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2014年7月

2014年7月31日 (木)

雨降って……。

「雨降って地固まる」って言葉があるけど、

昨夜から今日。

わたしには、「史上最大の嵐で世界も自分も崩壊しちゃって過去も現在も未来も全部流れてしまって、その後、地固まった」そんな感じ。

人生賭けて仕事してる人が複数集まると、そんな感じになっちゃうんだな。

朝、何もかも捨てて逃げてしまいたくなったわたしがいたけれど、重い腰を上げて私塾に出かけると、やっぱり稽古場がわたしを救ってくれた。

成長を続ける俳優や、自分の現在・未来と闘う俳優。

センセーショナルにかわいい高校生ジュリエットとか見られて、ウキウキした。

そして、公演稽古も、なんとも言えない、常識破りの、素晴らしい時間になった。

どんな雨が降っても、地は固まる。

ただひたすらに、信じるしかないのだ。

ひとを。自分を。

ああ、涙が出ちゃう。

2014年7月27日 (日)

稽古場の土ガエル

わたしの目と耳は、演出している時、曇りがなくなる。

ふだん暮らしている時は、曇ってばかりでうんざりするのに、演出している時は、見える。聞こえる。
それが、「タールピット」の稽古場ではさらに顕著で、世界が何もかも新しく見える、新しく聞こえるような気持ちを味わうことがある。
休憩で、外に煙草を吸いに行ったら、短い雷雨で濡れたアスファルトの上に、大きな土ガエルがいた。荻窪の、大きな交差点に。
土ガエルは、体ぢゅうにイボがあって、もともとそんなに好きじゃあない。
でもね。
生まれて初めて土ガエルを見た子どもの目で見るように、わたしの目に見えて、その模様と肌感の神秘とか、柔らかそうなおなかとか、跳ねる運動の美しさとか、何もかもが目に新しく、長い間見入ってしまった。
次の休憩で、また外に煙草を吸いに行ったら、今度は同じところに、さっきの土ガエルを見事に半分の大きさにしたそっくりさんが現れたの!
フォルムも、模様も、何もかもそっくり! そして、半分。
「おまえは、さっきの土ガエルの子どもね?」
胸が、こう、キューッと、掴まれたように、痛くなった。
そして、熱くなった。
ちょうど、親と子のシーンの稽古を終えた後だった。
長い長い時間の話を演出しているので、今、わたしの目と耳は、新生児のそれになったり、老人のそれになったり、忙しい。
今日は、生まれて初めて、土ガエルに出会えた。
すると、現実やら物語やらの中のあらゆるカエルの、わたしのこれまでの人生分のカエルの記憶が、生き生きと動き出した。
こういうの、伝わるかな。
伝わらないかもしれないな。
だから、わたしは明日も、稽古場に行くのだよな。

2014年7月10日 (木)

竹内敏晴先生のこと。

現役の演劇人で、竹内敏晴さんのことを知っている人は、どんどん少なくなっている気がする。
戦後、小学校の黒板の横に、「あ」の形、「い」の形、と、唇の絵が貼られていた頃から、日本語の母音は、舌のポジションと口腔内の形によるものだと気づいていた方だった。アレクサンダーテクニックと同じような、身体と声の結びつきを、重力に身を任せ、かつ、しっかり自立することから教えてくださった。

わたしは20代で、俳優のための、ではなく一般人のための、身体と声のレッスンを、一年受けた。コミュニケーションに不安を持つ人の多いクラスだった。
その一年で学んだことが、今、わたしのレッスンに大いに生かされている。

その頃のわたしにとって、50代の竹内さんはすごく優しく穏やかな方で、先生がどんな風に声と知り合い、言葉と知り合い、自分と知り合い、演劇と知り合っていったか、全く想像もしなかった。
今、先生の自伝を読んで、衝撃を受けている。
先生が、声を、言葉を持たない少年時代を過ごされていたなんて。
だからこそ、生涯、声と言葉をあのように大事にされたのかと、心を揺さぶられている。

そんな折り。
今日の私塾のレッスンは少人数で、丁寧に呼吸と声を探ってみた。
すると、わたしと知り合って一年にもなる俳優が、声の通り道を見つけて、感動的な時間が生まれた。一年見つけられなかったことを、今日見つけたのだ。
無駄な力の入っていない、生まれたまんまの声は、聞いていても気持ちよく、稽古場には拍手が起こって、彼女自身は、「声を出す」という行為が、今までと全く違う行為だったことに驚いて、感動して泣いていた。
わたしも、この仕事をしていて本当によかったと思う瞬間だ。

演劇を通して、人と出会い、知り合うことは、傷つくことも傷つけられることも多い。でも、こんな日があると、本当に続けてきてよかったと思うのだ。

声は、人を表す。
だからこそ、俳優にとって、どれほど声が大事か。
大きな声をだすためじゃない、うまく台詞をしゃべるためじゃない。
声は人を表すものだから、演じるためには、声を知る必要がある。
自分の本来の声と出会って、声の不思議や神秘と出会って分析し、可能性を探ること。そして、育てる。
自分の呼吸と、からだと、心と、声を、繊細に、大胆に、表現のために扱えるようにすること。

わたしの一升枡。わたしの一生。

わたしは、ふだん、ブログやFacebookに政治的なことを書かない。
あまりにも勉強不足だし、
もし何か云いたいことがあるなら、作品でやればいい。
しかし、自作ではストレートに社会的な題材を手がけてこなかった。
そして……これからのことはまだわからない。

ただ、今は、何か言及しておかないと、息苦しくてたまらない。
何の力も持たなくても。
自分のために書いているに過ぎなくても。

半藤一利さんのインタビューを読んで、心臓が痛くなるような言葉があった。
引用する。

「昭和の初めから10年代の日本の指導者は、政治家でも軍人でも官僚でも、日露戦争の悲惨さを知らず、(戦勝の)栄光だけを背負っていた人ばかり。今の日本のトップも、太平洋戦争の悲惨を知らず、日本は優秀だったという栄光を取り戻そうとしている。そうなった時に、国家というのは大国主義でぐんぐん動くんですよ」

太平洋戦争を始めた世代と、現在の為政者世代。
いや、為政者だけの問題じゃない。
彼らを選び、任せている、わたしたちの問題だ。

油断ならない。
杞憂ではない。

大きな黒い穴が、ぽっかり口を開けているような気がするのだ。
だからと言って、どうすればいい。
独りで、煩悶する。
先人に聞きたくなって、木下順二全集を買った。

森鴎外の家に居た書生の口癖を思い出す。
「一升枡には、一升しか入らないから」
わたしの一生。
わたしの一升枡。
これから、どんな風に生きようか。

言葉と法と人間と。

日本と密接な関係にある他国……どの国がそれにあたるの?
日本の存立が脅かされ……何をして日本の存立と呼ぶの?
国民の権利が根底から覆される明白な危険……明白って言葉は曖昧ね?
必要最小限度の実力を行使……必要最小限って、これまた曖昧ね?

言葉は怖い。
いくらでも隙がある。
しかし、法は言葉でしか作れない。

戦後、ボロボロになったところから、新しい国として出直すために、現憲法が生まれた。
国民が意をひとつにすることなど無理な時代だった。
国民全員が、戦時から平時への転換の中、昨日まで信じていたものを、一気に覆して生きるしかなかった。何を信じて生きろというのか?
信じるものが必要だった。
指針が必要だった。
だから、為政者が代表して決めたのだ。
日本国憲法を。

「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」
新しい時代に、この言葉が表すことは、国民の意を束ねていくのに、力になったに違いない。
だって、それまで、本当の意味で国民主権はなかったし、基本的人権は尊重されなかったし、平和ではなかったから。
それが約束されたのだから。

言葉を使う時に、大事なことは、
言葉を生む人間が、他者と共有するために、心から選び、責任を持って生み出すということだと思っている。
千差万別で、共に生きることがどれほど大変か自明の、人間という存在が、
共に生きるための、大切なツールだ、言葉は。

問われるのは、人間の生きようとする姿勢。
大事なのは、生み出された言葉の解釈より、
なぜ、どうして、その言葉が生まれたか、ということだ。

憲法だって、同じことだと思う。

血を流して生まれてきた言葉たちなのだ。

読み替えや改憲に問題があるのではない。

言葉を使う、人間に、問題があるのだ。

2014年7月 9日 (水)

錯綜する国。

今日、下すべきではない決議がごく日常的になされてしまう可能性を思い、慄然とする朝。
昨日に続き今日も、首相官邸前ではデモが予定されている。
しかし、人が自由に声をあげる権利さえ、また再び奪われる可能性を考えてしまい恐ろしい。
多数の声が、まるで集団ヒステリーのように一掃されてしまう恐怖。
勝手に、「時代」が規定されて、その時代に逆らう者が一掃される恐怖。

なんて時代錯誤な。
……杞憂だろうか?

でも、為政者が正しい歴史観を持っていないからこそ、目先のこと、自分の為政期間のこと、自分の存命期間のことしか考えないからこそ、こんなことが起こりうるのではないか?
だとしたら、時代錯誤という言葉は、もう効力を持たない。

正しい知識も、正しい愛情も、正しい平和認識も、正しい歴史観も、まるで意味がなくなってしまうのではないか?
(ああ、でも、「正しい」って何? と、結局は身悶えるのだが、その身悶えが生きていることだとも思える。)

一事が万事。
だからこそ、目先にとらわれず、過去と未来を照らして、悪しき可能性を摘むのが人の務めだろう。

しかし、今、9条の読み替えにしても、原発問題にしても、日中日韓問題にしても、大局的な視野に、過去も未来も折り込まれていないと思う。
そして、逆に、悪しき可能性が生み出されようとしている。

演劇人を演劇を作ることしか出来ない。
そう言いながら、戦時と平時にまたがって暮らした先達たちのことを思い、
また、今日も、稽古に出かける。公演の準備をする……。

8月上演台本「タールピット」脱稿。

わたしは、演出家としては、自分の書いた言葉を自分で演出することに違和感があって、既存の戯曲を選び続けてきた。
と言うよりも、演出したい戯曲が目の前にたくさんありすぎた。
それが、”Color of Life"を作ってから、オリジナルを作る魅力にとりつかれている。
2月から準備に入って、3月は資料を読み続け、4月5月で来年度の上演作品を書き、今日、8月の上演作品「タールピット」が脱稿した。その間に、来年再来年で上演を目指す作品の企画台本とテーマ曲もあげた。
平日昼間は稽古、夜から朝まで必ずデスクに向かって読むか書く、週末は終日、という日々が、5ヶ月続いたことになる。
わたしはきっと今、楽しくて仕方ないのだろう。

脱稿前の儀式である読み合わせ。
今日は、二人、お客様もいた。新作の、最初の観客。
その二人が、想像以上に感動してくれて、自分が新しい物語を産んだ感慨を深くした。蜷川カンパニーにいる頃から、たくさんの読み合わせに参加してきたけれど、中でもとびきり心躍る読み合わせだった。
明日から久しぶりに、丸々演出家として暮らしていく。
もう、必ず朝までキーボードをたたかなくてもいいわけだ。
3つの締め切りもクリアした。
でも、5ヶ月の激走が体にしみついていて、ずっと何か書き続けていたい、と、寂しく思ったりもする。

脱稿祝いに、明るくなるまで、大人数で飲む。
そして、皆が寝静まっても、まだ何か熱が冷めやらず、かきあがった台本を眺めて過ごしたりする。

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