで終了。

導くわたしも、俳優たちも、ひたすらに成長を願った日々の貴重な記録になった。
発表会と呼ばれない、芯のある演劇公演にするために、どれだけかの稽古が必要だった。

観に来てくださったお客様に、心より感謝。
ありがとうございました。

総括するには、わたしは疲れすぎていて、今日は1日ベッドの中。
次の仕事のために、読書しながら、風と一緒にベッドの中。

陽が落ちてからベッドを出て、深夜のパーティーのための買い出し、料理。
シェアハウスの同居人が、一人、明日引っ越しをするのだ。

http://114polypho119.blog.fc2.com/blog-entry-259.html

Photo

「燕のいる駅」 初日、開く。

初日、無事に開きました。
お客様が、俳優塾の公演と見くびらず、真摯に評してくださるのが

ありがたいです。
わたしの作品らしく、しっかりと評価が分かれています。
好きな人は激しく好き。
受け入れられない人もいる。
思い返せば、万人に愛されたのは、一昨年作ったオリジナルミュー

ジカル「EYES」くらいかなあ。後はすべて評価が分かれる。
それはともかく。
ぎりぎりまで稽古して開けて、マチネソワレの間も、短篇劇の稽古

、「燕〜」の俳優も自主練に余年がない。
ほんのちょっとした間のずれで、誰かが何かで集中を切ったとたん

に、そこにある普通の世界が崩れてしまうような作品。
だからといって神経を尖らせていては壊れてしまう、柔らかい作品



ダブルキャストを組んでいるので、今日はBチームの初日。
マチソワ続きの中で、唯一昼間休める日なのですが、Bチームの場当たり、通し稽古で今日も朝から出勤。
さっきキャストのヘアカットをして、もうすぐ稽古。

ありがたいことに、知り合いがたくさん観に来てくださいますが、情けないことに、舞台の感想より、「体を大事に!」という言葉を皆さんかけてくださいます。

お酒をやめて、塩分を避けた野菜中心の少食、薬を服用して血圧を下げながらの稽古でした。
わたしがわたしでなくなってしまうのでは?と少し不安でしたが、やっぱりわたしはわたしでした。
エネルギーの貯蔵量に余裕があります。
でも、初日を開けた日に、ちょこっとだけ、肉を食いました。
いい肉でもなんでもなかったけど、うまかった〜。

わたしは元気です。
ありがとうございます。
残り7回公演、心をこめて上演いたします。

2014年1月 9日 (木)

アフター短篇劇の試み。

3日から稽古を始めて、ずっと、粘って粘って粘り腰の稽古を続けてきた。通じなくても、変わってくれなくても、粘り続けて、少しずつ少しずつ進んできた。

そして、今日、結実を予感させる通し稽古をやっと見ることができた。

振り返ってみると、ずっとずっと頑張り続けてきた、馬鹿みたいに走ってきたって思うけれど、特に、特に、このところの自分を、わたしは珍しく、自分で誉めてやりたい。

俳優塾の公演とか、そんな枠では決して語れない、とても大事な、とても美しい、とても馬鹿馬鹿しく悲しい、素敵な時間が生まれつつあります。

さらには、今日、わたしが昨年から悩み苦しみ続けてきた問題にも答えを出す発表をしました。
公演のオーディションに落ちてしまった、つまりは役のつかなかった俳優も、全員、観客の前に立てるように、全員、本番に向かって演劇三昧の生活ができるように、アフタートークならぬ、アフター短篇劇の企画を立て、公演稽古と平行して、ずっと稽古し続けてきたのです。
以下のように、今日発表しました。

わたしは、もう、自分のすべてを賭けて教えているし、自分のすべてで愛しています。演劇も、わたしを慕ってついてきてくれる俳優たちも。
ダメでも、どうしようもなくても、ひたすらに、ひたすらに、信じる。
……こうして、11月から時を重ねてきて、
絶望したり、もうすべて投げ出しなくなったり、自分の体を壊してしまったりしても、
それでも、残ったのは、
自分と彼らを、自分と彼らを結ぶ演劇を、「信じる」ことでした。

もうすぐ、本番です。

是非、立ち会ってほしい。わたしの作品に。是非。是非。
どうぞ
詳細は、下のリンクからご覧頂けます。
御予約は、わたしまで直接ご連絡ください。

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「燕のいる駅」をお客様にご覧いただく日がどんどん近づいてきました。
本番を一週間後に控えて、わたしたちにとってはとても大事なことを発表いたします。

私塾の俳優、5年目の者から参加したての者まで、総力で臨むこの公演ですが、
戯曲の登場人物には限りがあります。
キャスティングまでに約1ヶ月の稽古があり、出演者はオーディションで選ばれました。
オーディションということは、当然、役がもらえない俳優がいるわけで。
でも。
総力戦です。
わたしを信じて集まってくれた俳優、一人残らず全員にとって成長につながり、誇りに思える時間をわたしはプレゼントしたいと思いました。

「燕のいる駅」本篇上演後、アフタートークならぬ、アフター短篇劇を上演いたします。
作品は、わたしが蜷川カンパニーにいる時から大好きで、ことあるごとに大切に上演してきた、
宇野イサムさんの「侵入者」です。
たった15分の作品ですが、「燕のいる駅」と同じくらい、心に残る作品にしたいと、
演出家と俳優たちで、くんずほぐれつ、まさに、組んず解れつ、創り上げています。

出演者、上演予定を、以下にご紹介いたします。
どうぞ、ご期待ください!

石丸さち子

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【アフター短編劇】

「侵入者」
脚本:宇野イサム 
演出:石丸さち子

1月15日(水)14:00- 実和さや子×田代健二 
1月17日(金)14:00- 鎗水愛子×田代健二 
1月18日(土)14:00- 細谷奈央×田代健二
(※以上の3公演の終演後に続けて上演します。)

宇野イサム略歴
演出家蜷川幸雄氏の薦めで戯曲を書き始める。
1987年 「虹のバクテリア」「ギプス」がニナガワスタジオにて上演される。
その後、ニナガワカンパニー公演「待つ」と「春」のために、十数篇の短篇を書き下ろす。
以後、映画のシナリオライターとして、「てなもんやコネクション」(1990)「顔」(2000)「ぼくんち」(2003)などを手がけている。

https://www.facebook.com/114polypho119

2014年1月 2日 (木)

仕事はじめ。

仕事はじめ、と言っても、昨日一日から事務作業をしておりましたが、今日から本格的に打ち合わせだのスタッフワークを開始。

俳優の高木拓哉が家に来て、小道具リストの作成中。
わたしはそれをまとめて監修して、夜は美術打ち合わせ。 

4日間の稽古休みはあっと言う間。
2日間は、家の大掃除で大忙しだったし。
血圧は、ひどい時は188-90まであがってしまったりして、ずっとかなりの低血圧人間だったわたしの戸惑いは大きい。
塩を入れない 料理にも慣れてきました。
同居人は、「塩味つけてないから、自分でかけて!」なんて言われて、ちょっと可哀想。しかも、お正月だというのに、お酒も飲まず……。
お雑煮だけは、いつも通り作りました。それくらいは、ね。
それにしても、こんなお正月、はじめてだなあ。

年末、退院の前にこなしてきたいろいろな検査の結果が出るまでは、 大事に大事に暮らすモード。ま、自分の体に耳を傾けながら、うまくやっていくしかない、という感じ。

今朝は、血圧を計ってもエラーばかり出る。
うん? んん? チューブの部分を見たら、風の歯形が!!
ビニールテープでぐるぐる巻きにしたものの、復活せず。
ああ、風ちゃん……。 

2014年1月 1日 (水)

一月一日に。(母とわたし。)

いい小説は、自ずとその読み方(読まれ方)をわたしに示してくれる。
一気に没入して読み通さなければ体験できないものもあれば、
少しずつ少しずつ噛みしめなければ味わえない類のものもある。

今、傾倒しているアリス・マンローは明らかに後者で、
読み進めては、あえて日常に戻り、戻る時にはまた始めから読み直してみたり、進まずに、読み終えたものを味わい直してみたり、メモに言葉をひたすら書き写してみたり。

人生を一度に味わえないように、一生をかけて味わうしかないように、
彼女の作品を読むのには覚悟がいる。
そこでは時の流れが速すぎて大きすぎて、目眩を覚えるから。
歳をとっていくわたしと、さらに歳をとっていく母の、二つの人生のレイヤーが重なって見えたような錯覚を覚えた時もあった。
泣けて、泣けて、困った。

父と母に、新年の挨拶。
若く美しかった母と、小さなわたし。
大手術を乗り越えた母と、5年前のわたし。
たかだか5年で、母もわたしもずいぶん変わった。
でも、母から注がれる大きな愛には全く変わりがなく、
それだけは、何が起こっても変わらないという安心感で、
年の初めにわたしは、自らの人生をきちんと生きようと誓う。

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