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2015年11月

2015年11月25日 (水)

「Color of Life 」日本版フライヤー撮影

昨日はColor of Lifeのフライヤー写真を、一日かけてじっくりと撮影。
出演舞台を観にいったり、個別に出会ってきた四人の俳優たちと、一堂に会するはじめて

の日。
今日はAKANE LIVさんの出演する「黒執事」を観にいきましたが、
チラシの束に、Color of Lifeの仮チラシを発見。
”仮”の段階で、すでに気合いがはいってます。
この作品のキーワードのひとつである”虹"の七色で、白いキャンバスが彩られています

2015年11月23日 (月)

伊勢丹とイリーナ。

わたしは、伊勢丹に行っちゃいけないんだって、わかってた。
わかってたんだけど、行っ

ちゃったよね。
すっかりイリーナみたいな気持ち。
わたし、働くわ、働くわ!

2015年11月20日 (金)

NY行き、決定。

月末からNYに行くのには訳がある。
ある人に会って打ち合わせをするためだ。
いつだったら会えるのか問い合わせてもなかなか返事が届かず、
約束が出来ていなかったのに、
いちかばちか、「ここなら行ける!」という日でNY行きを決めてしまった。

今日、ようやく返信が!
 ”Your timing is perfect.” と。
わたしの渡米直後に彼はNYに戻り、わたしの帰国直後に、またNYを離れるというスケジュールだったらしい。
素晴らしいじゃないか!

このミーティングがすぐに結果の出るものかどうかは、
行ってみてからの話。
とにかく、動いてみる。
そうしたら、先に進めるかもしれないのだ。
動かないってのが、後々、いちばん後悔の種になる。

動け、動け、わたし。

2015年11月17日 (火)

酉の市。

金は天下のまわりもの。
今はなくても いずれにか。
貧すれど 心は豊か。
まずは大入り満員が 、
叶えば満足。
満ちて 足る。

2015年11月15日 (日)

11月13日、パリで。

ゆっくりと目覚めた日曜日、
起き抜けにパリの同時多発テロ事件を知る。
一日、何にも集中できなかった。
わたしが何をどう考えても仕方ないことだとわかっていても、
どうすることもできない。
ただ、ただ、悼んで、時を過ごす。

劇場が襲われることは、
それが演劇であれ音楽であれ、
人が、自らを潤す時を求めて集まる場所が襲撃されることは、
しばらく自分が使い物にならないくらい、混乱してしまう。

2002年モスクワで、
ミュージカル「ノルド・オスト」が上演される劇場が、
チェチェン人によって占拠された日、
わたしはモスクワにいた。
ロシアの演劇に焦がれて憧れて、
モスクワを一人で訪ね、
その日は、すぐ近くのタガンカ劇場で何も知らずに観劇していた。
ホテルのテレビで事件を知り、
激しく怯えた。
(これは、1000人近い観客が4日間人質にとられる大事件に発展したが、
この事件はひと言では語れない。
テロを起こしたチェチェン人たちを「悪」と簡単に断罪できない、
ロシアとチェチェンの長い軋轢の歴史があった。)

劇場が襲われること。

厳戒態勢の中、
それでも幕を開ける劇場があり、
それだから幕を開けない劇場があった。
首謀者が、ほかの劇場をも襲う声明を出していたから。

わたしは、慣れない街で、
観光客が歓迎されない街で、
到着初日に買い集めたチケットを握りしめ、
劇場に足を運ぶかどうか迷い続け、
結果、すべての劇場に足を運んだ。
今思えば、平和な国に育った者の甘さだったかもしれないが、
一人、憧れたモスクワの街を歩きながら、
自分がどれほど「劇場」という場所を、
格別に愛しているかを、認識した。

一生、劇場を自分の仕事場にしようと、
決心したモスクワ滞在だった。

===

今日は一日、たくさんのことを思った。

一生をそこに賭けるのだと決めた劇場で、
次に何を創るのか。
これから何を語るのか、見たいのか。
この落ち着かない世の中で。
あらゆる足場が、ぐらついている、「今」の中で。

人と人の諍い、信じるものが違う者の諍い、
国と国との諍いは、これほど痛ましい歴史を超えても、
まだ続く。
戦争が終わるはずのない仕組みも、少なからず見えている。
一人の名もない演劇人のわたしは、
こうして、一日をただただ無為に過ごすしかなかった。

期せずして人生を奪われた方々のことを思うと、
言葉などない。
冥福も、Rest in Peaceもあったものか。
怒りしかない。

生を受けるということが、
それくらいの不確定要素を孕んだものだという達観は、
わたしは生きてる限り、実感できない凡人だ。

明日は、観劇の予定。
観劇の後は、また自分の舞台の準備の仕事にかかる。
この、変わらず営々と続く日常の時間に、
また深々と区切りの線が引かれた気がする。

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