劇場にいる夢を見続けている。
劇場にいる夢を見続けている。
稽古場ではなく、ほぼ、劇場にいる。
昨日は、吊り物として、なぜか15体くらいの一反もめん(!)が吊ってあって、そのタッパが高いのではないか、印象が弱いのではないか、タッパを変えてみたいとわたしは望んでいる。
照明プランナーは、なぜか吉井先生で(!)、「石丸、Fade in の時の印象を強くすれば大丈夫だよ」などと説得されるも、「確かにタッパを下げると色んなものに干渉してくる、修正に時間がかかる、でも試したい!」と思うわたしがいて、闘ってみようとしたところで目が覚めた。
なんともシュールな夢なのだが、吊り物の一反もめん(一反もめんたちの視線が神の視線みたいだった!夢の中のわたしの感慨。)がいかに生きるかに執着するわたしが、夢が覚めるとなんとも馬鹿馬鹿しくておかしく、少し心が和らいだ。
このところ、現実では、良い夢の残り香に酔いつつ、一方、悪夢にうなされていて、その振り幅の広さに、なかなか自分を律することができないでいた。
眠りの生む夢の中で、ずっと劇場にいる自分を思う。
今、わたしは転機におり、たくさんの記憶の清算を余儀なくされている。
自分の生きる場所を、新たに探すような日々だ。
答えの見つからない中で。
自分自身を生かし、活かすのは、やはり劇場で夢を見続けることしかないのだと、眠りに教えられているのかもしれない。
そして、夢の中の劇場に吊られていた、一反もめんたちの視線がわすれられない。
サリンジャーが「フラニーとゾーイ」の最終章で書いた、
あの、「視線」を感じるようだった。
そこにだけは、嘘をつかずに、生きなくては。
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