« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月

2014年2月27日 (木)

「カリギュラ」の後に。

さいたま芸術劇場にて、ネクストシアターの「カリギュラ」を観劇

作家と演出家と俳優の出会いが呼んだ奇跡のような美しい時間を体感。

一人の暴君の現在にとどまらない、無限の深読みを許す言葉たち。
かつて作家の生きた現在、演出家の現在、俳優の現在、わたしの現在、この国の現在、生と死、善と悪、すべてを表出する言葉として、迸る。

最近、言葉に疲れていた。辟易としていた、と言ってもいいくらいだ。

タゴールの短詩が、しばしば耳の奥で鳴っていた。
「死んだ言葉の塵がお前にこびりついている。
 沈黙によってお前の魂を洗え。」

言葉の可能性に勝手に一人で背を向けていた自分を恥じるより先に、言葉に感動していた。
17年間、蜷川作品の演出助手を務め、蜷川さんの隣に座って暮らしていたわたしだが、ひとつまたひとつと初日を開けるたびに握手をすることが、スキンシップのすべてだった。
今日終演後の楽屋で、初めて、蜷川さんに抱きついた。
これからの仕事に向けて、勇気と希望を、もらってきた。
あえて、アウェイで仕事をしてきた意地みたいなものがするするとほどけて、少し楽になった。

「カリギュラ」は、明日木曜日、13時が最後の公演。

2014年2月23日 (日)

池袋の最悪の飲食店について。

秩父に泊まり込んで、2日、全身全霊で稽古。
寒さ厳しい秩父で、ずっと半袖。ずっと燃えてて。
わたし、がんばったわけです。

で。帰りに駅でビールが買えなかったしおなかすいてるしで、池袋

で、いざ、酒と食事、と、とりあえず近場の居酒屋に入ったら。
平成の世で、こんなにまずいもの食べられますかと、笑いのでるも

のばかり。
サラダ油を使った?の、帆立と海老のアヒージョ。帆立は、小さな

貝柱かと見まごう小ささ。
中のひんやりした、切り落としみたいなバケット。
かつては鮮魚だった鯛のカルパッチョ、かなり、乾いてるタイプ。
マグロとアボガドのタルタルは、きっとブツのまましょうゆとみり

んで和えただけね。
あと、極めつけはブルスケッタ。
トマトのってないし!
乾いてるし!
のってるものが、みじん切り過ぎて、正体わからないし。
あ、お通しは、塩味しかしない、きんぴらでした。
ビールは、待てども待てども来なかったし、お勘定はまちがってたし。

笑うしかないな。

今、口直し中です。

ああ、店の名前、つぶやきたい、、、

2014年2月16日 (日)

大雪の日に。

昨日。
来週末の秩父市民ミュージカル公演のために稽古に出向くはずだったが、交通機関が動かず、待機の1日。
出来れば今日の早朝稽古に備えて、夜の間に秩父入りしホテル泊まり、などと考えていたが、状況はそんなに甘いものではなかった。

東京からも人材を連れていく予定で動いていたので、6時半から今日の対策。
西武線レッドアローは飯能までは動いている。そこから秩父を結ぶ線が、高麗で途絶える。
飯能まで来るまで迎えに来てもらうことも無理。
それ以前に、出演する市民たちが、まだ生活のためにさえ動き出せないのが現実。

秩父が史上最高の大雪に見舞われ、町として動き出せないでいる。
役所は、週末の今、どれだけ機能しているんだろう?
自治体が動き出すためにも、まず行政が災害を乗り越える算段をしなければ、効率も悪いし、この寒さでは徒に人が疲れていく。

わたしたちの小さな公演でも、この災害時におけるリーダーシップの必要性は全く同じで、朝6時半から、対策を練る。姿勢を決めなければ動き出せない。
8年前にわたしが代表で立ち上げた団体だが、6年目から、運営をメンバーに任せている。今は、秩父市民がわたしを指導者として呼んでくれている形だ。
だから、今回の身のふり方も、彼らが決めなくてはいけない。
わたしは、考え方、決め方を、その大事さを、早朝電話で説く。
雪が降ってしまったから、と立ち止まらず、
雪が降ってしまった今、何を選ぶか、決めなければ。
公演延期なのか、決行なのか。
それによって、稽古の仕方も何もかも違う。
そして、決めて動き出さなければ、今までの稽古を頑張ってきた市民メンバーたちの心が行き場がなくなってしまう。
「それどころじゃないから」というひと言で放置する前に、リーダーシップを取る人が、今は着手できない「それ」をどうするか、決めることが大事だ。
特に、芸術関係は、この「それ」になりやすい。

そして。
車に乗れなければ足がないも同然になる秩父暮らしをよく知っているので、心配でならない。
動き出しますようにと願いながら、次の連絡を待つ。

2014年2月12日 (水)

記憶という怪物とともに。

仕事のために数日をかけて読みこんでいたルポタージュがあまりに素晴らしく、感動的で。
最後の一章を残し、眠りのため、明日の稽古のために4時に本を閉じ、目を閉じてみたものの我慢できず、再び明かりをつけ、読了する。

私は、記憶で出来ている。
歳を重ねるにつれ、この記憶の集積は巨大になり、墓場まで連れ添う怪物と共に暮らしているような気持ちだ。
だからこそ、他者の記憶が思わぬスピードで眼前に開示される時、脅威を覚えるし、感動も覚える。

そんな夜だった。
そして、その深々とした他者の記憶の森に迷い込んでいるうちに、自分の記憶が、響き合うことがあるのだ。
これが、いずれ自分の産み出す作品に繋がりますようにと、祈るような思いで、興奮が醒めず、まだ眠ることができずにいる。

2014年2月 4日 (火)

眠りというTO DO

眠りがあなたの体にはとても大事なのだと医師に諭されてから、
昨年末から、眠りをTO DOのように守ってきた。
でも、久しぶりに夜更かし。
今週のうちにあげる企画書が間に合わない。
企画書を書くためにどうしても必要と思う資料が多すぎて、まだ書

く段には至らず、ただただ読んでいる。
この眠りというTO DO、考えずにいられる頃はよかったな。
眠らずに頑張れる自分を、それまでは肯定できていたのにな。
ちょっとした発想の転換が必要、な気がしている。
残った人生の喜びと目的を、何に見いだすか。
「わたしは誰なんだ?」という、青春期からの問いに、この歳にな

ってまでぶつかるとは。
それも、これも、今体当たりしている大作家の影響。
偉大な人の人生の業績に圧倒されて、ペース配分する自分がちょっと情けなくなったりもしているわけで。

若い人と交わることが多い現在。
同世代の友人とあれこれ共有したいなあ、なんて、思ったりする。

2014年2月 1日 (土)

消耗品としてのわたし。

「呼吸と声のワークショップ」5日目終了。あと2日。
今日、感動的な声の発見があった。
稽古場にいる人全員で、感動を味わった。
奇跡はわずかな時間。それを技術として再現するのはまだまだ先。
でも、可能性を引き出してあげることは、大きな喜び。

読書で見つけること。
稽古場で見つけること。
人生半分以上過ぎてしまったのに、やりたいことやるべきことがた

くさんあり過ぎる。
この体を、どんな風に、どんなペースで、使い切るか。
自分を、消耗品としての人間だと実感することは、
感謝や後悔の混じり合う、とても不思議で、新しい感覚。
その甘さと苦さで、夜中に一人、胸がいっぱいになったりする。

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »