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2016年6月18日 (土)

忘れ難い、絶望の思い出。(戸川純さんの蜷川さん追悼文を読んで。)

戸川純さんの、蜷川さんを追悼する文章を読みました。

蜷川幸雄という演出家が、
自分の見たいものを叶えてくれる俳優へ注いだ愛情が、
どれほど長い時を超える力を持つか、感じさせてくれる、
愛情と痛みのある文章でした。

(以下、この追悼文を読まれた方しか
わからないだろう、個人的な記憶を書きます。
20代の、忘れがたい絶望の話です。)

戸川純さんの蜷川さん追悼文
http://www.ele-king.net/news/rip/005137/
http://www.ele-king.net/news/rip/005166/

===

この追悼文の中に出てくる「三人姉妹」の稽古で、
わたしは戸川さんが配役されていたイリーナの、
代役をやったことがあります。
わたしは、中学生の頃からとにかくチェーホフが好きで、
それが昂じて大学の第2外国語もロシア語を選びました。
イリーナの台詞は、いくつも覚えています。
若い時から、天気のいい朝は、一幕の有名な台詞を、
ついつい一人で声に出してしまうほどです。
代役を指名された時は、天にも昇らんばかりの喜びでした。
佐藤オリエさんのマーシャ、有馬稲子さんのオーリガにはさまれて、
もう、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

一幕の代役をやって、
蜷川さんにとても褒められました。
石丸、よかったよ、流れがわかったよ。と。
蜷川さんのにこにこした顔には、
しっかり代役の勤めを果たせたことが読み取れました。

でも、わたしは、絶望していました。
戸川純さんに較べて、わたしはあまりに普通だったのです。
戸川さんの文中にある、「演劇然」としたものだったのです。

わたしは、声が出る。
一幕でイリーナが何を演じるべきか、流れを知っていた。
必要とされる明るさもプローゾロフ家の現在も知っていた。
でも、戸川さんに較べて、あまりに、
普通の、演劇をする、人だった。
この追悼文で語られる戸川さんのイリーナとは、
対局のイリーナでした。

自分が俳優として特別視されない理由が、
褒められた後に、明らかになったのです。

わたしが俳優をやめた理由はいくつかありますが、
今思えば、この時の絶望も、そのひとつだった気がします。

演劇然としている。
オーソドックスである。

そういうことと、
俳優の時は、ずいぶん闘った気がします。

演出家になってからも、
ずっと自分に問い続けています。
ただ、演出家は、俳優たちの心と身体を借りることができる。
わたしの想像力を越える瞬間と出会ったり、
俳優と出会うことで、いつもと違う道を選んで、
思わぬ道を辿って、知らない風景を見ることもできます。

この20代の絶望を思いだして、
不思議なことに、
あの時の自分を、褒めてやりたい気持ちになりました。
烈しい性格だったので、
20代は自己否定ばかりしていました。
でも、
チェーホフ好きで、
天にも昇る気持ちで、
オーソドックスにイリーナを演じた自分を、
今のわたしが、褒めてやってもいいじゃないか、と。

自分には自分の演劇が棲んでいる。
飽かず、ずっと一緒に暮らしてきました。
この、わたしの演劇と出会って、
喜んでくれる人が増えていることに、
わたしは生きる希望を見いだしています。

長い時間が流れました。

セゾン劇場での「三人姉妹」。
戸川純さんのイリーナは、とても魅力的でした。
自分を疑い世界を疑い、
自分を探し、世界を求める力。
イリーナの強靱さと脆弱さが、
戸川さんという個の中に生きていました。

誰にも似ていないこと。
何にも属さないこと。
……あの頃のわたしの憧れの彼方。
そして、もちろん、彼女の中にも、
蜷川さんを介して、
演劇って何かの問いと逡巡があった……。

===

蜷川幸雄という大木が、
たくさんの枝葉に滋養を与えていたことに、
改めて、思いを馳せました。

そして、それは、時を超える類のもの。

わたしは、演出家としてあまりにスタートが遅いし、
これからどれだけの俳優と出会えるかわからない。
でも、枝葉が少なくったってかまわない。
しっかりした根と、滋養を漲らせる力を持ち続けて、
出会うことで、時を超えたい。

愚直に、続けようと思います。

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