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2015年2月

2015年2月28日 (土)

NYCのJiroさん。

出会い、そして人間関係は、つきあう堆積時間では計れない。
丸ごと一緒に過ごすような人がいれば、
長い時間ともに過ごした後、ずっと疎遠になる人もいるだろう。
一瞬の出会いが、後々になって、ここに繋がることになっていたのかと、運命論を持ち出したくなる出会いもある。
写真のJiro Uenoさんと、ニュー・ヨークでブランチをともにした。
わたしたちは、若い頃、一年だけ稽古場をともにしたことがあって、それ以来、お互いの消息を何も知らなかった。
一昨年” Color of Life”をニュー・ヨークで上演した時、フリーペーパーでの紹介を見て、観にきてくださった。……驚いた。
Jiroさんは、もう長らくNY在住で、俳優を続けていたのだ。
その時は何かと忙しく、挨拶だけで別れてしまったが、以来、FBでしばしば文通のようにメッセージを通わせていた。
そして先日の旅で、久しぶりにゆっくりとお会いしたのだった。
ゆっくりと言っても、2時間のブランチをともにしただけ。
わたしたちはそれぞれ、ちょうどトランプの枚数くらい生きている。
重なったのは1枚分だけ。
お互いの来し方を語る時にも、カードを全部広げて見せたりはしない、もちろん。
全部どころか、それぞれの1枚2枚を、恥ずかしげに、ぽんと置いて見せ合うだけ。
それだけで、そう楽ではなかった、そう行儀良くはなかった、過去の時間を、何だか喜び合える。
多くを語らず、ねぎらいあえる。
のみならずJiroさんは、かつてのわたしを、とっても美しく記憶してくれていて、その記憶を持ったまま遠ざかり、そして再会。
今でも、20代前半のわたしを見るように、わたしが「ここにいる」ことを喜んでくれた。
ほんの短い時間で、長い長い辛苦の時間が祝福されることというのは、確かにあることなのだ。
デリのお皿には、朝の飢えを満たす料理が山盛り。
それをあっという間に平らげながら。
テーブルに広げてみせたカードと、懐にしまったままのカードを思いながら。
……ポール・オースターの小説の登場人物になったような気分だった。
わたしのたくさんのカードを知っている恩人がいれば、
彼のように、たった1枚のカードの記憶をもとに、再会してくれる恩人がいる。
”Color of Life"の歌詞に、わたしはこう書いた。
  毎日一人ずつ出会ったら
  一年で三百六十五人と出会うことになる
  もしも八十年生きたとしたら
  三万人くらいにも出会うことになる
ほんとに、他生の縁とでも思わなければ、解明できない確率で、人と出会い、支え合う。基本、一人で生きるのだが、この支えの力は果てしない。
出会いは、ほぼ、奇跡。

2015年2月23日 (月)

追悼。三津五郎さん。

なすべき仕事も、伝えたいことも、表現したいことも、

喜びも怒りも悲しみも、生きる楽しさも、

いっぱい抱えて昨日今日を暮らして、

そのことをFBに書こうとして、

三津五郎さんの訃報を知った。

「近松心中物語」で、八十助さんの時代に、長く濃く深々とご一緒した。

「やそさん、やそさん」と、何度その名をお呼びしたことか。

その生き方から、多くを教わった。

その芝居から、多くを教わった。

舞台に向かう姿勢だけではなく、楽屋での素顔、芝居がはねた後の酒の席、

あらゆるところで、その魅力に触れ、かわいがって頂いた。

知ってから、仕事が何も手につかない。

一秒を惜しみ寝る間を惜しんで仕事した2日間の後に、ぽっかりと開いた穴のような時間が過ぎた。

敬する人、愛する人の訃報にあうたび、

わたしは、まだまだ、死というものに戸惑って、惑っては、また生きている。

これをいくら繰り返しても、まだこのことに馴れない。

マクベスが暗殺をなした後の惑いの言葉が、

浮かんでは消え、浮かんでは消え、する。

「そうだ、眠るとしよう。おれのあやしい妄想は

入門者の恐怖心、きびしい修行からの逃走だ。

おれもまだ悪事にかけては小僧にすぎぬ。」

わたしは、待ち受ける自分の、他者の、死というものに対して、

いったい、どんな顔つきで、どんな素振りで、対応していいのか、

まだ、全くわからないでいる。

死が人生の一部だとしたら、わたしは人生の入門者であるし、小僧にすぎない。

来た道より、行く道の方が短いとわかる歳になって、なお。

だから、ひたすらに生きるしかない。

わたしはまだ入門篇を駆け抜ける小僧だ。

入門者の恐怖心をふり払って、「今」に夢中になって生きる。

人生は、終着点を目指す滑走路ではない。

疾走する高揚感、この目に映る流れゆく景色、五感の驚きに、酔い痴れる、

無数の「今」を重ねていくことだ。

そして、ともに旅する人と、あらゆる感情を分け合って、

無駄とも思える「今」を重ねていくことだ。

三津五郎さんのご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。

2015年2月18日 (水)

未来のための、NY滞在。

2月15日

今日のNYCは雪。
昨日メインイベントの打ち合わせを終えたので、後は観劇でのんびり?と思っていたのだが……。
ホテルで3月の音楽の準備をしていたら、欲しい楽譜はなんと、米国から取り寄せ、みたいなものばっかり。こ、これは?と、楽譜を求めて飛び出した。
Color of Lifeを一緒に創ったShino Francesが、リンカーンセンターの楽譜資料室に案内してくれて、求めていた楽譜をコピー、ほかにも候補曲をいろいろ。
楽譜ショップにも何軒か行ってみる予定。
ああ、来てよかった!
あまりの寒さにイヤーマフを購入。
チェブラーシカみたいになって粉雪舞う街を闊歩、気持ちがいい。
海外で街を歩いて教会を見つけると、必ず入りたくなる。
リンカーンセンター近くの聖パウロ教会へ。
祈りの場所は、人間のいいものも悪いものも全てが堆積している。
何もかもを吸い寄せるのが、わたしの仕事だろうと感じる。
祈りのための板を引きだして(あれは何という名前なのだろう?)跪いて、しばし。
Franの案内でタイ料理と、一日分のカロリーを摂れそうなスイーツを食す。
一休みして、またTKTSへ。
昨日は、OFFを観たくて、Fantastics。1960年初演でロングランって?
よく知った曲たちを楽しみながら、この奇跡のロングランの秘密について考える。
今日は、ONかなあ。
2月16日
今回は、OFF BROADWAYを観る旅だったので、今日はマチソワともにOFF。
(昨日、ONを観る予定の日に寝ちゃったからなあ……。)
2013年にわたしの作品Color of Life が参加し、大きな評価を与えてくれたMITF、その同じフェスティバル2011年のBreak out Productionである”Sistas"と、ヒット作品"Avenue Q" の二本。
OFFの最小規模と最大規模を観ながら、思うこといろいろ。
自分の作品をOFF BROADWAYに乗せることを現実的に考え始めるのが、今回の旅の目的。
何年か前までは、そんなこと夢としか言えなかったのに、今は、とっても現実的に目の前に、ある。
飛び込むか飛び込まないか、思い切るか思い切らないか。
まずは、最初の分かれ道。そこを選べて、やっと駒を進めることができる。
どんな人生の浮き沈みが待っていようと。
とりあえず、ゲームに参加すること。さいころをふる勇気を持つこと。
浮くも沈むも時次第と、開き直れること。
でも、浮き上がるための熱さとクールさを兼ね備えること。
そんなことを考えながら、明日はもう、NYを後にする。

2015年2月12日 (木)

明日からNYCへ!

明日から火曜日まで、たった5日間だけですが、ニュー・ヨークに行ってきます。(NY滞在は3日……。)
未來につながりますように!の打ち合わせがあったり、観劇したり、3月の仕事に向けての英気を養ったり!
「サンタ・エビータ」に向けて、音楽の仕事が山盛り。
控えるたくさんの打ち合わせ。
いろいろ伝えるべきを伝えて、前に前に……。
我ながら、とてもいい台本に仕上がっています。
やはり、エバ・ペロンとの出会いに、運命を感じる瞬間をたくさん経て、
ここまで来ました。
魅力的な二人の出演者、
音楽家や振り付け家、ともに作ってくださるスタッフの力を借りて、
オリジナルで美しい世界を作る時間が、もうすぐ始まります。
5日間の不在。
風のお世話は、また劇作家女子モスクワカヌさんに何日か来て頂くことに。わたしの部屋を、彼女の書斎にしてもらうわけです。
でも、そのためには、しばらく缶詰になって仕事していたボロボロの部屋を、人にお貸しできる状態にしなくてはならないわけで。
まだ仕事は終わっていないし、旅立ちの準備も全然してないし、さらに掃除ですかっ??
ああ、逃避していないで、ひとつひとつ、目の前のことをこなさなくては!!
でも、基本、ウキウキです。雪のNYに備えて、新しい雪道用ブーツも購入。
ああ、ウキウキです。

2015年2月 6日 (金)

目と耳の求めること。

世界には、いつも喜びの生まれる反面、大きな過ちと痛みが溢れていて、
それだけでも喧しいのに、それを伝聞する人間たちが加わって、さらに姦しくなる。報道されることや伝聞することが錯綜しすぎていて、もとを辿れば「起こった因果、事実」というシンプルなことが、覆い隠されていて、怒りや嘆きも、向かうところを持たずに立ち消える。
目や、耳は、どこかに真実があるのだったら、それを求めている。
いや、それを求めるために、目や耳が進化したのではなかったか?
そうでなければ、五感を使って「我が身を守る」ことも「他者を守る」ことも、
「感動」することもできない。
「判別」し、「認識」して「意思表示」しても、大元の情報が歪んでいれば、世界は混乱するばかりだ。
この復讐だの悪だのの連鎖を、心ある人なら誰でも悲しみ悼み、止めるべきだと思うだろう。しかしながら、真実はどんどん複雑化して、手が届かなくなっていく。
戦後の日米関係、経済の流れは、痛恨の戦災を忘れて進路を取るのではないかと恐怖を抱かせる。
人として生きる尊厳が、危うい。
冒す方も。
冒される方も。
世の中が善だけで成立する訳がないことは、常に光と影の両極でバランスを保っていることは、大昔からわかっている。
でもそのバランスさえ、崩れそうではないか。
====
晴れやかで気持ちのいい日曜日の午後。
それなのに、暗澹たる気持ちが消えない。
先日、清瀬の織本病院でシェイクスピアを語る講演をしたのだが、
招いてくださった院長先生が、手紙を託してくださった。
聴いてくださった患者さんたちが、素敵な時間を過ごせたと、公演後仲良く賑やかに語り合ってくださったそうだ。
織本病院に入院して、通院して、よかったという声(もちろん誰しも病院にお世話になるのはうれしいことではないが)、そして、今生きる時間を大切にしようという声。
ともすれば悲観的になりがちな場所に、少しでも生き生きとした風を吹かせることができたのはうれしい。
ただ、一回を限りのことだ。そこに常に無力感が伴う。
でも院長先生は、救いの言葉をくださった。
きっと引用することを許してくださるだろう。
「石丸さんから命のメッセージを頂いたのだと思います。
本当にシェイクスピアの魔法ですね。
その魔法の粉を石丸さんがわたし達に振りかけてくださったのです。
石丸さんの情熱に感動しました。
全力投球で語られるからこそ、わたし達の魂に多くの”ことば”が伝わってきたのだと思います。」
わたしは、わたしの仕事しかできない。
それ以外には、正しい根拠と責任を持てない限り、言及することも憚られる。
もし、わたしがわたしの仕事に於いて、魔法の粉を持っているとしたら、
そこにしか役に立つ希望がない。
盲滅法にでもいいから、ふりかけ続ける。全力で、そうし続ける。「言葉」を大切にして。伝え続ける。
今のところ、その希望は、わたし自身の喜びでもあるから、ひたすらに続けていこうと思う。ひたすらに、ひたむきに。愚直な人生でかまわないから。
ありがたい言葉を頂いて、わたしはそう自分に言い聞かせるしかない。

2015年2月 5日 (木)

マテ茶と小さな痛み。

エビータ=エバ・ペロンになる前。
まだエバ・ドゥアルテだった頃。
1人でブエノスアイレスに1人で出てきて、女優を目指していた頃。
エバが好んで飲んでいたマテ茶を、ずっと飲みながら仕事をしている。

エバは、好んで飲んでいたというより、
お金がなくてひもじくて飲んでいたのだ。
マテ茶は、空腹を忘れさせてくれる作用があるから。
気持ちを落ち着かせてくれる作用があるから。 
いつ見ても、マテ茶をすすっていたと、
多くの人が回想している。
政治的な情報操作があって、彼女の人生の実際は、
たくさんの証言の中に隠れてしまっているのだけれど、
マテ茶を飲んでいたエバは、確かに存在している。

さっき、打ち合わせの電話をしながら、
淹れたばかりのマテ茶をすすって、
口の中をやけどしてしまった。
痛い。ひりひりしている。
小さな痛みだけれど、ずっとわたしの口の中にいる。

今日は、この痛みとともに、仕事をしよう。
痛みを歓迎するのはおかしいけれど、
かつて烈しくそこにあった命に寄り添うには、
この小さな痛みがとてもありがたい。
 

 

1月31日

世界には、いつも喜びの生まれる反面、大きな過ちと痛みが溢れていて、
それだけでも喧しいのに、それを伝聞する人間たちが加わって、さらに姦しくなる。報道されることや伝聞することが錯綜しすぎていて、もとを辿れば「起こった因果、事実」というシンプルなことが、覆い隠されていて、怒りや嘆きも、向かうところを持たずに立ち消える。

目や、耳は、どこかに真実があるのだったら、それを求めている。
いや、それを求めるために、目や耳が進化したのではなかったか?
そうでなければ、五感を使って「我が身を守る」ことも「他者を守る」ことも、
「感動」することもできない。
「判別」し、「認識」して「意思表示」しても、大元の情報が歪んでいれば、世界は混乱するばかりだ。

この復讐だの悪だのの連鎖を、心ある人なら誰でも悲しみ悼み、止めるべきだと思うだろう。しかしながら、真実はどんどん複雑化して、手が届かなくなっていく。
戦後の日米関係、経済の流れは、痛恨の戦災を忘れて進路を取るのではないかと恐怖を抱かせる。
人として生きる尊厳が、危うい。
冒す方も。
冒される方も。

世の中が善だけで成立する訳がないことは、常に光と影の両極でバランスを保っていることは、大昔からわかっている。
でもそのバランスさえ、崩れそうではないか。

====

晴れやかで気持ちのいい日曜日の午後。
それなのに、暗澹たる気持ちが消えない。

先日、清瀬の織本病院でシェイクスピアを語る講演をしたのだが、
招いてくださった院長先生が、手紙を託してくださった。
聴いてくださった患者さんたちが、素敵な時間を過ごせたと、公演後仲良く賑やかに語り合ってくださったそうだ。
織本病院に入院して、通院して、よかったという声(もちろん誰しも病院にお世話になるのはうれしいことではないが)、そして、今生きる時間を大切にしようという声。
ともすれば悲観的になりがちな場所に、少しでも生き生きとした風を吹かせることができたのはうれしい。
ただ、一回を限りのことだ。そこに常に無力感が伴う。
でも院長先生は、救いの言葉をくださった。
きっと引用することを許してくださるだろう。

「石丸さんから命のメッセージを頂いたのだと思います。
本当にシェイクスピアの魔法ですね。
その魔法の粉を石丸さんがわたし達に振りかけてくださったのです。
石丸さんの情熱に感動しました。
全力投球で語られるからこそ、わたし達の魂に多くの”ことば”が伝わってきたのだと思います。」

わたしは、わたしの仕事しかできない。
それ以外には、正しい根拠と責任を持てない限り、言及することも憚られる。
もし、わたしがわたしの仕事に於いて、魔法の粉を持っているとしたら、
そこにしか役に立つ希望がない。
盲滅法にでもいいから、ふりかけ続ける。全力で、そうし続ける。「言葉」を大切にして。伝え続ける。
今のところ、その希望は、わたし自身の喜びでもあるから、ひたすらに続けていこうと思う。ひたすらに、ひたむきに。愚直な人生でかまわないから。

ありがたい言葉を頂いて、わたしはそう自分に言い聞かせるしかない。

1月22日

織本病院での講演会、実り多く、終了しました。

観客の半数以上が病院の患者さんという講演会で、
シェイクスピアの何を語るか、と、非常に悩んだ結果でしたが、
今回準備にかけた具体的な時間と、若い時からシェイクスピアを愛してきた長い時間が、本番は迷わず語らせてくれたと、感じています。

始まる前、病院のスタッフから、客電は落としますか?と聞かれて、
迷わず、明るくしてください、顔が見えるようにと申し上げました。
シェイクスピアに関して、とても専門的な内容になったのですが、
たくさんの人が、「わかる、わかる!」「ああ、面白い!」
そんな、顔、顔を、見ながらの時間になり、ありがたかった……。
ま、これはすべて、シェイクスピアが面白いからです。
講演の中でも言いましたが、
シェイクスピアの書いた戯曲が、世界を映す鏡だとしたら、
みんな、きっとどこかに映っているからです。

清瀬の病院は、最寄り駅からも遠くて、
都心からはかなり時間がかかるのですが、
知人が足をわざわざ運んでくださったことも、
大きな大きな喜びでした。
本当にありがたいと思いました。

世界を映す鏡である演劇のことを考え続けて、
また、今の様々な社会現象の中にいて、
また、自分の目の前に待っている仕事のことを考えて、
今回講演で話した、「時間」「成長」「老い」「気づき」
と言ったキーワードが、
いかに「希望」につながっていくのか、
たくさんの課題を抱えながら、帰ってきました。
作家としても、演出家としても。

公演後、織本病院の高木理事長先生が、
「とても重度の患者さんが、1時間の講演を全部聴けるかしら?と思っていたのに、最後までちゃんと聞いて、とても嬉しそうだった」
とわたしに伝えてくださいました。
会場を出る時、車椅子から、もう、にこにこして、
「ああ、楽しかった、こんなのは初めて見ました、ありがとう、ありがとう」
と、わたしの手を、長いこと、懸命に握ってくださる。
一度限りの出会いで、わたしはあの女性を助ける力は何もないけれど、
確かに、ふれあったと感じたのは、大きな力になりました。

誰だって、どこが限りか、終わりか、わからないこの人生。
一瞬一瞬の出会いが、すべて。
まさに、今日語った、マクベスの台詞。
苦いけれど、誰もが抱える、
人生という舞台に登場してきた者の持つ、
宿命。
そのあれこれ。

甘さと苦さの混じり合う中で。
高木先生に、「患者の皆さんは、今日、石丸さんに生きる力をもらいましたよ、元気をもらいましたよ」とおっしゃって頂き、演劇で出来ることの一部を、再確認したりもしました。
アカデミックなことを語っているはずなのに、わたし、汗だくだったなあ。
途中、汗が目にしみるほど、あごに垂れた汗を拭うほどで、
「ああ、わたしは女優には向いてないなあ」なんて思いながら、
結局、渾身の、1時間でした。

ああ、弛まず頑張ろう。
燃える女、石丸は、明日からも走りつづけます。

1月19日

今取りかかっている作品の手を止めて、一日、シェイクスピア漬け。
22日の織本病院での講演会にそなえて、考えをまとめているのだが、シェイクスピア全集をいったん広げてしまうと、常に発見があるので、なかなか作業を止められない。そろそろ休まなければ、と思うけれど、まだまだ向き合いたいと思ってしまう。
こうして、歳をとって、本当に勉強したいと思った時には、色んなところがくたびれている。でも、勉強するということの意味が、ようやくわかっているから、止められなくなる
動き続ける体動ける体を持ち続けたいから、出来る限り運動しようと思うし、この声がなければ仕事にならないから、発声練習も欠かせない。衰えを止めるだけじゃなくて、出来ればもっと育てたい。
人を愛するということも、相変わらず休まず続けているなあ。
人の「おかげ」で生きて来た分、お返しをしていかねばと思うが、お金に縁のない人生だから、愛情と今の仕事でお返しするしか能がない。
そして、何より、いい作品を創りたい。
どれもとても、時間がかかる。
……時間って何? 一生の問いだ。
若い時は若い時で、いっぱいいっぱいやってきたから、たとえ失敗の人生と呼ばれても、悔いるところがあまりない。要領はかなり悪かったかもしれないけれど、そういうところにこそ自分の本質があったりするので、悔いることもできない。
一列目の人生があれば、二列目の人生がある。
何列目であろうが、人生は人生だ。
ただただ、こうして走りつづけるしかないのだな、と思う夜。いや、もう朝か。
とりあえず、一瞬の風呂に浸かり、白い猫を抱いて寝よう。

1月14日

一日中、黙々と仕事。
素晴らしいペースで乗りに乗って、女神様が伴走してくれていたと思ったのに、
ほんのちょっとしたことで、
仕事が手につかなくなってしまう。
本当にささいなことなのに、女神様が消えてしまう。
止まってしまう。

この上なく魂の大きい人を描くための、時間を過ごしているというのに……。
自分の小ささに、どうにも厭気がさす。
いやはや情けない。
情けないぞ、わたし。

こういう時に、よく思い出す、レイモンド・カーヴァーの詩がある。

絵を描く時に必要なものを、ルノアールの手紙から引用した、箇条書きの詩だ。

パレットに必要な色や画材を並べたあとで、
最後に、この三行が出てくる。

  キャンパス以外のすべてのものを無視すること
  機関車のように仕事をする才能 
  鉄の意志

この三行。

カーヴァーは、魂はでっかいけれど、
弱い人だった。
30代はほぼ、アルコール中毒の自分と闘っていて、
弱い自分に向き合っている。

彼のバイオグラフィーを眺めていると、
少しほっとする。
カーヴァーの遺した作品が素晴らしいから、大好きだから、
申し訳ないけれど、少しほっとする。
あまり自分を責めすぎることもない、と。

でも、欲しい、三つの、絵を描く時に必要なものが。
それも、誰より強靱なのが、ほしい。

1月10日

昨日は、生涯忘れられないような観劇体験をした。
文学座アトリエ公演「リア王」、江守徹さんの演じる、リア。

江守さんをはじめて観たのは、東横劇場でのハムレット。
わたしが東京に出てきた年。もう、35年も前のこと。
あれから江守さんのファンになったわたしは、何本も出演作を観てきた。
でも、脳梗塞から立ち直られてからは、リアがはじめてだった。

俳優として、自らの過去を脱ぎ捨て、自らの現在で演じること。
そこに、全く新しいリアリティー、新しいリアの魅力、新しい解釈、新しい感動が生まれるということ。
リアが老いと出会うこと、俳優が老いと出会うこと。

リアが此岸と彼岸を行き来する時には、今を限りにしか出会えないリアと江守さんに、息もできなかった。
これまで、シェイクスピアシアターの今は亡き名優、河上恭徳さん、
蜷川カンパニー公演で演出助手としてご一緒した、平幹二朗さん、
素晴らしいリアと出会ってきた。
その過去の感動と全く違うところから、
江守さんのリアの感動はやってきた。

リア独特の癇癪も、嵐に向けて怒号する声も、昨日のリアにはない。
老いて現在を生きる人の、とある一筋のリアリティーがある。
バイタリティーを持って権力を生きてきた人が、老いてからの、崩れ、そのもの。
狂気は、常軌を逸することではなく、
在るべき姿が損なわれること、正体が失われること、で表現される。

老いが、迫る。
深い悲しみが、人の世の摂理の痛ましさが、胸に迫る。

新しいリアへの感動とともに、
今、リアを演じてくださった江守さんへの、敬意と感謝が募る。

高橋広司さん演じられたオールバニ公の最後の台詞が、こんなに深々と、重々しく、聞こえたことはない。
「この悲しい時代の重荷に耐えていくほかあるまい。
 感ずるままを語り合おう、儀礼のことばは口に出すまい。
 もっとも年老いたかたがたがもっとも苦しみに耐えた。
 若いわれわれにはこれほどの苦しみ、たえてあるまい。」(小田島雄志訳)

====

終演後、演出家の井上思さんとロビーで一緒になった。
思さんが江守さんに挨拶に行かれるというので、
江守さんと仕事をご一緒したことのないわたしは外で待っていようと思ったのだが、思さんが手招きしてわたしを呼び、
「蜷川さんのところでずっと演出助手をしていた石丸です。今は自分ですごく頑張って、作ってるんですよ。」と紹介してくださった。
ありがたかった。
感動と感謝、このふたつを、目を見てお伝えすることができた。

興奮冷めやらぬまま、
思さんと、お酒を呑みながら、たくさん演劇の話をした。
江守さんに紹介してくださった御礼を申し上げたら、
「江守さんは熱い人だからねえ、演劇が大好きな人だからねえ、石丸みたいな奴が大好きだと思ったからねえ。」と。
上演中から、終演後まで、何度も何度も目が熱くなって、
これからを、今のわたしで、生き抜く力を、何度ももらった。

演劇だけで生きてきたことに、感謝し、
これからも演劇だけで生きていくだろうということに、
誇りと責任を感じる夜だった。

1月7日

水が好きだ。
ゆったりした川が海に流れ込む辺りで育ったからか。
山と緑の誘惑より、海と青の誘惑に弱い。
西宮の劇場から姫路の実家を目指す途中、明石海峡大橋のたもとに宿をとり、瀬戸内の海を楽しんだ。
波の音、空の青海の青、その交わりの一直線、波光の燦めき、頬を撫で、コートを揺らす風。
この島を出て世界へ繋がる想像に、万有引力と波の神秘、宇宙の中にいる実感。

体や心が乱れた時に、部屋にこもって仕事に打ち込む時に、
稽古場の7メートル四方くらいに詰まった時に、
海を前にしている、この時のような気持ちなれたらと、ぼんやり思う。
母と父を思う。
自分の来し方を思う。
体調を崩している知人を思う。
海の向こうに思い描いている仕事を思う。

でも、実は、海にいる時は何も思っていなくて、
そこを離れてから、
自分の五感から遠くなってしまった海の記憶を頼りに、
現実と渡りあっていこうとしているのだ。

12月17日

俳優塾にて、今月から、月一回のシェイクスピア群読会を始めました。
みんな、月に一作、シェイクスピア作品を手に入れ、読み込み、本番さながらの
熱量と集中力でもって、全員で順番に読んでいくのです。
自分の現在を飛び越えるくらいの気概で臨まなければ、とても読み切れません。
第一回は、「ハムレット」。最初から大変なものを選んでしまったけれど、
実に楽しく、実に熱く、実に勉強になる時間でした。
わたしは19歳の時に、37本全部読んだのですが、この歳になって、上演予定のないシェイクスピア作品を一ヶ月に一本、しっかり音読するのは、自分にとっても素晴らしい試みだと感じました。
俳優塾は今年で6年目を終えようとしていますが、ちょうど10年目の節目を迎える頃には、37本全作品読んでいることになります。
それまでに、わたしはどれだけの俳優を、どんな風に育てられるだろう?
ああ、もっともっと導き手としても成長したい!
いや、熱意を持って稽古場を開き続ける限り、毎日が勉強なので、
この先の自分が楽しみでもあります。

先日の1週間限定のワークショップは、実に実り深いものになりました。
たった1週間なのに、自分の課題に向き合い、ひょいと超えてしまった人もいます。もちろん、それがスタートだったりするわけですが、実に実に、発見の多い稽古場でした。
新しい人と出会うのは、勇気もエネルギーも、かなり要ることで、なかなか
腰をあげにくいのですが(俳優塾だけでもすごいエネルギーなので。)、参加してくれた俳優たちの懸命に立ち向かう姿、稽古後のほころんだ顔を見ていると、よし、またやろう!と思ったりできるのでした。

さてさて。
そして、27日の忘年公演。

夜毎、準備をしております。
仕事を終えて、朝に近い時間になって寝室に移動します。
前もってエアコンをかけておけばよかったと、その寒さに、いつも悔いるのですが、学習できずにいます。
長年、電気毛布がないと眠れなかったわたしですが、
このところの低体温症を克服すべく、今年は使わないことに決めました。
それを知ってか知らずか、
愛猫風が、毎晩布団に入って寝てくれます。
小さな動物一匹の体の温もりに、毎日、ありがたみと喜びでいっぱいになります。
この冬は、この真っ白シロすけのおかげで乗り切れそうです。

12月16日

来たる12月27日(土)に開催する、
Theatre Polyphonic忘年公演の詳細を決定いたしました!
ワークショップを終えてから、
奇跡のように、連鎖しあうテキストたちが浮上して、
ひたすらキーボードを叩き続けておりました。

たかだか忘年会の余興のつもりで考え始めたことが、
このところのわたしの仕事の集大成のような内容になりそうです。

あまりに浮き浮きする内容なので、
大胆にも、当日のお品書きをすべて公開します。
席数が限られています。
是非是非、早めにご連絡ください。
忘れられない、美しい夜になりそうなのです。

*「時」のアンソロジー *

1 Biographies(石丸さち子 新作)
2 わがタイプライターの物語(ポール・オースター作 より)
3 武蔵丸(車谷長吉作 より)
4 かき(チェーホフ作 より)
5 ペール・ギュント(イプセン作 より)
6 スペシャルミニライブ(新曲あり!?)

すべての作品が、「時」をテーマに、鏡像のようにつながっていきます。

出演は、Theatre Polyphonic公演に参加してくれた俳優たち。
   野口卓磨(悪魔の絵本)
   佐伯静香(悪魔の絵本)(ペール・ギュント)
   難波真奈美(悪魔の絵本)(三人姉妹)
   堀文明 (三人姉妹)
   河内大和 (三人姉妹)
   小栗剛 (三人姉妹)
   渡辺樹里(三人姉妹)
   一色洋平(ペール・ギュント)
   瀬戸宏一(ペール・ギュント)
   伊藤靖浩(三人姉妹)(Color of Life)(タールピット)
   石丸さち子(ペール・ギュント)

さて、どんなキャスティングでお届けするのか!?
あの「ペール・ギュント」も帰ってきます!
どうぞご期待ください!!

12月3日

新国立劇場にて、ニック・ペイン作「星ノ数ホド」初日。
生きるということにまつわる、偶然と必然の巻き起こす奇跡の話。
マクロの世界とミクロの世界で、人生が読み替えられる話。
目の前の愛する人と自分の話。
宇宙に棲息する、心のある生き物の話。
ここにある時間と、永遠の話。
……このところ、「時間」の謎を解くことに懸命なわたしには、出会って喜ばしい芝居だった。
それにしても、俳優は実にタフなことを課せられている。
心と体を、時間の迷路に投げ込みながらも、
毎日違う自分、そして違う観客とともに、
過去現在未來を順番に体験していく、一般的な時間を生きるのだから。
鈴木杏。好演。自分の現在を開いてアンテナを広げられるだけ広げている感じ。
出会った時、杏ちゃんは中学生で、すでに女優だった。
それから流れた月日という、一般的な時間の概念の中で、ずぶずぶと深く杏ちゃんに愛情を感じながら、
「心から応援する!」気持ちでいっぱい。

11月23日

12月7日から13日まで、俳優のための集中レッスンを開く予定だ。

その期間は私塾休みなんですか?と新しい私塾メンバーから質問が来る。
いやいや、やります。昼は私塾、夕刻より集中ワークショップなのだと答える。
出会うのにも、稽古にも、相当のエネルギーがいる。
なぜこうまでして、わたしは俳優と出会おうとするのか?と、我ながら疑問に思うことがある。

昨日は印象的だった。
7月以来の秩父市民ミュージカルレッスンへ。
すべてを任されて立ち上げたのが2006年。
11月だからちょうど8年。
5年間、すべてを取り仕切って、たくさんの幸福な公演を経て、
第一期メンバー解散の時期を迎えた。
第二期に入ってからは、中心メンバーに進行を任せた。
と同時に、わたしもどんどん忙しくなっていった。
しばらく行かない時間が続くと、
「レッスンも誰かほかの人に任せてしまった方がよいのではないか?」
と思い始めたりする。
時間も体力も、限界があるからだ。

でも、久しぶりに行ってみると、
そこにわたしを必要として待ってくれている笑顔に、あっさり負けてしまう。
ああ、「わたしが行かなきゃ」と、またまた思ってしまうわけだ。

過去3回の「呼吸と声のワークショップ」では、
たかだか1週間の出会いなのに、深々とした信頼関係がたくさん育ち始めている。
不思議なことだ。
わたしは自己評価が低い人間なのだが、
稽古に出てくれた俳優たちが、わたしの稽古場を芯から喜んでくれる姿に、
いつも、「またやろう!」に戻ってくる。

人との出会いに思いを馳せる時、ふたつの詩をいつも思い出す。

◎谷川俊太郎さんの「午前二時のサイレント映画」の一節。
  人はたったひとつの自分の一生を生きることしが出来なくて
  あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる
  でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ
  それがドタバタ喜劇にすぎなかったとしても

◎レイモンド・カーヴァーの「ひっかき傷」
  目がさめたら、目の上に
  血がついていた。おでこの途中から
  ひっかき傷ができている。でも、
  わたしはこのごろ一人で寝ている。
  自分に爪を立てるようなやつがいるだろうか?
  いくら眠っているときでも。
  今朝からずっと、この疑問に悩んでいる。
  窓ガラスに顔を映してみながら。

出会っても、別れても、
どんなに頑張っても、どんなに愛しても、
自分は自分で、他人にたかだかひっかき傷をつけるくらいしか出来ない。
でも、カーヴァーの描くひっかき傷の、ひりひりとした痛みはどうだろう? 
この詩の男は、由ないひっかき傷のついた己の顔を、ずっと窓ガラスに映しているのだ。ひっかき傷のない自分ではなく、ひっかき傷のある自分を見つめ続けているのだ。

1週間の出会いなんて、ほんのちょっとしたひっかき傷に過ぎない。
でも、そのひっかき方こそが、わたしである。

誰しも、人には気づかれないような、
ひりひりする痛みを抱え続けて、日々を生きている。
痛みなんて何もないふりをしながら。
それぞれのひっかき傷を抱えて、
すぐにはわかりあえるはずもないし、
恐らく永遠にわかりあったりできないのに、
出会う。
わたしは、出会う時、そこに演劇があれば、勇気が出る。
きっと大事なものをお渡しできると信じている。

今年最後の出会い。
さて、どんな人がこの出会いに志願してくれるのか、楽しみでならない。

こちらに詳細があります。
http://polypho.com/2014/WS_2014_12.html

11月15日

何ごとも、身を持って体験しないとわからない。

今日、前歯の治療をした。いつかはやらねばと思っていたことだった。
仮の歯を支えるために、三本の歯にかかるように、前と後ろからセメントで固められる形になった。
帰り道、「まずいな」と思った。
明日、2時間ほど本を朗読する仕事が入っている。
発声にかなり影響しそうだ、と。

家に帰って試しに声を出してみると、影響どころではなかった。
歯の付け根から硬口蓋の付け根は、舌先とともに、かなりたくさんの子音を作る場所だ。まず、その形が変わってしまった、しかも左右アンバランス。
さらに、前歯と前歯の間がふさがれてしまって、自然に歯からの抜ける息を使っていた子音が、今までのように出せない。
そして。歯が3本も固められているので、その部分の共鳴が全くなくなってしまったのだ。

発声を教えている身でありながら、ここまでのこととは思わなかった。
明日は日曜日だから、もう歯医者に元に戻してくれとは頼めない。
この状態で、明日を乗りきる声の出し方を見つけるしかない。

大きなストレスを感じつつも、
さっきからいろいろ実験をしている。
これで発見することがあるかもしれない。

見た目はさほど気にならないし。
治療の前に、歯医者さんに相談した時は大丈夫ですと保証された。
でもね、考えてみれば歯医者さんが知っている発声理論は、わたしたち声を使う仕事をする者たちの認識には至らないだろう。
そして、普通の人なら、いつものわたしの声と変わらないと思うに違いない。

それはわかっているのだが。

うん。
大きな損傷でもないし、本当にささやかなことなのだ。
でも、このささやかなところが、個体差の声を産み、表現が自分と結びつくのだ。

よし。仕方ない。
明日は、この状態での新しい発声法を、一気に開拓してやろう。

声が生まれる場所への認識を、思いがけず深める出来事だった。

11月10日

一の酉、花園神社へ。
「大入 叶」
を願って、ここ4年、毎年少しずつバージョンアップする熊手。
凄い人手で、お参りするにも大変な行列。
でも、一年に一度のことだから。

お正月とか、誕生日とか、お酉さまとか、
ほかにも、たくさんの記念日、お祭り、そして、冠婚葬祭。
一年の間に、
「さあ、ここから一年頑張ろう!」
「よしっ、生きてるぞ!」
と思える時を、たくさん過ごしている。

熊手を抱いて。
幾つになっても、未来に向けて、意気揚々としていよう。

11月8日

9月の半ばから資料を読んで、10月半ばに第一稿をあげて。
10月後半をかけて第二稿をあげて、
さらに打ち合わせをふまえて、育ててきた作品。
今日、最終稿があがった。

書き上がって、ほっとして、
母の誕生日なので、実家に電話をした。
わたしの声を聴くだけで幸せになってしまう、母の喜ぶ声が耳に優しい。

ほのかにじんわり幸せな、日曜の午後になった。

11月4日

ろくでもなく、切なく、情けない、一日だった。
同居人が見かねて作ってくれた料理と赤ワインで心を鎮めて、
「ブルージャスミン」を観た。
久しぶりのウディ・アレンに心酔。
あまりに苦く滑稽な展開に、思いがけないどんでん返し。
まったく救いがないのに、見終わって、満たされた。
素晴らしいバランスとリアリティーのある配役で、
「欲望という名の電車」を見終えたような感じ。
見終わって呆然。後に。作品の描いた生きる痛みと、クリエイターたちへの敬意が混じり合って、複雑怪奇な心理状態に陥る。
78歳であのストーリーを書き、撮ったウディ・アレンに、皮肉ながら希望を貰う。
ケイト・ブランシェットが素晴らしい。
でも、わたしの心中は、やっぱり嵐のまま、明日へ。

10月25日

外に出れば、喜ばしいことがある。
外に出れば、腸の煮えくりかえることがある。
人こそが幸福の源で、
人こそが脅威の素。
当たり前のこと。
今日も当たり前の一日を過ごした。
人生は甘い。
人生は甘くない。
人生は長い。
人生は長くない。

かつて確かにこの世を生きて、今は亡き人のことを書くのは、
真面目に向き合うと、けっこう大変で、なかなか書き出せなかった。
今夜もバリバリ書くつもりが、一向に書く気にならないので、
映画を一本観た。
観たら朝になってしまった。
でも、次に目覚めた時から書けそうな気が、仄かにしている。
わたしの夜とわたしの朝を、眠りで区切ろう。

10月18日

夕方から、感動的に美しく美味しいフランス料理を、洗練されたサービスの中いただいて、瞬く間に過ぎ去る時間に酔い。
22時から、駆けつけてくれた人々と、お店を借り切っての大誕生日パーティー。
素晴らしすぎて、もう、言葉もない。
短い時間だったけれど、みんな喜んでそこにいてくれて、
笑顔がたくさんあって、息が詰まるような幸せな時間。

一年、また一年と、生きている喜びが増していく。
そして、さらに残ってくれた人たちと、朝までの宴会。
何もかもが、うれしかった。素晴らしかった。

頂いたお花を水につけて、
たくさんのプレゼントに囲まれて、
みんながわたしに向けてくれた笑顔を思いながら、
今日は喜びの中で眠ろう。
「ありがとう」しか、言葉がない。
明日から、それに見合うように、また暮らしていこう。

わたしは幸せだ。

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