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2016年1月

2016年1月31日 (日)

今週日々雑記

28日。「元禄港歌」をコクーンにて。ぎりぎりに頼んだのに、特等席を用意してくれた佐貫Pに感謝。あの席でなければ、宮沢りえさんの瞳の奥を覗き込むことはできなかった。

帝劇で、1980年の初演を見ている。2000年には、演出助手でついていた。
仕事を離れて、ようやくこの芝居を、作品として味わえた気がしている。
秋元先生の戯曲のあれこれが、直接響いてきた。
新しいキャストそれぞれの味わいがあったが、
なかでも歌春-鈴木杏と万次郎-高橋一生のコンビは、これまでの上演で随一だと思う。いかんともしがたい情欲を、匂わせてくれた。
舞台上には、もう長いこと一緒に演劇をやってきた仲間たち。
それに加えて、かつてそこにいた方たち。
喜和子さん、徳さん、山岡さん、光本さん、金龍さん、紫さん。そして、朝倉先生。
みんな、そこに集まってきているような気がして、ずっと懐かしく、かつ息苦しかった。
特に市川猿弥さんの口跡が金龍さんにそっくりで、あの舞台での存在感と、駆け出し俳優のわたしにまで優しい言葉をかけてくださった姿、すべてが思い出された。……そういう意味では、あまりいい観客ではなかったかもしれない。
大好きな女優、文学座の新橋耐子さんと、一献かわして帰った。
ちまちました悩みを忘れさせてくれる、でっかさが、耐子さんにはある。
生きててなんぼ、だ。
蜷川さん。どうぞ今を克服してください。次の作品を見せてください。

29日。俳優塾での、シェイクスピア群読、14作品め、「十二夜」。気がつけば、もう三十七本中、三分の一をとうに過ぎている。
通常の群読と、キャスティングしての立ち稽古、という2ラウンド。
終わって、飲み会。俳優たちの現在がそれぞれに露出。
彼らのそばに、どう付きそうべきか、いつも探っている。
とは言え、わたしだって、いまだに悩める人。一緒に酔って、一緒に高らかに話す。

30日。今とりかかっているプロットを、ぐいぐい責める。反社会的な、とち狂った愛欲の話(だけど、ひたすら美しく悲しい愛の話)を書こうとしているので、パソコンに向かいながら、一人で欲情しているみたい。
そのまま、シアタークリエに駆け込む。
『THE Sparkling Voice10人の貴公子たち』
わたしが宝塚に傾倒する端緒は、安奈淳×麻実れいのベルばら。
それから、30年以上宝塚離れしていたのに、ずっと好きだったのだな、という印象。
演助時代に出会ったツレさんやターコさんはじめたくさんのトップスター、作家/演出家として出会った、水夏希さん、彩輝なおさん。次はAkane Livさん。
これからも、きっと出会っていく。
わたしは、欲深く、今ある美しさ素敵さの向こうにある、さらなる演劇的魅力を探しにいくのだろうな。
未来に向けた酒席で、準備しておいた企画を、熱く語る。
(熱いのは、恥ずかしいが、わたしの基本。)

明日は、反社会的なプロットを、欲情しながら書き上げる予定。
自分が面白いと思うことを、まずは、書く。

2016年1月28日 (木)

眠ります。

ううううう。
書くことが、イメージすることが、俄然、わたしに降りてきた時間に、眠らねばならぬという悲劇。
明日も稽古がある。
「元禄港歌」を観にいく日でもある。
自分がかつてスタッフとして深々とつきあった作品の再演を観に行くのは、とても奇妙な気持ちだ。
そして、このところ、ずっと、体調を崩している蜷川さんのことを思わぬ日はなかった。
わたしは、23歳から47歳まで、彼のそばで暮らしたのだ。24年の間。
ほぼ、四半世紀。今は遠く離れていても、わたしの人生の一部なのだ。
とても、劇場に足を運ぶことに、緊張している。
わたしが超人だったら、このまま眠らずに書き続けて、そして明日を過ごしたい気分だ。

普通の人なので、寝る。
もうすっかり朝だけれど、今日と明日を眠りで区切って、
明日出会うことに備えよう。
物語が、明日も、「さあ、昨日の続きを!」と言って、軽やかに降りてきてくれることを願って。

2016年1月22日 (金)

COL応援メッセージ4

Color of Life の取材で、二組、四人の出演者が一枠におさまる。
稽古が待ち遠しい。腕が鳴る。
スタッフワークも本格始動して、いよいよです。

昨日は、金すんらさんに、応援メッセージを頂きました。
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応援メッセージ④
石丸さんは日本の演劇界には珍しい演出家です。 日本の巨匠蜷川幸雄さんに学びつつ、世界の演出家に近い感性を持っています。作品を愛し、役者を信じて、新たな世界、命を、体感させてくれます。
伊藤さんの繊細且つ美しい音楽と共に、楽しみでなりません。 
俳優・金 すんら
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昨年の作/演出作品「Sleeping Beauties」に、
わたし、たっての希望で、ご出演頂いたすんらさん。
なんとも熱い時間を、たくさん過ごしました。
たくさん話して、たくさん願望して、たくさんお任せしました。
役に没頭していくのは、本番だけじゃない、稽古の時もずっと。
一回一回が真剣勝負。
稽古から公演まで、どれだけか、演技や演劇の話をしたなあ。
また、すぐに一緒にやりたい、大切な大切な俳優です。
Liveももうすぐ!!

2016年1月18日 (月)

COL応援メッセージ2

昨年、脚本・作詞・演出を手がけた、
「サンタ・エビータ」にご出演の、今井清隆さんから、
「Color of Life」への応援メッセージを頂きました。
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ブロードウェイでも認められた、日本発のオリジナルミュージカル、こんな作品の出現を我々は待っていました。愛と情熱に満ち溢れた石丸さち子さんの演出で、よりパワーアップした作品に仕上がること間違いなし!! 今から上演が楽しみです!!
俳優 ・今井清隆
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「サンタ・エビータ」の中で、
ペロンの独裁政権に抗う詩人ボルヘスをモデルに、
無慈悲な時の流れと神の不在を嘆く歌詞を書きました。
その時の今井さんの、伸びやかでいながら烈しい痛みを伴う歌声に、
惚れ惚れしたものです。(ああ、再演したい!)

こうして励ましの声を受けて、しっかりしなきゃ!と感じる時、
いつも思い出すことがあります。

わたしは賢明女子学院という、六年制のミッションスクールに通っていました。
全校生が集まる、冬の朝礼で、当時の校長、シスター佐藤がおっしゃった言葉。

「厳寒の季節に、きりっと真っ直ぐに咲く水仙の花のように、
わたしたちも、寒空の下、背筋を伸ばして歩いていきましょう。」

まさに、そんな気持ち。

それにしても。

先日、メッセージを届けてくれた木ノ本嶺浩君の言葉でも、
「愛と情熱あふれる」と形容して頂いたわたし。
わたしは、そういう人なんですね……。
気恥ずかしいけれど、自分でも、わたしはそういう奴だと、
うすうす気づいていました。
と言うか、それがなくなったら、何も残らないかも。

さ、今夜も頑張ろう。

COL日本語版。

「Color of Life」の日本語版台本と、向き合う2日間。

この物語は、日米ハーフでバイリンガルのレイチェルと、
日本人の和也が、NYでともに暮らした三ヶ月を描くもの。

NYで初演した時は、英語上演。
今回の日本語版は、まったく同じストーリーなのに、まったく違う。

NY版では、レイチェルと和也は英語を使って暮らす。
日本版では、日本語を使って暮らす。

外国のミュージカルを翻訳して上演するのとは、
まったく違う、新しい考え方の、リアルなドラマ。
こんなところも、New Musicalなんです。

NYで使った英語版台本と、印刷を待つ日本語版台本を並べると、
感慨もひとしお。
Midtown International Theater Festivalのプロデューサー
John Chattterton氏から頂いた賛辞、
”New" "simple" "Beautiful"という三つの魅力はそのままに、
新しい色を創りたい。

公式 SITEも、デザインがリニューアルされて、とっても素敵。
是非、ご覧下さい。

http://coloroflife-musical.com/

2016年1月15日 (金)

名取裕子 朗読劇「女優」

名取裕子さんの「女優」観劇。
昨年1月の初演から、二度目。
台本を書いたのは一昨年の9月から11月にかけて。
不器用なわたしは、松井須磨子に没頭し、島村抱月に没頭して過ごした記憶。
はじめ、演劇を創る人であるわたしは、抱月により思いいれしてしまって、須磨子を傍から眺めていた。その頃あげた第一稿は、自分で音読してみて、ちっとも面白くなかった。それから、須磨子と手をとりあうまでに時間がかかったけれど、その時が訪れたら、しゃべるスピードで、2幕の長い長い独白を書き上げた。あっという間だった。
原作の渡辺淳一先生にも心の中で許しをこいつつ、自由に、聞こえてくるものを書いた。

今日は台本を見直すことなくやってきて、名取さんの須磨子をとても新鮮に感じてきた。
初演よりずっとこなれていて、名取さんの持ち作品に成長しつつある。素晴らしい。
回を重ねることで、女優である名取さんと須磨子の交信が、もっと起こりそう。
そして、わたしは、相変わらず、自分の書いたものが
堪えて堪えてしかたない。

須磨子は、人生で、演劇だけしか信じられず、演劇をやってない時は、ろくでもない女。
わたしが共感しすぎても、おかしくはない。

さ、次を創ろう。次を書こう。
この回遊魚生活は、まだまだ続きそう。

2016年1月14日 (木)

盲目のジェロニモとその兄 千穐楽

「盲目のジェロニモとその兄」千穐楽。
リルケの手紙は、本番毎に、わたしにも問いかけてきた。
言葉を追うのと、亜人夢が読むのでは、全く違う感慨がある。
20歳の男子のみが持つ、何かがあった。
ポール・ニザンの言葉を思い出す。
「僕は20歳だった。
それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと
だれにも言わせない。」

最後のジェロニモ本番は、またどの一回とも違う二人。
この本番中は、できるだけ二人が自由にできるように努めた。
厳しい稽古を超えて劇場入りした後は、
細かいダメ出しを避けて、
自由さを奪わないからこそ、彼らから自然発生的に出て来るものを待った。
管理されて演じるより、本番を伸び伸び演じる方が、
この公演の趣旨に近いと信じて。
導きはしたが、正解は、ない。
元ちゃんと亜人夢が、作品を体現しようとする姿勢が、
そのまま、その日の作品になった。

井本響太君のギターも魅力的だった。
メルツの曲を選んだのも正解。
井本君のパーソナリティーも愉快だった、また一緒にやってみたい。

兄と弟の心の葛藤の余韻が、身体に残っているのか、眠れない。
さらには、次に書く物語の骨子が育ちつつあって、
何か脳の中がきしきしと音を立てている。
思春期で一気に骨と筋肉が成長していくときみたいな感じのきしみ。

明日は、久しぶりの俳優塾。
新しいテキストに何を使うか、台本を読みまくったのも、
眠れぬ理由のひとつ。
戯曲は、わたしには、ひたすらに興奮剤。

そして、2014年に台本を提供した、名取裕子さんの「女優」が、
明日、上演される。
一幕は、原作の渡辺淳一さんの「女優」に依っているが、
二幕は、ほぼ自由に、50分の女の独白を書いた。ぶっ飛びすぎていて、最初はプロデューサーにも演出家にも却下されそうになったけれど、あきらめずに食い下がると、何よりも、名取裕子さんにとても愛して頂ける作品になった。

ひとつ終わって、また続いていく。

2016年1月12日 (火)

COL応援メッセージ1

これから3月25日に初日を開けるまで、
「Color of Life」に頂いた応援メッセージが、随時Twitterにアップされるそうです。
たくさんの方にこの公演を知ってもらうきっかけになればうれしい!

2013年、NYでどうやったら集客できるんだ?と、
稽古のない時には人の集まる場所にチラシを持って出かけ、
夜はネットにつながり続けた日々を思い出します。
……知ってもらわなければ、来てもらわなければ始まらない。

トップバッターは、「芥川龍之介の恋」で、
一人芝居の俳優と演出家として、短くも烈しく出会った、
木ノ本嶺浩さんです。
ありがとう、嶺くん!
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Color of Life @col_newmusical

応援メッセージ①
昨夏、愛と情熱あふれる石丸さん演出の一人芝居に出演し
僕は俳優としてとても貴重な経験ができました。
熱のこもった演出のもと表現されるキャストの方々、
そして伊藤靖浩さんの音楽。
全てが絡み合い、
必ずやお客様を様々な感情の色に染めてくれると思います。

俳優:木ノ本嶺浩

青春に殉ずる。

リルケが、若い詩人に宛てた手紙を、
作品の導入として、今、原嶋元久くんと水石亜飛夢くんに紹介してもらっている。
昨日成人式を迎えたばかりの亜飛夢が読んでくれている。
それは、彼らにも、若い女性たちにも、とても響くみたい。
そして、若くないわたしにも。

その一節に、こんなところがある。

「あなたが見たり、体験したり、愛したり、失ったりするものを、
人類の最初の人間になった気持ちで、
新鮮に表現するよう、努めてごらんなさい。」

===

「手垢のついた言葉」っていう言い方がある。
とてもマイナスなイメージ。
でも、考えてみると、
手垢がつくくらいみんなが使いたくなるような、
誰にも必要で誰にもわかる言葉でもある。

はじめてその言葉と出会った時の、
(覚えた、教えられたではなく)
はじめてその言葉を発見した時の、
(与えられたのではなく、辿りつき、掴みとった時の)
新鮮さがあれば、
言葉は新しい輝きを持つ。
そして、その組み合わせ、無限大。

このところ、そんな風に言葉と出会い直すことが多い。

となると、わたしだって、亜飛夢と同じように、
まだまだ青春の中にいると思える。

三島由紀夫がこんなことを書いている。

「詩人とは、自分の青春に殉ずるものである。
青年の形態を一生引き摺ってゆくものである。
詩人的な生き方とは、短命にあれ、長寿にあれ、
結局、青春と共に滅びることである。」

「小説家の人生は、
自分の青春に殉ぜず、
それを克服し、脱却したところからはじまる」

今を生きる人に、耳を傾けること。
先を生きた人に、耳を傾けること。
感じ、学ぶことは、たくさん。

メイ・サートン

一本初日を開けてマチネ公演が続き、
新年は珍しく早起き生活が続いていたのに、明日はソワレ。
またちょっと夜更かしをしてしまった。

メイ・サートンという作家が好きだ。
詩人であり、作家であり、Off Broadwayで劇団を持っていたこともある。
「独り居の日記」という、彼女の晩年の一大テーマ「孤独」と向き合った著書と出会ってから、その周辺の著書を買ったまま、書棚に眠らせていた。
「夢見つつ深く植えよ」という本を手に取ったら、
たまたま今のわたしと同じ年齢のサートンが書いた文章だった。
こういうのは、一夜の運命なので、止まらない。

ベルギーからアメリカに亡命した両親の元で育ち、
アメリカとヨーロッパを仕事によって移住しながら暮らし、
「家」を持たなかったサートンは、
両親との死別で、帰るべき「実家」も喪う。
そして46歳ではじめてニューハンプシャーのネルソンの片田舎に、
一軒の家を買う。

……もし「わが家」がどこにあってもよいものなら、人はどうやって、そしてどこに、それを探せばよいのだろう?

そして、家と出会うための冒険がはじまる。

広大な自然に囲まれた「わが家」との出会いは、まるで結婚のようなもの。
そこに独居して、家を育て、彼女は「孤独」をテーマに、旺盛に執筆活動も続けていく……。

これは読んじゃう。読んじゃうよ。
もう朝。
もう朝じゃないか。

強靱な生き方をしたサートンは、
わたしみたいな迷える女に、孤独の厳しさと甘さを、両方教えてくれる。
ただ、強靱すぎて、孤独過ぎて、真似はまだまだ出来ない。
でも、「人にありえたことは、わたしにもありえる」
と楽観的に考えれば、
この先の生き方に、強烈な力をもらったことになる。
……たった一晩で。
読書って、すごいな。書き残すって、すごいことだ。

2016年1月10日 (日)

これだけは残っている。

このところ、物憂い投稿が多かったらしく、
FBを見た舞台監督に、「何かあったの?」と声をかけられて、笑った。
そうか、そう思われてたか、と。
あると言えば大あり。
でも、ささいなことと言えばささいなこと。

このところ、色んなことを考える。
書きながら。
歩きながら。
世の中は不公平なものだけれど、
わたしという人間の中では、
幸と不幸は釣り合いが取れている。
人よりでっかい幸せをドーンと一瞬で享受してきた分、
こんなものに一瞬でも耐えられるか?っていうことに、
長々と耐えてる場合がある。

身辺が落ち着かない時は、
しょっちゅう書いている気がする。
その時にしか書けないものがあるし。
だからと言ってそれを仕事に活かすには、クールさに欠ける。
よって、日々消えていく文章を書き殴る。
いろいろ書き飛ばして、今の自分を知る。

今上演している「盲目のジェロニモとその兄」は、
濁りのない愛と、疑心暗鬼が呼ぶ破滅が、背中あわせ。
今だからこそ演出できる感がある。
これを演目に選んだ時には、想像もしなかった現実の中。

緑色の目をした怪物(green-eyed monster)と同居中だったり。
自分の本質(my nature)を常に鏡に突きつけられていたり。
生きにくいことこの上ないが、
それを楽しめるのはこの仕事のおかげ。
いろいろ大切なものを、
指の隙間からぽろぽろとこぼすが如く喪っていくわたしだが、
この仕事だけは、まだ残っている。

2016年1月 9日 (土)

盲目のジェロニモとその兄  初日。

シュニッツラー作「盲目のジェロニモとその兄」リーディング公演初日。
石丸さち子が選ぶ劇場で海外文学シリーズ第2弾。
ここまでマイナーな、知られていない作品を取りあげるという、
文学少女の冒険を、原嶋元久+水石亜飛夢という二人の魅力的な俳優が、
全身で立ち上げてくれた。

体感時間のほとんどを、愛ゆえの哀しみで過ごすのに、
最後の一瞬ですべて救済される、奇跡のような物語。
こんな話が一本書けたら、
もうほかに何も書かなくてもいいだろう?
とまで思えるような、愛の物語。

山本有三の名訳、翻訳文体は、とても美しい。
でも、若い二人にはとてもハードルが高い。
さらに、わたしがシンプルだけど俳優に負荷がかかる演出をしているので、短期決戦の稽古は、ほとんど休憩のない、熱い時間が続いた。

若い女性が中心の観客席に届くのだろうかと不安だった。
でも、初日を開けて、不安は露と消えた。
感動が、しっかりと客席に充満していたから。
そして、このわたし自身も心を鷲掴みにされた。
これを観たかったのだと、感じたかったのだと、
いつも初日を開けて驚く。
わたしが観たかったのは、これだったんだ、と。

明日はさらなる飛躍のために、もちろん稽古する。
もっと神々しい瞬間がやってくると、信じているから。

本篇ジェロニモへの導入に紹介したリルケの手紙は、
元ちゃんも、亜飛夢も、
今を生きる自分にしっかり届いた言葉のようだったから、
きっと彼らからの贈り物として、
観客席の一人一人の心に届いたことだろう。

この公演には、俳優塾でずっと一緒に稽古してきた、
高木拓哉も力を貸してくれている。
盲目のジェロニモ……水石亜飛夢
その兄カルロ……原嶋元久
というキャスティングだが、
ほかの重要な登場人物を演じ、
三人でカルロ一人を演じるシーンでは、
二人と肩を並べてくれている。
彼の飛躍にも、期待したい。

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旅するリーディングシリーズ 劇場で海外文学 VOL.2 オーストリア
原作:アルトゥール・シュニッツラー
訳:山本有三
演出:石丸さち子

会場:DDD AOYAMA CROSS THEATER  
料金:S席6800円 A席5000円
日程:2016年1月9日(土)~13日(水)
開演時間:9日(土)17時
10日(日)・11日(月・祝)14時
12日(火)・13日(水)18時半 

2016年1月 2日 (土)

フォンタンカ運河の記憶

訳あって「罪と罰」を凄い勢いで再読。
(年末のリルケから、妙な読書の流れ。)
2002年のロシア一人旅の折り、
サンクトペテルブルグでドストエフスキー散歩を決行した。
ネフスキー大通りから、フォンタンカ運河を西に歩き、
ラスコーリフコフの家があったと思われるところ、
殺害した老婆の家や、ソーニャの家とみなされるところ、
彼が散歩しつつ黙想していたセンナヤ広場などを歩きまわった。
写真は、一枚も撮っていない。
ただひたすら歩いていた。
写真がないおかげで、わたしの脳裡では、
フォンタンカ運河周辺に対する妄想が、以来、一人歩きしている。
興に乗って、googleのストリートビューで散歩の軌跡を追ってみたが、
どうもしっくりこない。
わたしの中にあるのは、現実のサンクトペテルブルグではなくて、
ドストエフスキーの描いたサンクトペテルブルグらしい。
……楽しいじゃないか。
この島を飛び出して、もっともっと、たくさんの地を踏みたい。
残った人生で、どこまで行けるかしら。

2016年1月 1日 (金)

新年のよしなしごと。

ー言葉。

言いたいことを言える幸せ。
言いたいことを言わぬ美しさ。

言いたいことをそのまま言わぬ賢さ。
言いたいことをそのまま言える勇気。

たくさんの言いたいことが血の中でざわめいており。
たくさんの言いたいことが総身にまとわりついており。

自分の内に、内に、さぐりながら。
他者の鏡に、自らを映しながら。

表し、現してこその、言いたいこと。
今年も、塵芥のように積もらせて、
やがて誰かには玉の輝きと映るように。

ー祈り。

理不尽なこの世の中で、
人々の生きる喜びが、
ほんの少しでも、
人々の生きる苦しみを、
凌駕しますように。

ー望み。

古い友を、新しく愛して。
新しい人を、古い友のように迎えたい。
出会いの奇跡のその先にいる自分を、
祝福できる自分でありたい。


新年のよしなしごと。
書かずとも、心のうちにあることを、
短い時間で書きとどめる。
酔って笑って馬鹿騒ぎをしている時こそ、
祈りと望みが、胸のうちで膨らんでいる。


本年も、どうぞよろしくお願いします。

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