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2014年10月

2014年10月13日 (月)

ユーリ・リュビーモフ逝去。

わたしは、ユーリ・リュビーモフ氏死去の報道を見逃していた。
今月5日に、97歳で亡くなられていたことを、1週間も経って、ようやく今知った。

早稲田でロシア語を第2外国語で学んでいた頃(劣等生だったし、もうほぼ忘れてしまったけど)故宮澤俊一先生に、リュビーモフとタガンカ劇場の話を聞き、ウラジーミル・ヴィソツキーの話を聞いた。
「大地の歌」というLPが日本語でも発売されていて、ヴィソツキーを聞きまくった。その声で演じられるハムレットやロパーヒンを想像して過ごした。
「三人姉妹」のイリーナのように、「モスクワへ、モスクワへ、モスクワへ!」と願って過ごした理由の一つが、タガンカ劇場へ行くということだった。
(もうひとつの理由は、アンドレイ・ルブリョフのイコン「聖三位一体」をこの目で見るためだった。)

1980年にヴィソツキーは亡くなっているので、セゾン劇場に来日した「ハムレット」はもちろんヴィソツキーではない。でも、あの重厚なカーテンが縦横無尽に動くダイナミックな演出を見ながら、かつてハムレットを生きたヴィソツキーを、やはり夢想していた。

昨日、この半月をともに過ごした台本をあげ、
秩父市民ミュージカルのレッスンが台風で休みになり、
突然訪れた休日を、先日入手したマヤコフスキーを読んで過ごしていた。
大正時代日本から、スタリーン粛清時代ロシアに気持ちが飛んでいたところに、
この訃報だった。
長い長い時間の憧れを思い出した。
憧れに育てられた。
と、感じる。

そう言えば、
リュビーモフ90歳で新作演出、という記事を見つけた時。
わたしはまだ蜷川さんの演出助手をしていて、
蜷川さんにその記事を見せたのだった。
「なんだよ、俺まだまだできるなあ」
と、うれしそうな顔をしていたことを思い出す。
(実際、その勢いだし、そうあって欲しいと心から願うし。)

となると、わたしなんて、まだまだ、まだまだ、やれるわけだ。
だから、この体、大事に使おう。

台風……被害が大きくなりませんように。

2014年10月10日 (金)

島村抱月に思う。

細く長く生きるのか?
太く短く生きるのか?
いったいこの世に、太く長く生きるなんてありうるのか?

島村抱月が、小山内薫に芸術を捨てた商人とこきおろされようが、芸術に売るべき魂を松井須磨子に売ってしまったと関係者に陰口をたたかれようが、ひたすらに商売になる演劇を続けて、それもまた、新作、再演、地方巡業、海外公演と休む間もなく続けて。そのプロモーターもすべて自分でこなして、一方で自分の劇場まで建ててしまった。それだって、暴風雨で建設途中の建物を喪い、別の地所をすぐに購入して再出発。その資金は、ほぼすべて興行収入から得ているというのだから驚きだ。
もとは、行動するより思案するのが似合う学者だった。シャイで大人しい人だった。演劇界を取り巻く現実と、松井須磨子への愛情が、彼を行動する男に変えていった。
彼は、よいことばかりではない現実の中で、ひたすらに生きた。
そして、いたたまれないくらい、早逝する。

須磨子の話を書いているのだが、どうも個人的には、抱月にどれほどか心を揺さぶられている。

2014年10月 7日 (火)

アンナ・ポリトコフスカヤの命日に寄せて。

2002年10月、ノルド・オストの劇場占拠事件が起こった時、わたしはモスクワにいた。
モスクワとサンクトペテルブルグで舞台を観る一人旅で、事件当日もわたしはすぐ近くのタガンカ劇場で芝居を観ていた。
ロシアを文学と演劇の歴史で愛して憧れての旅だったが、結果、プーチン政権によるロシアの現在を知る旅になってしまった。
それ以来、ロシアとチェチェンの闘争は、わたしが世界を知ろうとする時の窓になった。
また、この事件でその存在を知ったジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんは、わたしの指針になった。
彼女の活動を追い、著作を読み、関連書籍にどんどん手を伸ばした。
しかし、2006年10月、彼女は自宅アパートの前で襲われ、射殺された。

日本に住んで、あの時はまだ「暗殺」「言論弾圧」といった言葉が、現実感覚からは遠かった。
あの時の恐怖、驚愕は、今や他人事ではない。

今日10月7日は、48歳で殉職したアンナの命日。
毎年この日を迎えるたびに、彼女の仕事と、遺された無念について思う。
そして、自分の仕事について考える。

http://www.huffingtonpost.jp/amnesty-international-japan/russia_b_5926080.html

──────

アンナの著作は、日本語で三冊読めます。
・チェチェン やめられない戦争
・プーチニズム 報道されないロシアの現実
・ロシアンダイアリー 暗殺された女性記者の取材手帳
興味がないとなかなか手に取らない類の書籍ですが、
チェチェン紛争について知らずとも、
一人の果敢な女性ジャーナリストの生き様が読み取れます。

2014年10月 1日 (水)

本はともだち。

マヤコフスキーの新訳を見つけて、
すぐにネット上で注文をしたのが、一昨日の眠れない夜に続く、昨日の朝のこと。
その本が、早くも今、手元に届いた。
10月は机にかじりつく!と決めて取りかかっていた仕事の手をとめ、少しだけ目を通す。瞬く間に、きらめく言葉と精神が顕れて、心の準備をしてから読もう!と思ったりする。たぶん、今日の夜?

注文から、受け取りまでに、感動があった。
まるで、小さいけど大事な芝居を予約するような感じだった。
出版社の代表から、直接メールが届く。
わたしも、マヤコフスキーの小笠原訳を出版してくれることに、「ありがとう」を伝える返事を書く。
五時間後くらいには出荷されて、発送後、また、自動メールに言葉が添えてある。
届いたゆうメールの中の発送通知に、また、おそらく万年筆での手書きメッセージが添えてあった。
「ありがとうございます! 
2年をかけて刊行いたします。
どうかおつきあいいただければ幸いです。」
と。

届いた本は、小B6版、ペーパーバックの風合いで、手に馴染む。
見開きのマヤコフスキー手書き原稿は、ロシア文学好きをくすぐるし、
本文の余白のつくり方が丁寧で、風が吹いている。
本好きの心を、気持ちよくくすぐってくれる、愛情のこもった、本。

わたしはこの本ではじめて知ったのだが、
豊田剛さんという方が、三年前に創業された出版社の仕事だ。
http://www.doyosha.com/

この小さな感動は、わたしの仕事にも通じる。
自分のペースで、自分の作品を、丁寧に創って、丁寧にお客様に渡していく。

いつも仕事にちょっと行き詰まると、わたしは本に救われる。
思いがけない本と出会ったり、運命的に再会したりする。
だから悶々とすると、ずっと書棚を眺めたりする。
何かがわたしを呼んでいないかな、と。
今回は、ちょっと変わった形で、現れた。
本は、ともだちだ。

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