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2016年5月

2016年5月29日 (日)

 沈黙によってお前の魂を洗え。

自分が、言葉を使い過ぎてざわざわしていたり、
世の中の軽率な言葉でざわざわしている時は、
いつもタゴールの言葉を思い出す。

「死んだ言葉の塵がお前にこびりついている
 沈黙によってお前の魂を洗え。」

今、目の前にいる人への、必要な言葉、必要な沈黙。
偶然出会っていく人への、適切な言葉、適切な沈黙。

まちがうこともたくさん。
でも、まちがってはじめて分かることもたくさん。

そこをどう選んで生きていくかに、
品性がかかっている。
じゃあ、芸術を生業とする者にとって品性とは?
と自分に問うと、また答えが見つからない。

このところ、マヤコフスキーの詩を愛読している。
愛する詩人たちはいつもそうだが、
饒舌の限りを尽くす時に、最も沈黙を感じさせてくれるから。

鈴木勝吾君のインタビューを読んで。

Color of LifeDVD発売間近。
カメラ割り等の最終調整に行ってきました。
舞台のすべてを映像で届けることはできませんが、
演出家の目線で何を届けるかの取捨選択。
こちらで予約を受けつけております!
http://kittywebshop.com/?pid=100465979

Color of Lifeを日本で初演する4ヶ月前から、
文通のようにメールを交わしている演劇ファンがいて、
その方が、鈴木勝吾君のインタビューサイトを教えてくださいました。
インタビューに答える言葉が、ふだん勝吾が語ってくれる熱っぽさとクールさそのままで。人なつっこいのに群れるのが嫌い、すごく優しいのにシニカル、みたいな振り幅の広さを感じさせて、とても面白かった。
Color of Lifeのことも、ずいぶん語ってくれております。
http://engekisengen.com/stage/dekimen/dekimen014/

簡単に、2.5って呼ばれたり、イケメンって呼ばれたり、アイドルって呼ばれたり、カテゴライズされがちな若き俳優たち、
一昨年あたりから一緒にたくさん仕事してきましたが、
みんな志が高いし、職業人の意識があるし、何より表現が好きな奴らばっかり。可能性は無限。
問題は、導く方、演出する方、オファーする方にある。
彼らの可能性に真っ直ぐ立ち向かって、これからも出会いまくって、
ぐいぐい演劇を愛したい。
出会って、伝える。分けあう。真っ向から。

で、彼らから、わたしは栄養をたくさんもらう。
歳をとると忘れがちなことを、いつもライブで感じて、
「今」の感性知性だけではなく、「今まで」のすべての瞬間の感性知性で仕事したい。

2016年5月28日 (土)

オバマ大統領、広島でのスピーチ。

広島でオバマ大統領が何を語るのか、世間がざわざわしている時に、前田清実さんのダンス公演を観てきた。戦い争い傷つけ合う世界に対する怒号と、平和への希求が、剥き身で語られる時間だった。
帰宅し、広島でのスピーチを読む。
今日という日に、多くのことを考えるが、ここで言葉にはすまい。

政治家が口にすることは、個人の表明ではない。
一国の代表が口にすることは、言葉である限りどう受けとられるかわからないという宿命を持った、表現である。
その宿命を加味して選ばれた、表現である。

わたしは言霊を信じるので、あのスピーチが米国の大統領の口から音声になったことを喜ぶ。
たかが言葉、たかが用意された表現であるから、
現在と未来という歴史が、それで変わらないとしても。

たかが言葉の美しさを信じなければ、生きていけない。
人を愛せない。
そして、言葉は、あらゆるところにある。
耳に聞こえない言葉。目に見える言葉。
あらゆる事物、あらゆる形のないものが内包している言葉。
それを人が感じるからこそ生まれる、言葉。

蜷川さんがここにいなくなってから、
かつてより余計に考えることが多くなってしまって、
眠れなくて困る。

小さな演劇を細々と創っているわたしがこんななんだから、
世界はどれほどの思念でごった返していることか。

そして、朝が来ると、今日の演劇がわたしを待っていて、
目の前のことに夢中になる。
結局それしか出来ないのだが、あらゆる無駄な時間がわたしを支えている。

大きな魂は、細部に宿る。
小さな魂は、大局に挑める。
何を変えずとも、何か良きものを、ここに発すること。
それに気づける仕事を選んでいることを、幸せに思う。

2016年5月23日 (月)

父譲りの儀式。

蜷川さんが新しい台本をもらった時に必ずやっていた儀式。
蜷川さんの隣に演出助手として座ったことのある人も、
必ずやっている儀式。
尊晶も、俊太朗も、直子も、みんなきっとやっている、
父ゆずりの儀式。

印刷のあがってきた台本のト書きに、赤鉛筆で線を引くのだ。

わたしは、蜷川さんから離れてからも、
この儀式だけは欠かさない。
自分が台本を書くようになってからも、
この儀式だけは変わらない。

赤鉛筆で、ト書きに線を引きながら、台本に向かいあう。
これから過ごしていく時間のすべてが、そこに眠っている。

今夜は、これから儀式の時間。
作・演出の時は、作家から演出家になり変わる時間でもある。

2016年5月22日 (日)

「Angel」脱稿。

脱稿。また一作。
今日起きてから、どんな風にこの時間に辿り着いたか、
まったく覚えていない。

ごはんを食べて、お風呂に入って、少しワインでも飲んで、
執筆の友である白猫にご褒美をあげて、
印刷して、そして、推敲の時間を過ごそう。
そして、演出家に戻ろう。

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新作「Angel」
6月24日〜26日
@ニッポン放送 イマジンスタジオ
脚本・演出 石丸さち子
出演 大野幸人

大野幸人の心と身が、痛々しいまでに揺れる作品になりそうです。
自分の体内に、一生消えないスティグマ(汚名/聖痕)を抱えてしまった男の物語です。
かつてアイドルと呼ばれた男の、一生に一度の恋の物語です。

ストイックなまでにストレートプレイです。
それでいて、激烈に、艶やかに、踊ります。

6月は、表現者大野幸人との一騎打ち。
わたしの現在を、すべて投入します。

演劇だからできること。
演劇なのにできること。

大野幸人が踊る人だからできること。
これまでの彼を越えたこと。

そして。

石丸さち子だから創れること。
これまでのわたしを越えたこと。

以下、公式ホームページと、
チラシに掲載したティーザーです。

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http://angel-theater.info

かつて “アイドル"と呼ばれた青年は、
彼を熱烈に愛した人々の世界から姿を消した。
その消息は謎のまま。

かつて “アイドル"と呼ばれた青年は、
彼が見つけた “新しい世界”と呼ぶ場所に、
高い塀を建てて暮らしている。

傷ついても、なお愛する人を呼びながら……。

奇妙な独居の中で綴る、
長い、長い、ラブレター。
終わりのない、求愛のダンス。

2016年5月14日 (土)

あの頃、蜷川さんと。

一本つくるごとに、スタッフのハードルがあがり続ける現場だった。「グリークス」をやり終えた時には、もうこれ以上のことはあるまいと話したものだが、まだまだその先があった。
それを喜びとして、苦労し、模索し、また、笑い続けていた。
蜷川さんの作品を実現するために闘ったスタッフなら、みな知っている感覚だ。

2005年は、特に記憶に残る。
博多座の「新・近松心中物語」は、蜷川さんが忙し過ぎて、初日はわたしが開けた。照明の吉井先生に助けられながら、新しい箱であの幕開き群衆シーンの熱量をプロセニアムから飛び出させることに必死だった。蜷川演出を変えずに、守って、その場を生かす一手に腐心した。
博多座でランニングしながら、地方を廻っていた「ロミオとジュリエット」の幕を開けるため、大阪、仙台と移動していた。

「キッチン」の稽古は大変だった。そして、素晴らしかった。
一人一人のコックとウェイトレスが生きるための、細かな稽古、調理学校に行っての料理の実習、恵まれた環境での稽古、俳優たちの熱気、すべてが理想的で、記憶に残る公演だ。
この稽古の途中で、わたしの母が倒れた。そして、命を問われる大手術を迎えることになった。
稽古が終わったら、新幹線で姫路に日帰りする、そしてまた稽古に出る、そしてまた新幹線に乗って……という移動を何度も繰り返した。
蜷川さんは、母の身体を心配するだけでなく、
「交通費が大変だろう?」と心配し、わたしに、お金を握らせてくれた。裸で、10万円あった。一生涯忘れない、父の愛だった。
新幹線の中、涙が止まらなかった。

それから、「近代能楽集」の、埼玉、地方公演、NYはローズシアターの旅。これもわたしの担当となり、NY公演を責任をもって開けたのは大きな経験となった。
小町と詩人の過ごす一夜の美しさに、わたしはその後大きな影響を受けている。
そして。壤さん、洋、竜也、マリさんたちの芝居を見続けることは、わたしの心の滋養と強壮になった。

そして、お祭り、「天保12年のシェイクスピア」
井上先生と、台詞の細々とした質問で連絡を取らせて頂いたことが懐かしい。主役級の俳優が集まって、賑やかなはちきれんばかりの稽古、人間のエロとグロが溢れているのに、何やら清潔で明るい芝居。仕掛けは満載で、スタッフワークはやれどもやれども終わらず、
俳優たちは、稽古も本番も息つく暇なく駆けずり回っていて、それはもう大騒ぎだった。
あまりに大変過ぎて、誰もが口々に文句を言いつつ、蜷川さんの想像力に食らいついていくことを、愛し、喜びとしていた。
大衆的な欲望の行き着くところ、その先の先の人間の所業の飽和状態みたいなところを目指して、みんなで闘った。笑いながら。
その笑いの中心には、蜷川さんがいた。
どんなに大変でも、この人のため、この作品のために、カンパニーは動いていた。
妥協を許さない演劇への、深い愛憎、執着。
最も美しいもの、最も醜いものを求める、振り幅の広さ。
天保の本番中に、蜷川さんの70歳を盛大に祝った。

わたしが演出助手でついたのはこれだけだけれど、
蜷川さんは、あと、『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』『メディア』『NINAGAWA十二夜』を開けた年だった。
疾走は、止まらなかった。
ずっと止まらないと思っていた。
「リュビーモフが90歳で新作の初日を開けたそうですよ!」
と言ったわたしに、
「俺もいっちゃいそうだな」と蜷川さんは答え、
二人で笑ったことがあった。あれはいつだったか。

明日お別れに行くまで、わたしはわたしの仕事を続けている。
でも、回想と後悔が止まらず、こうして書いている。

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最後の8年間を、つきあえなくてごめんなさい。
でも、蜷川さんをがっかりさせない仕事を続けてきたつもりです。
そして、また、これからも。
これから、何を創っても、「蜷川幸雄の現場に四半世紀つきあったわたし」が創るものです。それは一生続く。
一生、担っていきます。

俳優が、時間や体験を背負わずに軽く立っていると、
しょっちゅう、そこらにあるものを担がせて、背負わして、
稽古しましたね……。
あれと同じ。
でも、わたしは、わたしの名前で創っていくんだから、
荷物の重さなんて匂わさないで、
わたしはわたし、と、足取りも軽く、いこうと思います。
清水邦夫さんの、あの台詞のように、
わたしが出会う、あらゆる輪舞の中に入っていきます。
そして行き詰まったら、そっと荷物を開いてみようと思います。
宝物を持ち腐れしないように、
わたしはもっともっと走りつづけます。

きっと、蜷川さんに関わった誰もが、この宝物を持っているのだと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=7UeCzPY6ONA

2016年5月13日 (金)

蜷川さんの訃報を受けて。

24歳から30歳までニナガワスタジオで俳優として。
30歳から47歳まで演出助手として。
長い長い時間、蜷川さんの隣で生きてきました。
その時間を捨てるように、一から演出家として再出発しました。
でも、演劇の父は、常にわたしの中にいました。
今夜、心に刻む。わたしはこれからも自分の作品を創る、
そしてそれは、「継ぐ」ということなのだと。
蜷川さんとの出会いが、わたしの演劇人生を決めました。
ありがとうございました。ありがとうございました。
頭の中で、50個くらいの走馬燈がいっぺんにまわっていて、
すべてが鮮やかに蘇って、狂おしい夜でした。
わたしは、受け継ぎます。

2016年5月11日 (水)

執筆中。

深い夜、書斎にて。時折、心が叫ぶ。
「なんでいい歳して劇作なんかはじめちゃったんだよ〜、
演出だけでよかったんじゃないの〜!?」
劇作の孤独と、演出の孤独の種類が、まったく違うものだから、
だいたい、孤独ってやつに、ぶち切れている。
だいたい、筆がのったら、この上なく幸せになる。


===

「あ、書ける」
いや、
「あ、見えた」かな。
ふと自分の選んでいた無数の点が、線で結ばれる瞬間がくる。
だいたい、夜を越した朝方、やってくる。
なぜか、いつも、こうしてはじまる。

2016年5月 8日 (日)

母が眠るであろう、ぎりぎりの時間に電話。
父に、「記憶がなあ、もう、あんまりしっかりしてはらへんさかいなあ……」といつも言われており。
今日も「今度はいつ出はるの?」と聞かれて、「わたしは演出やから出えへんよ」と答えるとがっかりしていた。

わたしが俳優だったのは、もう20年以上前のこと。
帝劇でも青劇でも、わたしの楽屋を見舞ってくれた時は、大きな帽子をかぶって、明るくって、人気者だったなあ。
明るく外交的な母に、寡黙で内向的な父。
わたしは、二人の極端な性格を、両方とも受け継いでいる。

俳優でなくても、自分の創った舞台を観客が喜んでくれているところに、一緒にいてほしいなと、胸が痛くなるほど願うけど、
もう、それは叶わない。
もちろん、手術に打ち勝って、幾つもの壁にぶつかりながら、
「パパと一緒で幸せです!」と電話口で泣いたり笑ったりしてくれるだけで、そこにいてくれるだけで、素晴らしい。
そして、いつもいつも思うけど、
わたしが、離れた東京で暮らし、好きな仕事をするのを、ずっと許してくれている。帰ってこいって言われたことなんて一度もない。
どれだけか寂しいだろうに、わたしに、自由という一生の宝物をくれたのだ。
ママ、ありがとう。そして、ママのすべてである、パパ、ありがとう。

電話で、「お花は?」と聞かれて、「あ、ない……」と答える、
親不孝。あああああ。
よし。仕事する。

写真は、オードリー・ヘップバーンみたいだった、
母と、小さなわたし。

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2016年5月 7日 (土)

わたしは、時を描く。

グザヴィエ・ドランの「Mommy」をようやく観た。
衝撃的で。映画の魔法に放心するように感動して。
興奮が覚めやらず、眠らないまま、朝。

不思議なことに、見終わった興奮の中で、今まで観てきた沢山の映画の心震えるシーンが、一度に襲ってきた。
感動のフラッシュバック。

「Color of Life」も「タールピット」も「Sleeping Beauties」も、
わたしのオリジナルはすべて「時」を扱っている。
それしか書かないのか?というくらいに、「時」だ。
きっと、次も、と予感しながら、
美しきシーンのフラッシュバックの中にいる。
起きたまま、覚めたまま、夢を見ているようだ。

2016年5月 5日 (木)

女優の悪い血。

「楽屋」終演後の松谷彼哉のツイートで、稽古を回想。
彼女が女優Cに出会う過程はスリリングだった。

チェーホフの本業は医者で、短篇に治療の描写がしばしば出てくる。
悪いところに「ひる」を這わせて悪い血を出す、
吸い出しという原始的な治療法があったが、
わたしは彼女に「ひる」のように取りついて、演出した気がする。
悪い血を吸いたくて。女優に蓄積された悪い血は、とても甘い。

今は、新しく出会う俳優との出会い方を探している。
定石や決まり手はない。
いちいち、探すしかないのだ。
新しい人と出会うには、わたしも新しくなるべきだ。

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松谷彼哉@ 4/28〜5/1「楽屋」公演

台本を頂く、自分の世界観の中で膨らませる、稽古に向かう、演出家さんの世界と遭遇する。そこに届くように、再び構築し直す。土台が出来て骨組みが出来ると中身を詰めてゆく。非日常感に陶酔する。舞台に上がる。非日常が日常となる。幕が閉じる。自分の生活圏の日常に戻る。魂が抜けてぼんやりする。

2016年5月 2日 (月)

「Angel」にまっしぐら。

明日から、「Angel」にまっしぐら。
大野幸人×石丸さち子 一対一の稽古場に入るまで、
0から作品を立ち上げるための準備期間を過ごす。

2016年6月24日(金)~26日(日)
出演/ 大野幸人
脚本・演出/ 石丸さち子
会場/ ニッポン放送イマジンスタジオ


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2016年5月 1日 (日)

楽屋終演。

「楽屋」終演。
清水邦夫戯曲と出会って30年の蓄積で戯曲を丹念に読み込んだ。
偶然集まった女優たちの心と身体と真正面から向き合って読み込んだ。
実に正攻法だが、戯曲に書かれた時代の要請、時代を超えたもの、楽屋に蓄積しているだろうあらゆる憧れと痛みを、洩らさず舞台にのせたかった。

四公演終えて、へとへとになった女優たちと、ソフトドリンク中心の打ち上げ。
「楽屋」との。燐光群フェスティバルとの。共演者との。演出家との。あらゆる出会いが幸福だったと皆が言い合う、幸せな時間になった。

大事な女優たちよ。お疲れさま。
しばし人間に戻り、ただの女に戻り、
また一緒に闘いにいこうね。
闇の向こうで待ってくれている観客に、
また再び会うために。

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