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2015年4月

2015年4月24日 (金)

追いかけたい背中、名取さん。

仕事ばっかりしてて、公演後の資料整理も部屋の片付けも追いつかず、
何やら私生活が堕落の一途を辿っていた。
美しい仕事のためにも美しい生活を!と、
今日やろうと思っていたことを全て個人的にキャンセルして、一日中家の大掃除。
やり終えて、満足。
必要だな、整理って。
淹れたお茶まで美味しく感じる。
写真は、先日、三越劇場で「居酒屋お夏」主演中の名取裕子さんにお会いした時のもの。
胸のすく思いを、何度も味わわせて頂いた。
人情ものをやるのに、本当にぴったりの女優でいらっしゃる。
だって、名取さんのお人柄に直接ふれて、どれだけかさりげなく人情深くって、粋な人か、わたしはよく知っている。
口は悪いが深情けっていう役柄がぴたりとはまる。
楽屋で、長話をさせて頂いた。
今年一月に初演した、拙作「女優」が年内に再演できるかもしれないので、松井須磨子を語ったり、女優という因果な商売について語ったり。
ああ、この人の背中、見て走りたい!と思わせてくれる方の一人。
おおらかで明るくって優しくって、もう、褒め言葉しか出てこない。
強い方だなあ、と、思う。
次に仕事でご一緒できるのはいつだろう。
あんな役でこんなシーンはどうだろう、と、また新しい作品に向けて頭がいっぱいになる。

2015年4月23日 (木)

母の愛情。

ペール・ギュント以来わたしを演劇の母と呼ぶ、一色洋平出演の「小林一茶」を観にいく。しっかり仕事をしていて、笑顔で劇場を出てきた。親子で夜の珈琲を飲み、ちょこっと未来を語る。
井上先生の芝居では、必ず、どきっとした後しばらく囚われの身になるような言葉と出会う。今日は、「一座」という言葉だった。
荘田由紀さんも魅力的だったなあ。
ずっと昔、鳳蘭さんとご一緒した時、まだ少女だった彼女に会っている。
素晴らしい成長ぶりに驚き、ツレさんそっくりに見えることがあってドキドキ。
昨日観た「セールスマンの死」で描かれた、親と子の不幸が、どんと心に響いていて、両親のことをすごく考える。
わたしが東京に出て行きたいと両親に告げた時、母は大反対だった。
理由は、寂しくなるから。わたしがそばにいなくなることが考えられないから。
そして、母が手放しで、天井を向いて、大泣きするのを、初めて見た。
あまりの烈しい泣き方に、母が母ではなく、一人の女性だということに、はじめて気がついた。父は途方に暮れて、「いきなりなんや。ママ、びっくりしてもたやろ……」とわたしに困った顔を見せては、母を慰めていた。父が、母と愛し合っている男性なのだと、ようやく気がついた。
今考えてみれば、気づくのがずいぶん遅い。
それだけ、愛情に恵まれたいたのだと思う。
そして、母は、わたしがいなくなることを、ゆっくり時間をかけて納得してくれた。きっと、父とたくさん話をしたのだろう。きっとわたしのことをたくさん考えてくれたのだろう。
東京に出てきてからは、わたしの仕事に反対をしたことは一切ない。
これだけ不安定な世界にいるのに、ずっとわたしを自慢に思ってくれてきた。
先日、病院でシェイクスピアを語る講演会をした時、病気の母のそばにはちっともいてあげずに、人の役に立とうする自分にちょっと疑問を抱いたけれど、
病気と闘う方たちに喜んでいただけた報告をすると、母はまた、「そういう娘を持ったママは本当に幸せ」と、喜んでくれるのだ。
わたしは、今夜は、いろいろあって、とても寂しい夜なのだけれど、
あの時の母の寂しさを思えば、なんてことはないな、と。
偉大な母の愛情に支えられている。こうして離れていても。

2015年4月22日 (水)

「セールスマンの死」

ダスティン・ホフマンのウィリー・ローマンと、ジョン・マルコビッチのビフで、「セールスマンの死」を観る。
彼らの演技、彼らの演じるウィリーとビフ以外にしばらく想像がつかなくなってしまうくらいに、濃厚な芝居。
ダスティン・ホフマンは47歳くらいで60代のウィリーを演じている。最初から全身で作りこんでいるのに、あっという間にウィリーとして存在し始める。
彼が演じている時に、彼我の境目はどこにあるのか?
役作りについて聞いてみたいことが山ほどある。
テネシー・ウィリアムズの短篇も、一気に再読したりして、なんだか一日中アメリカに向き合った。
そして、アメリカでの仕事への模索も、ずっと続いている。
深夜になると、ちょうど向こうのビジネスタイムにあたるので、
NYで"Color of Life"を作った時に関係していた稽古場やら演劇関係者から、どんどんDMが届く。おかげで、そこで新作を作ったこと、これからも作るのだということを、忘れずにいられる。
困難なことがないと言えば嘘になるが、
働くことが今はこんなに楽しい。
18歳で東京に出た時から、ずっと自由に、愛する方向に目を向けたまま暮らしてきた。それを許してくれた両親に、ひたすらに感謝したい。
「セールスマンの死」を観た後で、そう、しみじみ思う。

2015年4月21日 (火)

演劇だから。

演劇では難しいよね、と言う前に、
演劇だから何でもできるよね、と思いたい。
予算がないから厳しいよね、と言う前に、
予算がなくても演劇ならできるよね、と思いたい。

2015年4月19日 (日)

ネクストシアターを観たあとに。

ネクストシアターの「リチャード二世」を観てきた。
舞台の上に、今そこに生きている蜷川さんの姿が見える。
今を生きる俳優たちが、俄然成長した姿も見える。
そして、たくさんの亡霊が見える。
かつて在った魂、かつて在った時間が、寄り集まってきている磁場。
もともと「リチャード二世」は、シェイクスピアの中でも特に好きなものだ。でも、難しい戯曲だと思っていた。
意表をつく、あるいはどこまでも蜷川さんらしい、素晴らしい演出だった。
さらには、俳優として7年、演出助手として17年、
蜷川さんのそばで暮らしたわたしの、
私的な感想、私的な感傷、私的な思い入れがあまりに烈しくて、
楽屋で久しぶりに会った蜷川さんに、
何もうまく伝えられなかった。
でも、目と目をあわせている短い時間で、
もしかしたら、伝えられたかもしれない。
握手をして別れた。
かつて、初日の幕を開けるたびに、そうしたように。
握手して。
わたしが初めて蜷川演出に出演したのは、1986年、
清水邦夫さんの「タンゴ・冬の終わりに」だった。
ラ・クンパルシータが流れると、あの、はじまりの舞台を
思い出さずにはいられない。
こんなシーンがあった。
平幹二朗さん演じる清村盛が、名取裕子さん演じる名和水尾に言う。
盛  「よし、握手しよう。」
水尾 「握手!?」
盛  「そう、握手……別に意味もなく……そうすれば、別にことばなんかなくても、ぼくの青春がうまくきみのなかに流れこみ、しみ通っていくかも知れない……なんの芝居のセリフだろう……いやいやそんなことはどうでもいい、さあ、握手だ。」
握手は、それ以来わたしにとって、ことばがなくても、手から手へ、お互いの青春がしみ通りあうかもしれない、儀式めいたものになった。
蜷川さんに会っていなければ、今のわたしはない。
わたしは、蜷川さんに青春のすべてを捧げてきたし、
蜷川さんの青春を全身にしみ通らせて、ここにいる。
酸素吸入器と車椅子の様子を写真で見るのが辛かったけれど、
舞台を見ると、そこには蜷川さんの青春と生命力が溢れていた。
楽屋でも、いつにもまして朗らかだった。
とても幸せな夜だし、
たくさんの交わした時間を誇りに思って、
次に進もうと思う。
もっと走りたいと思う。

2015年4月 8日 (水)

書くということ。

33歳でこの世を去った松井須磨子、
33歳でこの世を去ったエバ・ペロン、
昨年10月から書いたこの二作。
どういう因縁か、
33年しか生きなかった、
33年でどれだけか生きた、
重すぎる魂に、この半年寄り添ってきた。
この肩の重荷を下ろすには、
また新しい物語に埋没すること。
新しい鎮魂歌に身をひたすこと。
雨が降っている。だから、
「雨が降っている。」
と、宇野千代さんのように書き続けられれば、幸せ。
「希望もなく、絶望もなく、わたしは毎日少しずつ書きます」
という言葉は、アイザック・ディネーセンのもので、
「書くということは、書かないということもふくめて、わたしの運命だ」
とは、金井美恵子の小説の中の一文。
因果なことほど楽しくて、苦しい。

2015年4月 7日 (火)

三津五郎さんを偲ぶ会。

故坂東三津五郎さんが八十助さんだった時代に、「近松心中物語」で、長い長い間、お仕事をご一緒させて頂いた。
たくさんの人を愛した、芸を愛した、大きな大きな魂の行方を思って、胸が詰まる日々が続き、その喪失感はちょうど作っていた「サンタ・エビータ」にも映り込んだ。
3月28日、もと番頭さん山田眞理さんや、出演者太田知子さん、大石継太さんらの尽力で、素晴らしい会が開かれた。
三津五郎さんがずっとやりたいとおっしゃっていた、近松同窓会。
きっと、一緒にそこにいてくれた、と思える、懐かしい懐かしい時間だった。
懐かしい。かつてわたしがいた場所。
蜷川組の演出助手がランニングで舞台についたら、毎回公演をすべて観るのが仕事。
わたしはギネスに載るくらい、「近松心中物語」を観た。
八十助忠兵衛と出会い続けた。
長きにわたって、芸を愛すること、生きることを愛すること、たくさん教えて頂いた。
一度だけ、二人っきりでお食事に連れていってくださったことがある。
美味しい日本料理を頂きながら、真面目であることと不真面目であることの両方の素敵さを話した。わたしの将来に、たくさん力をもらった。八十さんの笑顔は、柔らかくって最高だった。
芯から心から芸に取り組まれる一方、ふざけたことや女の子(おねえちゃん)が大好きだったなあ。
こんなことがあった。
演出助手は、何か問題があると色んな楽屋から呼びだしがかかる。
「八十さんが急用!」と呼び出されて、急いで楽屋に行ったら、
「石丸、この間、風呂上がりに頭にバスタオル巻いて出てきただろ? あれ、どうやって巻いてたの?」と。
……「は?」
「こんど、終演後のイベントで、風呂上がりみたいに巻いて出たいんだよ」
(誤解を招きそうなので言っておくと、八十さんは、打ち上げとか中日祝いとか、みんなが人目と時間を気にせず飲んで騒げるように、よくホテルの一部屋を貸し切ってくださったのだ。その時に、わたしが風呂上がり、ロングヘアーをバスタオルに巻き付けて出てきたというわけだ)
かくして、「近松」のアフターイベントで、八十さんは頭にバスタオルを巻き、バスローブで登場。
わたしは、何の因果か、八十さん至上命令によって、猿の全身着ぐるみを着て、舞台に登場した。しょうがないから、ノリノリで「ウッキー!」って言いながら舞台を横切った記憶がある。
舞台に取り組む真摯な姿勢に加えて、そんな小さな思い出がいっぱいいっぱい、こみあげてくる。
端正で、濁りのない清々しい舞台姿だった。
ご一緒できた縁と、頂いたもの沢山に感謝して、
生きてる限り、同じ舞台の道で精進しようと思う。

2015年4月 1日 (水)

サンタ・エビータ 終演。

「サンタ・エビータ」に詰め込んだ思いが、一昨日、劇場の闇の中に消えてしまった。想像していた通りの喪失感とともに一日を過ごして、今日から再始動。
いつもは、終演後、自作について語ることもあるのだけれど、今回は一切しないつもりだ。だって、あの、永い眠りに消えていった魂は、いつまたどこで蘇るかわからないのだもの。
劇場で、わたしに笑顔で感動を伝えてくださった皆様、
零れる言葉で伝えてくださった方々、
握手して分け合った方もいれば、
溢れる涙で伝えてくださった方。
わたしにまで手紙をくださった方。
ブラボーをくださった先輩。
泣きはらした目の若き男子。
かっこよさに骨抜きになった男子。
エビータ熱に感染した女子。
あらゆるお客様に愛された芝居だった。
……心から感謝します。
終演後、水さんのファンから、素晴らしい贈り物が届いた。
水さん、今井さん、バンドネオンの渡辺さん、わたしの分と、四人への、思いのこもった手作りだった。
額縁の中に、「サンタ・エビータ」が閉じ込められていた。
エビータの生きた時間とともに、わたしをこれから力づけてくれる宝物になるだろう。

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