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2015年5月

2015年5月31日 (日)

オペラのあとに。

岩田達宗演出 小劇場演劇的オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を、牛込箪笥区民ホールにて。
ピアノ一台ながら、指揮者とともに、耳の想像力でたくさんの楽器の音色を味わいながら、PAなしで、小さいホール空間にまわった声を浴びるように聞くオペラ。
心地よく、心揺さぶられる時間。
岩田氏とは、30年前「タンゴ・冬の終わり」の群衆出演で知り合い、それ以来、身も心も沸騰するような時間を共有した、大事な盟友。
今や、日本のオペラ界を代表する演出家ですが。
だからこそ、彼が演出する、今日のようなプロダクションは、美しい。
劇場を出て、たまたま町内の地図を見て、島村抱月と松井須磨子の芸術座跡にほど近いと気づく。
「女優」執筆の時、何度も写真と地図を眺めたその場所に、ようやく立ってみる。
跡形もない。幾つかのアパートと個人宅、そして路地。
でも、ここが二人の夢の場所であり、ここで抱月は病に倒れ、ここで須磨子は自ら縊死を選んだ。確かに、かつて、この場所で、と、しばらく立っていた。
今、そこに立っても、眺めても、その場所から感じるものなど何もなかった。
ただ、時のはかなさを感じただけだった。
はかない、という言葉に、果敢ない、という漢字をあてたくなる気持。
何も残っていないからこそ、わたしは「女優」を書いてよかった。
人が幸せだったか不幸せだったか、他人が決めることではない。
その二元論で語るのもどうかと思われる。
でも、恐らく、生きる幸せの素である、「自由」について考えながら帰る。
抱月と、須磨子の、選び取った「自由」について。
帰宅して、大きな地震。
家に一人いて、しばし怖い思いをして、のち、ソワレ公演のある劇場の対応が気になる。(土曜の夜だから、どこの劇場も上演中だっただろう。)
長らくこの仕事をしてきたから、劇場の危険、劇場で起こりうることはよく知っている。この先をちょっと不安に思う。
本番ランニング中の劇場のガイドラインはもっと徹底されるべきだろうし、劇場のなんたるかを知らないで本番をまわしている若い舞台監督には、経験値のある諸先輩から学ぶ機会があってほしい。
そしてもちろん、これから7月、8月、10月にやってくる自分の公演も。
シェアハウスする一軒家は、揺れた時間の記憶があると、一人きりでいるとひどく淋しい。
果敢ないものと知りつつ、今を積み重ねるしかないのだが、
今夜はどうも、気持が落ち着かない。
これまで構想を練ってきた10月公演の台本に、
明日から着手する、と決めているものだから、
ちょっと緊張しているのかもしれない。

2015年5月19日 (火)

追悼。車谷長吉さん。

車谷長吉さんの訃報を知った。
突然過ぎて、しばし呆けてしまった。
報道によると、喉に食べ物を詰まらせて倒れておられたと言う。
車谷さん。長吉さん。
わたしは何の面識もないのに、名前を呼びたくなる。
「赤目四十八瀧心中未遂」に心奪われてから、ほぼ全作読んでいる。
わたしの生まれ育った姫路市広畑区の、隣の隣の町、目と鼻の先の飾磨区の生まれだった。
世の中に毒づき、自分を卑下する視線、そしてその吐露する言葉がまさに、汚い播州弁そのもので、わたしは自分の毒を飲むように、彼の長篇短篇を愛した。
独特の詩情、独特の死生観に、わたしは烈しく共振していた。
30代前半、わたしは人間不信に陥らざるを得ない事件に遭遇して、しばらく部屋に閉じこもった。その間、車谷さんの本ばかり読んでいた。
今から思えば、毒を以て毒を制しようとしていたのか、とも思う。
昨年のTheatre Polyphonic忘年会リーディングでは、
愛する短篇「武蔵丸」を、堀文明さん、渡辺樹里さん、難波真奈美さんに読んでもらった。出色の出来だった。
死に行くカブトムシの姿が、作家に重なる。
車谷さんが、作中で「嫁はん」と呼ぶ高橋順子さんは詩人でいらっしゃって、
「武蔵丸」の中には、カブトムシを詠む高橋さんの詩が盛り込まれている。
わたしは、何の面識もないのに、高橋さん、高橋さん、と呼びかけたくなる。
愛する作家……というより、自分の人生に深く寄り添ってくれたような作家が逝くのは、とても寂しい。
ご冥福をお祈りします。

2015年5月18日 (月)

Adios Nonino

NYの友人Jiroさんから、ちょっとひと息どうぞってメッセージが届いて、
開けてみたら、これだった。
アンドレ・リュウのコンサートでのカルロス・ブオノのバンドネオン。
ピアソラの「Adios Nonino」
https://www.youtube.com/watch?v=wyRpAat5oz0#t=159
ピアソラのタンゴで、深夜、めくるめく速さで時が逆戻り。
タンゴとエバ・ペロンに埋まるように暮らした2015年冒頭が蘇る。
Adios Noninoは、ピアソラが、亡くなった父への思いを、NYで書き上げた曲。
なんとも哀切で、甘美で、扇情的で。
それが、このオランダでの演奏は、明るく、たくさんの人に向けて開いていて、多幸感に包まれる。
作曲者ピアソラの音楽に加え、アレンジ、演奏者の存在、集まった観客たち、すべてが、Adios Noninoが生かされる時間を、一緒に生み出している感じ。
もう、今の仕事なんか忘れて、YOU TUBEを開きまくる。
ピアソラ自身が演奏するAdios Noninoを改めて聴いてみる。
https://www.youtube.com/watch?v=VTPec8z5vdY
悲しみの底にいて、なぜこんなに美しいものが生みだせるのか。
誰しもの記憶を揺さぶる音。時間。
もう掻き乱されてしまって、ひとしきり肩を上下させて泣いてしまう。
ここのところ溜め込んでいたわたしの中の孤独が、深夜に大騒ぎ。
朝から久しぶりにマテ茶を飲みながら仕事をして、
詰まったものが噴き出しそうで噴き出さないまま書き続けていた1日の終わり。
ああ、こんな1日の終わりを迎えることになっていたのかなと、
因果因縁にまで思い至る。
同じオランダのコンサートでは、ジャーメイン・ジャクソンの歌うSmileも聞ける。
https://www.youtube.com/watch?v=kEeJM_7Xv_w
チャップリンの作った曲の中で、いちばん好き。
ライムライトのテーマ曲も好きだなあと思った瞬間に、バスター・キートンとの名シーンを思い出す。
そして、劇場での、あの忘れられない台詞。
楽屋が僕の家だと言うと、劇場は嫌いだと思っていたとテリーに言われるカルヴェロ。
「嫌いだよ。血を見るのも嫌いだけれど、でも、血は僕の体に流れている。」
(記憶によるもので、正確ではないかも。)
そんな風に記憶がどんどん枝葉に伸びていき……。
そして、ジャーメインのスマイルを聴くと、
やっぱりマイケルのスマイルを聴きたくなる。
またまたYOU TUBEで探したら、
「モダンタイムス」の曲なのに、なぜか「キッド」にマイケルのスマイルをのせたものを発見。
https://www.youtube.com/watch?v=kmw1yYRdDOM
最終的には、The Kidのチャップリンの哀愁と、Adios Noninoの残り香が混ざって、
父のことを考える夜になり。
ああ、何をまた深夜に、こんなに長々と。

2015年5月14日 (木)

俳優塾から学ぶこと。

俳優塾の稽古では、毎日、毎日、
どうしてここまで全身全霊でぶつかってしまうのか?と、
自分に問いかける。
熱血漢すぎるだろ? もっと軽やかにいけないものか?
でも、きっと変わらない。変われない。
7年目を迎えて、全く熱量の変わらない自分を、逆に褒めてやらねば。
わたしの周りで、わたしを慕い集まってくれている俳優たちは、
きっとわたしよりわたしを知っているに違いない。
いいところも、困ったところも。
というようなことを、一日の終わりに書いてしまうほど、
それぞれの現在と未来を託して集まってくれる俳優、一人一人に出会うことは、
本当に責任のある、大変なことなのだ。
日々、悩みは尽きない。
そんな時に、最もわたしに力を与えてくれるのが、
かつてわたしの稽古場に通ってくれた俳優が、
どんどんいい仕事をしてくれること。
どんどん売れていくこと。
ありがたいことに、成果が目に見えて増えてきた。
俳優塾に通ってくれる俳優には、いつも言う。
わたしに遠慮せずに、どんどん魅力的になって!
そして、忙しくなって、早く私塾に来られなくなってほしい。
わたしの開く俳優塾は、彼らにとって通過点だ。
一気にわたしから必要なことを吸収しちゃって、一気に魅力的になってほしい。
わたしの方は、じっくり構える。
植物を育てるようなつもりで。
日々の変化は目に見えなくても、
水をやり、光を与えてあげ続けると、
ぽっと突然、活き活きした芽が出て、感動を与えてくれたりする。
自分で作品を創る地平とは、意外や、全く違う地平にある、
教える、ということ。
私塾にいる時は、演出家じゃない。
教え伝え導く人だ。
ただ、一人一人の俳優と、教えることでの出会いは、
作家であり演出家であるわたしに、たくさんのことを教えてくれる。

2015年5月12日 (火)

母の日によせて。

もう朝だけど、ちょっと書いてから眠ろう。
【母の日に寄せて】
誕生日を迎えたら、母に、両親に、感謝する気持ちって、誰にもあると思う。
今年も母の日を迎えて、母と電話で話せる喜びを味わって。
その先に、わたしは父に芯から心から感謝した。
10年前に大動脈瘤の手術をして、母は、命を危ぶまれながら奇跡の生還を果たしたのだけれど、以来、ずっと介護が必要な暮らしをしている。
親不孝なわたしは、こうして東京で仕事をしているので、
ずっと、ずっと、父が母の身の回りのすべてをやってくれている。
医療にまつわるすべて。
洗濯、掃除、買い物、料理、生活のすべて。
父は母が大好きなので、
母は父が大好きなので、
ものすごく当たり前のように。
母の料理が、父は大好きだったけれど、
手術以来、母は料理をしていない。
たまに、本当にたまに実家に帰って、
父の料理を、母と並んで食べたりする。
「パパが作ってくれるものが一番」と、母は美味しそうに食べる。
それだけで、わたしは泣けてくる。
(実際は泣かないで、馬鹿を言って笑っているけれど。)
簡単に語りきれない苦労がある。
日々の積み重ねは、美談だけではすまない、たくさんの時間。
でも、父は母が大好き。
母は父が大好き。
揺るぎない両親でいてくれるのは、
父のおかげ。
生涯愛し合っている父と母の娘であるということが、
わたしの人生をどれだけ支えていてくれることだろう。
母の日に、母に感謝すると同時に、
父に、芯から心から、感謝した。
母の日は、母を愛し続ける父を思う日になった。
親不孝なくせに、母への思いを甘い言葉で書いていられるのは、
すべて、すべて、父の強靱さのおかげなのだ。
母の日に思う。

2015年5月10日 (日)

有里子さんの阿国。

幼い頃から、親戚の中でいっちばん大好きだった石丸有里子さん。
姉のように慕っていた有里子さん。
有里子さん主演の劇団鳥獣戯画40周年記念公演「雲にのった阿国」を観劇。
呼吸をするように踊り始め、体の中の「踊りさん」と生きることで、聴衆を魅了し、一座を作り、人を愛し、人と敵対し、人に裏切られ、それでも一座を愛する阿国。
時には自分の踊りと世間の認める踊りのギャップに悩み、自分の踊りを見失いそうにもなったりする阿国。
人とつながり、人と別れ、人と再会する阿国。
一座を率い、一座を守り、一座の浮き沈みにくじけることなく前を向いて歩く阿国。一座に助けられ、一座に支えられ、より大きくなっていく阿国。
芸事に生きて、仲間と歩む時に、起こりうる、すべてのこと。
……もう、すべてが、鳥獣戯画と生きる、女優有里子さんに重なって、涙なしには見られませんでした。
劇団を40年続けるって、率いていくって、そこで演じ続けるって、わたしにはもう想像もつきません。
わたしはどちらかと言えば、根無し草。ひとところに根をおろすのが苦手なタイプだったので。
40年のすごみ。
でも、有里子さんは、いつもいつも笑顔なんだなあ。
その笑顔が素敵で。
今日も雨粒と戯れる童女のように登場して、最後には、貫き通す力を体中にたたえて、まだまだ歩いていく。
まだまだ率いていく姿に、女であり母でありの強さが溢れる。
「踊りが好き!」という気持がほとばしる。
最初から最後まで、着替えをしている時以外、出ずっぱり。
踊りっぱなし。
1989年の初演も、わたしは見ています。
時が流れ、あんなにハードな役に再び挑むのは、大変なことだと想像します。
でも、幕が開けば……体力への挑戦みたいな役を、軽やかに、強靱に、駆け抜けて、観客を存分に楽しませてくれます。
素晴らしい。
作品全体も、知念さんの演出は自由で、おおらかで、想像力と稚気に溢れていて、思い切り楽しめます。鳥獣戯画の芝居は、もう本当に、サービス精神が素晴らしい。いい意味で大衆的。堅苦しくなく、観客に近く、優しい。
終演後、すぐに劇場を出なくてはならず、有里子さんに会えなかったことが、心残りで仕方ないけれど、また劇場に会いにいこう。
わたしの長いポストを読んでくださって興味の湧いた方々、
日曜13時が千穐楽です。本多劇場。
劇団のFBによると、補助席対応があるようです!
商業演劇やマスコミの流れに乗らず、自らの作品を創り続けてきた、こんな素晴らしい女優がいるのだと、大声で自慢したい!
写真は、阿国のライバルという大役を演じた松本稽古さんが送ってくれました。
わたしの演技ワークショップにも参加してくれたことがある稽古さん。
今の自分より先にいこう、今を打ち破ろうと果敢に立ち向かう姿がWSでは印象的でした。
この舞台でも、大役に果敢に挑んでいます。
いい役をやるってことが、何より俳優を成長させるんだよな、と、エールを送りながら見守りました。
どうぞよい千穐楽を!!

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