ユーリ・リュビーモフ逝去。
わたしは、ユーリ・リュビーモフ氏死去の報道を見逃していた。
今月5日に、97歳で亡くなられていたことを、1週間も経って、ようやく今知った。
早稲田でロシア語を第2外国語で学んでいた頃(劣等生だったし、もうほぼ忘れてしまったけど)故宮澤俊一先生に、リュビーモフとタガンカ劇場の話を聞き、ウラジーミル・ヴィソツキーの話を聞いた。
「大地の歌」というLPが日本語でも発売されていて、ヴィソツキーを聞きまくった。その声で演じられるハムレットやロパーヒンを想像して過ごした。
「三人姉妹」のイリーナのように、「モスクワへ、モスクワへ、モスクワへ!」と願って過ごした理由の一つが、タガンカ劇場へ行くということだった。
(もうひとつの理由は、アンドレイ・ルブリョフのイコン「聖三位一体」をこの目で見るためだった。)
1980年にヴィソツキーは亡くなっているので、セゾン劇場に来日した「ハムレット」はもちろんヴィソツキーではない。でも、あの重厚なカーテンが縦横無尽に動くダイナミックな演出を見ながら、かつてハムレットを生きたヴィソツキーを、やはり夢想していた。
昨日、この半月をともに過ごした台本をあげ、
秩父市民ミュージカルのレッスンが台風で休みになり、
突然訪れた休日を、先日入手したマヤコフスキーを読んで過ごしていた。
大正時代日本から、スタリーン粛清時代ロシアに気持ちが飛んでいたところに、
この訃報だった。
長い長い時間の憧れを思い出した。
憧れに育てられた。
と、感じる。
そう言えば、
リュビーモフ90歳で新作演出、という記事を見つけた時。
わたしはまだ蜷川さんの演出助手をしていて、
蜷川さんにその記事を見せたのだった。
「なんだよ、俺まだまだできるなあ」
と、うれしそうな顔をしていたことを思い出す。
(実際、その勢いだし、そうあって欲しいと心から願うし。)
となると、わたしなんて、まだまだ、まだまだ、やれるわけだ。
だから、この体、大事に使おう。
台風……被害が大きくなりませんように。