オペラのあとに。
岩田達宗演出 小劇場演劇的オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を、牛込箪笥区民ホールにて。
ピアノ一台ながら、指揮者とともに、耳の想像力でたくさんの楽器の音色を味わいながら、PAなしで、小さいホール空間にまわった声を浴びるように聞くオペラ。
心地よく、心揺さぶられる時間。
岩田氏とは、30年前「タンゴ・冬の終わり」の群衆出演で知り合い、それ以来、身も心も沸騰するような時間を共有した、大事な盟友。
今や、日本のオペラ界を代表する演出家ですが。
だからこそ、彼が演出する、今日のようなプロダクションは、美しい。
劇場を出て、たまたま町内の地図を見て、島村抱月と松井須磨子の芸術座跡にほど近いと気づく。
「女優」執筆の時、何度も写真と地図を眺めたその場所に、ようやく立ってみる。
跡形もない。幾つかのアパートと個人宅、そして路地。
でも、ここが二人の夢の場所であり、ここで抱月は病に倒れ、ここで須磨子は自ら縊死を選んだ。確かに、かつて、この場所で、と、しばらく立っていた。
今、そこに立っても、眺めても、その場所から感じるものなど何もなかった。
ただ、時のはかなさを感じただけだった。
はかない、という言葉に、果敢ない、という漢字をあてたくなる気持。
何も残っていないからこそ、わたしは「女優」を書いてよかった。
人が幸せだったか不幸せだったか、他人が決めることではない。
その二元論で語るのもどうかと思われる。
でも、恐らく、生きる幸せの素である、「自由」について考えながら帰る。
抱月と、須磨子の、選び取った「自由」について。
帰宅して、大きな地震。
家に一人いて、しばし怖い思いをして、のち、ソワレ公演のある劇場の対応が気になる。(土曜の夜だから、どこの劇場も上演中だっただろう。)
長らくこの仕事をしてきたから、劇場の危険、劇場で起こりうることはよく知っている。この先をちょっと不安に思う。
本番ランニング中の劇場のガイドラインはもっと徹底されるべきだろうし、劇場のなんたるかを知らないで本番をまわしている若い舞台監督には、経験値のある諸先輩から学ぶ機会があってほしい。
そしてもちろん、これから7月、8月、10月にやってくる自分の公演も。
シェアハウスする一軒家は、揺れた時間の記憶があると、一人きりでいるとひどく淋しい。
果敢ないものと知りつつ、今を積み重ねるしかないのだが、
今夜はどうも、気持が落ち着かない。
これまで構想を練ってきた10月公演の台本に、
明日から着手する、と決めているものだから、
ちょっと緊張しているのかもしれない。