文読む日々
公演が終わり、文読む日々。
語呂がよいからこう云うのではなく、本当にひたすら、読んでいた。
作品のことを書いておこうと思いつつ、まだまとまらない。
自分の思いと、稽古場で現実的に闘わなければいけないことが、かなり乖離していたので、終わってから、過ぎた時間を反芻して咀嚼して、出来上がった作品の味を確かめているような。
すぐに稽古場に戻ることになるから、しばしの間、餓えていたものを取り込む。文章であり、かつて生きた人たちの「知」であり。
年末、稽古休みの日にダンスを観に行ったのは、演劇まみれの暮らしの中でよいアクセントになった。きっと、明日観に行く小野寺さんのものも然りに違いない。
言葉に飢えているし。
言葉に辟易としている。
この妙な感覚。
そして、年末からずっと寂しい思いをさせていた風と、一緒に過ごす。
彼女の最近の眠りのスタイルは、「布団の中に潜り込む」なのだけれど、きっと熱がこもるのだろう、朝にはわたしの顔の横に、その頭を並べている。ちゃんと、枕の上に。
のみならず、しっかりわたしの腕の上に体を横たえて、腕枕の形を完成させている。ほぼ、毎朝。
……如何にしてわたしを起こさず滑り込むのだろう?
今日は、お風呂にいれて、全身シャンプーしてあげた。
淡雪のように、真白くほわほわで、なんて素敵なお嬢さんなんだろう、と思う。ちょっと大柄だけれど。