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2014年5月

2014年5月26日 (月)

読書の恩恵。

本を読むことを、小さい時から愛してきた。
良くも悪くも、文学少女なのである。
愛していると、それなりに恩恵がある。

困っていると、言葉の方からすっと寄ってきて、 
救ってくれたり、力を貸してくれたりする。

今日は、こんな言葉が、わたしの前に顕れた。

 「死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、
  自分は人生の下り坂を下って行く。」

この一行目が、今日のわたしに必要だった言葉。
そして。
二行目を思う。
ああ、よくわかるなあ、と、その絵を想像する。

下り坂を下りるのは、楽そうに見えて、実はとても筋肉が要る。
上り坂を上る時の筋肉の躍動感あるフォルムに比して、
少し滑稽で情けなくさえある。
どどどどどって一気に降りてしまいそうなのを、
必死にこらえて、大事に大事に一歩一歩を行く。
まあ、どどどどどって行くのもよし、と思うわたしはいるが。

愛情だの責任だの、持病だの愁訴だの、
未だ叶わぬ夢だの、その夢の先だの、
あらゆるしがらみを背負って、
えっちらおっちら、まだまだ行こう。
楽しそうだ。 

2014年5月24日 (土)

自分にしか書けないことを書く、ということは。

深夜、映画「二百三高地」を見る。

どれだけか印刷物の資料にあたった後見ると、笠松和夫さんがそのシナリオでやろうとしていることに、瞠目する。

史実に分け入った後、作家自らが物語る時の魂の大きさ。

クールなバランス感覚。

……にしては、ラスト近く、乃木希典の描かれ方が大いにバランスを崩した感があった。

やはり、映画のラストシーンのカタルシスとして求められたもので、初稿とは違うらしい。

それにしても、今、現在にあって、戦争題材のものをのめりこんで見るのはつらい。第9条が読み替えられようとしているこの時に。

史実に材を求めた脚本を書くために、わたしは今年に入ってから、本を読みすぎた。あまりに一気に、知り、感動し、認識してしまい、溺れそうになっていた。

単なる情報の羅列だったものが、自分の中でしっかりとリンクして、手触りのある世の中に見えてくると、それは当然ながら複雑過ぎて。

理由あって、ほぼ一から書き直しながら思うのは、自分の感動や認識を潔く捨てることだと思う。

大事な一つの感動以外は。

自分にしか書けないことを書く、ということは、

自分が書きたいと思ったことの、ほとんどを、捨てることなのだと感じた夜。

2014年5月17日 (土)

五月に背を向けて。

一年で一番好きな五月に背を向けて、

ひたすら家で書く。

読むのを止めて、ようやく書き出したので、

迷わず家で仕事、を、選択。

あまりに、外で待ってる五月が美しそうなので、

歯がみするくらい悔しいのだけれど、

書くんだ、わたし、と、自らに言い聞かせ。

書いてない時間も、書くという行為のうちなのだと、自らを慰め。

同居人の一人は公演初日。

もう一人の同居人は、久しぶりの休み、公園で五月を楽しんでいる。

風の仕事は、

我が書斎の窓から外を眺め、家の前の木で鳴く四十雀や雀を見張ること。

カラス襲来の場合は、毛を逆立て、戦闘態勢に入る。

もう、実に熱心に見張る。

虫の飛来にいたっては、女忍者と化して網戸をするするとのぼって、

上から視線をキープ。(網戸の目、広がる一方……。)

わたしの仕事への集中力より、ずっとずっと高い集中力で見張る。

と、思いきや、見張ってる体勢のまま、深い眠りへ……

その眠りの安らぎを左腕の方に感じながら、

わたしは、一年で一番美しい五月を、

家の中で過ごす。

で、あっという間に、目映い日差しは消え、暗くなってしまった。

ああ……

========

ずっと、夢見る作品の言葉に向かっている。

でも、外から聞こえてくる言葉には無力だ。

「積極的平和主義」とか、「集団的自衛権」とか、

解釈というものを、個々に許す、言葉という武器が怖い。

それでもわたしは、五月に背を向けて、

かつて日本を生きた人の、愛と懊悩について書いている。

言葉を見失いそうになることの多い日々だ。

2014年5月11日 (日)

I Sing〜with Strings〜

東京オペラシティーコンサートホールにて。
中川晃教コンサートを聴きに行く。

アッキーと知り合ったのが、2003年の「PURE LOVE」で小池修一郎さんの演出助手をつとめた時だから、もう11年にもなる。
「himself」「エレンディラ」、喪われた「Super Monkey」、その代わりの「ACCIDENTS」……こうして、思い返してみると、たったこれだけしか、わたしは中川晃教と一緒に仕事していないのだ。自分でも驚いた。
あとは、観客として観た芝居。観客として聴いたライブ、コンサート。

たったこれだけなのに、わたしは、ずっと一緒に仕事をしてきたように彼を大事に、近しく思うし、とにかく、シンプルに、存在まるごと好きだ。
その答えはいつも、彼の立つ舞台の上にある。
解き放たれた時も、藻掻いている時も、道が見えている時も、手探りで進んでいる時も、舞台に立つと、彼は余すことなく生きる。
舞台に立つということの、いちばん大事なところを、彼は知っていて、真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに、瞬間を生き続ける。
妥協しない、折れない、慢心しない、求心力の強さ。
それが舞台に立った時に、表現者としての軽やかさ、輝きに変わる。
彼の新しい曲、「止まらない一秒」そのものだ。

そして。
今日の彼の歌声。
弦楽器と縒りあいながらあのコンサートホールに生まれた時間の、それこそ1秒1秒が、Miracle of Loveという、タイトルそのもの。
彼の心が、声帯という楽器と共振して生まれる奇跡の連続。
ああ、なんて繊細な時間の集積だったことか。

個人的には、「himself」からの歌があまりに懐かしくて、狂おしく幸せ。
彼の歌で、時間旅行をして、また我が心は自らや世界を思う旅に出る。
きっと、客席にいた人たちみんなの心が、生き生きといろんなところにいっぺんに飛翔していたのではあるまいか。
そうして、あのコンサートホールが、幸せな空間になる。
舞台の上と、観客席にいるすべての人で、作る。
ああ、基本だなあ。それ。

「PURE LOVE」デビューに寄り添い、「ガラスの仮面」で喜怒哀楽をともにした美帆と久しぶりに会い、迷惑ばかりおかけしている偉大な先輩えりさんに、元気を頂ける時間のプレゼントつき。

ああ、早くまたアッキーと仕事をともにしたいと、心がはやる夜。
なので、まずは今目の前にある我が仕事に、全力。




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